102.暴走
国立魔術図書館。名前こそ図書館だが、施設の目的は魔法やそれに準ずる現象の研究である。
もちろん図書や資料の保存も行われているものの、一般公衆の利用は一切認められていない。
特に重要な書物に関しては地下室で厳重に保管されており、ごく一部の人間にしかその存在を知られていない。
その地下室にはさらに先がある。
中に入る事が許されているのは国王ただ一人。そこでは、第一次女神大戦……つまり、お伽話の元となった出来事を記録した本が所蔵されている。多くの人間が遺した記録をまとめた物で、著者として四人の名前が記されている。
一人はフールース・エイルヴィス・ノースウッド。
一人はジェイク・エイルヴィス・イーストウッド。
一人はサンポーニャ・エイルヴィス・ウェストウッド。
一人はカウヴェル・エイルヴィス・サウスウッド。
生命の魔力の生成方法についても記述があり、禁断の魔術書として当時の所有者であった初代国王によって封印された。彼がなぜそんな物を所持していたのか。詳しい経緯は明らかになっていない。
これはジェイク・エイルヴィス・イーストウッド本人の記録のひとつである。
――死んでも死なない。傷口から新しい物が生まれて、制御できずに暴走を始める。
――超再生魔法は目的を果たすとも言い難く、失敗に終わったと言える。味方にも甚大な被害が出た。俺たちはこれを“生命の暴走”と称し、一切の使用を禁じた。
――敵陣の真っ只中に投入すれば、戦況の一変が期待できるなどという声も上がった。だが、術を施された者は苦痛を叫びながら暴れまわる。こんな事のために多くの人間を犠牲にしたわけじゃない。
シャーウッドを見下ろすアルテリオスの顔に感情は無かった。害虫を駆除した時のような、僅かな嫌悪すら垣間見る事ができない。
学人はシャーウッドがどういった人間だったのか、全くと言っていいくらいに知らない。だが、アルテリオスとジェイクとは同期だと言っていたので、アルテリオスは付き合いが長いはずである。
心中を知る由もないが、少なくともジェイクは哀れみの目を向けていた。だのに彼には何も無い。
今までどこで何をしていたのか。そんな疑問より先に出たのは、アルテリオスを非難する激情だった。誰も死ななければそれに越した事はない。それがただの幻想だなんて、さすがに学人も頭では理解している。
許せないのは非情さだった。
さっきはついカッとなってジェイクを責めてしまったが、学人を……仲間を思っての結果だ。あくまで可能な範囲でだが、それでもジェイクやペルーシャは学人の思いを汲み取って、歩み寄りを見せてくれている。
生きてきた環境が違いすぎる。以前に感じた“本当に分かり合える日なんて来ないんじゃないか”という不安を払拭しようとするかのように。
まるで虫でも殺すかのように、旧友に手をかけたアルテリオスを学人は許せなかった。ジェイクやペルーシャの努力を嘲笑われている気がした。
『ガクト様、血が!』
渦巻く感情が噴火する寸前、学人の耳に入ったのは心配そうにするソラネの声だった。その後ろにはワッツの姿も見える。
身を起こすやいなや体を抱きとめられる。
退避していた兵士たちが取り囲む動きをしていたが、学人には今はどうでもよかった。
『ひとつは儂を裏切った。もうひとつはヴォルタリスも裏切った』
睨み付けてくる学人を見て、アルテリオスが静かに口を開く。
『儂は刑を執行したまでじゃ。ガクトよ、死刑執行に大切な事とは何かわかるかの?』
『無である事じゃ。同情、迷い、恐怖、快楽……いずれもあってはならん。時にはそれが死刑囚に苦痛を与えてしまう。そればかりか執行する本人にさえ悪い影響を及ぼす』
アルテリオスの言わんとしている事はわかる。感情が邪魔をして、執行が失敗した時の話をしているのだ。アメリカの処刑方法が電気椅子だった時代、質の悪い看守がわざと失敗させたという記録もある。
学人が憤慨している理由を読み取ったのだろう。「お主の世界に死刑は無かったのか?」と訊かれると、学人は脱力した。日本人だって九割近くの人間が死刑に肯定的だし、学人も極刑は仕方のないものだと思っている。
この世界での“法”はあまりよく知らない。領によって法は変わってくるし、それどころか騎士団や家族によっても細かく変わってくる。街中での殺人は許されないのに、それ以外の場所でなら許される場合もある。ヒイロナやジェイクから習っていても、つまり、よくわからないというのが現状である。
アルテリオスは何らかの法に則って、あくまで職務の一環を遂行したに過ぎないのだ。それを証明するように、近衛兵たちは気にも留めていない。
学人がこの件に関して口を挟むのはお門違いである。
スマホを拾い上げてアラームを止める。近衛兵の包囲が完了していて、ジェイクもいつの間にか側に来て睨みを利かせている。
数は二十以上。それだけではなく階段の上でも守りを固めている。蹴散らして進むには多すぎる人数だ。
一点突破を狙うよりは一旦廊下に退く方がいいのだろうか。学人が目を走らせる。
『ペルーシャ?』
学人のハッタリを真に受けたのか、どこにも彼女の姿が無い。
『アルテリオス様、お下がりください。さもなくば貴方も敵として認識させていただきます』
近衛兵の一人が言った。
『お主らには無理じゃ。それよりも魔獣を警戒するとよい』
『全員、アルテリオス様と賊を捕ら――』
号令が不自然に途切れる。
次に、学人の足下に潰れた頭が転がった。頭を失った兵士が血の噴水を上げて崩れ落ちる。
兵士の唐突な死を理解できた者はいなかった。だた一人を除いて。
『テリー、ワッツ! その死体から離れろ!』
いち早く反応を見せたのはジェイクだった。
その死体――シャーウッドの一番近くにいたワッツは、疑問を口にする事もなく、言われた通りにその場から飛び退く。
その間にも一人、また一人と近衛兵が薙ぎ倒されていた。
『下がれッ!』
誰ともなく叫ぶと、硬直していた空間が弾けたように動き出した。
柱の付近から太い触手が伸びていた。兵士の一人に絡み付くと、強力な力で、まるで木の枝を折るかのように二つ折りにしてしまった。断末魔と共に血の雨が降る。
『いたい……いたいよぉ、ゴボ』
触手の根元から女の苦しむ声がする。
『痛い痛い痛い痛い痛い痛いいいいぃぃぃ!』
死んだはずのノアが絶叫していた。
致命傷になった首が何倍にも腫れ上がって、木の幹のようになっている。矢傷から生えた一本の触手を振り回すと、血煙が上がった。
『なんだあれは!』
近衛兵の間に動揺が広がった。
彼らの仕事は城内警備だけでなく、時には領都周辺の魔獣を駆除して回る。危険な逸れ魔獣が出た時などは、特に彼らが活躍する場面だ。
他の都市では傭兵が討伐に向かうのが一般的だが、ここ領都では基本的に練度の高い近衛兵が行う。
戦闘技術だけでなく、魔獣に関する知識にも明るい。突然なメデューサの出現にも迅速に対応していた。そんな彼らでも驚愕するほどの異形な姿だった。
変わり果てたノアの姿を見て、ジェイクの心拍数が跳ね上がる。
あれは、今ではもう失われた超再生魔法だ。十中八九ノットの仕業なのだろうが、決して簡単な魔法ではなく、知っていなければできる事ではない。
あの本の内容が漏れたのではないか。その懸念が持ち上がる。
ほどなくシャーウッドの肉体が痙攣を始める。
アルテリオスが動いた。
手にしたままの剣を振り上げる。
『テリー、やめろ!』
ジェイクが制止するも、シャーウッドの頭が叩き割られる。
脳さえ破壊してしまえば、ああはならないと判断したのだろうか。しかし傷口から膿のような物があふれ出し、どんどんと大きくなっていく。
それは甲殻の鎧を持つ何かへと変貌すると、ジェイクに襲いかかった。
ジェイクは正面から受けて立とうと双剣を構える。
『ジェイク、駄目だッ!』
学人の叫びにジェイクは間一髪の所で身を翻した。直後に床が崩壊した。凄まじい打撃音が鳴り、石材が粉々になって飛び散る。
シャーウッドだったモノの姿はどう見てもシャコだった。ほんの数十センチのものでも、そのパンチは二十二口径の拳銃にも匹敵すると言われている。優に数メートルはあろうかというシャコパンチを食らえば命は無いだろう。
『こいつらは死なねえ、走り抜けろ!』
何も考えている暇は無かった。
ジェイクがシャコの気を引いているうちに、階段へと一直線に走る。すると、シャコは急に標的を変えて、学人を追い始めた。
学人が咄嗟に対応できるはずもない。機転を利かせたのはワッツだった。
運良く転がっていた鉄盾でシャコの突進を受け止める。シャコに盾を掴まれ、慌てて手を離す。次の瞬間には大穴が空いていた。
ジェイクの怒声が飛んだ。
『俺が相手をする! お前らは先に上がれ!』
『いいえ、先に行くのはジェイク様の方ですわ。ワッツ様!』
『おう!』
ソラネの鞭が巻き付いた。
ワッツはその鞭を受け取ると、逆方向に駆け出す。
シャコは引っ張られると、それに腹を立てたかのようにワッツに標的を定める。
『ここはわたくしどもが引き受けます』
『わかった。あいつらは極力傷付けるな、傷口から変貌する。体内の魔力が尽きれば動かなくなるはずだ』
『……承知致しました』
階段を見上げると、上でも大騒ぎになっていた。新たに魔獣が出現していたのに加え、どさくさに紛れてペルーシャが大暴れしていたのだ。
羽交い絞めにされながらも元気な蹴りが飛んでいる。何人かが階段を転げ落ちていた。
『突っ込むぞ!』
渦中に飛び込む。
新たな勢力の加わった乱闘騒ぎはさらに混沌と化した。
兵士を殴り倒してペルーシャを救出すると、そのままさらに階段を昇る。




