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第十三話 無傷の追跡者 -4-

「……ふぅ」


 ハキムは息を整えて、ヘザーの魔術で痛めた肩をさすった。逃げ込んだ場所は、やはり小さな倉庫だったようだ。ただし中はほとんど空で、木箱の残骸がいくつか転がっているだけだった。部屋を調べると、隅に地下へと続く階段が口を空けていた。


「あのヤバい女は知り合いなのか?」


 ハキムは改めて床に腰を下ろし、小さな声でリズに尋ねた。


「あの女は、〝無傷〟のヘザー。学院の魔術師ね。破壊力は超一流だけど、情緒が不安定な危険人物」


 リズは神妙な顔で答えた。


「ハキムのナイフが防がれたように見えたけど」


「ヘザーは力場を自在に扱える。それはどんな損傷も防ぐ鎧になるし、なんでも砕く槌にもなる」


 さすがに刺客だけあって、学院でも屈指の実力者が送り込まれてきたようだ。本気でオヴェリウスの探究者を抹殺するつもりらしい。


「実はね、追手が来たのはこれが最初じゃないの。ここまで来る途中に一人。アルムに到着してから一人。私は魔術師を殺した」


 リズは膝を抱え込むようにして言った。その態度には、良識ある人間ならではの罪悪感があるように思えた。


 荒っぽい一面を持っていたとしても、彼女はもともと理性を重んずる学問の徒だ。生まれながらの戦士階級でもなければ、スラム育ちの盗賊でもない。人を殺すというのは、それなりに重い体験だったのだろう。


「くよくよすんのはあとにしろ。とりあえず、安全にキャンプまで戻る方法を考えるぞ」


 そしてハキムたちは暗闇の中で頭を突き合わせ、今後の方針を検討し始める。


「今、どのあたり?」


 リズに確認され、ハキムは頭の中で地図を展開した。防壁のキャンプから、徒歩で四半刻分ぐらいは移動したはずだ。防壁の南側はそれなりに近い。登攀の手段、たとえば長いハシゴなり、ロープにつける鉤なりがあれば、防壁のキャンプを経由しなくても、辺縁に戻ることはできる。


 その場合、多少の迷子は避けられないが、食料にはまだ余裕があるし、大きめの街道を探していけば、そのうちキャンプか他の探索者に出会うことができるだろう。


「じゃあ、なんとか防壁を登る手段を探せばいいってことだね」


 とりあえず、そういうことに決まった。気持ちを落ち着けるため、革袋から水を飲んで一息つく。


 しかし次の瞬間、轟音とともに建物が揺れた。天井から、石材の小さな破片や埃が降ってくる。


「クソ、まだこのあたりにいたのか」


 やり過ごしたと思っていたが、ヘザーは我々の気配を感じ取り、周囲を探し回っていたのだろう。長く人の入っていない旧市街。注意深く石畳を見れば、足跡の判別も不可能ではない。


 建物の入り口を見ると、扉が枠ごと歪んでしまっている。窓をたたき割れば、気配で気づかれるだろう。このまま隠れ続けるか? しかし、次の衝撃を予感させるように、空気がビリビリと震え始めた。


「ハキム、トーヤ、地下に入ろう!」


 リズがハキムの袖を引っ張り、地下への階段に連れ込んだ。建物がみしみしと音を立てはじめる。今にも崩れそうだ。トーヤが二人を押し込むようにして階段に逃げ込んだ直後、いくつか石材が落ちてきて、階段の入口が埋まった。


 ギリギリのところで難を逃れられたようだ。天井が落ちたぐらいならば生き埋めにはならないだろう。多分。


 地上が少し静かになった。諦めて去ってくれればいいのだが、それはあまり期待できない。とりあえず、石が転がってこない位置まで下がる。


 階段の先も倉庫だった。こちらはややひんやりしていて、ワインなどを貯蔵するのによさそうだ。今はどこからか沁みだした泥水が、くるぶしの位置まで溜まっていた。


「なんというか、異端者っていう以上に恨まれてないか?」


「嫉妬よ嫉妬。頭と顔のいい私が憎いんでしょ」


 胸は、と言いかけてハキムはやめた。


「もちろん性格も気に入らなかったんだろうな」


「仮にそうだとしても、お互いさまじゃない?」

「確かに」


 おそらくヘザーは、既にこの地下室に目星をつけ、迫ってきているだろう。しかし入口は一か所のみ。何らかの方法で彼女を排除しなければ、逃げることができない。


「私の魔術で、水蒸気を作れば目くらましになるかも」


 リズが提案した。ある程度までは有効そうな作戦だ。


「悪くないな。俺も奥の手を使う」


「壊れない短剣かい?」


 階段の方を気にしながら、トーヤが尋ねた。石を除けるような、ゴトゴトという音がしている。


「いや、もう一つある」


 実は三つ目まであるが、今は見せない。ハキムはポケットから、緑色に錆びた青銅の指輪を取り出した。


 それは〝亡霊の指輪〟と呼ばれるアーティファクトで、身に着けた者の姿を見えなくすることができる。音やにおいは消せないこと、指輪だけは透明にならないことが、弱点といえば弱点だ。


「ヘザーに隙ができたら、目くらましをぶち込め。トーヤ、悪いがリズの盾になってくれるか」

「もちろん」


 ハキムは指輪をゆっくりと左手の中指に嵌める。まつ毛や鼻も透明になるので、視界が妙に広くなる。下を見ると、水の僅かな屈折で両足の存在が分かった。とはいえ大人しくしていれば、まず存在が発覚することはないだろう。


 地下室は縦横十二、三歩の正方形だ。階段は壁から突き出すような形で上下の床を繋いでいる。ヘザーの注意を向けるため、リズとトーヤは階段から少し離れた正面に立たせることにした。


 先程見せたヘザーの性格からして、こちらを完全に追い詰めてから攻撃に移るだろう。適当に地下室を崩落させて終わり、ということにはならないはずだ。


 ハキムは姿を消したまま、階段の側面に隠れる。やがてヘザーのものらしきランタンの光が、瓦礫の隙間から地下室に差し込んできた。勝ち誇ったような声が頭上から響く。


「諦めなさい、エリザベス。あなたはこのじめじめした地下室で、あっけなく潰されて死ぬのよ」


 靴音を響かせて、ヘザーが悠然と階段を下りてくる。一見無防備ではあるが、彼女の魔術をもってすれば、不意打ちの投石も火炎放射も意味を成さないだろう。


 だが、これはどうかな?


 ハキムは階段の脇から手を伸ばし、ヘザーの左足首を掴んで引っ張った。無敵の鎧も、不意の転倒までは防いでくれないだろう。


「なっ」


 彼女は驚きの声を上げ、階段から転げ落ちる。


「リズ、今だ!」


 ヘザーはバランスを崩し、地下水の溜まった床に倒れ込んだ。そこにリズのプラズマが殺到する。ヘザー自身を焼くことは叶わないが、泥水が熱せられて大量の蒸気が発生した。空気の代わりにそれを吸い込み、ヘザーが激しくむせる。


 その隙に、トーヤとリズが駆けた。倒れているヘザーを飛び越え、階段を上って地下室から脱出する。ハキムもすぐにその背を追った。


「びしょ濡れになって色っぽいじゃないか」


 挑発的な捨て台詞を投げつけて、ハキムたちは歪んでしまった倉庫の扉を蹴り開ける。屋外に出ると、泥水と屈辱にまみれたヘザーが、唸り声と共に地面を震わせた。


「おお、怖い怖い」


 もたもたしているとまた追いつかれるかもしれない。今度見つかれば、問答無用で挽き肉にされるだろう。ハキムたちは先ほどとは進む方向を変え、今度は防壁の東を目指してその場を離脱した。


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