第十二話 無傷の追跡者 -3-
アンデッドの不意打ちに備え、まずはトーヤが旧市街に降り立つ。防壁の上からリズが警戒し、その間にハキムが下りる。最後に安全を確保しながら、リズがゆっくりと石畳を踏んだ。
背後にそびえる黒い防壁。青白く照らされた無人の建物群。アンデッドが徘徊しているであろう街路や辻。あらゆる要素が気味の悪さと閉塞感を増幅させ、内臓を絞られるような不快感に襲われる。
レザリア旧市街。魔境と呼ぶに相応しい場所だ。
「俺の経験からすると、都市の商業地区は南にあることが多い。そっちに行ってみよう」
ハキムは身震いを抑えながらそう提案して、リズとトーヤを先導した。
旧市街は辺縁に比べ、明らかにエーテル灯の数が多かった。だからこそ無人なのが余計に異常さを感じさせ、ハキムたちは移動の間、自分たちの影にさえ神経をすり減らした。
ときおり、青白い光に住民型アンデッドの影が躍る。幸い隠れる場所は豊富なので、大抵はやり過ごすことができた。それが難しい場合は、できるだけ騒ぎをおこさないように斬り倒し、焼く。投げナイフで誘い出し、物陰でとどめをさすようなこともした。
「人間相手にこっそり、なら慣れてるんだが」
当然、移動もかなりゆっくりにならざるを得なかった。新しい街路に出るときは角から警戒し、安全を確認してから一歩を踏み出すような調子だ。小さな広場に佇むグランデを発見した際などは、さすがにハキムも心臓が止まる思いだった。
じりじりと距離を稼ぎ、商業区画と思しき旧市街の南へと近づく。やがて街路の先に、間口を広く取った商館のような建物を見つけた。
「あそこ、入ってみない?」
屋外を歩くのに嫌気がさしたらしいリズが言う。防壁のキャンプから現在地点まで、半刻ほどの時間移動した。このあたりならば収穫が見込めるだろう。
商館の裏手に回り、通用口を探す。やがて見つかった小さな扉には、見事な細工が施された立派な錠がついていた。この錠前師は、中々いい仕事をしている。しかし所詮は旧時代のもの。ハキムにとっては複雑というほどでもない。
鍵の開いた扉をゆっくりと開き、ランタンを掲げながら内部の様子を窺う。幅が広い、倉庫か物置のような場所だ。いくつかの麻袋、樽、木箱などが積まれているが、いずれもほとんど朽ち果てている。おそらくここは問屋のような場所であったのかもしれない。ハキムたちは手分けして、価値のある商品を探した。
大きな袋の中身は、なんらかの果実だったようだ。しかし今は風化しきり、残骸がかさかさと音を立てるのみだった。樽の中身はおそらく酒だ。長い年月でほとんど完全に蒸発し、残りがタールのようにこびりついている。
残るは木箱。大きな音を立てないよう、慎重にこじ開ける。こちらには完全に乾いた藁が大量に詰まっていた。かき分けてみると、壺や皿などの陶器が入っている。これはこれで価値のある品だろうが、脆く重いため持ってはいけない。
「しけた商売してやがる」
帝都の商人だからといって、豪奢な品だけを扱っているわけではないようだ。ハキムたちは商品の物色を諦め、店先に出て現金を漁ることにした。
「これって完全に泥棒よね」
「何をいまさら」
倉庫から出て、商人たちが交渉をする場として使っていたらしい部屋に入る。中には彫刻が施されたテーブルと椅子がいくつか並んでいた。今はひたすらに閑散としていて、かつては豪華だった調度にも埃が積もっていた。
ハキムたちが部屋をくまなく探すと、崩壊しかけた棚に乗った、小さな金属の箱を見つけた。持ち上げてみると硬貨の音がする。ハキムはそれをゆっくりテーブルの上に置き、解錠を試みる。
全員が覗き込む中、箱は開かれた。ランタンの光を受けた黄金の煌きがハキムの目に映る。
「これは……」
トーヤも思わず息を呑む。箱の中には、古代の金貨が四、五十枚は入っていた。ハキムはそれをすくって手の上で感触を確かめる。
「わざわざ危険を冒して来た甲斐が――」
そのとき、分厚い窓ガラスの外で気配が動いた。ハキムだけでなく、リズもトーヤも動きを止めた。
何かがいる。
それは今までに見たアンデッドではなかった。不定形のドロドロした何かが、石畳から伸び上がり、窓を這っている。
リズが声にならない言葉を発しながら、それを指差す。トーヤが音を立てないよう、慎重にランタンの火を消した。ハキムも金属音を立てないよう、ゆっくりと金貨をポケットにしまう。
不定形の何かはこちらの気配を探るように蠢いていた。およそ自然界の生物とは思えない、奇怪な運動だった。
あれは一体なんだ?
暗闇の中、ハキムたちは呼吸音さえ漏れないように気配を抑えた。あのドロドロがなんなのかは分からないが、とにかく気づかれてはまずい。リズがハキムの肩を強く握る。爪が喰い込んで痛いが、払いのけるわけにもいかない。
鼓動が聞こえそうなほど張り詰めた緊張のなか、ハキムたちはしばらく動きを止めていた。やがて不定形は興味を失ったのか、窓から離れてどこかに行ってしまった。ハキムたちは大きく息を吐き、全身の力を抜く。
「あれは……アンデッドか?」
「さあ、分からない」
不定形の正体は、リズにも見当がつかないようだった。
「とにかく、あんまり長居しちゃいけないような気がするな」
トーヤの意見には、ハキムも賛成だった。大きな成果に舞い上がり、金貨を抱いたまま死んだのでは話にならない。
ハキムたちは通用口から外に出て、来た道をそのまま戻る。探索を考えなければ、これが最も安全だ。今はただ松明の暖かい光が恋しかった。
◇
行きよりもさらに警戒の度を高め、ハキムたちはなんとかキャンプの近くまで戻ってきた。金貨は袋に入れ、ハキムの荷物に括りつけてある。防壁を越えて辺縁側に行けば、旧市街よりは安全だ。まずは結界に守られたキャンプで、ゆっくり休むとしよう。
探索の時間は長くなかったが、ハキムは大きな精神の疲労を感じていた。
防壁にかかったハシゴが視界に入ってくるところまでやってくると、ハキムはハシゴの足元に佇む二つの人影を認めた。それらはどこに向かうでもなく、キャンプに戻ってくる誰かを待っているようにも見えた。
「誰かいるな」
さらに近づくと、片割れは女性であるらしいことが分かった。灰色のローブを纏っており、黒い髪を耳たぶまでの長さでそろえている。リズより小柄だが、彼女より女性らしいシルエットだ。
「おいリズ。あれが多分、例の女魔術師だ」
ハキムはそう警告する。人気の少ない遺跡で接触してきたのは、向こうから荒事を仕掛けてくるつもりだからかもしれない。
相手方もこちらに気づき、互いにゆっくりと歩み寄る形になった。十歩の距離で向かい合う。
「久しぶりね、リズ。もとい、〝灰燼〟のエリザベス」
「あなたも変わらないわね、ヘザー。今日はお使いかしら?」
「分かってるくせに。大人しく拘束されるか、仲間もろとも皆殺しにされるか。この場で答えなさい」
どうやらリズとこの女魔術師とは知己であるらしい。しかし両者の間に漂う剣呑な雰囲気からして、友人同士というわけではなさそうだ。
「どっちもお断り。私は、あなたの虚栄心を満たす道具じゃない。さっさと学院に帰って、権威主義のジジイどもに媚びでも売れば? その大きいおっぱい使って」
ハキムはヘザーと呼ばれた女の横にいる人物に目を向ける。手斧で武装した、いかにも小悪党風の探索者。彼はおそらくただのガイド役だろう。少なくとも、凄腕の暗殺者には見えない。
しかしガイド役を連れているだけという事実が、ハキムを警戒させた。それはすなわち、ヘザーが護衛を必要としないほどの実力者ということを意味している。ハキムは相手に気づかれないようナイフを取り出し、いつでも投げられるよう準備した。
「おいおいおい。俺たちを無視して盛り上がるなよ」
ハキムは話に割って入った。普段なら女同士の喧嘩など関わり合いにもなりたくないが、この場面でまったく無視されるのも気に入らない。
「雑魚は黙ってろ」
ヘザーから、その容姿に見合わぬ激しい敵意が向けられた。年季の入った殺戮者ほどではないにせよ、危険な手合いではありそうだ。彼女から喧嘩を買うかどうか、ハキムは一瞬迷った。しかしあまり大人しくしていると、相手のペースに巻き込まれてしまう。
ハキムは腰に隠した右手から、最小限の動きでナイフを投げた。まずは牽制として、生意気な魔術師の左肩を狙う。
小さなナイフは薄闇を飛翔し、ヘザーに命中した。しかし彼女の顔が苦痛に歪むのを予想したハキムは、意外な光景を目にした。
ナイフはヘザーの肩には突き刺さらず、固い何かに弾かれたかのように落下した。ハキムはナイフが命中したあたりに、一瞬だけ同心円状の波紋が広がるのを見た。何か不可思議な力場が作用して、刃先を防いだのだ。
当然の結果として、ヘザーの明確な殺意がハキムに向いた。何をしてくるかは分からないが、ナイフ以上に危険なのは間違いない。
ヘザーがハキムを指差し、魔術的な何かを放つ直前、彼女の足元が微妙にぐらついた。それとほぼ同時、ハキムの頭上を衝撃波のようなものが通り抜け、背後の石壁を粉砕する。
思わず頭を下げたハキムが見たのは、高熱で溶けた石畳に、ヘザーが足を取られている姿だった。リズに心の中で感謝する。
「逃げるよ!」
リズが叫んだ。言われなくてもそうするしかない。踵を返して街路を戻るが、その背後からまた衝撃波が襲ってきて、ハキムの左肩を掠った。たとえ直撃でなくても大層な威力だ。ハンマーで殴られたような痛みが走る。早くヘザーの視界から外れなければ、わけも分からないまま肉塊にされてしまいそうだ。
ハキムたちは直近の角を右に曲がる。次の角は左に。とにかくヘザーから離れるべく、南東方向に距離を稼ぐ。
「エリザベェェェェェエエス!」
旧市街にヘザーの咆哮が響いた。
「彼女、とんでもないな」
トーヤが言った。ハキムもほぼ同様の感想だ。魔術師としても人間としても、ヘザーは相当に強烈な存在だった。
ハキムたちはさらに街路を進んだが、前方にグランデの巨体を認め、慌てて脇道に飛び込む。幸い、さほど鋭敏な個体ではないらしく、ハキムたちは気付かれる前に姿を隠すことができた。
「出てこい、臆病者!」
背後まで迫ったヘザーが叫んだ。当然、グランデの注意を引くことになる。獲物を認めた異形の咆哮が、危険な魔術師と向かい合う。このまま潰されてくれればいいのだが、多分期待通りにはいかないだろう。
建物の陰に身をひそめながら、ハキムたちは様子を窺った。二度、三度と巨大な拳が固いものを叩く音が聞こえた。一瞬遅れて、強力な打撃が肉を叩く音。
どこか悲しげな唸り声と、犠牲者が石畳に倒れる音。先日、ハキムたちが苦戦の末倒したグランデを、ヘザーはあっさりと片付けてしまった。
とても真正面から戦って勝てる相手ではない。このまま街道に戻らず、撒いてしまおう。ハキムは脇道の奥に後退しはじめる。しかしすぐ近くにいたリズが転がっていた人骨に躓き、バランスを崩した。
「わっ」
ハキムとトーヤが、慌ててそれを支えた。派手な転倒は防げたが、リズの指先がハキムの荷物に引っ掛かった。金貨の袋が開き、半分以上が石畳にこぼれる。路地に金属音が響いた。
「……ごめん」
リズを責める暇も、金貨を拾う猶予もなさそうだ。ハキムたちが急いで撤退すると、魔術の余波が背を叩く。
「とにかく、どこかに隠れるぞ。逃げるにしたって、旧市街を派手に移動したくない」
先ほどのような、アンデッドとの挟み撃ちは避けなければならない。どこかでヘザーをやり過ごしてから、逃げるなり戦うなりの対策を練る必要がある。
隠れるならば、できるだけ丈夫な建物がいい。ハキムはあたりを見回して、素早く一つに目星をつけた。四角い箱のような形をした、倉庫のような家屋だ。分厚い扉にとりついて確認すると、鍵はかけられていなかった。
最低限の安全を確保してから、リズとトーヤを招き入れる。ハキムは内側から錠を降ろし、安堵と疲労でよろよろと膝をついた。




