33話 狙われた記憶
あの突入作戦から数日後───
夕方の空は、まだわずかに明るさを残していた。
学校の校門を出ると、住宅街へ続く緩やかな坂道がある。
部活動の終わった生徒たちが、三々五々に帰っていく時間だった。
春菜も、その流れの中にいた。
肩にかけた鞄が軽く揺れる。風は少し冷たい。
「今日はちょっと寒いなぁ……」
小さく、そう呟きながら空を見る。
雲は薄く、夕焼けが街を淡い橙色に染めていた。
その時、スマートフォンが震える。画面を見る。
その画面には『龍二くん』と表示されていた。春菜の表情が少し柔らぐ。
メッセージは短かった。
『今日は遅くなる。先に帰っててくれ』
春菜は、少し口を尖らせる。
「また仕事かな……」
だが、すぐに微笑む。
『分かった。気をつけてね』
送信してスマートフォンをしまう。龍二の仕事が忙しいのは分かっている。
公安警察。それはとても重要であり、危険な仕事。それでも───。
「帰ったらご飯作っとこうかな……」
そう呟きながら歩き続ける。住宅街へ入ると、人通りは少なくなる。
車もあまり通らない道。春菜は角を曲がる。
その瞬間だった。背後から、低い声が聞こえた。
「鈴木春菜だな?」
春菜は足を止めた。
声がした方に振り返る。すると、そこには、黒いスーツの男が立っていた。さらにもう1人、少し離れた場所にもいる。
2人とも無表情。春菜は、少し首を傾げる。
「……誰ですか?」
男は答えない。ただゆっくり近づいてくる。その距離の詰め方が妙だった。
普通の通行人ではない。春菜の心臓が少し早くなる。
「何か私に用ですか?」
男は、低い声で言った。
「少し、我々と一緒に来てもらうか」
春菜の表情が変わる。その言い方で理解した。
明らかに普通じゃない。
春菜は周囲を見る。左は細い路地。右は住宅の塀。後ろには、もう1人の男。逃げ道は限られている。
春菜の頭の中で、景色がはっきり浮かび上がる。
この道は、いつも通っている。
右の塀の先は行き止まり。左の路地は奥で曲がる。
そして───左の路地の先には大通りがある。つまり……人通り助けを求められる。
春菜は、一歩後ろへ下がる。
「ごめんなさい」
男の目が細くなる。
「何?」
春菜は言った。
「私、急いでるので!」
そして次の瞬間、春菜は左へ走った。
男が怒鳴る。
「待て!」
足音が追ってくる。春菜は路地へ飛び込む。狭い道。アスファルトの上を全力で走る。
心臓が激しく鳴る。だが、頭は冷静だった。この道の形は、覚えている。
3秒後に右カーブ。その先に自動販売機。さらに15メートルで出口。
背後から足音が聞こえて来る。2人。男の1人がが叫ぶ。
「追え!絶対に逃がすな!!」
春菜は、カーブを曲がる。視界の先に自動販売機。その向こうに───黒い影。1人の男が立っていた。
春菜は一瞬驚く。だが、すぐにその顔が見えた。
「龍二くん!」
その黒い影の正体は、龍二だった。
黒いジャケットの私服姿。春菜が走ってくるのを見て、すでに状況を理解していた。
龍二は静かに言う。
「春菜、後ろだな」
春菜は頷く。
「2人!」
その瞬間、追ってきた男たちが路地から飛び出してきた。
龍二の目が鋭くなる。男の1人が拳銃を抜いた。
だが、その動きより早く、龍二が踏み込む。
一瞬で距離を詰める。龍二が拳を放ち、男の手首を撃つ。すると、男が持っていた拳銃が宙を舞う。
男の腹へ膝。空気が抜ける音。そのまま肩を掴み、地面へ叩きつけた。さらに、もう1人の男が殴りかかる。
龍二は、体を半歩ずらす。男の拳を避ける。そして肘打ち。男の顎に直撃する。
男の体がよろめく。だが、その男は懐からナイフを抜いた。刃が夕焼けに光る。
龍二は目を細める。
「お前たち“ノクティス”の者か?」
男は答えない。ただナイフを振り下ろす。龍二は、腕で受け流す。
刃がジャケットをかすめる。そのまま手首を掴む。
力を込めてひねる。骨が軋む音が鳴り、ナイフが地面へと落ちる。
龍二は、そのまま男の腕を極め、地面へ押さえつけた。
男が苦しそうに呻く。もう1人の男も立ち上がろうとする。
だがその時。遠くからサイレンが聞こえた。
公安の車両だ。龍二は、男の耳元で静かに言った。
「これで、もう終わりだ」
だが次の瞬間。男が笑った。それは、不気味な笑みだった。
「……まだだ」
男は、口の中の何かを噛み砕く。龍二の表情が変わる。
「しまった!毒か!!」
男の体が痙攣し苦しみ始める。その数秒後、完全に動かなくなった。もう1人も同じだった。
春菜は、呆然と立っていた。そして龍二は、ゆっくり立ち上がる。
遠くで車が止まる音が聞こえる。公安の応援だ。
龍二は、春菜を見る。
「怪我はないか?」
春菜は、首を横に振る。
「ううん。私は大丈夫」
だが、その細い体は、少し震えていた。龍二は、その肩にそっと手を置く。
「もう大丈夫だ」
春菜は小さく頷く。しかし龍二の視線は、倒れた男のポケットへ向いていた。
そこには小さな紙が入っていた。龍二は、それを取り出す。
紙には、いくつかの名前が書かれていた。その一番上には、この名前が書かれていた。
“鈴木春菜”
龍二の目が鋭くなる。そしてその下には───ECLIPSE
その文字だけが書かれていた。
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