裏側・リリーの物語
私には恋をし、愛している人がいる。
彼女の名前はユーリ・ミラー。昔からの幼なじみで、『人には言えない秘密』があるレーズン男爵家の娘として生まれた私にとって唯一温かい光そのものだった。
毎日毎日人間の汚い部分ばかり見せられ、五歳にして人間に絶望していた私――リリーシアに唯一人の温かさと輝きを見せてくれた人。
……レーズン男爵家に生まれた者に光はない。可もなく不可もなくの、特別語ることはない……ちょっと『特別な栄養』を与えられてスクスクと育っている木材の輸出という小商いを行っているだけの男爵家とは仮の姿。裏の顔は、国家直属の暗部……汚れ仕事専門の工作員だ。
それはレーズン男爵家だけがそうという訳では無いと思うが、他に同じような立場の者がいるのか私は知らない。私達は他の同胞の情報など一切知らず、普段は普通に過ごす……ように見せかけながら訓練を積み、不定期に送られてくる国家からの命令をただ熟すだけの道具なのだと躾けられてきた。
その例に漏れず、私もまた物心付いたときから厳しい訓練を受けてきた。基礎的な運動能力の鍛錬はもちろん、毒物の扱いから暗殺術に口先の詐術まで様々だ。
そんな生活をしている子供がまともなわけもない。仕込まれた技術の一つである『演技』によって外に出向くときには『貴族の子供』を演じていたが、中身は人の壊し方しか入っていない人形として仕上げられていた。
そんな私が初めてユーリと出会ったのは、お互い五歳のころのこと。
裏の家業とは別に表向きの貴族としても最低限のことはしなければならないと、近隣にあったミラー領へ商談に出向いた際、子供同士ということで一緒に遊びなさいと別室に案内されたときだ。
実の両親すら信用できない人間ですらなかった私は、そこで人間になった。特別なことをしてもらったわけでもなんでもないけど、ただ『何の柵もない同世代の女の子』であるユーリと一緒にいて、初めて『心』というものを得たのだ。
殺意も悪意もなく差し伸べられる手、毒も入れずに自分の食べ物を分け与えてくれる慈悲深い心、穢れきった私という存在を浄化するような無垢な笑顔。知識としてしか知らなかった天使という概念を初めて私はその時知った。むしろ、教会に描かれているようなまがい物の天使の絵など全て焼き払ってユーリの肖像画を飾るべきだとその日真に理解できたくらいだ。
血を分けた家族のすら一切信用できない私が心の底から信じられる唯一の人。ユーリが笑えば世界は輝き、ユーリが悲しめば世界は闇に沈む。
世界とはユーリが笑うために存在しており、その障害となるものは全て如何なる手段を持ってしても消し去る。それが私の使命であり、生まれた意味。五歳にして私が開いた悟りだった。
私以上にユーリを愛している人間などいない。ユーリの幸せを一番考えているのは私だ。私とユーリが共にいることこそが世界の真理だ。
それを思えば、今まで心を殺して耐えるばかりだった訓練も笑顔すら浮かべて熟せるようになった。
痛みも苦しみも恐怖も不快感も、全てはユーリを幸せにするための下準備。そう思えば、もう怖いものなんてなかった。
だから――今日も、私は私だけのユーリに群がる害虫を駆除するために動くのだ。
「リリー、今日はどこに行きたい?」
「ええビート様。そうですね……最近はビリーズ劇場の劇が話題のようですよ」
今日もゴミムシが私を訪ねてきた。
「ではそこへ行こうか。さ、手を出して」
「ありがとうございます」
ウジ虫の手になど触れたくはないが、これもユーリのため。こんな害虫にユーリを穢される前に、私が排除しなければならない。
だから、私は肥だめに突っ込む覚悟で不自然に狭い馬車へと乗り込むのだ。
「キミは本当にかわいいね。まったく、あの鉄仮面女とは全然違うよ」
何が鉄仮面女だ。お前がユーリの美しさ、可愛さ、愛らしさを理解できない愚物なだけだ。
役に立たないならその目玉えぐり取って取り替えてやろうか?
「そういえば、以前お話にありました焼き菓子をお持ちしました。お口に合えばいいのですが……」
「おお! キミの手作りとはありがたい! いただくよ」
別に私の手作りとは言っていないけどね。
ユーリに渡す予定のクッキーは当然私が一から作って隠し味まで込めたけど、これはただ市販品を買ってきただけだ。
とはいえ、ちょっと手を加えたから市販品そのままというわけでもないけど。
「どれ……ん?」
一口クッキーを口にした糞虫が首を傾げた。
……腐っても上位貴族。味覚はそれなりにあったか。
「どうかしましたか――あら?」
「お、おう……胸が」
違和感に気づかせないよう、身体を密着させる。馬車の揺れに見せかけて胸を押し付けていく。
後で全身消毒しなければならないが、ここの仕込みで失敗するわけにはいかない。それに、こいつもこんなことを狙ってわざわざ狭い馬車を用意したんだろうし本望でしょう?
それに、私がやっていることを御者や使用人に勘ぐられてはまずいから、印象操作は忘れずにやらないとね。
「いやー……ははは。いや、うんおいしいね!」
鼻の下を伸ばして、もう味なんてどうでもよくなったのかバリバリとクッキーを頬張りながらも身体を離そうとはしないボウフラ。
本当に、心の底から腐っているわね。ユーリの婚約者なんてこの世のすべてを手に入れられる立場にいながら、少し誘惑しただけでこんなあっさり裏切るんだから。
……いえ、それ以前の問題でしたね。この男、ユーリのことを金蔓としか思っておらず、婚約する前から続いている複数の恋人と今も関係を持っており、今も気まぐれに……ユーリから奪い取ったお金を使ってその数を増やしている。あろうことか、本来それを諫め矯正すべき親までそれを当然の権利として黙認しているというのだから。
蟲は巣まで駆除しなければならない……このクズの血族を見ているとそれがよくわかります。
(早く消さなきゃ。こんな男なんて、いえ男なんてユーリには必要ないんだから)
クッキーに仕込んだのは、最近闇社会で出回っている薬だ。
摂取すると一時的に万能感に浸り非常に気分がよくなるが、その代償として脳に大ダメージを受ける。依存性も高く、一度摂取すると止められなくなる所謂麻薬という奴ね。
具体的な効能は、異常なまでの絶対的自信を得る代わりに論理的な思考ができなくなる。自分勝手で支離滅裂な発言を繰り返すようになるということだ。性質上自白剤としての利用も検討されている中々将来性豊かな一品ね……一般に出回ったら危険だからレーズン家が秘密裏に押収しているわけだけど。
とはいえ、今回混入した量はそこまで多くはない。この尺取虫が死ぬべきなのはここではないのだ。
「ところで、最近何か面白いこととかなかったですか?」
「面白いことかい? そうだね……実は、今度公爵家の婚約パーティーに参加するんだ」
「パーティーですか?」
「ああ。僕くらいの男になると公爵閣下のお眼鏡にも――」
……このサナダムシの話を纏めると、ユーリのおまけで招待されただけらしいわね。
さも自分は公爵家とも縁を持てる凄い男なんだと自慢しているけど……情報を整理すれば、真珠産業で有名なミラー家が招待されて、未婚の女性のマナーとしてユーリが分不相応にも婚約者の地位に収まっているこの男を嫌々呼んだってだけね。
本当に、下らない自尊心ばかりのつまらない男ね。薬が効いているのもあるでしょうけど。
(でも、公爵家のパーティーか……)
考えようによっては、使えるかもしれない。上手くこのボウフラを誘導して公爵家のパーティーで何かやらかさせれば、この害虫もその巣も根こそぎ駆除できる。
公の場で婚約者がやらかせばユーリにまで火の粉が飛ぶ恐れがあるからそこだけは注意して『全部このクズのせい』という風潮を作らないといけないけど、リターンは激しくでかい……!
「だから――」
「……公爵様のパーティーですか。さぞ華やかなことでしょうし、是非私も行ってみたいものですね」
こう言っておけば、元々緩い上に薬で更に壊れているこの男の脳みそのこと。きっと突拍子もない方法で私も強引にパーティーへ連れて行こうとするでしょうね。
私はあくまでも『行けるなら行ってみたい』と言っただけで、連れて行けとは言っていない。この男が勝手に勘違いしただけなのだ――と後で証言したって嘘じゃないし。
「そうか! ならば一緒に行くから、当日は待っていてくれ!」
「まあ、ご冗談を」
……ユーリにおまけの分際で、本当によく言えたものだ。
最悪の場合は私も不法侵入で何かしらの罰を受けることになるかもしれないが、その時はその時。ユーリに取り付く害虫駆除のためなら私の安全なんて二の次だし、最悪でも短期拘留と罰金くらいで済むでしょう。
公爵家とて、本気でレーズン家と事を構えたいとは思わないでしょうし。
(そして、見事思い通りになったわけね)
この男は本当にパーティー当日、既に会場に入っているユーリをほっぽり出して私を迎えに来た。公爵家のパーティーに参加しても見劣りしない豪華なドレスを手にして。
(このドレスだって、元を辿ればミラー家のお金を横領しただけのくせによくもまあそんな自信満々の顔ができるわね)
この時点で殺してやりたいけど、グッと堪えて一緒の馬車で公爵邸へと向かう。この男はもっと公的な力で、ユーリに一切傷が付かない方法で確実に消さないとね。
単純な暴力で排除したり行方不明にしてしまうと、ユーリに余計な心労や風評被害を与えてしまう。ユーリは完全なる被害者という形で、このクズの一族だけが完全消滅する形にしなければいけないんだから。
そして、私はパーティー会場にやってきた。
裏口からこっそり入る……という、高確率で警備に見つかる杜撰な方法でやって来たのは正直驚いたけど、まあその気になれば誰にも気がつかれないように侵入するくらい私には造作もないことだ。
もしかしたら後で警備の人達の給金に何か異常が発生するかもしれないので、そこは本気で心の中で謝っておきます。
「ビート様。こちらをどうぞ」
「おお! ありがとうリリー」
会場まで潜り込んだ私は、ボーイに頼んでワインをもらいフンコロガシへと渡す。
当然ただの酒ではない。中に例の麻薬をたっぷり溶かした、一杯で脳みそグチャグチャになる特製ワインだ。
あの麻薬は普通に使っても危険なのだが、末期のジャンキーでもやらない更に危険な利用法がある。
それは、アルコールと一緒に摂取してはならないということ。
この薬をアルコールと共に飲むと、身体がアルコールに過剰反応を起こしてどんな酒豪でも一瞬で酩酊状態になる。酒量自体はそこまででもないので致命的なことにはならないが、大変危険な飲み方なのだ。
……つまり、服用者の安全を考慮しないなら更なる有用な使い方になり得るとも言えるってことだけどね。
「うん……? あれ……?」
薬とアルコールの効果で一気に脳が麻痺し、一種のトランス状態になる。
いわば……催眠術にかかったような状態になる、というところかしら。
この状態にするには下ごしらえとして薬に事前に慣しておいた上で、薬とアルコールの量を正確に計算しないといけないから、この使い方を知っている人間は裏社会でもそうはいない。
国の暗部に潜むレーズン男爵家が独自に発見した技術の一つなのだ。
とはいえ、それは今はどうでもいい。そんなことはユーリが知る必要のないどうでもいいことだから。
ユーリが知るリリーはちょっと運動が苦手な普通の女の子。それだけでいいのだし、外が知る『私』はそういう設定なのだから。
だから――本来の私の技術と能力は、誰にも知られずユーリのために使えればそれでいいのだ。
「貴方はユーリを疎んでいるのよね?」
「ユーリ……そうだ……俺はあいつが嫌いだ……」
「じゃあ、婚約を破棄しましょう」
「そうだ……婚約、破棄する……」
トランス状態の脳に、素早く暗示を与えていく。
とはいえ、これは誰にでも言うことを聞かせられる万能の術ではない。むしろ一時的な混乱につけ込むだけの脆弱なもので、殺人の強要といった本人が強い嫌悪感を感じることをやらせることはできない。
更に持続時間も短く、仮にこれで婚約破棄を強引に宣言させてもすぐに正気に戻ってやっぱなしとなってしまうだろう。
だから、この催眠は本心では本人も望んでいることを、取り返しのつかない場面でやらせるというのが最良の使い道というわけだ。
「さあ、行きなさい。そして、貴方の本心をさらけ出しなさい」
「ああ……わかった! 俺はあの女との婚約を破棄する!」
こうして、あの害虫は自ら駆除されるために火の中に飛び込んでいった。
どんな理由で婚約を破棄したいと言い出すのかは私にもわからないけど、きっと支離滅裂で、誰も味方したくないような下らない理由を並べ立てることでしょうねぇ……。
こうして、私はユーリに近づく害虫を駆除することに成功した。更に思惑通りにその巣まで完全に破壊できたのは行幸の一言ね。
ディーング公爵家ならレーズン男爵家のことは知っているはずだから、適当に話を合わせてくれるとは思っていたけど……次期当主も優秀なお方のようで何よりです。
その後も、ユーリという花に集る害虫はしばらく沸いて出たが……全て駆除するに決まっている。
成功する見込みの薄い事業に投資する愚か者一族は、ちょっと工作してやるだけで破綻する。
禁止薬物を保持していた罪人は、普通にレーズン男爵家の仕事ついでに社会的に殺した。
考えの浅い馬鹿息子は、賭博場を紹介してやるだけで勝手に破滅した。
自分の本心を押し殺していた可哀想な人は……同胞として愛の形を指南してあげた。
こうして、ユーリに集る虫は全ていなくなり、私とユーリだけの世界が完成する。
これからも、私とユーリはずっと一緒にいるの。永遠に、二人っきりで幸せにね。
ウフフ……ウフフフ…………………………。
この話を書く前に考えていたこと
『意味不明な言動で自ら破滅していく婚約者ってなんでそんなことしてんの?』=>薬中なんじゃね?
『ハッキリとものを言わずに意味深な言動で周囲を振り回すヒロインって何考えてんの?』=>人心掌握術の一環だろう
ということで、これにて完結となります。
いやこれ恋愛じゃないだろ(ホラーだろ)と正気な部分の自分が言っているんですが、間違いなく自作小説に登場した中で一番の『愛の人』なので恋愛でいいだろと押し通させていただきます。
ここまでお付き合いありがとうございました。
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