マナなし術師は覚醒する
「……あれ、ここは?」
目をあけると、茶色い木の天井が視界に入った。
「ようやく目を覚ましおったか、ハイド」
体を起こしたタイミングで、ブラックウルフを両断しまくっていた老兵と目があう。
「ここはワシの家じゃよ。あのあとオヌシは気を失ったように眠ってな、よほど気を張り詰めておったんじゃろ……にしても、あんなモンスターを野放しにするなぞ、あそこの管轄の魔術師は何をしておったんじゃ。それに比べてハイドよ、オヌシは見事なもんじゃ」
窓の外はとっくに日が落ちていた。
軽く五時間以上は眠っていたらしい。
「……すみません。先ほどは助けていただいて、ありがとうございました。それに家まで連れてきてもらって、なんてお礼を言っていいのか」
「気にせんでいい。ってそうそう、オヌシが寝ておるあいだにな、オヌシが助けた女の子がお礼を言いに来ておったぞ」
「そうだったんですか! ……無事でよかった」
「自分自身を誇ってやると言い。そうそう、その女の子じゃが、エルシー・テティスと名乗っておった。オヌシが起きるまでいるー! と言っておったが、家族に連れていかれてしまってのぅ。あとオヌシの名前も伝えておいた。可愛い子じゃったのぅ」
「は、はあ……」
老兵はにやにやと笑っているが、反応に困る。たしかに可愛かった気がするけど、あのときの俺にそんな余裕はなかった。
それに、あの銀髪の女の子……エルシーはテティス家の子だったのか。
テティス家はオベロン家と肩を並べるほど優秀な魔術師一家だ。家族と一緒ならエルシーは確実に無事と考えていいだろう。
いや、いまとなってはブラックウルフの討伐をサボるようなオベロン家が、優秀と言っていいのかは微妙だけど。
「あなたのお名前を聞いてもよろしいでしょうか?」
「ワシか」
首肯して返すと、老兵はゴホンとわざとらしい咳ばらいをして、長い白ひげをさすりながら低い声でつぶやいた。
「──アルディナクだ」
無駄にイイ声だった。ついでに表情もなんかキリッとしていた。
さっきまでニヤニヤしてたのに、ここだけカッコつけたかったのだろうか。
またも反応に困りながらも、俺は気になったことを聞いてみた。
「……アルディナクさんは、どうして俺を助けてくれたんですか?」
アルディナクさんは窓の外を見つめたまま黙っている。
「すみません、言いたくないなら別にいいんですけど……」
「いや、そういうわけではない。ただ、あまり明るい話ではなくてだな……それでも聞きたいか?」
なんとなく、アルディナクさんは誰かに話を聞いてもらいたいように感じた。
はい、と返事をすると、アルディナクさんはゆっくりと話し始めた。
「もう三十年以上前じゃが、ワシは目の前で妻を失った。モンスターに襲われてな。娘にはお父さんが魔術を使えたらよかったのにと言われてのぅ」
ワシが使える魔術はこれだけじゃと言って、アルディナクさんは人差し指の先に、ロウソクのような小さい火を浮かべた。
「マトモな魔術が使えないならと剣術を磨いたが、結果はこの有様じゃ。妻も助けられず、娘には逃げられ、仇のモンスターも見失った。いまじゃここでひっそりと隠居生活をしておる」
「…………」
「オヌシも知っておるとは思うが、この世界では魔術がすべてじゃ。森羅万象の理を根底から覆す魔術の前では、剣術、槍術、弓術、斧術──あらゆる武術は児戯に過ぎない」
アルディナクさんは人差し指の火を消して、どこか寂しそうに笑った。
「じゃが、ワシと違ってオヌシはエルちゃんを守った。良い剣術じゃったよ」
「俺だってアルディナクさんに助けられました」
「オヌシの気迫のこもった大声が聞こえたからのぅ。児戯と評される剣術も、少しは役に立ってくれたようじゃ」
児戯、なんてアルディナクさんは卑下するけど、俺にはそんなふうに見えなかった。
思わず立ち上がって、アルディナクさんの目を真っすぐに見る。
「アルディナクさん──俺に剣術を教えてくれませんか」
アルディナクさんは一瞬だけ目を丸くしたものの、すぐに呆れたように息を吐く。
「ワシの話を聞いておらんかったのか。剣術なぞ学んだところで、魔術の前では無意味じゃ。せいぜい小型のモンスターから身を守れるようになるくらいで、労力に見合った対価は得られん」
「俺は魔術が使えないんです。人差し指に火を浮かべることすらできません」
それから俺はここまでの成り行きを話した。
魔術師一家であるオベロン家の生まれながら、じゅうぶんにマナが育たず魔術が使えないこと。十歳を過ぎても魔術が使えず、十一歳になった今日、オベロン家を追放されたこと。
話し終えるまで黙って聞いてくれたアルディナクさんは、ふぅむと険しい表情をしてみせた。
「いくら魔術が重要とて、実の息子を追い出すとは。ワシなら考えられん」
「俺にはもう、どこにも居場所がありません。いまごろ父さ……ウィルマクは、一家の汚点である俺の存在をなかったことにしているでしょう」
「それなら飽きるまで家におってもいい。ちょうどワシも退屈していたしな」
「ありがとうございます。ですがお世話になるとしても、アルディナクさんの負担になり続けたくはありません。どうか俺に剣術を教えてください」
深々と頭を下げる。なんだかものすごく緊張していた。
長い沈黙のあと、アルディナクさんはふぅーと息を吐いて、それから小さく答えた。
「オヌシに剣術を教えることがワシの負担になるとは考えなかったのか?」
「あっ……」
そこまで頭が回っていなかった。
負担になりたくない気持ちは本当だったが、それ以上に何もできない自分から変わりたい気持ちのほうが強かったのかもしれない。
「す、すみません! いくらなんでも図々しかったですよね」
アルディナクさんはふぉっふぉっと笑った。
「意地悪な質問をしてすまなかった。オヌシが自分を変えたいと思っているのはよーく伝わってきたぞ。そしてオヌシがきちんと自分を省みることのできる人間だともな」
アルディナクさんは目つきを険しくして続ける。
「ワシの見立てが正しければ、たしかにオヌシには剣術の才能があるとは思う。だが先にも言った通り、たとえそうだとしても、剣術を学んだとて明るい未来が待っているわけではない。それでもいいとオヌシが言うのなら、この老いぼれの技でよければ教えよう」
「っ! ありがとうございます!」
「それと、才能があるとは言ってもオヌシの剣術はまだまだ荒削りじゃ。それに剣の道は長く険しく儲からない。逃げ出したくなるときもあるじゃろう」
「大丈夫です! 忍耐力には自信があります!」
「くぅんっ!」
俺が目を輝かせると同時、机の上に黒い子犬が飛び乗ってきた。
「この子は?」
「ああ、ひと月前くらいからワシが拾ったブラックウルフの子どもじゃ」
「モンスターですよ。大丈夫なんですか」
「黒龍丸は実力を認めた相手は襲わん」
「黒龍丸……」
「ワシが付けた名前じゃ。可愛いじゃろ」
可愛いというよりも渋いと思ったけど、ツッコまないことにした。アルディナクさん、いや、師匠がそう思うのならそうなのだ。
黒龍丸は尻尾をぶんぶんと振って、急にお腹を見せてきた。服従の構えである。
これが生き残るモンスターの処世術だとすれば、割としたたかな子どもだと思った。
「よかったのぅ。黒龍丸もオヌシの実力を認めておる」
「そ、そうなんでしょうか」
これはあとになって知ったけど、嬉しそうに笑う師匠は、俺のことを可愛い孫ができた程度の認識でしか捉えていなかったらしい。いつだったか黒龍丸の反応こそ正しかったんじゃとぼやいてたっけ。
こうして、俺と師匠と黒龍丸の共同生活が始まった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
──剣術を学んで一年が経過した。
ブラックウルフの群れ程度であれば、剣術で難なく両断できるようになっていた。
「ふむ、やはりハイドはなかなか筋がいいのぅ。教えがいがあるわい」
「はいっ! ありがとうございます!」
「じゃがオヌシはまだまだ伸びる。剣術は日々規則的に技術が伸びていくのではなく、ある日を境に急激に成長するものじゃ」
「わかりました師匠!」
──剣術を学んで二年が経過した。
師匠に連れ添って、ダンジョンの最奥に潜むトロールを両断した。
「うむ、見事じゃ! こやつの魔石は高く売れる。今晩は贅沢といこうかのぅ」
──剣術を学んで三年が経過した。
古代都市に眠っていた巨大ゴーレムが暴走したので両断した。
「うむ! 素晴らしいっていやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや」
「師匠、どうかしましたか?」
「どうかしましたか、じゃなくて。え? なに? ハイドくんってばエグい成長してない? この一年でなにがあったん?」
「師匠が言ってたじゃないですか、剣術は続けていくとある日を境に急に成長するって。それより師匠、急に話し方が若くなりましたね」
「そりゃ若くもなるってもんよ。ワシ年甲斐もなくキュンキュンしたもん」
鼓動を落ち着けるべく、師匠は深く息を吐いていた。
剣を鞘に納めた俺を見やって、ひとりごとのようにぼそりとつぶやいた。
「……これは、才能があるなんてもんじゃないぞ」
師匠に褒められ、思わず俺は頬を緩ませたのだった。




