家族との思い出
俺が産まれたのは熊谷の病院だった。
母さんは病弱で、俺が産まれる直前も、何度か危険な状態になりながら、俺を産んでくれた。
母さんはとても心の優しい人だった。
俺のために毎日ずっと一緒にいてくれて、嫌な夢を見た日もすぐ横にいてくれて。
時々ドジなところもあった。それでも、俺にとってかけがえのない家族だった。
そんな母さんを襲った最初の悲劇は、実の夫だった。
母さんの夫、つまり俺の父となる存在。爺ちゃん曰く、あの人はどうしようもない人だったらしい。
俺が生まれる直前、あの人はろくに母さんに会いに来なかった。
母さんが危険な状態になっても、あの人は一度も来なかった。
そもそも、あの人が母さんに会いに来たのは一ヶ月の間でもせいぜい二、三回程度だったらしい。
不審に思った爺ちゃんが調べた結果、案の定浮気していたらしい。
それがわかったのは、俺が産まれてちょうど二、三日経った頃だった。
しかもその頃には、浮気相手との子も生まれる直前だったらしく、あの人は早々に行方をくらました。
流石に一人だと俺を育てるのは難しかったらしく、母さんは群馬の爺ちゃん家に戻って、生活を再開し始めた。
爺ちゃんは頑固で怒りっぽい人だった。
少しいたずらしただけですぐに怒鳴ってくるし、ルールに厳しい人だったからマナーにうるさかったし、あといびきもうるさかったし…だけど、あの人も優しい人だった。
全部、俺のことを考えてやってくれたことだった。
俺はそんな二人のもとで育った。
あの頃は本当に幸せだった。全てが眩しかった。
輝いていた。
そんな生活が続いて、俺が小学二年生になった頃…大体八年前だろうか。
その頃になると、母さんがよく家を出るようになった。
三時過ぎに家を帰ると、入れ替わりで母さんが車で出かけていって、六、七時で帰ってくるようになった。
俺も爺ちゃんも、母さんが何をしているかはわかってなかった。
最初、爺ちゃんは新しい婚約者を探してるのではないかと疑ってたらしいが、違ったらしい。
ただ、埼玉まで行っていたことだけは、母さんのナビを見てわかった。
ある日、ふと気になったので夜ご飯の時に聞いてみた。
「ねえ、ママ最近どこ行ってるの?」
「え?えっと…それはね…」
母さんが返答に困っていると、
「ワシも気になっていたところじゃ。まさか、怪しいバイトをしてるわけではないだろうな」
「まさか。実はなんだけど…」
母さんは一息置いてから俺たちに言った。
「三月頃、川越にある児童相談所から電話が入ってね。あの人が産んだ子なんだけど、どうやら虐待されてたらしくて年始のあたりに保護されたらしいの。その子、虐待がトラウマになっちゃったらしくて、施設内でも引きこもってばかりらしくて…ダメ元でどうにかできないって頼まれて、それで通ってたの」
少し沈黙が訪れたあと、爺ちゃんが机を叩いた。
「なぜ、それを話さなかった?」
「やっぱ、あの人の子って聞くとお父さん嫌かなって…こっそり行って置いたほうが良いかなって…」
「ふざけるな!」
爺ちゃんが怒鳴った。
「何故お前はまた一人で抱え込むんだ!あの時にその癖はやめろといっただろう!」
母さんは責任感の強い人だった。離婚の時も自分を責めすぎてしまい、それに加えて出産直後のストレスでかなり病んでた時期があったらしい。
「はよワシに言わんか!少しは手伝ってやったのに!」
「でもお父さんもう免許は返納しちゃったでしょ?」
「そう言うことじゃない!お前はワシの家族じゃ!」
爺ちゃんはそう言ったあと、少し息継ぎをして言った。
「…どうせ養子にするつもりなんじゃろ?ならワシの家族も同然じゃ。家族のことなんだからワシにもなにか手伝わせてくれ」
その話を聞いてた俺は、言葉の意味はわかってなかったが、なんとなく言った。
「もしかしてお兄ちゃんになれるの?」
母さんは少しきょとんとしてから言った。
「なれるよ。もう少し、時間はかかるけど、そう遠くないうちにね。そしたら、優しくしてあげるんだよ?」
「うん!」
それから、母さんは更に時間をかけて訪問した。爺ちゃんが家事の一部を担うことにしたので、母さんの負担は対して変わらずに済んだ。
母さんはいろんなことを教えてくれた。
その子が女の子なこと。おとなしい子だということ。
それから、少し話しかけてくれたこととか、作ってきた料理を食べてくれたこととか。
姿は見たことなかったが、想像するだけでワクワクしていた。
あの頃の母さんは、俺と関わっているときよりニコニコしているように感じた。
妬けていたわけではない。むしろ嬉しかった。
いつも一緒にいる時とは少し違う、ある意味で本当に幸せな笑顔だった。
それから四カ月が経ち、ついに彼女が正式に我が家に来ることになった。
そして遂に来たその日、母さんはその子を迎えに行く予定だった。
しかし―――
「39.5度。…流石に運転させられんな」
母さんは彼女を迎えに行く前日に体調を崩してしまった。
当日になっても体調が改善することはなく、母さんは苦しい顔をして横になっていた。
爺ちゃんは電話で施設の人と話していた。
『どうしますか?』
「…仕方ない。また別の日にしてもらおう…」
「お父さん、駄目」
「しかし…」
こんな状態で迎えに行けるわけがないのに、母さんは無理に行こうとしていた。
その度に爺ちゃんが母さんを布団に戻す。
『…どうしても、というのなら職員をそちらへ向かわせましょうか?ちょうど空きの職員がいるので』
「大丈夫なんですか?」
『無論、そちらさえ良ければですが…こちらは問題ありませんよ』
「なら、それでお願いしていいですか?申し訳ないのですが…」
そんな会話を、母さんと施設の職員が電話越しに交わしていた。
『早ければ四時すぎには着けると思います。動きは逐一連絡いたしますね』
そう言って電話は切れた。
母さんは熱に魘されながらも、楽しみに待っていた。
俺もそうだった。家族が増える。そのことも嬉しかったが、何よりも母さんと、爺ちゃんと一緒に過ごす日々を考えると、楽しみで落ち着くことができなかった。
きっと爺ちゃんもそうだったのだろう。ここ数日、物置の奥からレトロなおもちゃを取り出すなどしていた。
みんなが彼女との新しい生活を楽しみにしていた。
それなのに―――どうして、ああなってしまったのだろうか。




