馬車の中、揺れるエルゼターニア
『ほら、泣かないの……もう。結局最後までお姉ちゃん離れできなかったね』
そう言ってあやす彼女の、声の優しさ──暖かさにまた、少年は泣きじゃくった。
二度と会えない。そんな気がしていたのだ。
『大丈夫! 落ち着いたら時折戻ってくるから。それに貴方も、何なら来てくれて良いのよ? これからの世の中、きっと、それが当たり前になるわ』
少年の思いなど知る由もなく語る彼女は、夢と理想に煌めいていた。もうずいぶんと前から、彼女は少年には理解できない思想に夢中だった。
『皆、仲良しが一番よ! 私はそのための架け橋になってくるね。もちろん……ふふ、あの人が好きで好きで堪らなかったのも、あるけど』
指に嵌められたリングを翳す。光を受けて眩いそれが、少年には憎たらしくて仕方ない。
そんな彼に構わず彼女は夢見心地でうっとりと、恋に頬を染め高らかに謳った。
『ああ、幸せ! 何て素敵なのかしら! 人間と亜人を結びつける、私をあの人と巡り合わせてくれた──共和の理念、最高!!』
共和。
『共和』の理念。
──彼から姉を奪い、そして結局、二度と会えないまま死なせた、人間どもの欺瞞の象徴。
『私はきっと、共和の理念を愛し護る家庭を築くわ。貴方もいつか会いに来てね──私の子供、私の孫、私の家庭!』
少年の泣き腫らした瞳は、美しい姉を捉えたまま。彼女の華やぐ笑顔を、心にしかと刻み付けたまま。
『そして貴方もいつか、共和の理念を愛してくれると、良いな!』
──『共和』への尽きせぬ憎悪を、募らせていくのであった。
『焔魔豪剣』アインの来訪と特務執行課への協力の報は、瞬く間に共和国全土を駆け巡り国中の話題となった。
史上最年少のS級冒険者。王国は南西部にて起きた『魔剣騒動』を、華々しい活躍を以て治めた天才剣士。『豊穣王』ローランも認めた新時代の英雄、希望の焔。
そのような触れ込みで世界中に喧伝され、今や一躍時の人となっている稀代の英雄が、共和国を護るためにやって来ているのだ。話題にならないはずもなかった。
「と言っても、好奇の目に晒されるとかは無いんだけどねー」
「さすがにそういうのは無かったね、アイン。ちょっと警戒してたけど良かったー」
テーブル越しに向かい合う二人、アインとソフィーリア。昼時の食事にと立ち寄った店にて少年少女は、互いにのんびりとした心地で語らっていた。
ここは共和国南東部の山村。閑散とした村だが一応、観光には気を遣っているようで宿なり食事処なりは問題なく機能している。
店員、あるいは道行く人。村人の誰一人としてアインが『焔魔豪剣』だと気付いていない。大々的に新聞にも取り上げられたのだ、知らないはずもないが、それでもこの少年がそうであるとは思っていないのだ。
ふにゃりと相好を崩して、アインが笑った。
「普段着だとやっぱりバレないよねー。あの『ヴァーミリオン』のコートだとたぶん、一発だろうけど」
「派手だものねー、あれ」
ソフィーリアが苦笑する。アインの戦闘における装い、すなわち『焔星剣・ヴァーミリオン』を発現させた際の姿はとにかく目立つ。目立ちすぎる程に目立つ。
何しろ燃え上がるような真紅のコートで、陽光を浴びれば煌めき輝く。嫌でも人目を引く、即座にそこに『焔魔豪剣』がいると分かる格好なのだ。
それと比較して普段の、日常着の彼は一貫して普通で、ともすれば地味だ。昼食の今も至って特筆すべきところもない服装で、ソフィーリア共々完全に風景に溶け込んでいる。元々農家の三男坊ということもあり、村人の一員と言われれば信じる者もいるだろう程の馴染み方だ。
アインは肉を頬張りながらも言う。
「『ヴァーミリオン』発動時にオートで出てくるのが最初は嫌だったけど……逆にそこだけ悪目立ちしてカムフラージュになるなら、アレはアレで良いのかなって最近思い始めたよ」
「派手な時のアインと今のアインじゃ、ギャップがすごいものね……どっちも格好良い、私のアインだけど」
「ソ、ソフィーリアぁ……照れるよもう」
思慕を隠さぬソフィーリアの言動に顔を赤くして彼は笑った。昔からアインへの想いを常にオープンにしてきた彼女だが、最近は更に加速しているように少年には思える。
嬉しいことだ──ソフィーリアがアインしか眼中に無いようにアインにもまた、ソフィーリア以外に愛する女性などいないのだ。
小さい頃からの付き合いで、自然と好き合い、ここまで辿り着いた。いつか『世界の果て』へと向かい、そこで二人抱き合おうと約束を交わしてさえいる。
つまるところ相思相愛、互いに互いさえいればそれで良い程の……いわゆる一つの、バカップルという存在がこのアインとソフィーリアであった。
冬めいた寒さの日、山村には凍てつく風も時折吹き始めている。
けれども想い合う二人の恋の熱量には微風も同然なのだ。『焔魔豪剣』とそのパートナーはかくして見つめ合い、食事を続けるのであった。
「アインさんとソフィーリアさんは南東部の方に、殺人犯の亜人を抑えにっすか……また日帰りっすよね、たぶん」
所変わって共和国は内陸部、とある町へと向かう治安維持局の馬車の中。
特務執行官エルゼターニアとそのパートナー、ヴァンパイア・ハーモニは二人、ソファに並んで座り雑談に興じていた。特に何もすることがない時間帯の、心地よい気だるさの中での行為だ。
今は亜人犯罪者を追って南東部へと向かった、アインとソフィーリアについてエルが言及する。ハーモニもまた、それに応えた。
「『オクトプロミネンス・ドライバー』だっけ。すごい便利だよねーアレ。私らにも一匹ほしいなあ」
「ペットじゃないんすから……まあ、アレさえあれば私たちももっと機敏に動けるとは思いますけど」
「きっと楽しいよー炎に乗って空の旅! いやはや、あれで人間だって言うんだからすごいよ、アインさんは」
感心しきりのヴァンパイアに、特務執行官もまた、頷いた。
一週間程前から特務執行課に協力する形で、共和国の治安維持活動を始めたアイン。彼の持つ他の誰にもない能力はとかく便利なものであった──炎を自在に顕現させ、攻防に用いるばかりかあまつさえ乗り物として利用し、方々へあっという間に移動できるのだ。
彼が着手した案件は既に両手で利かない数に昇る。そのいずれもが首都から離れた遠方でのものであるにも関わらず、アインはそのすべてをそれぞれ一日以内で解決できていた。
犯人がその素性から居場所まで突き止められているため捜査の必要がない、言ってしまえば簡単な事件であるにせよこれは驚異的なスピードだ……これも偏に『オクトプロミネンス・ドライバー』による移動方法があまりにも速いことによる、所要時間の大幅な短縮が功を奏している。
突き抜けた強さ、実力のみならず図抜けて便利な能力。それらを備えて共和国の治安維持に協力してくれているのが、『焔魔豪剣』アインなのだ。
その正体について──本人から語られた内容を二人、振り返る。
「星の端末機構……にわかには信じ難いっすけど、実際あのアインさんの活躍を見ちゃうと、っすねえ」
「そもそも星に意志とかあったんだって話だし、それが役割ごとに化身を産み出してることも……その一つに『魔王』がいるだなんてことも、まるで想像さえしてなかったことだよね。いやはや、世界は広いよ」
「……『魔王』っすか」
アインによる星の端末機構の説明。星という一種の生物が産み出した、世界の秩序や法則、時間や歴史の流れを正常たらしめんとする役割をそれぞれに持つ、謂わば星の守護者たち。
その中の一つが『焔魔豪剣』アインである、ということと共に打ち明けられた事実があった。
──かの戦争の元凶、『魔王』もまた、星の端末機構が一員であるということである。
人間が増加し、その文化文明を発展させていくにつれて発生する、異常な技術。その時点での人間社会の有り様から、完全に逸脱した進化。
それらを確認した段階で発生する最上位端末機構がいる。亜人を率いて人間に対して戦争を仕掛け、間引きし文化文明を一旦リセットし、異常進化に歯止めをかけるストッパー役こそがすなわち『魔王』であった。
数年前に終結した人間と亜人の戦争も、結局は異常進化を遂げた人間を間引くための戦争だったのだ。
明るみにされた真実に、エルゼターニアは沈痛に呻いた。
「人間と、亜人を……争わせているのが、この星の意志だったなんて」
「星にも大義があるんだろうけどさ……やり口は陰湿だよね。わざわざ『魔王』なんて扇動役まで拵えてさ、性格悪いったら!」
「星の性格って、何か変な響きっすね……」
努めて明るく振る舞うハーモニをありがたく思い、微かに笑って応える。
エルゼターニアとてこの一年、様々な経験を積んできた身の上だ。立場によって為すべきこと、その善悪も変わることは重々承知している。この間戦ったスライムの亜人クラバルとて、独善的ではあるが彼なりの正義と理想ゆえに暴走していたのだ。
あるいは『オロバ』とてレンサスとて天使たちとて、彼らの側からすれば正義とするものがあるのかもしれない。況んや『魔王』、況んや星においてをや、絶対的な悪と断することは難しい。
──だが、それでもエルゼターニアには拒否感がある。『共和』の理念の下、人間と亜人の適切な距離を保っての友好関係の構築を理想とする彼女にとり、星と『魔王』の存在は、決して肯定できないものだ。
「……でも、きっと。マオ、さん」
しかし、否定もしきれない。恐らくは友人たるあの、エメラルドグリーンの長髪を靡かせた王国の賓客、マオこそがその『魔王』であるがゆえに。
アインは言及しなかったが、エルゼターニアにはすぐに察することができてしまっていた。
彼の用いた炎はどこか、マオの引き起こした大災害を彷彿とさせるものだ。振り返れば彼女自身、言っていたではないか──己の力こそ『魔剣』や『魔眼』のオリジナルだと。
アインの用いる力が星の端末機構としてのもので、かつマオが同種の力を用いているのであれば、どうしてもかの戦争における大災害の逸話が結び付けられる。
あくまでも推測、類推であり確証は一切無いのだが……それでもエルゼターニアは確信していた。
マオが、マオこそが『魔王』だと。
「私、は」
「エル」
信頼し、友愛と尊敬とを抱く友が人間の天敵であった──こればかりはエルゼターニアにとってもショックが大きく、彼女は俯き、複雑に混乱し乱れた心を持て余している。
そんな少女の小柄な身体を、そっと、ハーモニは抱き寄せて温める。
「……エルはさ? そのマオさんって人、どう思ってるの?」
耳元で囁く声。吐息がくすぐったいのを身を捩らせつつ、エルゼターニアはそんなこと、と答えた。
「どうって、そりゃ……友達っすよ。出会いは唐突で、傍若無人で、強引で……でも優しくて、私を心配してくれて、力を貸してくれて、色んなことを教えてくれて」
「大切?」
「……はい。友達っすから」
「ならそれで良いじゃん。何も気にすることないよ、エル」
迷いに強張った心と体を解きほぐすように、暖かく抱きしめ、時折背や頭を撫でながら……ハーモニは示す。
友達だと、そう答えたならば。
それがすべてなのだ。他に何もありはしない。
「『魔王』だろうが星のなんちゃらだろうがさ、マオさんがエルの友人なことには変わらないんなら……どうでも良いんだよ、そんなこと」
「でも、『魔王』は人間の」
「友達は立場や身分じゃないよ。互いにそうありたいと思えたなら、それだけが友達の条件なんだ。少なくとも私は、そう思う」
「ハーモニ、さん」
ハーモニの言葉は人間社会においては中々、相容れない部分のある主張だろう。人にはそれぞれの立場、身分があり、時にはそれを優先して他のことを蔑ろにせねばならないことも、ままある。
だがあるいは、そうした柵を取り払えるのならば──このようにシンプルな思想も良いのかもしれないと、エルゼターニアは抱きしめてくるハーモニの腕に、己の手を乗せた。
「時間をかけて、じっくり考えなよ、エル。色んな立場とか事情とかあるだろうけどさ、たまには自分の素直な心に向き合わないと……可哀想だよ、エルが」
「……はい」
そうして互いの温もりに、気を寄せ合う一時。
馬車が走る先、とある町に向かう道すがら──エルゼターニアは遠く離れたマオへと想いを馳せるのであった。




