傷だらけの正義
「くっ……あ、ぐ……っ! やった、か!?」
超特大の『エクスキューショナー』を放ったダメージで全身を苦痛に染めつつも、エルゼターニアは粉塵舞う敵方を見、油断なく目を凝らした。
最高の一撃だった。威力はもちろんタイミング、速度、テンポ、そして心身のコンディションも過去最高の斬撃。そこに至るまでの戦術も申し分なく、理想的な流れでレンサスにすべてをぶつけることができた。
「これで、無傷なんて、さすがに……っ!」
「──そうだ。さすがに無傷は、無理だった」
埃の中、少年の声が響いた。
立ち込めていた粉塵が鎮まっていく──煌めく虹の双瞳が、禍々しい殺意を伴いエルゼターニアを捉える。
冷たい絶望が背中を走るのを、少女は禁じ得なかった。
──仕留めきれなかったのだ。
「……レン、サス」
「くっ……ふ、ふふ。けれどほら、お姉さん。軽いもんだよ怪我なんて。登りすぎてた血の気が引いて、むしろありがたいくらいだね」
頭から幾筋、血を流して。けれも健在をアピールするように、『オロバ』大幹部レンサスは嗤った。先程までの激高ぶりも収まり、常の冷静さすら取り戻したようだった。
対照的にエルゼターニアの顔色は悪い。文字通り血肉を代償として放った一撃が、ほとんど意味をなさなかった絶望とショックが、彼女の精神をも打ちのめしていた。
「うっ……くう」
「哀れなもんだ、お姉さん……こんな国に生まれ、そんな玩具を与えられ、特務執行官なんてものに据えられたばかりに。あんたは今、ここで終わろうとしてる」
「レンサス……! まだ終わってない! まだ、まだぁ!!」
憐憫と嘲笑を込めて慰めの言葉を口にするレンサスへと、それでも一撃を放とうとルヴァルクレークを振りかぶる。
けれども心身のダメージの大きさから思うように身体は動かずに、戦士でもないスモーラの少年にさえ簡単に対処できてしまう程度の速度でしかない。
「ふん」
「あぐ、ぅ……っ!」
心底つまらなさそうに、レンサスはルヴァルクレークごと、エルゼターニアを払い除ける。
亜人の膂力だ……もはや立つのがやっとに近い少女など、まるで枯れ葉が風に飛ばされるように遠くへ吹き飛ばされていく。
壁に叩き付けられ、あえなく地に落ちる。強く背中を打った衝撃で内臓に負担がかかったのか、少女の口からわずかに血が吐き出された。
「か、は──っ」
「可哀想に、ああ可哀想。いつまでも苦しめるのも難だし? 今殺してやるよ、お姉さん」
痛みに悶え苦しむエルゼターニアに微笑み、レンサスは爪を伸ばした。鋭利な刃物のように殺傷力を持つそれが狙うはただ一つ、特務執行官の命。
いっそ優しげですらある笑顔で、ゆっくりと近付いてくる。
それをどうにか、息を整えながら。エルゼターニアは呻くように、か細い声で呟いた。
「……な、ぜ」
「あん?」
「どう、し……て、こんな、こと。共和国に、何の、怨みが……っ」
それは、意識が朦朧とさえしている中で搾り出た、純粋な興味だったのかもしれない。少なくとも特務執行官としての義務感や使命感、責任感を意識しての問いではなかった。
何故。何故レンサスはこうまで共和国を怨むのか。『オロバ』などに与してまで、何故。
──不意に脳裡を掠める記憶。議事堂前にて対峙した際、漏れ聞こえた一つの言葉。
朧気な視界の中で、エルゼターニアは呟いた。
「『姉さん』……って。うば、われたって……?」
「……他愛もない話だよ。死に行く手向けにはしょうもないけどまあ良い、お前らの仲間の気配もないし、ちょっとだけ話してやる。ここまで抵抗を続けたお姉さんへの、ご褒美ってやつだ」
意外にも歩みを止め、倒れ伏す特務執行官を見詰めそのようなことを口にするレンサス。あともう少し近づいて殺せばそれで終わりなものを、何を思ってか己の成り行きについて話すらしかった。
もはや勝負は決した、それゆえの余裕なのだろう。立ち止まって彼は、呻きながらの問いに答える。
「『姉さん』……いかにも僕の姉だ。500年くらい前にお前ら共和国の、人間の男に嫁いだ、な」
「……っ!?」
「呑気で頭の悪い人だった。『共和』なんか本気で信じて、人間の男なんか本気で愛して、子供まで拵えて──どうしようもない馬鹿で、暖かくて優しい人だった」
声音の優しさが、今までにないことにエルゼターニアは驚いた。地面に倒れたまま、レンサスを見上げる。憎々しげに歪められた顔……けれどたしかに、そこにはかつてへの愛情が感じられる。
意外なことだった。『共和』を愛する姉を持つ弟。それがレンサスの始まりの姿だったのだ。
そこから何故、ここに至ってしまったのか。何が起きて彼はここまで辿り着いてしまったのか。愕然と疑問ばかりを浮かべる彼女に、少年は鼻を鳴らした。
「嫁いでからも、姉はしばらくは幸せだったみたいだ。異種婚姻にも関わらず子を成し、家庭を築いた。近所での評判も良いとかなんとか、旦那だった奴がノロケたことを抜かしてたよ」
「そ、れなら何で……君は」
「……死んだからだよ。いや、殺されたから、だな。お姉さんが大好きな共和国のために、なんて人間どもに騙された果てに、ね」
その言葉は、特務執行官たるエルゼターニアには衝撃だった。共和国の人間が、彼の姉を殺した。それも騙した形でだと言う。
そんな馬鹿な。混乱する頭をよそに、眼前のレンサスは言葉を続ける。
「……幸せ者だった姉さんだが、流行り病で夫と子供を亡くしてさ。一時的に里に戻ってきたものの、そっから人が変わっちまったんだ」
「────っ」
「笑わなくなった。それに、引きこもりがちになった。暗い瞳で、人間の本なんかどこかから持ってきては読み漁ってたんだ。医療の本だったよ。今にして思えば、今の僕と同じ……憎んでたんだろうな、色々と」
淡々と語るレンサス。努めて感情を抑えようとしているのは、あるいはもはや何も感じなくなったのか。
エルゼターニアには判別が付かなかったが、それでも姉の変節を嘆いているようには思えて、不思議と胸が痛んだ。
おそらく。きっと、この男は。そしてこの男の、姉は。
真っ白になる寸前の頭で、少女はそれでも耳を傾ける。レンサスは、一段と声音を低くして続けた。
「──やがて、姉さんが失踪した。ずいぶん思い詰めてのことだから皆、自殺を選んだんじゃないかとか言ってたけど。実際はそれよりもっと酷かったよ」
「実際、は……?」
「……共和国の、研究機関。家族の命を奪った病を調べてる人間どもに接触して、あの人は亜人のテストケースとして実験台になっちまっていたんだ」
「──、──ああ」
やっぱり。
言葉を今は飲み込んで、けれど嘆く少女。こんな巡り合わせがあって良いものなのかと、拳を握りしめる。
特務執行官の様子にはいよいよ意識を向けることなく話を続ける。彼の憎悪が決定的になった理由、その核心へと近付いていた。
「僕が姉の居所を突き止めたのは、ずいぶん後になってからだった。何せしばらく探しても見当たらなかったんだ、死んだとさえ思っていたしね」
「……」
「けれどね。ある日あの、『オロバ』の首領が教えてくれたのさ、姉さんの居場所を。そして辿り着いた……変わり果てた姉さんのところにまでね」
「首領……『オロバ』、の」
レンサスに、姉の居場所を教えたのが『オロバ』。明かされた出会いに、エルゼターニアはひどく、納得する。
ここまで憎悪と復讐に取り付かれた少年が、それでも『ミッション・魔眼』に対してもその遂行を目指す理由が、見えた気がしたのだ。
そして辿り着いた先にいたもの。最愛の姉の、人体実験の果ての姿。いつしか涙さえ流しながら、憎しみと怒り、悲しみで彼は呻いた。
「……人の形を留めてなかったよ。身体全体、中身まで腑分けされて『保存』されていた」
「そん、な」
「姉のお陰で例の病気の対策法は見付かっていた。だけど奴らは、亜人が珍しいからと姉をそのまま、別の実験に使い回した。単なる好奇心で切り刻みさえしたんだ……!」
声音が昂っていく。静かな語りが、いつしか激怒の叫びへと変わっていく。
「家族の仇を討つために! そのために命を懸けた僕の姉さんをっ! お前ら人間は踏みにじって切り刻んでバラバラにしたんだ!! 玩具にしていやがったんだよ!!」
「レンサス……」
「お前ら人間に殺されたんだ、姉は!! 人間なんか愛したせいで、人間なんか産んだせいで殺された!! だから殺すんだ!! 姉を殺したからお前らを殺してやる!! これは復讐だ!! かつて姉がやったように、今度が僕がやってやるんだっ!!」
もはや議事堂中にさえ響くような大きな声で、レンサスはすべての想いを吐露し、改めて復讐を正当化した。
やられたから、やり返す。ある種の摂理を今、実行しているのだ。
けれど。
「何が共和国だ! 何が『共和』だ!! 僕の姉はそんなものを本気で信じて、そして裏切られた!! 後に残ったのはバラバラの姉さんと復讐者の僕だけ!! こんな国、さっさと滅ぼさないといけないだろぉっ!!」
「──それでも」
それでも。それでも、エルゼターニアはゆっくりと、痛む身体を堪えて立ち上がる。ルヴァルクレークを杖がわりにして、よろよろとしながらも、それでも、と呟きながら。
レンサスが、ひどく不快げに問いを投げた。
「あぁ……? それでも、何だよ」
「それでも……それでも、貴方を止めます。レンサス……レンサスさん」
息も絶え絶えに、哀しき復讐者に向けて応える。特務執行官として、そして共和国の一員として。何よりエルゼターニア自身として。
たとえ如何なる理由があっても──絶対に、この国は終わらせない。
「たとえこの国がかつて、貴方と貴方のお姉さんに酷いことをしたとしても。その結果こうなったんだとしても、それでも止めます」
「お前……泣いてる、のか」
「特務執行官として、だけじゃないっす。私は──『私だからこそ』止めなきゃいけないんす、きっと」
涙さえ流しながら、エルゼターニアはついにすべてを覚悟した。共和国だけではない──目の前の男もまた、己が命を捨ててでも救わねばならない相手だと。
これも運命なのだ。特務執行官に選ばれたことは偶然であり、必然だったのだ。そう、エルゼターニアは確信した。
レンサスを止められるのは自分しかいない。共和国と彼と、両方を救うために自分が選ばれる定めにあったのだ。そう、理解できた。
「今を生きるすべての命が、笑顔で明日を迎えるために──ここで貴方だって止めて見せます。貴方も、共和国の一員っす、レンサスさん」
「ふざけるな……! 知った風な口を利きやがって、何のつもりだ、小娘っ!!」
激高して叫ぶレンサスにも構わず、エルゼターニアはルヴァルクレークを携え──そして腰のボトルホルダーから、最後のボトルを取り出した。
禁断のボトルだ。使えばルヴァルクレークの出力を100%引き出せるが、反動ダメージによって恐らく、死ぬ。平常ならば病院送りで済むだろうが、今は既に死に体だ。保つはずがない。
それでも、使命を果たすため。
エルゼターニアは最後のボトルを、ルヴァルクレークに装填した。
「私はエルゼターニア。共和国の盾、『共和の守護者』」
「まだやる気か!? その身体で何ができるってんだ!」
「……そして。『共和』のために命を散らした偉大なる亜人の、末裔」
「──!? この、エネルギーは!?」
ルヴァルクレークからプラズマが──否、もはやプラズマですらない蒼炎がエルゼターニアを包む。出力を高めすぎて『電磁兵装』にすら収まりきれない余剰エネルギーは、もはや何もせずとも少女の身体を焼き蝕む。
あまりの光景に、レンサスが息を呑み飛び下がるのを視認する。だが遅い──今の自分なら、問題なく対応できる。『防御魔眼』も、紙切れ同然だ。
正真正銘、これが最期の戦いになる。
決意と覚悟の下、特務執行官は叫んだ。
「人間と亜人の、適切な距離の下で培われる友好関係。すなわち『共和』の理念を私は護る……! それが私の正義、それが私の夢!!」
「こ、いつ……!?」
「だから、私は叫ぶ──『ルヴァルクレーク"ブルースド・ジャスティス"』!!」
そして発動する最終機能、『ブルースド・ジャスティス』。
我が身が崩壊していく音を聴きながら、エルゼターニアはレンサスへと迫った。




