72.金貨五百枚の男
今日のヒルデンノース領の天気は、曇り時々雨。
ずっとモンローに乗っていたペルーシャも、今日はさすがに馬車の中に引っ込んでいる。
『寒いな……』
御者台に座るカイルが身震いをする。
少し前から気温も下がってきている。霧のような小雨も手伝って、少し肌寒い。
四季は無い、気候も年間を通して温暖。なのに寒い。
つまり、異常気象だ。災害が迫っている。
『魔力嵐の前兆ですわ』
エルゼリスモア大陸の災害のひとつ、魔力嵐。
文字通り、大気中に漂う魔力が嵐を起こす。言ってみれば台風のようなものだ。荒れ狂う魔力は天候や気候に影響を及ぼす。
それだけに留まらず、魔法にも干渉してくる。今はまだ大丈夫だが魔力が乱れてしまい、酷くなると魔法の生成ができなくなってしまう。
大陸の人間には非常に厄介なものだが、学人には神風にも思えた。
魔法が使えなくなる。それはノットも例外ではないだろう。
魔力嵐がいつまで続くのかはわからない。早くても数日、その間は時間稼ぎになる。
『おい、戦闘の準備をしておけ。数は六人だ』
エルフの森を出てからというもの、幾度となく魔獣の襲撃があった。その度にジェイクが察知して警戒を促してくれる。
今日も恐竜に跨り、雨などお構いなしに周囲の警戒に当たっていた。
察知するタイミングが異様に早い。千里眼でも持っているのではないかと思ってしまうほどだ。
ただ、今回は単位が違う。六人と言っていた。人間の奇襲だ。
盗賊か、ノットからの刺客か。
『ジェイク!』
学人が目で訴える。
ジェイクはすぐに学人の言わんとする事を読み取った。
『殺すなよ、追い払うだけでいい。うっかり殺るとガクトがピーピーうるせーぞ』
皆が準備を整え、学人も剣を取る。
落ち着いて深呼吸を二回。終わったところで雄叫びが聞こえてきた。
同時にそれぞれが馬車から飛び出す。守られてばかりではいけない、学人も意を決して後に続く。
降り立つと、既に悲鳴が上がっていた。
遠くに離れている男が足を押さえてのたうち回っている。武器の無いところを見ると、ウィザードなのだろう。ジェイクが弓で真っ先に叩いたようだ。
恐竜に乗って猛突進を見せる大柄の男に、ペルーシャが立ちはだかる。
男にはペルーシャの姿が消えたように見えただろう。鋭く跳躍し、鉤爪の収まったリストバンドを顔面に叩き込んだ。
鼻の砕けた男は転げ落ちて白目をむいている。
抜刀したワッツがまた別の男を迎え討とうとしたところで、襲撃者たちは身を翻して逃げ出してしまった。
一瞬で二人もやられたのだ。敵わないと思ったのだろう。
情けなくも見えるが賢明な判断だ。
『ニャんやねん、こいつら』
ワッツがまだのたうち回っているウィザードの髪を掴み上げる。
笑顔を向けるが、目が笑っていない。冷たい視線を向けられたウィザードは引きつった声を上げた。
『わ……悪かった! もうあんたらには手を出さないから助けてくれ!』
『いやいやいやいや、そんな事はどうでもいいんだ。お前ら何者だ? なんで俺達を襲った?』
すっかり怯えた様子で、懐から紙を差し出す。
『なんだこりゃ? ジェイク・エイルヴィス・イーストウッド。賞金、大判十枚』
似顔絵付きの手配書だ。
大判金貨十枚と聞くと少なく感じるが、金貨に換算すると五百枚。なかなかの破格である。これだけあれば、何年も豪遊して暮らせる事だろう。
問題は発行人の名前、ヴォルタリス。領主直々の手配書という事になる。
十中八九ノットの仕業だ。何か適当な事をでっちあげて吹き込んだのだろう。
ワッツはその手配書を見て、どこか違和感を覚えた。
『他には無いのか?』
『ほ……他に? 他に何があるってんだよ』
『知るかよ! 何でもいいよ!』
男は他にも手配書を持っていた。傭兵業か何かの傍らで、偶然見つけた賞金首を狩っているのだろう。
自分達とは全く関係の無い手配書だけだが、ジェイクの物と比べると、違いは一目瞭然だった。
普通は罪状も添えられているものだが、ジェイクの物にはそれが無い。
呆れたようにため息を吐く。偽の手配書ですら、適当な罪状が書かれているものだ。
これは偽物の中でも、かなり出来の悪い物だ。作った奴は相当のマヌケらしい。
『本物だな、こりゃあ』
手配書を見たジェイクが断言する。
これは領主公式の物だ。発行者が領主なのだから当たり前だ。
公式の手配書は高価で特殊な、一般には出回っていない紙とインクが用いられる。偽造対策だ。
斡旋所で購入できる物で、信頼性も保証されている。
魔力を注ぐと、押印された紋章が淡い光を灯した。これが本物である事の、何よりの証明となる。
ノットが何と進言したのかは知らないが、罪状を明記するのはよくないとヴォルタリスが判断したのだろう。
適当にでっちあげた罪状を書いて、後々にそれが嘘っぱちでした、なんて発覚した日には領主としての信頼が失墜してしまう。理由がどうであれだ。
なので、馬鹿正直に罪状が空白なのだろう。
領主が民に嘘をつく事は許されない。日本の政治家にも見習わせたいと学人は思った。今となってはもう関係の無い事だが。
しかし困った事になった。領主が敵に回ってしまっていて、これでは領都に入る事ができない。
上手く潜り込んだとしても、行動が大幅に制限されてしまう。
『関係ねえ、堂々と正面から乗り込むぞ』
『ジェイク、君は馬鹿か! 捕らえられるか、下手したら殺されるんだぞ!』
滅茶苦茶な男、ここに極まれりである。学人が声を荒げた。
『いいか、ガクト。これは逆に好都合だ。ノットはどうせ城に身を隠している、どこよりも安全だからな。俺が奴らの気を引いてやる、その間にお前がなんとかしろ。お前なりの方法でノットを止めるんだろ?』
ジェイクも真面目に考えを持っていたらしい。学人は確かに自分なりの方法で止めてみせると、ジェイクに啖呵を切った。
ただそれは勢いで言ってしまっただけで、実際にはノープランだ。不安しか無い。
『一応、協力者に当てがある。話を付けてやるからそいつに手を貸してもらえ』
それから数日、学人はずっと頭を総動員していたが、具体的な作戦はまだ見えていない。領都での状況を見てみない事には、一生考えたところで無駄だ。
『見えたぞ!』
カイルが馬車の中に声をかけた。
ようやく領都が見えたのだ。学人が馬車から顔を覗かせる。
大きい。
まず最初に思ったのがそれだ。
今までに見た、どの都市とも比較にならないほど大きい。白亜の美しい城壁が目につき、その周りには街並みが広がっていた。
意外な形だ。都市全体が壁に囲まれているものだと、学人は勝手に思い込んでいた。
城壁に囲まれているのは一部だけで、周辺に広がる街は壁に護られていない。
『正確には壁の中だけが領都で、それ以外は違いますの』
学人が訊くと、ソラネの談義が始まった。
領都では領税とは別に、領都としての税金がかかる。だが、一歩出てしまえば領税だけだ。余計な税金がかからずに、出費を抑える事ができる。
そのため、領都の外に居を構える者が現れ始めたのだ。
つまり、壁の外にある街はいつの間にか勝手に出来上がったもので、厳密には領都ではない。
基本的に何が起こっても自己責任の暮らしとなるが、領都周辺での治安の悪化はまずい。なので、最低限の治安維持は領主が行っているそうだ。
学人の常識からすれば考えられない事だ。日本でなら某地域で何年か前に実施された、強制撤去がされていても不思議ではない。
『周辺街には安宿や、安い市場などがありますわ』
『もちろん、大人の店もな!』
ソラネの談義に、良い顔をしたカイルが口を挟む。
大人の店……いわゆる娼館だろう。
『ガクト様にそんな破廉恥なお店は必要ありません! 姫に言いつけますわよ!』
ソラネが顔を真っ赤にして怒っていた。
『ニャんやねん、ヒラヒラのふわふわ野郎がカマトトぶりよってからに。お花畑か』
ペルーシャがボソっと悪口を言う。幸いな事に、ソラネの耳には聞こえていなかったようだ。
馬車を周辺街のはずれにある広場に停める。他にも多くの馬車が並んでいた。金を払う事で一時的に預かってくれる、平たく言えば駐車場だ。
周辺街は他の都市と比べても、似たり寄ったりなものだ。違う点といえば、建物がひしめきあっていてごちゃごちゃとしている。
無計画に建てられた街だ、狭く暗い路地も多い。
『ほな、アタシちょっと実家行って来るわ!』
『え、ちょっと!』
ペルーシャは唐突にそう言うと、学人が引き止める間もなく狭い路地に消えて行った。
追い掛けるでもなくペルーシャの背中を見送る。気のせいだろうか、路地の向こうで何者かが身を翻した気がした。
『ガクト、ほっとけ』
『……うん。ペルーシャの実家って、周辺街にあるのかな?』
『知るかよ』
彼女の地元だ、余計な心配は必要無いだろう。




