後編
庶民が好む恋物語の中に、下町の美しい娘が王子様と結ばれて末永く幸せに暮らすというものがある。
作り話としては王道で、現実のしょっぱさを知らなければ最高に胸ときめいちゃうお話だ。
ついこの間まで市井の娘だったエリーにとったら、この現状はまさにそんなお伽噺に片足突っ込んだ気分になってることだろう。意地悪な貴族のお嬢様に苛められていたら、ため息が出るほどのタイミングで麗しの王子様たちが助けてくれた、と。
「なんだ、この無礼な女は」
勘違い甚だしいけど。
ほらごらんよ、学園の王子様方と呼ばれる男どもの、蔑みに満ちた瞳と顔を。え?お前は頭を下げてるくせにそんなものが確認できるのかって?しなくても知ってるの。何しろ私も向けられたことがあるからね。
黄金の髪と金茶の瞳を持つローガンと白金の髪と海色の瞳を持つオーウェン、精悍な美貌と柔和な美貌で女子生徒の人気を二分する彼等は、見かけだけでなく気位の高さまでまさしく王子だ。学園内の誰より身分と家柄を重んじる2人の前で、平民が許可なく顔を上げたり(出会った瞬間に頭をさげてなきゃならんのだと)、声をかけたりするのはもってのほか。
そんなことを知らず入学してすぐに出会った彼等を凝視して(天使のような見かけのお子様だったから、つい)、その美貌でそこまで高慢に罵るのかと違う意味でびっくりしてから、わたしはこいつらにできうる限り非接触・非接近で生きてきたのだ。
まあ、知らなきゃしょうがないけど、それにしたって常識からちょいはずれてるエリーも悪いけど、この凄まじい冷気。女の子相手に容赦なく殺気を放つって、彼等のどこが王子なのかね。女の子に優しくすることもできないなんて。
「校内に私達より身分の高い女子はいなかったと記憶しているが?」
暗に対等に話せるほどお前は偉いのかと、傲慢にエリーに尋ねたのは騎士科のローガンだ。
「え、あ、あの」
「まあまあ、落ち着きなよ。何にでも声をかけるのは、君の悪い癖だよ」
動揺するエリーを庇う振りで、とるに足らない人間にいちいち関わるなと失礼この上なく切り捨てたのは、文官科のオーウェン。
小さな女の子を容赦なく罵倒したほどの連中だ。多少口調が穏やかになろうと、基本的な部分では爪の先ほども変わっていない。選民意識が異常に強い、お貴族様なのだ。
しかしそれならそれで好都合。関わりたくないとおっしゃるならば、喜んでエリーを引き取って逃走を図ろうと思っていたのに。
「身分、身分って…!」
「君は子爵家のお嬢さんだったかな?」
相変わらず場違いな抗議を上げようとしたエリーを遮って、オーウェンの興味はお嬢様方の代表格に向かったらしい。一見柔らかに聞こえる声が少量の毒を含んで、違う方向に向いたから。
全部当て推量なのは、わたしが相変わらず頭を下げたままで状況が見えないせいである。
「は、はいっ!オーウェン様に覚えて…」
「僕が覚えてないということは、そこの子は魔術科の子でしょう?クラスメイトならきちんと規則を教えてあげなくちゃ駄目じゃない?」
まーた、人が喋ってるの遮って。つくづく自分中心だよねぇ。僕の意見以外は受け付けない方向だよねぇ。いらいらするなぁ。
「そ、それは、わたくしではなくそこの娘の役割なのです!今も、きちんと教育ができていないと、叱っておりましたところでして」
って、まてい!!
これまでの会話でもわかる通り、この男どもの気性は苛烈だ。騎士候補のローガンはまあ、見た目が中身を裏切ってないので額面通りに警戒すればいいのだが、笑みを絶やさずとっつきやすい振りをしてその実気に入らなければ切り捨てる勢いのオーウェンというのは、ほんっっっとうに、危険人物なのだ。
それにわたしを売るってどういうことよ?!なに、死ねっての?!
憤懣やるかたなくできるならお嬢様を一発どつきたい気分だったけど、顔を上げるのはまずいと耐えた自分を褒めてやりたい。
「貴族の気高さと貴さを、何故平民同士が教え合えると思ったんだい?なにより、僕は君に教育をしろと命じたのに、自分の仕事ではないとはどういう意味だろうか?」
オーウェンの怒りは、存在を認識する必要を感じない平民ではなく、自分と同じ場所にいることを許された特権階級に向いたのだ。
「あ、あっ」
「きちんと答えることもできない、か。では、今すぐ部屋に戻って荷物を纏めるように。ああ心配には及ばないよ。魔力持ちの貴族の娘は貴重なんだ。僕がきちんと行先を見つけてあげるから、そのまま嫁せばいい」
もう怯えすぎて言葉もないお嬢様が、ほんのちょっと、そう小指の爪の先くらいは可哀そうだった。
あの性格最悪男が喜色たっぷりの声でよろしくない宣言をしたからには、いろんな意味で現役を退いた老魔術師あたりに彼女を引き渡すんだろうから。
なんで年相応の相手を娶せてやるんじゃないってわかるかって?それは簡単。あのお嬢様の魔力量が、クラスの平均値よりかなり劣っているからね。有力貴族や能力の高い治療師、魔術師の後継者を産むだけの器がないんだよ。とはいえどんなに僅かでも魔力持ちであることに変わりはないから無碍にはできない。ならば既に跡取りを設けた老人に嫁いで、1人でも多く魔力持ちが生まれるよう協力してもらえ。オーウェンはそんなことを考えたんだろう。頭が良くて性格がねじ曲がってる奴が思いつきそうな方法だもん。
「オ、オーウェン、様っ」
「なに?君たちも夫を紹介してほしいの?」
友人を助けるため勇気を振り絞って悪鬼に話しかけた取り巻きは、悪びれないオーウェンの様子に言葉を失くしてお嬢様を支えて退場していった。
賢明な判断だろうね。こいつは絶対、やるったらやるだろうし。さて、それならこの隙にわたし達も…
「ひどい…ひどすぎます!!」
だあぁぁぁぁぁ!!!忘れて、この子の空気読めない馬鹿さを忘れてた!!
止める間もなく抗議の声を上げてくれたエリーは、背に腹は代えられないと顔を上げたわたしの目の前でオーウェンに掴みかかり、あっさりローガンに殴り飛ばされる。
比喩でも大袈裟でもなく、文字通りこの体力馬鹿は細くて小さくて頼りない美少女の顔を、裏拳で張り飛ばしたのだ。
「エリーっ!!」
運悪く東屋の柱に激突した華奢な体は、無力な人形のようにぐにゃりと地面に落ちてそのまま横たわった。
「ちょっと、しっかりっ!!」
抱き起しても反応のない彼女の頬は既に赤黒く変色しつつあり、唇は切れて鼻血が流れる大参事である。これを見ただけでも奴が全く力を加減しなかったことがわかるというのに、力なく後方に垂れた後頭部から土に向かて滴る血液はもう最悪の結末しかわたしに見せてくれなかった。
「…ちっ!」
躊躇いは、一瞬。
長らくすることのなかった舌打ちを披露しながら、毎朝丹念にほころびを修復していた封印を一息に破って本来の魔力を腹の底から引きずり出す。そうして知識としては十分に理解してた治癒魔法を、エリーの頭と背中当てた手のひらから全力で放った。途端に痺れた指先が淡い光を帯び始め、血まみれの後頭部に吸い込まれるように消えていく。同様に見えないだけで破損していたらしい背骨も、魔力の消費という対価を持って修復中だということをわたしに知らしめていた。
致命傷から始めて顔の腫れまで、数分で元の姿を取り戻したエリーだが意識はすぐに戻るものではない。魔力を使ったとはいえ、肉体の修復は患者の体にも大きな負担を与えるのだ。
けれど抱き起したとき止まっていた呼吸は戻っているし、口を開かない限りエリーが命の危険にさらされることはないだろうと一安心したあたしは、人の人生設計を盛大に狂わせてくれた馬鹿2人をくるりと振り返る。
そこには予想通り、喜びに頬を染めた間抜けが雁首揃えて突っ立ていた。頭の芯が冷えるほど怒り狂っている人間を前にして、いい度胸である。
「お前、何故その力を隠していたっ。それほどの治療師の能力があるのなら、家で飼ってやることもやぶさかではないぞ!」
「君ねぇ、飼い殺しにしてどうするの。僕の家に丁度年頃の釣り合う治療師がいるんだ。卒業後に婚礼の手筈を整えてあげるよ」
そんでもって、どっちも底抜けの馬鹿であった。
「ここで見たことを他言せずにいるか、今死ぬか。どっちか選んで」
どこまでも特権意識が抜けない連中と会話するほど、無駄なものはない。自分たちの提案が断られることなど露ほども思わずふんぞり返る阿呆に一応選択させてやろうと思ったのに。
「…思い上がるなよ」
「矮小な治療師見習いの分際で」
顔色を変え長剣を抜いたローガンも、怒りに醜く顔を歪め短剣を握ったオーウェンも、救いようがなかった。
「あ、そ。ま、どっち選んでも死ぬほどの目に合うか、死ぬかの違いしかないんだけどね」
結局痛い目には会うんだよ。そう、まだ言ってる最中だっていうのに、切りかかってきたローガンには、ひとまず炎の幻影魔法で丸焦げになる夢を見せてあげた。それを見て襲い掛かろうとしたオーウェンは、手足を氷漬けにしてあげる。
「う、うわぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「やめろ、術を解けっ!!」
「どんなに騒いでも大丈夫。きちんと結界張ってあるから」
何度でもいうが、あたしは馬鹿じゃない。それは、勉強ができるとか世渡りがうまいとかそういった意味じゃなく、うっかり命をドブに捨てるような愚か者ではないって意味だ。
死にかかっていたエリーを救うため封じた魔力を開放すれば、大きすぎる力を学園中にかぎつけられることになる。冗談じゃないので力の解放と結界の構築は同時進行させてもらった。これは学園内で魔力を使いたいときによく使う手なので、呼吸をするより簡単だ。
こうして隠したいものを隠しながら力を振っているあたしを、動けないオーウェンがきつく睨みつけてくる。
「貴様っ、我々にこんな真似をしてただで済むと思っているのか!」
どこまでもぶれる事のない高慢ちきな様子に、思わず拍手をしてしまったじゃないか。ぱちぱちぱち、と。
「馬鹿にするなっ!」
「え―無理。もともと貴族なんて絶滅すればいいと思ってるんだよ?馬鹿にする以前じゃない」
この程度の発言でなんでびっくり仰天するのか不明だけど、取り敢えずオーウェンの目玉が落ちそうに見開かれていることは確かだ。余程自分に付随する諸々に自信があるからこの反応なんだろうけど、今からそれを木端微塵にしてあげるから、喜び給え。
幻影の炎に焼かれているローガンの悲鳴がうるさかったんで一旦止めると、根性ナシの奴は気絶したらしい。全く、プライドばっか高くても精神力が脆すぎちゃ恰好がつかないと思うけどね。
そうして静かになったところで、あたしはちょっとばかり早くなった『自由獲得計画』を手短にオーウェンに説明し始める。
「近親婚を繰り返せば、さまざまな弊害が出ることは身に染みてるよね?ま、これって中央政治が腐敗している国家にはありがちなことなんだけど、この国はダメな見本みたいな現状でしょ?特権階級が理解してるかどうか知らないけど」
何を馬鹿なと喰ってかかってきたところを見ると、全く分かってないらしい。うん、この辺もありがちか。ただ煩いから、ちょっと黙って聞きなさい。
「わかったから、きゃんきゃん喚かないでよ。あんたが認めようが認めまいが、王族や高位貴族に子供ができにくいのは事実だし、魔力持ちに至っては犯罪まがいに攫ってきた平民の血を取り込まなきゃ、魔術師や治療師の職すら維持できない緊急事態なの。それでも、ここまでの現実を突きつけられても、あんたたちは自分たちの利益や権利を守ることに忙しくて、周辺国がどんな変化をしているのか目もくれない」
王政でありながらも、中央への登用は実力主義で。この流れを真っ先に作ったのは、大陸最大の帝国である。当然属国は追従して血族登用を廃止したし、周辺で変化の波に潰されかかった小国に至っては、王政をやめ軍人と大臣とで政を行っているところさえあるのだ。エリーが掲げていた人間に貴賤がないという考え方は、そういう意味では最先端だったりする。宗教と絡めなければだけど。
それはともかく。今や身分と血統を重んじる旧態依然とした体制をとる国は数えるほどだというのに、こいつらは。
「若いんだから、もっと視野を広げればいいのに…無理か、親の教育が行き届きすぎてるから」
ついでに学園での教育も追い打ちをかけるしね。
今にも噛みつかんばかりの形相であるお坊ちゃまをため息交じりに眺めつつ、そうして貧乏人には周り見てる暇もないんだとさらにため息が湧いてくる。
中央が腐敗すれば搾取される国民の生活は当然悪化するわけで、あたしの母親みたいに開き直ってずるがしこく生きられれば苦労は無かろうが、大抵の人は額に汗して作った物を税だと取り上げられる毎日にあえいで反抗する気力さえ湧かない。
こんな現状を、将来国を担う若人が見も聞きもしないとか本当にダメだわ、この国。
「ともかく、よ。このまま卒業したら、あたしには奴隷のような生活しかないじゃない?跡継ぎを作るだとか優秀な血を残すとかの茶番に付き合うのは真っ平なんで、脱出計画立ててたんだけど、今すぐ決行することにするわ」
こいつらの口を封じてまで残りたい場所で無し、国外へ出るルートは既に確保済みの上、就職するための伝手も実力もある。卒業まで待って穏便に逃走を図る予定だったけど、こうなりゃさっさと脱出しよう。
荷物はいつでも準備万端なんで、あれを取ってここを出てと逃亡経路を組み立てていたら。
「行かせるわけがないだろう!第一、学園に張られた結界を破ることなどお前如きにできると思うか!」
いきなり失神状態から立ち直った筋肉馬鹿に飛びかかられたので、反射的に攻撃してしまったじゃないの。本気の風魔法で。
先ほどエリーを叩きつけた柱に強かに全身を強打したローガンは、衝撃に白目をむいて崩れ落ちた。女性に騒がれる美貌も形無しの間抜け面に合掌しつつ、これ幸いと忘却の術でここ数刻の記憶を消し飛ばす。これしきの事で死なない、丈夫な男でよかったよかった。
「貴様っ!なんということをするんだっ」
「あら、どの口?そんな面白い事いうのは」
倒れた友人の傍に膝を折りながら激昂するオーウェンに、思わず本気で聞いてしまった。真顔で私を睨む真意が全く分からないじゃない。
「ついさっき女生徒殺しかけたくせに」
「平民のとるに足らない娘と、我々を一緒にするな」
「…そーねー。勤労勤勉な国民と青い血なんかを一緒にされたんじゃ、たまったもんじゃないわね」
いけない、時間を無駄に使うところだったわ。人語を解さない連中と会話しようだなんて、徒労もいいところよ。
それから騒々しい駄犬を攻撃魔術で昏睡させると、結界をといたあたしはさっさと学園を出たのである。
名もなき少女が国を出奔してから十年。一部貴族先導の元、現王家は叛乱軍によってその地位を追われた。表向きは失脚としているが内情は粛清である。王族はじめ多くの高位貴族が来る日も来る日も処刑され、数か月は情勢も不安定であったようだ。
しかし、新しき指導者とその臣は辣腕であった。瞬く間に荒ぶる民を鎮め、国政を正道に導き、空に近かった国庫を正常な状態にまで引き戻した。
今では穏やかな顔を取り戻したその国は、平民出身の男の元、文官、能力者が国の状態を見ながら政を動かしているのだそうな。
「ま、あたしにしは関係ないけどね」
大陸に大きな領土を持つ帝国で稀代の魔女と讃えらえる女は、噂の共和国からの魔術師交流会のお誘いをまだ幼なさの残る娘に差し出しながら肩を竦めた。
「自分の出身国なんだから、関係なくはないでしょう?全く、なんでお母さんはそんなに投げやりなのよ」
「あんたの父親のせいよ。なんでだかあいつと話してると悟るしかないような気分になるんだもの」
学園を出奔した後、導かれるように帝国についた彼女は隠し磨いた魔術を遺憾なく発揮して、気づけば実力登用を旨とする王宮で魔術師の最高位に座ることと相成った。
そこまでは不満なく過ごしていたのだが、だが。
何が悪かったのか修行と称して王宮内で働いていた第三皇子に捕まってしまったのだ。振り払っても振り払っても伸びる魔の手、断っても断っても屁理屈で捻じ伏せてくる相手にうっかり油断して押し倒されたのが運のつき、なりゆきで結婚してびっくり現在は宰相夫人である。
勿論実力者を無駄にしておくことも良しとしない政策によって、相変わらず魔術師としても働いているのだが、最近は執務室に閉じ込められることが多く鬱憤がたまる一方なのだ。
「あれは…諦めたほうが良いよ。またそんな目に合いたくないならね」
「…そうね」
はちきれそうなお腹を眺めながら、女──キャサリンは娘を連れて旅に出たいと漏らした翌日の悪夢に頭を抱えたくなった。
束縛が激しい夫に嫌気がさし、つい零れた独り言だったのに、まさか物理的に動きが取れない体にされるとは誰も思わないではないか。
「折角自由を手に入れたはずだったのに、納得いかないわぁ」
真っ暗な未来ではないし、人によっては幸せではないかと怒られそうだが、できるならもう少し自由が欲しいと願わずにおれない。
けれどまあ、あそこにあのままいるよりは余程楽しい毎日なんだからと、傍らの娘を眺めながら納得してしまう日常。
身分不相応の割に、キャサリンの日々は押し並べて平和である。