101.草食動物の反撃 3
ペルーシャは唇を噛んだ。
予想していたのにもかかわらず、まんまと学人を人質に取られてしまった。
何かあれば有無を言わさずに切り裂いてやるつもりだった。なのに、魔獣から逃げ切った安堵感から、気を緩めてしまっていた。
シャーウッドは壁に背を向けて、堅牢な盾としている。少し距離を置いて、ノアが学人に弩の狙いを定めている。
いかに俊敏なペルーシャと言えど、同時に二人を始末できる距離ではなかった。
『お前も下がるんだ!』
ジェイクと連携が取れさえすれば、救出の芽があるかもしれない。だが、何の打ち合わせもなく以心伝心できるほどの信頼関係は無い。
ペルーシャは仕方なく、ゆっくりと後退した。あまりシャーウッドを刺激するのは危険である。そうせざるえなかった。
『最初っからこういうつもりだったの?』
学人は至って落ち着いた様子だった。今までを顧みればわめいていても不思議ではないのに、ペルーシャの警告が効いていたのだろうか。
学人の問いかけにシャーウッドは答えない。
動揺を見せたのはむしろ、ジェイクを取り囲んでいる近衛兵たちだった。
『剣を捨てろと言ったんだ、ジェイク! こいつがどうなってもいいのか!』
再度の警告を発する。
ジェイクは失望の表情を見せると、両手の剣を手放した。
『シャーウッド、お前がそんなにヴォルタリス大好きとは知らなかったぜ。俺はてっきり――』
『黙れッ!』
怒声が会話を掻き消す。
言葉を交わす意思は見受けられない。もっとも、ジェイクが口を開いたところで、軽口に付き合わされるだけだ。シャーウッドもそれがわかっている。
『おい、今のうちにやれ!』
近衛兵に命令する。だが、彼らの矛先はシャーウッドに向けられた。
『キサマ、何をしているのかわかっているのか!』
近衛兵は囲いを崩さないながらも、標的をシャーウッドに変えていた。
怒りを爆発させる近衛兵に対して、学人は困惑した。第三者の視点からすれば、シャーウッドの行為はファインプレーとも思えた。
ここまで行動を共にしたのは、無駄に抵抗されるのを嫌ったのだろう。暴れる人質を連れて歩くのは骨だ。しかも、ペルーシャという仲間もいるのだから尚更だ。
味方であると認識させ、楽に移動ができ、ここぞというタイミングで容易に人質にできる。不意を突かれたおかげでペルーシャも手を出せずにいる。
だが、人質を盾に、という手段は誰も望まない。
卑劣な行為を嫌うこの大陸で、それは許されざる行為だった。
正々堂々。武人は皆これが当然であるし、誇りでもある。盗賊やお尋ね者に対してはその限りではなく、奇襲をかける事はあれど、人質を取るという真似だけは絶対にしない。
それは弱い者がする行為であり、矜持がそれを許さない。君主の顔に泥を塗るどころか、糞を塗り付ける行為に等しい。
今この場には学人たち以外に部外者がいない。使用人もいなければ、役職の誰かがいるわけでもない。いるとすれば、せいぜい魔獣の死骸くらいなものである。
始末さえ完璧にしてしまえば、この出来事が外に漏れる事は無い。しかし、一度地に落ちた誇りは取り戻せないだろう。
事実を闇に葬ってしまったとすれば、その機会は永遠に失われる。
シャーウッドによって掌握された空間は、誰も身動きが取れずに、完全に硬直してしまっていた。
『チッ、腑抜け共め!』
動こうとしない近衛兵を見て悪態をつく。
『ジェイク……俺もノアも、ずっと後悔してたんだ。あの時、お前じゃなくて、ミリアンと剣を取るべきだったんじゃないかってな』
『ふーん』
当事者にしかわからない話が始まった。
ジェイクは興味無さげに、取り出した煙草に火を点ける。
『おい、何をしてる、やめろ!』
『なんでだ、ここは禁煙か? だったら今度からはそう書いておいてくれ』
『お前はいつもそうだ、いつもそうやって!』
『くだらねー子守歌が始まったんだ。一服くらいさせろ』
『な……ッ!』
ジェイクの態度にシャーウッドは絶句する。その二人に割って入ったのは学人だった。
『お取込み中悪いけど……いいかな?』
学人の手にはスマホが握られていた。
タスクを素早く切り替えると、大きく数字の表示されたアプリが呼び出される。
『ジェイク、ペルーシャ、今までありがとう。逃げてくれ』
そう告げて“開始”と書かれたボタンをタップする。
すると、数字が動き始めた。
『なんだそれは……?』
『何って数字だよ。さっき教えたろう? 実はこれ、松明なんかじゃないんだ。僕たちは魔法を使えないし、弱い。だからこうやって、みんな奥の手を持っているんだ。これは秒読みって言ってね、ゼロになったら爆発する』
その場にいる全員が青ざめた。
異人の未知なる道具である。それが虚言か真言かだなんて判断する材料は無い。
僅かに拘束を緩めたシャーウッドを、学人が逆に捕まえる。
『これ以上の足手まといはごめんだ! 君はここで僕と死ぬんだ!』
『な……離せッ!』
踵で床を蹴って、背中で思い切り押す。急な抵抗を見せた学人と“爆発物”に動揺したのか、シャーウッドは足をもつれさせて転倒する。
必死にしがみつく学人の顔に、拳が飛んだ。
『離せ! この野郎ッ!』
殴打され、鼻血を垂れ流しながらも、学人は決して力を緩めない。
『に、逃げろ!』
その姿を見た近衛兵が恐れおののく。死にもの狂いの形相は、相手を道連れに死を覚悟した者の迫力があった。
この男は本気だ。そう察知してある者は柱を盾に、ある者は上階へ。散り散りになって退避を始める。
『ノア、ノア! 何をしてる! 早くこいつを……ッ!』
どうやっても学人は離れない。自爆に恐怖したシャーウッドが助けを求める。
しかし、その懇願にノアは応える事ができなかった。
『シャ……っド……』
ノアから言葉にならない声が漏れる。胸に矢を突き立てて、力無く柱にもたれかかっていた。
喉の筋肉が弛緩して、高い死の喉声をあげる。
ノアからしてみれば何が起こったのかわからなかった。突然に胸が熱くなり、急速に力が失われていった。横目にジェイクを見張っていたが、弓を構え、矢をつがえ、狙いを定めてから発射する。この動作が全く認識できなかった。それほどの早射ちである。
『ノ……』
シャーウッドは言葉を詰まらせる。視界を転じれば、いつの間にかジェイクが弓を手にしていた。
心臓を狙っての正確な一撃。きっと何の躊躇も無かったのだろう。どんな名手でも、心に迷いが生じればここまで正確に射抜く事は難しい。
その瞳には哀れみの色が浮かんでいた。
忙しない動きを見せていたスマホの数字がゼロを数える。
石造りの城内には似合わない、電子音が虚しく鳴り響いた。シャーウッドを含め、もはや誰一人として動く者はいなかった。
『お前らはどっちにしろ、あの時には死んでたのかもな』
紫煙を吐き出しながら、ジェイクがそう呟く。
ようやく手を離して立ち上がった学人が見たものは、既に事切れているノアの姿だった。
殺す必要があったのか。真っ先に浮かんだのはその疑問だった。
ジェイクに負けたのであろう近衛兵たちは、深手を負った者もいるものの、呻き声を出して転がっている。誰一人として死んでいない。
その数は十人以上だ。それだけの人数を相手に、手加減の余裕があった。
『なぜ殺したッ!』
ノアに対しても、無力化するに留められたはずだ。
ジェイクに掴みかかって責め立てる。
『お前のその考えは大陸には無い物だ。この先俺たちに必要な物は……それなんだと思う』
障害は殺して排除する。
女神がいなくなり、戦争も鳴りを潜めた。情勢がもう少し安定すれば、新しい時代を迎えるだろう。
到来する新しい時代では、その思想はあってはならない負の遺産であると考える。それでは結局、また同じ歴史を繰り返してしまうからだ。
これはジェイクの憶測でしかないが、きっと多くの人間がそう考えているのだろう。だから結果として、以前のような戦争が起きていない。
この国は新しい思想を取り入れていかなければならない。しかし、それでも。
『もし生かしておいた奴が誰かを殺したら、それは誰が殺した事になるんだろうな。やった奴か? それとも危険を承知で見逃した奴か?』
二人がヴォルタリスの名の下に、龍の影として取った行動だとは到底思えなかった。形振り構わずに人質を取った事から、それは明白である。
おそらくノットに何か吹き込まれでもしたのだろう。二人の心中がどうあるのか知らないが、放っておいては何をしでかすかわかったものではない。
『いいか、ここはお前の国じゃあ、世界じゃあねえ。どんな状況でも自分の信念を押し通すお前には敬意を払う。だがな、曲げなきゃいけねえ時もわきまえろ』
声を荒げるでもなく、ジェイクが淡々とそう語る。
果たしてジェイクの言う状況に陥った時、本当の意味で殺したのは誰になるのだろうか。そしてその時、学人は自分を許せるのだろうか。
学人にはその答えをすぐに導き出せずに、押し黙るしかなかった。
『簡単な話じゃ。殺したのは見逃した阿呆に決まっておろう』
唐突にしわがれ声が横やりを入れる。
『シャーウッド、アルテリオスの名において裁きを下す。お主の罪はその命を以って償われる』
シャーウッドの剣を手にした老人がそこにいた。
『アルテリオスさん?! 何を!』
学人が止める暇もなかった。
刃は無情にも、シャーウッドの喉を貫いた。




