Ⅲ
これからどうなるのか、少し先が見えたことはキャーライトを大いに安心させた。彼はその日、最近では最も穏やかに寝入ることができたのだった。
キャーライトが言った「中では何が起きるかわからない」という言葉を、マックスは素手で丸腰では不用心だと言う意味にとった。というのも、最初に遺跡に入った時に見た銀色に光る甲冑の集団のことが忘れられなかったのである。
あんな奴らに囲まれたんじゃ本当に勝ち目はない、と思ったマックスは適当な武器を探したが、レオンのように剣が扱えない彼にとっては薪割り用の斧ぐらいしか武器にできそうなものはなかった。薪割は実家の宿屋でもよく仕事としてやっている。
翌日、レオンの家は何やら物々しい雰囲気に包まれて、食事中は誰も口を開かなかった。一足早く起きて朝食を済ませた御者たちが外で雪かきをしている音がよく聞こえる。
食事を済ますとマックスたちはすぐに席を立って部屋に戻り、出かける支度をした。
準備が整った彼らは玄関に集まった。レオンは鍵の継承者専用の黒いマントに身を包み、ランプとスコップを持って立っていた。その隣には背中に薪割り用の斧を紐でくくりつけ、肩にキャーライトを乗せたマックスと、頭巾をすっぽりとかぶったスーが並ぶ。彼はフェニーチェの羽根の入った箱に紐をかけて肩から提げている。
リーザニカの忠実な使用人たちも見送りに玄関にそろった。
「じゃあ、行ってくる。留守を頼むぜ」
「それは心配には及びません。お任せくださいまし!どうぞリーザニカ様を救い出してください」
こうして三人と一匹は森の奥の遺跡へと進んでいった。
「悪い王子様の所からお姫様を救い出しに行くなんてちょっとカッコいいよね!」
あまり緊張していない様子でスーが言った。マックスの肩の上でキャーライトが満足そうに鳴く。
「んにゃあ、そーだろ、やる気出てきたな?」
「…お姫様って魔女のことじゃないか。しかもお婆さ…」
「うるせーな!」
「ま、あんまり深く考えるなよマックス。オレたちの目標はじっちゃんのカタキ・リシャール王子の討伐だ。ギーズ侯爵様直々に依頼された…ってことだよな?」
「おっとそうだな。考えてみれば、モブのおれがここにたどり着くなんてな…」
マックスは妙にしみじみとした気分になった。
「もぶ?なんだ?」
「いやいや、何でもないぞ!」
その間にも森を抜けて、レンガに囲まれた遺跡の入り口にやってきた。レオンは木製の扉の周辺まで伸びてきているつる性の植物をちぎって鎖をほどきつつ鍵を開ける。
「ここがそのリシャール王子の宮殿?」
スーは柱や壁の一部が雪に半ば埋もれつつ顔を出している遺跡の様子を見て聞いた。
「いや、ここはその残骸らしくて、そいつがいる場所はまた別なんだぜ。えーっと、この辺の壁が目印だから…」
レオンはスコップで雪を掻き分けて本当の入り口を探している。地下への階段は雪に埋もれてしまっていたのだった。
「もう少し奥の壁だっけ。この辺だな」
ほどなく階段の周りの雪が取り除かれ、地下への不気味な空間が顔を出した。レオンはスコップを近くに置いて、ランプをかざして降りていった。マックスとスーが続く。
雪に閉ざされていた地下への空間はまた一段と冷たい空気に満ちていた。キャーライトはマックスの耳元でくしゃみを一つ。
「ほら、スー、これが本当の入口だぜ」
ランプの灯りにぼんやりと、両開きの古びた扉が浮かび上がる。
「よーし、早く行くぞ」
レオンは鍵を開け、視界は一瞬真っ白になった。
鳥のさえずりと人工的なせせらぎが聞こえる。彼らは再び、常に春のような800年前とほとんど変わらないというリシャール王子の居城にやってきた。
「ここがそうなの?地下に降りてきたのに、変だね」
スーは深くかぶった頭巾が暑いので、それを下ろして高い空を見上げた。風が吹いて、正面のアーチに見事に咲いていた白いバラを無造作に散らしていく。
「リーザニカ様はきっとあの城にいるんだな。キャット、案内してくれよ」
「わかってらぁ。こっちだ。ちゃんとついて来いよ」
キャーライトはマックスの肩から飛び降りると、迷う様子もなく歩き出す。
庭園は不気味なほど静かだった。
「おいキャット、この前おれたちを捕まえようとしてきた変な奴らはもう出てこないかな?」
「出てきてほしいのかよ?」
「冗談じゃない!」
「不吉なことは言うなよな。あんな奴らリシャールの操り人形で半分は幻みたいなもんだけど、うざったいことに変わりはないからな…ところで、今、変な音がしなかったか?」
キャーライトは立ち止まって耳をぴくぴくさせている。マックスたちも話すのをやめて耳をすませてみたが、特に変わった物音は聞き取れなかった。
「何にも聞こえねーぞ。お前こそ不吉なこと言うなよ」
レオンは不満そうに言ったが、キャーライトは首を振った。
「いや、確かに聞こえる。人間の耳には小さすぎて聞こえねーんだな。早く行くぞ!」
「キャーライト様!あれ!」
スーが叫んだ。彼が指差した方を見ると、城壁の内側の塔の一部、大きな窓から何かが飛び出してきたところだった。
「何だあれ?」
「レオン、肩貸せ!」
レオンはキャーライトを肩に乗せた。窓から落とされた物はひらひらと空中を漂っている。それは布のようで風に翻って、庭園のどこかに落ちていった。どこに落ちたのかは彼らのいる位置からはわからなかった。
「間違いねぇ。あそこにリーザがいるんだ。あいつは追い詰められるとああやって窓から物を投げるんだ」
「それはちょっと迷惑…」
キャーライトはレオンの肩から飛び降りた。
「早く助けに行くぞ!」
「あ、また何か落ちた」
「今度は布じゃないぞ!」
マックスの言ったとおり、次に窓から落ちたのはもっと重そうな物体で、陽光を反射してその輪郭はよく見えない。しかも風の影響も受けずに放物線を描いてかなりの速度で落下した。
「あれはこの前の甲冑じゃないか!」
「よく見えなかったけど、たぶんそうだな」
「遠眼鏡を持ってくればよかったね」
「こんないい天気じゃ眼がつぶれるぞ」
そう言っている間にもさらに何体かの甲冑が落下した。
「なにのんきなこといってる?話は後だ!早く行くぞ!」
キャーライトは一喝して走り出す。四本足の疾走に追いつくために、後の三人も慌てて走り出した。急いでいるキャーライトは例によって人間には優しくない道ならぬ場所を走り出したのだ。
「キャット!人間様のこと考えろってこの前も言っただろ~!」
「ぐちってるヒマがあったらついて来い!」
背の高いレオンは木の枝に髪の毛を引っ掛け、階段を駆け上がるマックスは背負った斧のバランスを崩し転びそうになる。せせらぎを跳び越え損ねたスーは哀れっぽい声を上げた。
「うわぁ、ブーツの中に水が入っちゃったよ~!」
「走ってるうちに乾く!もう少しだ!」
努力の甲斐あって、キャーライトについていった三人は肩で息をしながら城の入り口までやってきた。辺りはしんと静まり返っていて、木製の大きな扉は開け放されている。
見張りや門番がひしめいているのだろうと予想していたマックスたちはかえって警戒心を強めた。
「あけっぱなしかよ。気味が悪いな。鎖でグルグル巻きに閉鎖されてた方が気楽だぜ」
キャーライトはそう言いながら、中へ入っていった。
城の中は庭園と同様、美しいが静かでこの世ならぬ雰囲気に満ちている。金糸の縫い取りを施した赤い飾り布や絨毯が壁や床を覆い、外からではわからなかった明り取りの窓を通してこの地下空間を照らす不思議な陽光が城内にもあふれていた。
「リーザニカ様はどこにいるんだ?さっき見た窓はどっちにあるんだ?」
疑問を発したマックスの声は吹き抜けの高い天井にこだました。周りが静かなぶん、その響きは不気味である。レオンはその響きに一瞬震えながらもそれを打ち消そうとあえて大きな声で話し出した。
「おいキャット、リーザニカ様の匂いをたどってわからないのかよ?」
「それは犬のやることだろ。俺は猫だぞ!」
「あ、こっちに階段があるよ!」
スーは飾り布の後ろに広がる空間を発見した。とても幅の広い階段が伸びている。キャーライトは階段を上りきった所にある巨大な扉の前に走っていって、耳をぴくぴくさせた。
「この先からなんか聞こえるぜ」
マックスたちは遺跡の入り口の扉によく似たその扉を開けようとしたが、三人がかりで押したり引いたりしても扉はびくともしなかった。
「ちょっとさがってろ!おれが何とかする」
マックスは紐で括りつけた薪割り用の斧を握った。
「そぉれぇ~!」
振り下ろされた斧は扉の華美な装飾もろとも木片を飛ばした。それを数回繰り返し、扉はバキバキと音を立てて彼の前に開かれた。
「やった!」
「いいぞ!マックス!」
三人は喜んで開いた扉から中に入ったが、たちまちその場に立ち尽くした。
そこは階段室で、幅の広い階段が壁に沿って延びていたが、その場にいたのは彼らだけではなく、あまり会いたくないと思っていた人々がひしめいている。採光用の窓から差し込む陽光を受け、甲冑がきらめいた。
「歓迎してもらえる、わけないよね…」
そう言ったスーの声は、誰もいないように静かな階段室の高い天井にむなしく響いた。