第1話―前書き―自分への誕生日祝い
親愛なる佳凝へ
誕生日おめでとう。
……たぶん今の君は、「誰だよ、お前」って思ってるよね。
「会ったことあったっけ?」って。
君はまだ私に会ったことがない。
でも私は、一年前に鏡の中で君を見た。
そう。
私は一年後の君だ。
信じられないよね。
まあ、昔の私も信じてなかった。未来の自分が、過去の自分に手紙を書くなんて。そんなの、馬鹿げてるし、子供っぽい。
それでも私は、この手紙を書くことにした。
どうしても、書かなきゃいけない理由があったから。
この手紙には、誕生日を祝う以外に、二つの意味がある。
一つは、これから君に起こることを、少しだけ伝えるため。
もう一つは――
今まで、本当にお疲れさま、と伝えるためだ。
……なんだか、ちょっと気持ち悪い言い方になっちゃったね。
でも、本当にそう思ってる。
君はずっと、よく頑張ってきた。
覚えてる?
二〇〇九年の夏。
君は中国を離れ、家族と別れ、一人で日本へ渡った。
まさか、そのまま十五年も居続けるなんて、自分でも思ってなかったよね。
その間、いろんなことがあった。
傷ついて、遠回りして、嬉しいことも苦しいことも、たくさん味わった。
それでも君は、一度も夢を捨てなかった。
前に、友達との飲み会でこんなことを言ってたよね。
「お金ができたら仕事辞めて、家で小説を書くのが夢なんだ」
そうしたら友達に、「じゃあ今書けばいいじゃん」って言われて。
君は笑いながら、
「いやいや、今そんなことしたら普通に餓死するって。やっぱ現実見ないとさ……」
って返した。
半分冗談みたいに言ってたけど、私は知ってる。
あの言葉には、未来への憧れと、今を生きる苦しさが、ちゃんと混ざってた。
少しだけ、胸が痛かった。
でもね、私は君にこう言いたい。
「現実を見る」っていうのは、夢を後回しにすることじゃない。
立ち止まることでも、諦めることでもない。
夢を、現実の中に溶かしていくことなんだ。
たとえ不格好でもいい。
平凡な毎日の中に、その影を残し続けることが大事なんだと思う。
……まあ、こんな話をしても、今の君にはたぶんピンと来ないよね。
じゃあ、別の話し方をしようか。
私が質問するから、君が答える方式。
君は「お金ができたら小説を書く」って言った。
じゃあ、その「お金ができた状態」って、具体的にいくら?
ちゃんと数字で決めてる?
それから、何年何月何日までにその金額を稼いで、仕事を辞めて、小説を書くつもり?
……いや、だめだ。
こういう言い方、絶対よくない。
たぶん一年前の私は、こんなこと言われたら、
「こっちはこんなに頑張ってるのに、なんでそんな責めるようなこと言うんだよ」
って思ってた。
「残酷すぎるだろ」って。
ふふ、まあ、そうだよね。
……じゃあ、もう少し違う言い方をしよう。
関係ない話だけど、私は昔から、自分に甘すぎる。
その悪い癖、もう治ったと思ってたんだけどな。
どうやって伝えればいいんだろう。
――そうだ。
結局、君には励ますのが一番いい気がする。
そのほうが、きっとちゃんと伝わるし。君の、あの無駄に傷つきやすいプライドも傷つけずに済む。
だから、はっきり言うね。
もし今、仕事を辞めたとしても。
人は、そう簡単には餓死しない。
だから、もっと大胆に生きていい。
そんなに怖がらなくていい。
どうして私がこんなことを言うのか。
今から、その理由を教える。
今日は君の誕生日だ。そして十二日後――
二〇二四年四月十九日。
君は突然、脳出血で倒れる。
病院に三十日入院することになる。
そのうち十日間はICU。しかも開頭手術を二回。
その間、君は今まで見たこともない景色を見る。
想像したことすらなかった世界を見る。
安心して。後遺症は残らない。
退院した後も、君は今と同じように生きてる。
むしろ、今よりもっと空想ばかりする人間になる。
昔から願ってたよね。
「未来の自分が突然現れて、まだ起きていないことを教えてくれたらいいのに」って。
ほら。
叶ったじゃないか。
それに君は、「ある日突然、人生が全部変わってしまえばいいのに」とも思ってた。
その願いも、あと十二日で叶う。
前日の夜まで、君は自分の小さなベッドで眠ってる。
でも次の日の午後には、ICUのベッドの上だ。
……ごめん。
ちょっとブラックジョークだった。
でも、ここからの話はちゃんと聞いて。
ICUに入ったら、自分を哀れむことばかり考えないで。
ちゃんと周りを見て。
そこにあるのが、本当の世界だから。
退院後、君は半年以上、重いうつに苦しむことになる。
何度か、この世界からいなくなる方法も試した。
でも全部、失敗した。
そのうち君は、自分自身を疑い始める。
「自分は、何をやっても失敗する人間なんじゃないか」
そう思って、全部の自信を失う。
カーテンはずっと閉めたまま。
部屋の中はいつも暗い。
君は、光が怖くなる。
太陽に照らされたら、もっと残酷な何かを見せつけられる気がして。
食事も、一日一回。
ひどい時は二日に一回。
……だからさっきも言ったでしょ。
人間、そう簡単には餓死しないんだって。
経験談だよ。
君は椅子の上で身体を丸めながら、何度も同じ問いを繰り返す。
「どうして手術台で死ななかった?」
「どうしてまだ生きてる?」
「生きて、何をすればいい?」
「そもそも、あの時もう死んでいて、今ここにいる私は別人なんじゃないか?」
答えは、ずっと見つからない。
でもある日。
いつだったかは忘れたけど、君は突然、別の方向から考え始める。
もしかしたら。
手術台の上で死んだのは、“あの人”だったのかもしれない。
今ここにいる私は、その人じゃない。
同じ病院で、新しく生まれた別の人間なんだって。
ただ少しだけ違うのは、前世の記憶を持ったまま生まれてきたこと。
だから、生まれた瞬間から、自分が何をすべきか知っていた。
――あの人の夢を、叶えること。
家で、小説を書くこと。
そして翌年の二月。君はやっと、「自分がやりたいこと」を見つける。
……いや。正確には、「それでも、まだやりたかったこと」を。
何を書いたのかについては、今はあまり話したくない。
でも大丈夫。
君はきっと、自分でそこに辿り着く。
だから、自分を信じて。
怖がらずに、やってみて。
これは君のためだけじゃない。
私のためでもある。
君が救われなければ、私は救われない。
だから私は、この手紙を書かずにはいられなかった。
いつか君が、
「生きていること」と、「死んでいないこと」は違うんだと、
ちゃんと理解できますように。
そして、この手紙が本当に君の元へ届きますように。
それが、私の誕生日の願いです。
最後に。
君の成功を、心から祈っています。
佳凝
二〇二五年四月七日




