頂上相対、マオとニケイア
「お久しぶりですね、当代の『魔王』。戦時下に一度、天界にお越しになって以来ですか」
「そうだな。あの時はお前らも戦力にしてやろうかと思ったんだが、どうにも無能揃いで使い物にならなかったんで止めたのさ。我ながら良い判断だったと今、改めて実感してるよ。それと今はマオと名乗ってる。『魔王』は元だ、元」
「失礼ながら貴女では使いこなせなかったからでは? ふふ……改めまして最上位天使『第一位』ニケイアと申します。今も昔もこれからも、永久に変わらず『神』の徒ですわ」
互いに互いを言葉で刺しながらの名乗り。『魔王』と『第一位』。マオとニケイアは互いに笑みを浮かべ、しかし敵対心を隠すことなく相対していた。
見かけで言えば美少女と美女、向かい合っての絵になる光景だが放つ雰囲気は尋常のものではない。今にも殺し合いを始めかねない程の、重圧に周囲の空気が軋んでいる。
「ま、『魔王』……! 戦争を引き起こした、あの」
「ヴィアさん、下がりましょう! ここは危険です、巻き添えを食らうかも!」
「ハーモニさんの所まで戻って、とりあえず仕切り直しです!」
『魔王』の登場に、ヴィアは愕然とする他なかった。大陸蝶の襲来から天使との戦いと、その時点で困惑と混乱の連続だったものを……極め付けと言わんばかりに現れた大災害である。自失するのも当然だった。
そんな彼を介抱し、アインとソフィーリアはハーモニが休んでいる場所にまで引き下がった。今あの、マオの傍にいるのは『焔魔豪剣』を以てなお危険すぎたのだ。
ハーモニの元まで下がればそこにはアリスもいる。彼女はそうした睨み合いにはとんと興味などないのか、しきりにしゃがんでハーモニと話をしている。
「お主がそこまで消耗するか……中々なんじゃな、そのエフェソスっての」
「……エルの傍に、いてあげられませんでした。盾にもなってあげられなかった。こんなに悔しい思いをしたの、初めてです……っ」
「そ、か。成長したの、ハーモニ」
心底から悔しげに、うっすらと涙さえ浮かべる弟子に、アリスは微かに目を見開いて、そしてその頭を撫でた。
慈悲深い笑みと共に、ハーモニの変化を祝う。
「え……」
「ただ戦うために戦うのではなく、護るために。共に生きるために戦う。お主は昔もそんな風にして戦っていたが……今度は種という大きなもののためでなく、エルとやらのために戦っとる。これを成長と言わず何という」
「ふ、普通、逆じゃないでしょうか……?」
困惑して問う。アリスの言うようにかつて、ハーモニはヴァンパイアという種族を変えるべく、人間と共に生きるべく戦いを選んだ。虐げられる者たちを護り、邪悪を打ち倒す戦いを選んだのだ。
それに比して今、言ってしまえば彼女にはエルゼターニアのことしか眼中にない。スケールで言えば明らかに小さくなっているのだが、それでもアリスは成長と言う。
どういうことか考えているハーモニに、やはり、師は告げる。
「種族だとか弱者だとか抽象的で漠然としたものから、より具体的なたった一人のために。目標がしっかり定まった命はな、そりゃあ強いぞ」
「アリスさん……」
「リムルヘヴンもそうじゃが、ここにも新たなる『進化』を遂げる者がおった。ふふふ……わしは嬉しいよ、それが他ならぬお主で。身内で馴れ合いしとる内、バトルジャンキーがどうのと抜かしてすっかり錆び付いたかと思っとったが、やるではないか馬鹿弟子め」
偉大なる師の嬉しそうな笑顔。ここに来てついに一皮剥けた弟子へ、期待を隠すことなくアリスは讃えた。
エルゼターニアという確固たる護りたいもの、護るべき者を得た今。ハーモニは更なる高みへきっと昇れるのだ──水の魔剣を使いこなすという目的のため連邦に向かった、同じくヴァンパイアのリムルヘヴンと同様に。
若者たちがどんどんと成長していく。それが堪らなく嬉しいと言わんばかりのアリス。
そっとハーモニの背を叩くと立ち上がり、近くにまでやって来たアインたちにも声をかけるのであった。
「おう、二人ともお疲れさんじゃのう。特にアイン少年は、ハーモニがずいぶん助けられたようじゃな。感謝するぞ……ありがとう」
「あ、いえ。こちらこそ助かってますよ……それより、お二方はどうしてここに?」
修羅場を脱し、どうにか人心地付けてアインが問い掛ける。マオにしろアリスにしろ、助力自体は助かる話だがまったくの突然だ。
何かしらあるのだろうか……少年の言葉を受け、アリスは苦笑を浮かべて天を指差した。その先にいるのは未だ居座る、巨大な蝶。
「あの蝶なんじゃが……星の端末機構らしくての。『オロバ』に悪用されとるとか何とか『タイムキーパー』とやらから知らされたらしく、今朝方になって慌てて共和国に行くとか言い出しおってな」
「星の、端末機構!? アレが!?」
「仔細はわしも知らんがそうらしい。でまあ、せっかくじゃしハーモニの様子見がてらわしも付いて行こうってな。あ、今回はご主人はお越しでないぞ。いつも通り、館にて平和に暮らしていらっしゃる」
「そ、そう、なんですか」
上空に居座る不気味な化物が、まさかの同類だった。衝撃的な事実に思わず顔がひきつる思いのアインだ。
一方でマオを見る……未だニケイアと睨み合っているのだが、より遠くから俯瞰すると改めて両者の間に漂う一触即発の空気が見える。こちらもこちらで恐ろしい話だ。
ただ、安心する要素もある。マオとニケイア、見比べてみるとあからさまに実力差が分かるのだ。
不敵な笑みを浮かべ、余裕を多く見せる『魔王』に対し、『第一位』の方は優しげな笑みを保ってはいるもののどこか緊張に強張っている。少なくとも先程までアインに見せていた余裕など吹き飛んでいる様子で、彼女程の存在からしてもなお、マオは手に負えないのだろうというのが窺い知れた。
ハラハラとアインたちが見守る中、世界でも屈指の実力者であろう二人は言葉を交わし始める。
「わざわざ部下の尻拭いにお前みたいなトップが来るとは、案外層が薄いんだなぁ天使も。ええ?」
「最上位天使の失態ですので、こればかりは……仕方ありませんね。ですが『魔王』、私の目的は別にあります。たぶん貴女がここまで来た理由と同じでしょう」
「……『七支天獣』か。お前らが確保するとでも?」
「本音を言えば避けたいところではありましたが、ね」
両者空を見上げ、苦々しげに大陸蝶を見る。
『七支天獣』。その役割から人間世界に今、存在していること自体あってはならない生物だ。二人とも同じ見解を抱いているのか、ほぼ同時に嘆息する。
「……『オロバ』がアレを手中に収めたことを、お前らの親玉はいつ頃知った? 星よりは早いんだろうが」
「概ね半年前です。大陸蝶ともう一体……天空樹が彼らの支配下に置かれたことを、偉大なる我らが『神』は感知なさいました。そして我々に、かの二体の保護を命じられたのです」
「一体どうやったんだ……そもそも『七支天獣』はすべて、今の人間や亜人には絶対に辿り着けないところにいたはずだぞ」
「そこは、何とも。得体の知れない何かが絡んでいることは、調査にて掴みましたが」
困った表情で応答するニケイアに、マオは鼻を鳴らした。天使たちを統べる『神』ならば、既に概ねの真実は掴んでいてもおかしくはないだろうに──右腕たるニケイアにまで報せないというのは奇妙な話だ。
とはいえ天使たちの事情など知ったことではない。さしあたり今決めるべきは大陸蝶の処遇。ニケイアに渡すか、あるいはマオの手によって元いた場所に戻すか。
「……考えるまでもないか。癪だがなニケイア、アレは一時、お前らがどうにかしとけ」
「言われるまでもなくそうしますが……よろしいので? 『七支天獣』を特定の勢力が一時的にでも保持するなど、星の立場としては認めがたいはず」
「『オロバ』よりかはマシだ……と、するしかない。お前らなら本拠地分かってるし実力の高も知れてる。舐めた真似しやがったら、いつでも天界ごと叩き潰してやれるしな」
「……さすがに、『魔王』ですねえ」
微笑みのまま、苦渋を浮かべる『第一位』。あまりにも天使を侮った発言、本来であれば到底許すことなどできはしないが……こと眼前の『魔王』ばかりは別だ。実際問題、あまりにも実力が違いすぎた。
星の最上位端末機構として、信奉する『神』と同格の存在なのだ、マオは。そして『神』とは異なり無限エネルギーのバックアップを最大限に受けている、文字通りの星の化身。
たとえニケイアが全力を出したとして、どれだけ食い下がれるか。そのような相手に無謀な喧嘩を売る程、彼女は感情的では無い。
はあ、とため息を吐く。ともあれマオからも許可を得たのだ、大陸蝶は今しばらく天使の懐にて預かることとなる。
ルーラー・オブ・ルーラーを天高く掲げ、ニケイアは力を発揮した。その身に宿る、『神』から与えられた力が放出される。
神秘的な煌めき。最上位天使『第一位』にのみ扱うことのできる秘法を、彼女は発動した。
「『天裁神術式"縛"』」
神剣から放たれる神秘の光。天高くにまで延びるそれは、大陸蝶の広く大きな胴体と羽とを、次々に包囲して巻き付いていく。
ある種の神々しささえ感じる光景だ……六枚の翼を広げた天使が、その力を以て天に座す怪物を捕らえきっていた。
マオが腕組みし、最後に指摘する。
「で、蝶はともかくそこの包帯だ。お前まさか、散々やらかしたそいつをタダで引き取れる、なんて考えちゃいないだろうな」
「……え。彼女の分も含め、そこのトリエントに代償を負わせましたが? 堕天させ、法の裁きを受けさせた後に英雄殿へと協力させます。それでは不十分でしょうか?」
トリエントを指差しニケイアが答える。彼女としては、それで禊を済ませたとの思いが強い。仮にも『第四位』を永久追放するのだ、彼女個人としてはともかく組織としてはかなりの痛手であるゆえに。
しかしマオは倒れ伏す元天使などにまったく満足していないのか、嘲笑さえ浮かべて吐き捨てる。
「潰すぞ羽虫が。切り捨てた尻尾に何の価値があるってんだ? 『私たちにとって』価値あるものを寄越せよ」
「えぇ……? 特段関係のない立場でそのように要求しますか。私が言うのも難ですが、貴女はとても厚かましいですねえ」
「何だとこの野郎」
面の皮の厚さには内心、それなりに自覚のあるニケイアもこれには閉口したようだった。大陸蝶を拘束しながらも頬に手を当て、一筋の冷や汗を流して呻く。
いきなり王国からやって来ただけの、言ってしまえば部外者のマオ。にも拘らずまるで共和国を代表したかのような面で恐喝に近い交渉を仕掛けてくるのだ。これが話に聞く人間世界の『チンピラ』かと、謎の感動さえ覚えてくる始末である。
とはいえたしかに、トリエントが彼ら人間たちにとって価値があるかは未知数だ。右腕も翼もない有翼亜人など、本当に罪償いをするだけで終わってしまう可能性さえある。
ふむ、と考える。今回の件ではこの国に本当に多大な迷惑をかけてしまった。やむを得ずとは言え『オロバ』などに与したことは、天使として忸怩たる話だ。
であれば。真に価値あるものとはやはり、『オロバ』に関することだろう。
ニケイアは口を開いた。
「──連邦と、帝国」
「あん?」
「かの『オロバ』はその二か国にて『オペレーション・魔獣』、そして『魔人計画』を進行させています。既に連邦の方では実用段階に入っているようですね……現地に遣わしている『第八位』がそのように報告しています」
「……!」
それは、『オロバ』が進める計画二つ。『オペレーション・魔獣』、そして『魔人計画』についての情報のリークだ。
驚愕に表情を染めるマオを見て、ようやく一本取れたかと心底からの笑みを浮かべながら……ニケイアは捕縛した大陸蝶に向け、己が力を発動した。
「『天裁神術式"界"』──どうでしょう『魔王』。今の情報、トリエントと併せればエフェソス一人分くらいには相当するかと思いますが」
「……まあ死にかけ一匹の身柄にしちゃ、そこそこ旨味はあったか」
「ふふ、それは何より。それではそろそろ、私どもはお暇いたしますね? 残る天空樹の捜索も、進めねばなりませんので……転移」
大陸蝶の周囲と、ニケイア自身、エフェソスをも巻き込んで空間を歪める。マオが今しがた入手した情報に妥当性を認めるのを尻目に、彼女はついにその場を離脱した。
一瞬で、天使二人と上空の蝶が消え去る。巨体に覆われていた空はすっかり元の蒼さを取り戻していて、天高く太陽の光が首都を明るく照らす。
それは同時に、共和国にて暗躍していた天使たちが撤退したことをも意味している。
強大な敵を凌ぎきった実感に、マオの後方で戦士たちは吐息を漏らすのであった。




