集う絆たち、最終決戦の幕開け
通り抜ける風。青い空が取り戻された共和国首都は、見かけにおいては平時の状態に戻ったと言える。
大陸蝶が突然消えたことについて当然ながら混乱やざわめきはあったが、一時の怪奇現象に過ぎないとほとんどの国民は揃って引き続き、年に一度の祭りを楽しんでいた。
結局被害らしい被害もなかったのだから然もありなんといったところだろう──誰しも皆、実際に火の粉がかからなければ他人事なのだ。
「やれやれ、とりあえずかったるい奴は消えたな」
国会議事堂前、門前の広場にてマオは肩を竦めた。今しがたまで目の前にいた、最上位天使ニケイアが大陸蝶とエフェソスもろとも退散してから、ほとんど間もないことだ。
概ね戦いが終わった後の、奇妙な静けさが立ち込めていた。後方にはアインを初めとする戦士たちがひとまず息を整えているし、その近くには右腕と翼を根刮ぎ失ったトリエント──もはや天使ではなく、堕天使となった男──が、意識を失い昏倒している。
アインたちの方へと歩を進め、マオは皮肉げに笑いながらも続けて言った。
「あいつだけはどうにも薄気味が悪い……思考回路が根本からおかしいもんだから、話しててこっちまで毒される気がする。大丈夫か小僧?」
「え、ええ……助かりました。マオさんがいなかったら、どうなっていたことか」
「今のお前じゃ厳しかったろうな。だがまあ、あいつは必要がない限り良いことも悪いこともしない。とりあえず戦闘になる、なんてことにはならなかったろ」
アインに柔らかく微笑む。普段から強気で不敵に接されるばかりの少年にとり、マオのそのような優しい態度は珍しいことで目を丸くする。隣のソフィーリアと同様だ。
そんな二人に、マオは苦笑して告げた。
「いくら私でも感謝する時はそれなりの態度するよ……ありがとさん。お前らは私とセーマくんの依頼通り、しっかりとエルの助けになってくれた」
「マオさん……ありがとうございます」
「ご期待に添えられたみたいで、嬉しいです」
素直な感謝の言葉に、アインとソフィーリアはむしろ彼らこそ感謝を抱き、礼を述べた。
頼りにしてもらえた。そしてその期待に応えられた。尊敬する二人の願いをどうにか叶えられたことが、どうしたことかひどくありがたい。
今回も『オロバ』は強敵で、天使などという勢力が別にいることも知った。そのトップたるニケイアという女は明らかに今現在のアインを上回る存在で、マオが来てくれなければどうにもできなかったかもしれない。
まだまだ道は長く、そして険しい。けれどきっと、自分たちならばあらゆる困難を乗り越えていける。そんな自信と希望、情熱を強く抱ける戦いだった。
得難い経験をくれたマオとセーマに感謝を。そんな想いで深く頭を下げる英雄とパートナーに、マオは照れ臭そうに鼻を鳴らし、次いで議事堂内を見据える。
「で、エルはこの中か? まさか全然別のところにいるってことはないだろ。この局面で蚊帳の外なんて、何よりエル自身が望むはずないし」
「はい。レンサスを追って中へ入りました……僕たちも行かないと」
「ハーモニさん、行けますか?」
こうなれば残るは『オロバ』大幹部レンサスただ一人。先んじて彼を追撃するため議事堂内へ突入したエルゼターニアに合流せんと、アインは立ち上がる。その隣、ソフィーリアがハーモニを慮った。
誰よりもエルゼターニアの傍にいたいのは紛れもなくハーモニだ……エフェソス戦のダメージにより動けなかったが今はどうなのか。
ヴァンパイアの英雄は、疲れが隠せないながらもたしかに笑った。
「どうにか……移動はできるよ。戦うのは無理だけど、きっと盾くらいにはなれる」
「要するにフラフラなんじゃないかよ。無理に付いてきて足手まといが一人とか冗談じゃないんだが」
「『魔王』……ううん、マオさん。大丈夫、絶対に足手まといになんかならない。だからお願い、私を、エルのところに行かせて!」
皮肉を飛ばしたマオに向け、強い感情を宿した瞳でハーモニが訴える。たとえ何ができるわけでなくとも、せめてエルゼターニアの傍にいたい。そんな表情だ。
普段ならもう少し辛辣なマオも、こればかりは押し黙る。エルゼターニアの友人として、正直なところ喜ばしい想いなのだ──これ程までに彼女を案じてやれる存在が傍にいる。いとも簡単に無茶を行うあの特務執行官と、共にいる。
ふっ、と微笑みマオは告げた。
「そこまで言うなら好きにしろ……しっかりとエルの相方なり何なり、やり遂げてやれよ」
「……うん!」
「サポートはわしがしてやる。ハーモニ……あともうちょいじゃ、気張れよ」
「はい……! アリスさん、ありがとうございます!」
師匠の後押しを受け、立ち上がる。目眩がして足元もふらつく心地だが、ハーモニは己の頬を一つ、強く張って気を入れ直した。
こんなところでいつまでも、怠けている場合ではない──パートナーがたった一人で今、共和国の滅亡の瀬戸際で戦い続けているのだ。
「ハーモニ殿、皆。エルを頼む──俺はここに残ってトリエントの身柄を拘束する。足手まといもごめんだしな」
「ヴィア課長……分かった。ありがとう、行ってきます」
最後にヴィアへ一つ、笑いかけてから。ハーモニは前を向いた。
せめて傍に。死ぬも生きるもエルゼターニアと一緒に。
迷いなく、アインたちに告げる。
「行こう、皆──! エルが待ってる!」
呼応して一同、駆け出す。
エルゼターニアの無事を願い、彼らは急ぎ議事堂へ入るのであった。
時は少しばかり遡り──
議事堂内を一人、レンサスは鼻歌交じりに悠々と歩んでいた。たまに口笛など吹いて、いつにない程に上機嫌だ。
何百年と備え待ち続けた宿願達成の日を迎えた喜びと憎悪が、彼の胸を踊らせていた。
「……しっかし、マジで特務執行官どもが最後の防衛線だったみたいだな。道中しょうもない雑魚しかいないじゃないかよ、つまらないな」
ふと独り言ちる。議事堂内部に侵入してからここに至るまで、誰一人としていないわけではなかったが……どれも他愛もない人間ばかりで『魔眼』を使うまでもなかった。
数だけは多く一々殺すのも面倒だったので適当にあしらったが、それでも何人かは死んでいるかもしれないくらいには貧弱で弱々しい警備ばかりだったのだ。
くつくつと、喉奥で嗤う。
「どんだけ層が薄いんだよ共和国……くく、これから中枢を皆殺しにしたらボーナスタイムだなこいつは。好き放題殺し倒してやる」
邪悪に歪んだ笑顔。彼はもう、これから向かう先にいる政治家たちを殺戮した後ばかりを夢想している。
否、夢想ではない──勝ったのだ自分は。トリエントやエフェソスが負けて『焔魔豪剣』たちが追撃に来るとしても、その頃には政治家どもは殺せているしそうなれば『転移魔眼』で一時逃げれば良い。
それだけでトップを失ったこの国は瓦解し混乱する一方、自分は右往左往する人間どもを気の向くままに殺し尽くせる。他所の国から何がしゃしゃり出てきたとしても、一度混乱に陥った土地がそうそう落ち着かないことは戦後世界そのものが証明済みだ、何ら問題がない。
『勇者』も『魔王』も動く理由がない。方や自分の身の回りが平穏ならばそれで良いと目される男と、方やそもそも人間などに協力するはずがない女だ。こちらから刺激しなければ被害を受けることもない。
大願成就の後にこそ夢が広がる。溜まりに溜まった怨みをすべて晴らせる理想郷はもうすぐそこにまで来ているのだ。
「くく……あはは! はは、はははははっ! 姉さんの仇が討てるっ! ようやく討てるっ!! どれだけ待ったことか! 僕の人生すべて注ぎ込んだ夢が、今ようやく叶う! 復讐という夢が!! あはははははははははっ!!」
狂笑。正気のまま、けれど精神のバランスを完全に崩してしまった少年のおぞましい喜びが続く。
姉を奪われ失ったことで──彼は彼のまま、彼でなくなったのだ。生きたまま死に、死んだまま生き続けてしまったのだ。その果てが今ここにいる、哀れな子供であった。
「──お、ここが最後か。扉の向こう、ひしめいてるなあクズどもが」
そして辿り着く、最後の扉。仰々しくも荘厳、そして分厚いそれの向こうに多くの人間たちがいるのを『気配感知』で察知する。
取っ手に手を掛ける。そのまま押すが……開かない。引いても開かない。鍵が掛かっているならば強引にでもと、亜人の筋力を持って更に押し引きするもなお、一向に開かない。
舌打ちを一つ。レンサスは苛立たしげに呟いた。
「ここだけ対亜人用強化扉かい……下らない時間稼ぎしやがって、ゴミどもがっ」
亜人の膂力を以てしても早々開くことが容易ではない、対亜人用に開発された最新式の合金を用いての強化扉。一つ拵えるだけで桁外れの費用が掛かるそれが、真なる最終防衛ラインとしてレンサスの前に立ちはだかっていた。
せっかくの良い気分が台無しだ……ここに来て、どうしようもなく低レベルな嫌がらせを受けたとスモーラの子供はため息を吐く。
どうにもできない? ──そんなわけがない。
「亜人舐めんな……単純筋力は防げても種族としての能力は何一つ防げない、片手落ちのガラクタだろうが!」
鋭く叫び、爪を伸ばす。スモーラとしての能力で、亜人としては低めの筋力をカバーできるだけの威力を誇る、彼の武器だ。
それを以て扉に攻撃を仕掛ける。狙うは扉のわずかな隙間、ロック部分。貫くように一点を突けば、合金にたしかな衝撃が走ったのを感じてレンサスは嗤った。
「一分もありゃ開けられるかな……ご馳走前の運動ってとこか。はは、そう考えれば楽しいかもなぁ!」
そうして何度も突き貫く。スモーラゆえの手先の器用さ、集中力にて寸分違わず同じ部分に衝撃を与えれば、彼の宣言通り一分程度でロックが破砕され、扉はいよいよ無防備のものとなってしまった。
──『気配感知』にて、扉の向こうにいる者たちがにわかに慌て出すのを察知する。開けられまいと思っていたものがこじ開けられる段になってようやく、彼らも危機感を抱き始めたのだろう。
良い気味だ。率直にそれだけを思い、レンサスはいよいよ扉に手を掛けた。
万感の思いを込めて今、大願を果たす刻。
「さあ、祭の始まりだ──下らない会議なんかよりもっと楽しい殺戮ショーを、その身を以て味合わせてやる」
「──させない。そんなこと、絶対に」
──しかして制止の声が響いた。止まる手、動かぬ扉。
何度か聞いた声に、レンサスは静かに振り向く。何度か目にした少女。身の丈より大きな鎌を構え、息切れしながらも真っ直ぐにこちらを見ている。
栗色の、ふわりとした質感の髪をポニーテールにまとめたその少女は、一つ深呼吸して息を整えると、続けてレンサスへと告げた。
「特務執行──これよりレンサス、貴様を打倒し捕縛する。全国議会には、指一本だって危害は加えさせない……!」
「……貴様……っ!」
怒りと憎悪、苛立ちと殺意が混じりあった凶相でレンサスは叫んだ。視線だけでも人を殺せてしまいそうな、怨念に満ちた形相。
常人ならばとうに気を失っている程の威圧が、ひたすらに少女へと向けられる。
けれども彼女は断じて退かない。
己の使命、信念、正義、理想。そして何より護るべきすべての命を護り抜くため……如何なる邪悪、如何なる恐怖が相手であっても、何時だって彼女は立ち向かうのだ。
「我が名はエルゼターニア! 『特務執行官』の使命と責務の下に、今! この国を脅かす邪悪なる『オロバ』に、断罪の鎌を振り下ろす者なり!」
「特務執行官……っ!! エルゼターニアァァァッ!!」
「何があっても必ず止めるっ!! 覚悟しろ、レンサスッ!!」
少女──特務執行官エルゼターニアは叫び、そして突撃した。レンサスもまた、怒りの雄叫びを挙げて迎撃する。
最後の戦いが今、幕を開けた。
次話から最終章です
残る数話、どうかよろしくお願いいたしますー




