↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最下位は死ぬ模試 ――俺は三百回、この教室で殺されている  作者: 空の異変


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/8

第八章 名簿に残る名前

 白い天井だった。

 消毒液の匂いが鼻の奥まで入ってくる。機械が一定の間隔で音を立てている。

「目、開いてます。藤瀬さん、目が開いてます」

 横で誰かが走っていった。足音がやたら大きい。

 顔を動かそうとして、首が痛んだ。縄の跡のところだと思った。指で触ろうとしたが、腕が上がらない。腕には管が入っていた。

「真緒」

 声のほうへ目だけを向ける。

 母さんが立っていた。記憶より痩せて、記憶より老けていた。

「真緒、聞こえる? 返事はうなずくだけでいいよ」

 うなずいた。首は一センチも動かなかったと思う。それでも母さんの顔が崩れた。

 大きい粒が、俺の頬に落ちてくる。

 手を握られた。俺の手だ。細くて、指が短くて、爪の形に見覚えがある。この手でシャーペンを握って、三年分のノートを埋めた。

 髪が枕の上に散らばっていた。短くない。頬に当たる長さがある。

 この体だ、と思った。返ってきたというより、ずっとここに置いてあった、という感じに近い。

「今日が何日か、分かりますか」

「……わかん、ない」

「大丈夫です。ゆっくりでいいですよ」

「無理して喋らなくていいですから。さっきまで喉に管が入ってましたので」

 白衣の人はそう言って、枕元の何かを見た。

「真緒。痛いところ、ある?」

「……のど」

 時間の感覚が戻ってこない。あの教室では、チャイムが鳴るたびに四十分とか二十分とかが区切られていた。ここには区切りがない。点滴が落ちる速さだけが、一定の間隔で何かを数えている。

 枕元には名札が差してあった。


  【藤瀬真緒】


 口を開けた。音が出るまでに時間がかかった。

「……母さん」

「うん」

「ごめん」

 母さんは首を横に振って、それ以上は何も言わなかった。握った手の力だけが強くなった。


    *


 個室に移ってから、母さんは茶色の封筒を持ってきた。

 ベッドの背を上げるのに、看護師さんが二人がかりだった。母さんは袋から膝掛けを出して、先に脚を覆う。それから封筒を出した。

「鷹宮さんの記録も渡した。学校から来た返事は、この封筒に入ってる」

「どれくらい、寝てた」

「ひと月とちょっと」

「……年、明けた?」

「明けたよ」

 窓の外の空が低かった。冬の色だ。あの日から、季節が一つ進んでいない。進んでいないのに、俺のほうは三百二十四回死んだ勘定になっている。

「記録って」

「前に話したでしょう。投稿に付いてたリンク。あのあと中身が増えてたの。あなたの名前が出てきたから、窓口の人に全部渡した」

 息が浅くなった。母さんは気づいて、水のコップを寄せた。

「学校法人のほうで、校長先生じゃない人が調べてる。あなたの候補者通知と、学校に残ってる選考原票、それから訂正履歴。大学が実際に受け取った調査書も、大学のほうで確認してる」

「……それ、全部違うってこと」

「違うところがあった、っていう言い方をされた。寄付の入金の日付と、選考をやり直した日付も並べてるって」

 母さんは、自分が渡したものと、学校から返ってきたものを、一つずつ分けて話した。自分で結論を足さなかった。

「窓口の人はね、前から話は聞いてくれてたのよ。ただ、動くのに時間がかかるって言われてた」

「知ってた」

「知ってたなら」

 母さんはそこで止めた。止めて、封筒の角を揃え直した。

「……ううん。なんでもない」

「鷹宮さんは」

「ご家族と一緒に、話を聞かれてる。この前、聞かれてる最中に倒れて、入院したって」

「学校は、謝った?」

「謝るとは言われてない。調べます、とだけ」

「そう」

 俺は天井を見た。

 ゲームの中で首を裂かれたことと、現実で倒れたことは、別のことだ。同じ日に起きたとも限らない。どっちがどっちを引き起こしたのかは、誰にも分からない。

 分からないまま、手続きだけが進んでいる。

 それでいい、と思った。あの教室で通っていたのは、証拠のある話だけだった。こっちでも同じだ。

「読む?」

「母さん、今日は一枚だけ読む。続きは明日にする」

「うん」

「一枚読んだら、寝る」

「そうして」

 母さんは封筒から一枚だけ抜いて、残りを膝に伏せた。


    *


 二週間後、俺はベッドの上で出願要項を開いていた。

 星杜大学理工学部、一般選抜。大学独自の試験を受ける方式のほうだ。日程はまだ間に合う。指定校推薦の枠は戻ってこないし、戻せとも言われていない。調べてもらっているのは、あれがどう決まったかということで、俺を合格させるかどうかは大学が決める。

 受験料の減免と、奨学金の申請書も一緒に取り寄せてもらった。

「願書は明日でも間に合うよ。今日は、どこまでにする?」

「志望理由まで。下書きだけ」

「じゃあ、ここに置いておくね」

 母さんは書類をベッドテーブルの隅に寄せて、ティッシュの箱をその横に置いた。箱の側面には、青と白の花柄が印刷されている。

 俺は下書きを三行書いて、手を止めた。ペンの持ち方が、まだ少し違う。握力が戻っていないせいなのか、別の手で四十分ぶん書いた記憶が残っているせいなのかは、自分でも分からない。

「疲れた?」

「まだ書ける」

「まだ書けるって言う子は、だいたい書けなくなってるのよ」

 母さんは膝掛けを直して、電気スタンドの角度を変えた。


    *


 退院して、最初の夜。

 俺は部屋のパソコンを開いて、『終業模試』のアイコンを押した。

 起動画面が出た。前と何も変わらない。タイトルの下に、続きから始めるかどうかを聞いてくる表示がある。

 続きから始める、という表示を、俺はしばらく見ていた。

 押さなかった。

 あの教室にもう一度入って、誰かの順位を下から押し上げることも、たぶんできる。できるからといって、やることにはならない。

 俺は名簿だけを開いた。

 クラスの一覧が出る。

 久瀬亮太。小森結衣。相原陸。相原岳。

 顔写真の横に、成績の初期値が並んでいる。よく知っている並びだ。

 画面を下までスクロールした。

 いちばん下は、三田直樹だった。

 初期順位はいちばん下のまま。成績の初期値も、俺が知っているとおりの数字だ。

 その一つ上に、見たことのない行があった。


  【鷹宮紗季】

  【登録区分:NPC】

  【初期順位:下から二番目】


 その一つ上に、水野航がいた。下から三番目になっている。

 俺は椅子の背に体を預けた。

 下から二番目。

 あの教室で、そこにいる人間がどういう一日を過ごすかは、俺がいちばん詳しい。

 マウスから手を離した。

 画面はそのまま、光っていた。


(了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。