34.指針
「いーじゃん、超似合うよ!」
学人がショップでいかついスカルのTシャツを突きつけられる。
妹はトゲトゲとしたメタルファッションが好みで、そういった服を学人に着せようとする。
学人としては爽やかなカジュアルが好みなので、毎回全力で拒否する。
「お兄ちゃん暇でしょ? 買い物付き合ってよ!」
暇を持て余した日曜日。妹のその言葉で、学人はモールを連れ回されていた。
二人は本当に血が繋がっているのかと疑うくらい、似ていない。傍から見ると、仲睦まじくショッピングを楽しむカップルに見える。
実際、一緒にいるとよく間違われてしまう。
趣味の合わない店内に自分の居場所を見つけられず、挙動不審気味に妹のうしろを付いて回る。
結局妹の押しに負けた学人は、黒いスカルの服をプレゼントされてしまった。有名デザイナーと店のコラボで、ここでしか手に入らないレア物だそうだ。
隣を歩く妹はかなり上機嫌だ。前に躍り出て綺麗なターンを決めると、学人の方を向いた。
「お兄ちゃんって押しに弱いよね! あたしが店員だったら、色々買わせてるとこだよ」
とびきりの笑顔を見せる妹を前に、自然と幸せな笑みが込み上げてくる。
妹は重度のブラコンだが、学人も大概のシスコンだ。だから余計に、恋人同士に見えてしまうのだろう。
笑顔を崩さないまま、妹が奇妙な事を言い出した。
「ね、かくれんぼしよっか?」
意味がわからない。
広いモールだ。一度逸れてしまえば見つかりっこない。そもそも、モールでかくれんぼをする成人ってどうなのだろう。痛い上に迷惑だ。
「はやく見つけてね。お兄ちゃん」
そう言って、妹が駆け出す。止めようとしたのに、身体が動かない。妹はすぐに人並みの中に消えてしまった。
ため息を吐いて仕方なく探し始める。
「え? 何やってんの?」
妹はすぐに見つかった。なぜかショーウインドウの中に入って、じっと学人を見つめていた。
何かを喋っているが何も聞こえてこない。
笑いながら口をパクパクさせる妹の目尻に、何か赤いものが浮かび上がった。
涙だ。
笑いながら、血の涙を流している。
(あぁ……そうか、これは)
夢だ。
このまま見続けても、ホラーな目に遭うのがオチだろう。
静かに目を閉じて、意識を浮上させる。もう少し妹と一緒にいたい、でも駄目だ。
浮遊感と共に、学人は目を覚ました。
夢の余韻に妹の名残を感じ取り、少し胸が絞めつけられる。
ベッドから身を起こして窓を見る。
外はひっきりなしに降る雨と、屋根から流れ落ちる雨水が石畳を叩いている。都市は霧に包まれて、普段の活気で巻き上げられた埃を洗い流しているようだ。
基本的に外を出歩く人間はいない。たまに外套で身を包んだ警備兵が、足早に道を通り過ぎて行くくらいだ。
今日はこの雨のおかげで、通訳の仕事は休みだ。
雨の音を聞きながら本を読んでいたら、いつの間にか眠りに落ちてしまっていたらしい。
本を閉じてベッドに放り投げる。読んでいた本のタイトルは“女神の庭園”で、前に市場で交換した絵本だ。
この世界では有名なお伽噺で、絵本として簡略化されている。
女神の創ったこの世界にある、何の変哲もない浮遊大陸の話だ。暇を持て余した人間たちが、女神に戦いを挑むといった内容。
皮肉な事に、経緯は違えどそれは現実となってしまったようだが。
このお伽噺は、実際にあった話として信じている者もいる。女神を崇拝する宗教の教科書みたいなものだ。
この大陸の人間で、二年前に起きた創世の女神との戦争を知らない者はいない。眉唾な話だと思っていたのに、それは実際にあった出来事らしい。
ただし、誰が倒したというのは知れ渡っていない。何か意図的に隠されている感じがした。
ヒイロナの話ではそれはジェイクだそうだが、あまり吹聴して回らない方がよさそうだ。
ドナルドは通訳をする学人とヒイロナに対して、律儀にも給料を出してくれている。それも多めに。
そういう契約だったのだから、と一度は断った。しかし、ドナルドも「技術には相応の対価を」と言って譲らなかった。
おかげで生活には困っていない。少し上等な宿を取り、むしろ裕福な方だ。
今日で正式な通訳の仕事は最終日だった。雨のせいで休みになってしまったが。
雨が降ってしまうと、市場からは全ての露店が姿を消す。
他の仕事もほとんどが中止か延期になって、都市全体が休日になる。
この世界には曜日という概念が無く、各々が自由に休みの日を作る。土日祝のような、決まった休日は無い。
学人たちが中継都市に滞在して、今日で丸一ヶ月が経った。この世界での一ヶ月だ。
一ヶ月の間で色々な事がわかってきた。
昇ってくる太陽を目安に、一日の時間を測ってみた。二十五時間だ。
道理で時計が狂うわけだと納得したものの、よく考えればどっちにしろ転移して来たその瞬間から狂っている。鉱山都市では夜中に出現したのだ。日本と同じ様な時間に転移された保証なんてどこにもない。
曜日は存在しないが、暦は存在する。
一ヶ月が大体29日前後あって、一年はおよそ350日、今日は従者の月22日目だ。
四季は無く、他の地域はわからないが、この辺りの気候は一年を通して暖かい。
エルゼリスモア語もだいぶ話せるようになった。今は文字や一般常識などを教わっている。
魔法は結局駄目だった。
色々と試行錯誤をしたものの、うんともすんともいわない。
小鳥にも試してもらっても結果は同じだった。おそらく学人たち、日本人には使えないものなのだろう。そういう結論に達した。
一般常識。これを知っておかなければ、この世界で生きていくのに苦労する。場合によっては命にも関わるかもしれない。
例えば、森林族は十六歳で成人する。人間族は十八歳。獣人族には成人という概念が無い。
というのも、獣人族は幅が広すぎて、成長速度に個人差が激しい。当然、寿命にも大きなバラつきがある。
ドナルドのような鳥の獣人族と猫の獣人族。両者は一見、別の種族に思える。しかし、彼らはそれでも一括りに獣人族という種族なのだ。
鳥と猫。二人の間に子供ができると、一体どちらが生まれてくるのか。
基本的には鳥か猫だ。が、ごく稀に当然変異というのだろうか、全く別の形をした獣人族が生まれてくる事がある。
親が鳥と猫なのに、牛が生まれるといった具合に。
この世界の人間は、遺伝子という概念を捨ててしまったらしい。
道の開拓が終わり、止まっていた交易も再開されている。
ドナルドは信頼できる部下にキャラバンを任せて、都市に滞在し続けている。目的は自衛隊からの知識だ。
燃料や弾丸の問題を聞いて怒るかなと思っていた。だが少し驚いただけで、何も文句を言う事はなかった。本当に理解できているのか不安になる。
他所の都市から来る商人たちの姿も見られるようになり、少しずつ情報が入ってきている。
主なものは出現した日本の話だ。他には凍結湖の氷が溶け始めた、なんていう話もある。
出現した日本の町で見た文字を、見たままにメモして来る者もいる。おかげで、どの辺りにどの市が出現したという事が把握できた。
残念な事に、学人の地元の情報はまだ無い。逆に考えれば、地元は巻き込まれていないという希望もある。
情報を元に、地図へ書き込んでいく。すると、ひとつの事実が浮かび上がってきた。
本来の距離はバラバラになっているものの、位置関係には全く変化が無い。
つまり、学人の地元がどこに出現しているのか、おおよその目星を付ける事ができる。
正直なところ、学人はまだ家族が生きているだなんて思っていない。
でも、せめて亡骸を見つけ出して埋葬したいと思っている。それは危険な事かもしれない。学人がそう考えるのはおかしい事なのだろうか。
目星が付いた事によって、逆にそれすら叶わないのではないか、という絶望感を味わう事になった。
学人の地元は、中継都市ランダルよりもさらに南西。おそらく山脈の向こう側だ。
最初にいた町から見えた、鉱山都市のあった山脈だ。地図によると、エルゼリック大陸を包み込んだ山脈は、そのまま伸びてリスモア大陸を北西から南東にかけて横断している。
山脈の向こう側には巨大な湾が広がっていて、湾と山脈の間に海岸線の様な陸地が少しばかりあるようだ。
下手をすれば山脈に埋もれているか、海に沈んでいるかもしれない。
運良く陸地に出現していたとしよう。問題は山脈の向こう側に行く方法だ。
地図を見る限りでは、山脈を越える以外に行く方法が無い。岩肌が剥き出しで、ほぼ直角の山を越える事はできない。標高もかなり高く、有名なロッククライマーでも自殺行為に等しいだろう。
そんな山脈がどこまでも伸びていて、どう見ても抜けたり、迂回できる場所が無いのだ。
ならば海路は? 無理だ。
この世界には造船技術が全くと言っていいほど無い。
ヒイロナが言うには、この大陸には船が一隻しか存在しない。
それも、大陸と竪琴の島という場所を繋ぐだけの連絡船だ。どういった船なのかは知らないが、外洋航海には厳しそうだ。
そもそも一隻しか無い船をチャーターできるとも思えない。
出発する前から手詰まりだ。ヘリでもあれば山脈を越えられたかもしれない。
駐屯地にあったヘリは、全て破壊されてしまっていた。奪われた一機もどこへ行ったのかわからない。
ここで疑問が浮上する。
陸の孤島と化した向こう側なのに、地図があるのだ。
つまり、何らかの行く方法があって、誰かが行った事になる。
山脈の向こう側の地図を描いた人物は、探索王ラッドラット。大陸では有名な冒険家だ。
学人には、ラッドラットを探す以外に道は残されていないのだが、
『ラッドラットを探すのはやめた方がいい。絶対に見つかんねえ』
ドナルドがそう断言した。
雨でする事のないドナルドが部屋に遊びに来た。
せっかくなので、ジェイクとヒイロナも呼んで、四人でお茶会を開いた。
ドナルドは五月蝿い鳥野郎だが、大商人でもある。幅広い情報を持っているので、相談に乗ってもらう事にした。
『なんでだ? 奴がかくれんぼの天才だって話は聞いた事がねえぞ』
学人に変わってジェイクが尋ねる。
ドナルドは黄色いクチバシで器用に紅茶をすすり、
『ラッドラットって言やあ有名人だ。それだけ目立つんだ。つまり、情報が入ってきてる』
『死んだのか?』
『いや、なんでも山脈の向こうに竜の渓谷を見つけたっつってな。国境都市での目撃情報を最後に行方不明だ。お前らの目的地にいるんじゃねえのか、今頃は』
全員がため息を吐く。
これで、山脈の向こう側へ行く方法が全て潰えた。
少し逡巡を見せたドナルドが、意を決して口を開く。
『いいか、ガクト。これはあくまで俺様の予想なんだが……』
そう前置きをする。
『ミクシードが見た事ねえ種族だって話はしたよな?』
『銀髪で耳が尖ってるっていう?』
おまけに日本語がペラペラの。
『俺様はあいつが南の土地から来たんじゃないかと思ってる』
そう言われれば、前にヒイロナがそんな事を言っていた。アイゼル王国の南には国があるらしい、と。
それと今の話と、何の関係があるのだろうか。
『ひょっとしたら、南の国から進入できる方法があるんじゃないか?』




