71.おかえりなさい
――二年前のあの時、ジェイクとヒイロナが女神の領域に入ったあと、天使族たちは動きを止めてざわつき始めた。
激昂する者もいれば、その場に崩れて涙する者もいた。
理由はすぐにわかった。女神が死んだのだ。敵の士気は総崩れだった。
戦争はあと残党狩りを残すだけ。降伏するなら良し、この期に及んで抵抗するなら殲滅するしかない。
ジータが天使族と交渉しようと、一歩足を踏み出した刹那、まばゆい光に目が眩んだ。
次の瞬間には知らない場所に立っていた。
ジータの視界には砂しかなかった。照り付ける日射しは肌に痛く、気温も馬鹿みたいに高い。砂漠だ。
エルゼリスモア大陸で砂漠なんて一ヵ所しかない。ファラン領とバアムクーヘン領の境目だ。
この時は状況が理解できずに、さすがのジータも混乱した。
砂漠で遭難して、全部死ぬ間際の夢だったのではないかとさえ思った。
それにしては自分は元気だ。ピンピンしている。
とりあえず砂漠を抜けようと、独り歩き始めた。
どのくらい歩いただろうか。前から見た事のない恐竜に乗った誰かが近付いて来るのが見えた。すれ違い様に声をかけられた。
透き通るような白銀の髪、見た目的には自分と同じ歳くらい。初めて見る種族だが、表情から読み取るに敵意は無い。
「キミ、こんなとこで何してるの? 一人?」
言葉がわからなかった。事態は思っていたより深刻らしい。
念話でコミュニケーションを取りながら、ミクシードに助けられてエルゼリック大陸まで帰って来た。
そこでようやく、自分の身に何があったのかを理解した。
女神が死んだあと、宮殿と天使族は忽然と姿を消したらしい。
創世の魔力が暴走したのか、それとも女神が死んでこの地に留まっている事ができなくなったのか。どちらかはわからないし、どっちでもいい。
たぶん、全てがあるべき場所に還り、宮殿にいた自分たちは弾き飛ばされた。
そう考えるのが一番自然だった。
忽然と消えたはずの天使族が、なぜこんな所にいるのか。何をしていたのか。
戦争の残党で、報復のために迷宮を生成していた……違う。どちらかと言うと、迷宮に囚われていた。
魔力を吸われて酷く衰弱している。
『どけ、虹姫! こいつは敵だ、今ここで息の根を止めてやる!』
バーニィが意識の無い天使族に手をかけようとした。一睨みで黙らせた。
戦争は二年も前に終わったのだ。今さら敵も糞も無い。
どうにせよ、目を覚ましたら尋問する必要がある。敵かどうか判断するのは、それからでいい。
中継都市には王国の人間も多く居る。直接戦争をしていないリスモアの人間ならまだしも、王国の人間なら大抵がバーニィと同じ反応を見せるだろう。
面倒なものを背負い込んでしまった。
天使族が目覚めて、全てがはっきりするまでは中継都市を離れる事ができない。
それまでは彼女を守らなくてはいけない。
放っておいたら、王国の人間に殺されてしまう。
『ふむ、天使か。我々の世界では、神聖な存在なのだがな』
ヘリの中にいた天使族を助け出し、都市へ連れ帰った。
目覚める様子のない女を前に、青木がカルチャーショックを受けている。天使に向けられた負の感情は、それほどまでに異常だった。
女神大戦の話を聞けば、それも仕方のない事だが。
『助かるのかね?』
『とりあえず死にはしないわ。いつ起きるのかは、わからないけど』
天使を斡旋所の二階へ運び、ベッドなどを準備していると、既に日は落ちていた。
都市は騒ぎになっていたが、今は落ち着いている。天使を殺そうと誰かが押しかけて来る心配は無いだろう。
斡旋所への襲撃は重罪だ。それだけでなく、部屋の前には鉄拳のアルガン、中では虹姫が睨みを利かせているのだから。
それに、天使が目覚めて何かが起きたとしても、虹姫がいるという事が都市の人々を安心させた。妙な気を起こす人間はそうそういないはずだ。
『私は隣の部屋にいよう。何か困った事があったら呼んでくれ』
天使が着ている軽鎧を剥ぎ取ろうとすると、青木がそそくさと退出する。
(いや、手伝ってよ……)
軽鎧とはいえ一人で脱がせるのは一苦労だ。鎧と縁のないジータだと余計に。
蒼い鎧には美しい装飾が施されていて、あまり実用的だとは思えない。大戦中に見た下っ端の物と比べても、かなり凝った物だ。
それなりに地位のある者なのだろうか。
隣では、小鳥とミクシードが話をしていた。
「どうかしたのかね?」
難しい顔をする小鳥に青木が尋ねる。
小鳥は顔を向けるだけで、代わりに返事をしたのはミクシードだった。
「それがさー、ことりんがわたしの話信じてくれなくってさー」
「当たり前です」
「でも、現にわたし、言葉喋ってるじゃん。嘘つく必要もないし」
「そうですけど、でも……」
小鳥は何の話を聞いたのだろうか。説明を要求する。
「だから、わたしの故郷の言葉と、ことりんたちの言葉が一緒だって言ってんの」
「ふむ……」
全く異なる世界で、同じ言語が存在する。そんな事が果たして有り得るのだろうか。
広い宇宙から見れば、可能性は十分にありそうにも思える。
だが、そんな事を言ってしまえば何でもありになってしまう。考える事の、真実を追究する事の放棄と同じだ。
「以前にも我々のようにこの世界に誰かが飛ばされて、そこで浸透したという可能性は無いのかね?」
以前、というのは百年単位の話だ。
出現時間にはムラがある。今よりも過去に飛ばされていないという証拠は無い。
百年単位となると少し無理のある話だが、絶対に無いとは言い切れない。
それに、自分たちとは別に、何らかの拍子で過去に日本人がこの世界に来てしまったという事は無いのだろうか。
日本での年間行方居不明者の数は多い。十年ほど前には十万人を記録した年もあったはずだ。一人くらいはいるのでは、と思えてしまう。
普通なら馬鹿馬鹿しいと一蹴する話だが、自分たちは今、この世界にいる。笑って見過ごせる仮説ではない。
「いや、さすがにわたしもそこまでは知らないかな……」
「そもそも、君の故郷とはどこかね?」
「山脈の向こうだよ。南側」
ドナルドの予想は当たっていたらしい。エルゼリック大陸の南にある地、そこの住人がミクシードだ。
「カムラン砂漠でジータと出会って、観光しに一緒について来たの」
ミクシードがエルゼリック大陸に来たのは、なんともお気楽な理由だった。
小鳥がおもむろに地図を広げて、学人の目的地である陸の孤島を指で示す。
「では、ここに行く方法はありますか?」
「ここって……エールディア湖?」
「湖? 海ではなくて湖なのですか?」
「うん、そうらしいよ。昔は海だったっていう伝承もあるけど」
らしい。その言い方に引っ掛かりを覚える。
南の地がどれほどの面積を持つのかは知らない。移動手段の限られているこの世界では、たとえ小鳥たちに狭く感じられたとしても、ミクシードたちには広い。ミクシードも行った事のない場所なのだろう。
そうポジティブに考えたのだが、
「南からは行けないはずだよ」
聞きたくない返事が返ってきた。
湖という事は、つまり最終手段である海路も断たれたという事になる。
小鳥が頭を抱える。せっかく情報を手に入れたのに、学人に何と説明したものだろうか。
項垂れる小鳥を見て、
「あ、そういう意味じゃなくって、湖には行けるんだよ? わたしは行った事無いけど。そこの陸まで行く方法が無いの」
紛らわしい。
だが、希望の光が見えた。
「ミクシードさんは、どうやって山脈を越えたのですか?」
「教えない」
即答されてしまった。
理由を訊いても、それすら教えてくれない。
方法が広まって、こちら側の人間が雪崩れ込むのは好ましくないのだろう。
……。
翌朝、小鳥の元に淳平とドグが訪れた。
頼まれていたものの結果を聞きに来たのだ。
こちらは本当に頭が痛い。なにしろ、残念な報告をしなければならないのだから。
「残念ながら、そのような人はこの都市にはいらっしゃいません」
人探しだ。
淳平とも、京子とも苗字が違う。淳平は彼女募集中だとか言っていたので、恋人という事はないだろう。親戚か誰かだろうか。
もうひとつの調査結果、淳平が提示した住所の場所だけはわかったので、併せて報告する。
「ありがとうございました」
淳平はお礼だけ言うと、踵を返した。
宿に荷物を取りに帰り、すぐに出掛ける準備をする。
『淳平、ドグ。どこに行くの?』
銃の実演をしに行くにしては、まだ朝も早い。大きな荷物を持った淳平を、京子が呼び止める。
『都市の外を散歩。京子ちゃんも一緒においでよ』
散歩。
それにしては大荷物だ。淳平の表情も悲しげだ。
『外? 駄目よ、危ないわ』
『あんまり遠くないし、ドグもいるから大丈夫だよ』
ドグにも勧められ、半ば無理矢理に京子も同行する事になった。
街道を逸れて廃墟の中を歩く。
さすがに警備をする兵の姿も無い。
淳平が足を止めた。
目の前にあるのは、完全に倒壊してしまった一軒家だ。
淳平が荷物を下ろし、中身を取り出す。
「淳平、ここって……」
表札を見て、ようやく淳平の目的がわかった。崩れた家屋の前に、何かを包んだ風呂敷を置く。
静かに手を合わせ、黙祷を捧げた。
「おかえりなさい、門脇さん」




