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私たちは頽廃している  作者: StellA
リリアーヌによる本件に関する見解
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白き魔女と異国の鬼について

 ガラスが触れ合う、耳障りと紙一重の涼やかな音が足元で鳴る。


「妖精のうわさ話でも聞いてるの?」


 サロン用の小さなソファに座る魔女は、しかし、答えるどころか、振り返ることなく注意を促した。


「足元、気を付けて」

「心配してくれるなんて珍しいわね」

「…… 君、自分の傷は治せないって言っていたから」


 いつもの軽口が返ってくるかと思えば、予想外に素直な返答にリリアーヌは面食らう。


「なに、怪我したの? 治してあげましょうか?」

「私がここで怪我するわけがない」


 まさか彼女自身が怪我でもしたから注意を促したのかと、穿って尋ねてみれば、いつもの呆れた声音で高慢な言葉。

 リリアーヌは返って安堵したように嘆息を一つ。


 きちんと手入れされていた温室は、今、填め込まれていたガラスの壁の大半は割れ落ち、骨組みだけが残っていた。しかし、壊れた建屋とは裏腹に、温室で育てられていた蔓バラはその枠にも絡みつき、バラのアーチをつくっている。


 それはまるで、朽ちた建物に生い茂る蔓草、次代の生命が衰退する前時代の遺物を呑み込む廃墟の様だった。


 しかし、小さなソファとその周囲にだけは、わずかな陽光をも弾くガラスの欠片が落ちている様子もなく、また、蔓草により浸食もされていなかった。


 その空間だけが取り残された、安全で清潔な ―――― 聖域のように。


「隣、いい?」

「どうぞ」


 ローズは自分の手元から視線を上げることなく答えた。やはり、リリアーヌは頓着せず腰かける。


 彼女の細い指先で弄んでいるのは、真珠と銀細工でできた髪飾り。

 どことなく異国情緒を感じさせるそれは、リリアーヌにも見覚えがある。

 あの日、モモが身に着けていたものだ。


「大丈夫?」

「心配してくれるなんて珍しいな」

「…… 随分、仲良くなってたみたいだから」


 いつもの軽口で返す気も起きず、リリアーヌが純粋に心配してみれば、ローズはふっと顔をあげて、人の悪い笑みを浮かべて見せた。


「…… 妬いた?」


 そうだ、とリリアーヌは思い直す。そうだ、目の前の妖精のお気に入りはどこまでいっても魔女なのだ。


「…… モモに? それともアナタに?」


 そうであれば、と煽って見せれば、ローズはすっと目を細めた。


「へえ? そういうこと?」

「冗談よ。私が一途なの知ってるでしょう」


 一転して不穏な態度に、リリアーヌは呆れて肩から力を抜く。ローズも分かっていて、直ぐに視線を手元へ落した。


「そうだね、」


 そう言って黙り込むローズに、リリアーヌは拍子抜けた。今までお目にかかったことがないほどに殊勝な態度だ。


「アナタも一途だったなんて意外だったわ」

「そう? 執着心が強いのは魔女の特徴だと」

「執着心が強いからと言って一途とは限らないでしょ」

「なるほど」


 なぜか納得して見せるローズの素直さに、リリアーヌは目を見開いた。

 先ほどからいつもと違うローズの態度に戸惑うリリアーヌにかまわず、ローズはぽつりとつぶやいた。


「伯爵はいったい“何”だったんだ」

「おそらく港町で確認された吸血鬼、ね」


 結局、リリアーヌは、今回の邂逅では、悪魔を霧としてしか認識できなかった。事件後、組織に報告したところ、見識者が、吸血鬼が霧に姿を変えたのだろう、と言っていたことを踏まえて告げる。


「…… そう」

「意外に冷静なのね」

「私の知る“それ”とはだいぶ違っていたから」


 ローズの言う“それ”は彼女の故郷を襲った吸血鬼のことだろう。

 リリアーヌは嘆息する。正直、吸血鬼それ自体には興味はないのだ。

 それよりも。


「結局、モモは悪魔だったのかしら?」

「悪魔だったらこの敷地に入れないのでは?」


 リリアーヌの自問するような問いかけに、ローズが混ぜっ返すように答える。


「そこは …… 異国の悪魔だから?」

「全能の神にしては片手落ちだな」


 茶化して見せれば、リリアーヌはむっと睨みつけてきた。

 ローズは苦笑する。しかし、その笑みは淡く掻き消えた。


「おそらくモモは人間だよ」


 まるで祈りの聖句のようにローズが口にした言葉。


「…… あんな傷を負って生きてる人間なんていないわ」

「…… 彼女は生きてはいないからな」

「死んでるってこと?」

「いや、死んでもいなかった。まだ暖かかったし」

「…… 死にかけてるってこと?」


 不穏な言葉に問い返せば、ローズは口の端をゆがめた。


「それは私たち全員そうだ。私たちは常に死に向かっている」


 ローズの返答にリリアーヌは胡乱な視線を投げた。


「生死の概念について議論をしたいわけじゃないんだけど」

「まぁ、言葉のままの意味」

「どういうこと?」


 すでに考えることを放棄したリリアーヌが答えを求めれば、ローズは小さく首を傾げて視線を宙に投げた。そして、これは推測なんだけど、と前置きした。


「魔物 ―――― 彼女の国ではなんていうのか知らないけれど、人でない“なにか”になりかけている状態で時間を止めたんじゃないかな、」

「は? そんなこと ……」

「まぁ、ただの推測」


 ローズはリリアーヌの言葉を遮り、話題を切り上げる。

 リリアーヌは深追いしない。何より確かめる術はないのだ。


「まぁ、何でもいいんだけど、結局、モモは仲間のためにリタを連れ戻しに来てたってことね」


 リリアーヌは投げやりにまとめようとして、空を見上げる。随分と風通しがよくなった温室に生い茂るバラは天井を組んでいた梁にまで蔓を伸ばしている。

 しかし、これから迎える冬をどう過ごすのだろうか。


「それも一つの目的だったみたいだけれど、」


 ふと、思いだしたようにローズが口を開いた。

 ちらり、と視線を投げれば、ローズは手にしていた髪飾りを白いハンカチに包んでいる。彼女は大事そうにそれをポケットへと仕舞いこむと、襟元にかけていた眼鏡を取った。


「そうだ、リリアーヌ」


 フレームにはめ込まれたガラスにはひびが入っている。ローズは眼鏡を手にして、掛けるでもなくガラス越しに世界を睥睨する。


「何?」

「モモが置いていった荷物の他に、教会の書庫も確認した方がいい」

「は?」

「まぁ、モモのことだから持ち出すような真似はしていないだろうけど」

「え? …… わかった。確認するよう伝えるわ」


 リリアーヌと話しているのに、ローズはおかしなタイミングで、ふっと口の端を歪めた。リリアーヌは、意味がないとわかっているのに、その緑の視線の先を追う。

 どうせ精霊のうわさ話に耳を澄ませているのだ。


「リタ以外に何かを調べていたってこと?」

「リリアーヌ、さっきの推測が本当だったとして、もし君がモモだったらどうする?」

「え?」

「今まさに、人間じゃなくなろうとしているとしたら」

「そりゃぁ、もちろんそうなる前にどうにか …… 」


 リリアーヌは、はっとしたように口を噤んだ。それを引き継ぐように、ローズが言葉を繋げる。


「どうにかしたくて、必死に調べるんじゃないか。勤勉なモモならきっとそうだ」


 半ば確信したような口調で告げるローズに、リリアーヌは眉間の皴を深くした。


「…… 調べるのは教会の書庫だけでいいの?」

「さぁ、()()のうわさ話だから、」

「でも、鍵がかかっているのにどうやって、」


 リリアーヌがぼやきながらローズを見やる。しかし、目に入ってきた魔女が浮かべた表情に、思いっきり、顔を顰めて見せた。


「何その表情、意味深ね?」


 ローズは答えない。

 ただ、手にした眼鏡をガーデンテーブルの上へと放る。

 伸ばされた手、袖口からローズの骨ばった手首が覗く。

 投げられて眼鏡はテーブルの上に散らばるガラスの残骸に触れて、かしゃん、と枯れた音をたてた。


「…… ローズ、あなた、それ」


 リリアーヌの視線に気が付いたローズは、右手首を隠すように左手を重ね、ただ、はぐらかすような笑みを浮かべて空を見上げる。


 リリアーヌもつられて空を見上げれば、白い月が出ていた。限りなく新月に近く、細く頼りない昼間の月。


 風に揺れて、ガラスの破片が落ちる音に、骨組みが軋む音が重なる。

 崩れさるもの、壊れいくものが奏でる音楽。

 それはパイプ(神を讃え)オルガンが歌う(人類を祝福する)、音楽とは正反対の調べだ。


 自然を解明することで不可思議が可視化され、人工灯により闇が失われていく近代において、呪われし者達の世界はきっと長くは持たない。


 魔女も東洋の魔物も朽ちていく運命だ。

 リリアーヌは冬に向かって枯れていくだろう薔薇を見て思う。

 彼女たちには未来がない。


 彼女たちは頽廃しているのだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ラストの一文でタイトル回収していくのとても良いですね。 [一言] 世界観といいGLといいとても良かったです。面白かったです。
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