Ⅲ
屋敷に入った二人を伯爵の執事が迎える。彼はレオンの足について驚いて訊ねた。
「ああ、その、実は、雪が残ってる所で転んでしまったんです」
レオンは神妙な顔でそう言った。
「一応、応急手当はしてもらいました」
「とにかく、お部屋にお戻りください。すぐに手当てをさせましょう。それから、お食事の仕度もできておりますが、先にご入浴なさいますか?」
「ええっと、じゃあそうします。外は寒かったです」
レオンは数人の使用人の手を借りて、マックスは執事に案内されて部屋に戻った。そうでないと、二人とも屋敷の構造がつかめてないので迷ってしまうのだ。
執事の話ではポルカ伯爵は先ほど帰ってきたそうだが、今はギーズ侯爵と話していて会えないという。だが後でマックスたちの話も聞きたいと言っていたそうだ。
マックスにとってもレオンにとってもこの屋敷での生活は馴染めそうにないものだった。大理石の浴室に、彼らにとっては豪勢な夕食、ビロード張りの長椅子など、どうにも落ち着かない。また、人の多い食堂の雰囲気に慣れているマックスには部屋に運ばれてくる食事というのは何とも寂しい気がした。
二人がポルカ伯爵に呼ばれたのは夕食がすんで少し経ってからだった。執事に案内された部屋には暖炉があって、近くの長椅子には部屋着でくつろいだポルカ伯爵とギーズ侯爵が葉巻をくゆらせている。侯爵が顔を上げた。
「二人とも、こちらがポルカ伯爵だよ」
伯爵は非常に上品な印象の人だった。四十代後半という年齢だがそれよりも若く見える。それはスラリとした体型と、白髪一本混ざらぬ漆黒の髪のせいでもあるが、高い鼻の下に蓄えられた品のいい口ひげが顔全体の印象を凛々しく引き締めていることが大きかった。
「君たちがマックス君とレオン君だね。座りたまえ」
二人は緊張した様子で挨拶をして、言われたとおり正面の長椅子に座る。侯爵はレオンを見て怪訝そうな顔をした。
「レオン君、その足はどうしたんだい?」
「ああ、えっと、実は雪が残っている道で転んで…。でもちゃんと手当てしてもらったので、平気です」
「ああ、そうか。場所によっては雪が残っているからねぇ」
「特にスラム街など、危ないものだよ」
ポルカ伯爵はさらりと言った。
「治安も悪い。乱闘沙汰は日常茶飯事だから、騒ぎには巻き込まれないように気をつけたまえ」
「は、はい…」
二人は内心ひやひやした。早速騒ぎに巻き込まれていたとはとても言えない。言わんこっちゃない、とマックスはレオンを恨みがましく思う。
「それより、私に聞きたいことがあるそうだね?大体の話はパトリック君から聞いたが、リーザニカ嬢に会いたいと…。詳しく聞かせてくれるかな?」
伯爵はカリストが亡くなって二人がリーザニカを探してやってきたことまでは侯爵から聞いていたのだったが、ギュズラにある遺跡についてはよく知らなかった。そこでレオンは遺跡について、マックスはカリストの不自然な死について説明する。伯爵はそれを聞いて納得したようだった。
「なるほど、カリスト殿の件には何かのかたちでリーザニカ嬢が関わっているということか。確かにパトリック君も言っている通り、私は彼女に会ったこともあるが、意外だな」
「意外?」
「そう、ギュズラの遺跡に執着しているという点がね」
「やはり伯爵もそこが気にかかりますか?」
侯爵も二人にそういっていたのをマックスは思いだした。
「ああ、魔女と言われていても、あの人も中央の貴族だ。ギュズラには特に関心のある素振りは見せてない。どころかパトリック君の話になると田舎貴族とバカにしているんだ。私が擁護しても、まったく無関心に見える」
「…それは事実ですから」
ため息をつきながら侯爵は自嘲気味に言った。
「まあ、彼女は何百年も生きているそうだから、本当のところはわからない。とにかく秘密と謎が多い人だからね。それに本当に考えていることをいちいち表に出しているようでは王宮では生きていけないから」
「じゃあそのリーザニカという人は、1000年以上生きてるってうわさは本当なんですか?」
マックスにしてもレオンにしてもそれが一番気になることであった。人は見たことのないものは容易に信じないものである。
「1000年かどうか知らないが、何百年と生きているのは事実だろう。あの人は一見するとごく普通の貴族のご令嬢だが、少なくともわたしの知る限り、100年近く姿も変わらずに生きている。子供の頃、父上から『あの方は私がお前ぐらいの時から姿が変わらない』と聞かされたのだよ。さらに聞いてみると父上はおじいさまから同じ事を聞かされたそうだ」
「は…」
「物語にあるような、そっくりな人物が何代にもわたって『リーザニカ』という人物を演じているだけなんじゃないのか?と私も疑ったものだよ。ですが、そうではないんですよね?」
「プライベートな話も覚えているらしいし、秘密裏に代替わりというには若すぎる。パトリック君のように疑う人は何人もいるが、そんな連中が100年単位で彼女を観察した結果が例のうわさだよ」
「えっと、じゃあ、しゃべる黒猫を飼っているという話は?」
「ああ、それもよく聞かれる話だね。ただわたしはその猫は見たことがないなぁ」
「裏で王陛下を操って国を動かしているという話は?」
「こらこら、興味があるのはわかるが、あまり不穏当なことを聞いてはいけないよ。ここは王都でギュズラとは違うのだから…」
侯爵はたしなめたが伯爵は面白そうに笑う。
「ああ、別に構わないよ。ここはわたしの屋敷だ。リーザニカ嬢は表向きにはまつりごとに関わってないように振舞ってはいるね。ただ気に入らないことがあると、もっともそれは彼女にとってはよくあることだろうけれど、陛下にも堂々と意見する。だからある一定の権力を持っていることは確かだ。そして、彼女は宰相閣下と非常に折り合いが悪い。まぁ、閣下とはたいていの人が折り合いが悪いのだがね」
「はぁ…」
マックスとレオンにはよくわからない話だ。政治の話が難しいのはどこの世界も同じなんだなぁとマックスは思う。
「ポルカ伯爵、彼らをリーザニカ嬢に会わせることはできますか?」
「少し時間がかかるかもしれないけど、紹介状を書こう。わたしは彼女の屋敷を直接訪ねることは許されてないから、むしろそれぐらいしか方法がないのだけれど。明日また王宮に行くから届けてもらえるだろう」
「レオン君、その紹介状に君の手紙をつけたらどうだろう?」
「え?」
侯爵の発言に伯爵も驚いたようだった。
「パトリック君、それでは礼に背くことになりはしないかね?」
「ですが、ギュズラの遺跡とあってはきっと彼女も慌てることでしょう。あらかじめ、鍵の継承者の手紙を渡しておくことによって彼女が早く会ってくれるかもしれません」
「なるほど。それほどまでに彼女がその遺跡に執着しているならば、ありうるだろう」
その後、レオンは早速手紙を書いた。手紙にはカリストの不可解な死のこと、それを伝えに王都にやってきたことを、鍵の継承者特有の暗号で書き込んだ。これならば11月の報告書を送ってない理由もわかってもらえるだろう。
伯爵は紹介状にその手紙を同封して、明日彼女の屋敷に届けさせることを約束した。明日はギーズ侯爵も国王への拝謁を許可されたので共に王宮に行くという。
マックスとレオンはリーザニカから連絡があるまで伯爵の屋敷で大人しくしていることにした。これ以上出かけて騒ぎに巻き込まれ、あるいは騒ぎを起こし、伯爵や侯爵に迷惑をかけてはいけないし、そもそもレオンの足の怪我が治るまで現実的に出かけることは難しい。
こうして長かった一日が終わった。
すんごい微妙でわかりにくいんですが、ポルカ伯爵の一人称は「わたし」。
「私」と言っているのはギーズ侯爵です。