12
「もしもし? 水乃」
久々の兄の声の気楽さに、私は呆れた。
「そっちはどうかね? 変わりはないか?」
そんな暢気な声がちょっと腹立たしくも、兄らしいというか……。
「大変わりよ。兄貴が残していってくれた『ペット』のお陰でね」
私のセリフに兄は「何かあったのか?」と相変わらず暢気な声で言った。
「それはもう、たくさん。……でも、なんとかカタがつきそうよ」
「カタって何?」
「家族の事とか、色々」
私の言葉に兄が少し驚いたような唸り声を出した。
「お前、サクの家族について知ってるの? サクから聞いた?」
「え? うん」
「そおかぁ~」
兄はその言葉にうんうん、と勝手に自己満足しているようだった。
「ちょっと、何?」
私の言葉には笑い含みのニヤニヤとした感じの声。
「いやぁ、やっぱ俺の読みは当たってたなぁと思って」
何か、感じが悪い。
これは詳しく問い詰めなくては……。
兄の電話を切ってから、電源までもちゃんと切って、私は目の前の大きな白い建物へ入る。独特な薬品っぽい匂いと、無機質な白い廊下。
目指す場所に近づいた時に、意外な場面に出くわした。
「楓先生」
私が言うと、私の目指す病室から出てきたその人物は、きまり悪そうにこちらを見た。
「君か……サクの見舞いに来てくれたのかね?」
「はい」
私が言うと、先生は、少し逡巡した後、こう言った。
「少し話がしたいんだが、時間は?」
「面会時間内に終わらせてくれればいくらでも」
私が言うと「すぐに終わる」と言って歩き出した。私もそれに続く。
歩きながらポツリポツリと話し出した。
「うちの娘が見苦しいところを見せたようで申し訳ない。……アレがサクを嫌うようになったのも、私の影響だ。子供は親の行動を見ているからな」
私が黙っていると、先生は続ける。
「君が以前言っていた事は、概ね、その通りだ。私は、昔からあの子をどうしても愛せなかった。……愛せないだけならまだ良いが、見るたびに、なんとも言えない不快感がのし上がって来るのを感じた。理由もないのに、自分の息子に。絶対に異常だとは分かっていたが、止められなかった」
その言葉を紡ぐ先生の顔は、苦悩の跡が見て取れた。きっと、この人も凄く悩んだんだろう。
「サクが非行に走った時、ホッとしていたのも事実だ。家を出て行った時も。まさか、アレがそんなに大人びた考えをしているなどと、思い描いてみる事もできなかった」
しばらく、沈黙が続いた。かつ、かつ、と2人分の足音が廊下に響く。
「今更だとは思うが、サクの将来はきちんと考えたいと思う。……今日、話し合ってきた。サクは、私達とは今更暮らせないと言っていたから、1人暮らしをさせる事にした。もちろん、生活費や学費は私が出す。だが……」
かつり、と足を止めて、楓先生は私に向き直った。
「こんな事を君に頼むのは筋違いだとは思うのだが、お願いがあるんだ」
「なんでしょう?」
「私たちは経済面で支えてやれるとしても、与えられないものがある。それを、君にお願いしたいんだ。時々で良いから、アレを見ていてやってくれないか? せめて、アレが1人ではなくなるまでは」
そんなのは、当たり前だ。Yesに決まっている。でも、私は敢えて直接の返答はしなかった。
「それは、親としての言葉ですか? それともサクに対するただの償い?」
私の言葉に楓先生は苦笑した。どこか、疲れたような笑み。
「さあ、私にもどちらか分からないな。ただ、出来れば前者であることを願うよ」
先生も、親としてサクを愛したかったんだろうか。再び歩き出した先生と並んで歩きながら、私は言う。
「いつか、もし先生がサクと仲良くしたくなったら、橋渡し、しますよ?」
その言葉に、先生はまたもや苦笑したのだった。
先生を送り出してから、改めて病室を訪れる。
「どう? サク、具合は」
私が行くと、足をギブスでぐるぐる巻きに吊り上げられ、頭にも包帯を巻いたサクが、読んでいた本を退けてこちらを見た。
「何読んでるの?」
私は近づいていってそれを見る。
「参考書? そっか、サク、受験するの?」
「ああ」
頷いてサクは言う。
「なんだか、金は出してもらえるみたいだし、やりたい事も見えてきた感じがするから」
「やりたいこと?」
「まだ、教えない」
あらま。可愛くない。
でも「まだ」ってことは、いつかは教えてくれる気があるってことよね。
「じゃあ、教えてくれるのを待ってるわ」
と言って私は、持ってきたフルーツなどを置く場所を探す。
「リンゴとかあるけど、食べる?」
「今は良い」
会話しながら、ふと綺麗な花束が生けてあるのが目に留まった。私の視線に気づいたのか、サクが言う。
「アサミからだよ。珍しい事に、しおらしかった」
私は思わず笑ってしまった。今になってやっと笑える事だけど。
彼女とは、事故の夜、一緒に病院の廊下で過ごした。その時の取り乱し方は尋常じゃなかったんだけど、その時に、動揺のためか、口走った言葉をよく覚えている。
「お兄ちゃんは何で家族の私よりあなたにだけ優しいの」
彼女があの時サクに手を上げたのも、そんな思いがあったからだろう。サクはあの時、私を気遣った発言をしたから。
「何笑ってんの?」
サクの声に慌てて取り繕う。
「なんでもないわよ。……そういえば、兄貴から電話があったわ」
「翼が? なんだって?」
サクの瞳は、途端に興味津々といった風になる。この様子じゃ、兄貴の言った事もあてにならないかな。
私は内心で溜息を付いたのだった。
「どういうことよ?」
問い詰め口調の私に、兄は相変わらずのにやけた声で言ったのだ。
「だってサク、俺にも家族の事は一切教えてくれなかったんだぜ? それが水乃には教えちゃうなんてなぁ、と思って」
「へ? 兄貴、知らなかったの?」
「ああ」と肯定して兄は言う。
「あいつはいつも、家族みたいな人の繋がりをすっごい求めてて、それでもそれと同時にそういうのをすっごい恐れてたな。裏切られたら、どうしよう、拒絶されたらどうしよう、っていつもビクビクしてる感じだった。でも、俺はあいつの望むものを最終的には与えられないって分かってたから、だから水乃に頼んだんだ。水乃なら、あいつに与えてやれると思ったから」
「そんな、よくも勝手に……」
私が言いかけるのを阻止して兄は言う。
「俺の人を見る目は確かだぜ? 絶対サクには水乃が必要だったんだ」
その言葉を信じたいと、心の底から思った。
サクが望むなら、また、家事をしに通ってあげよう。今度は、料理を覚えてみようかな。
サクが居る空間がいつも、暖かい陽だまりのような場所であるように、全力で頑張ってみよう。
そんな事を考えながら、私はその時、携帯を切ったのだった。
【ついでに当時書いてた恥ずかし小話↓】
ピピピピピ、という電子音に、俺は腋の下に挟んでいた体温計を取り出す。 デジタル体温計の液晶画面にはおなじみの角ばった文字で『37.5』の数字が並んでいた。
……37度5分。
微妙なところだ。
これが、38度とかなら、いくら俺でも流石に休むんだけど、この度数なら、大丈夫か。
俺は少し熱っぽい体を無視する事に決めて、鞄に教科書等を詰め始めた。
……それが、仇になったらしい。
学校に来てしばらくは大丈夫だったんだけど、そのうちに段々目の前がフラフラしている事に気が付いた。
頭も靄が掛かったようでハッキリとしない。
「おい!! 大丈夫か? なんかさっきから変だぞ」
そんな声に顔を上げると、後ろの席で高校に入ってすぐに出来た友人(?)の田崎が俺の顔を覗き込んでいた。
「お前、顔赤いよ。しかもなんか、目が潤んでて妙に色っぽいぞ」
意味の分からない事を言って田崎は俺を引っ張って立ち上がらせる。
「保健室行け!! ぜってー風邪だって!!」
「いや、大丈夫」
「どこが大丈夫だ!!」
「根性でなんとかするから」
その言葉に、田崎は思い切り、俺の頭をはたいた。
「あほか!! お前、熱のせいで頭までやられてるわ。面白い事言いやがって」
そう言って無理矢理引きずるようにして保健室へ連れて行こうとする。
「……今日は、バイトがあって、代わりのヤツも見つけてないし……」
言いながら何とか踏みとどまろうとするのだが、体に力が入らない。
「そんな体で来られたら、バイト先の方が迷惑するわ。……ったく、俺が責任持ってお前のバイト先へ行って伝えてきてやるからさっさとダウンしちまえよ」
やばい。
意識が途切れそう。
「すまん」
そう、言えたのかどうだか。
俺はそのまま意識を失った。
意識が戻った時、一瞬どこにいるのか分からなかった。頭がボーっとして上手く働かない。
見慣れた天井。
……そうか。ここは俺の部屋だ。
高校に入ってから、学校の近くに引っ越した。ワンルームでちょっと手狭な部屋だけど、日当りが良くていい部屋だって水乃が気に入ってた。
そんなことを考えていたら、部屋のドアが開いて、見慣れた姿が現れた。
俺が目を覚ましているのを見て、その人はにっこりと微笑む。
「起きた? ……気分はどう?」
そう、言いながら俺の額にのせてあったすっかりぬるくなったタオルを、手に持っていたタオルと取り替える。ひやり、と冷たい感触が気持ち良い。
「田崎君にお礼言っときなね? サクを家まで運んでくれたんだから」
水乃はそう言って立ち上がる。
「薬飲むのに、何か食べなきゃね。リンゴとお粥、どっちが良い?」
「リンゴ」
俺は即座に答える。
実は、水乃は料理があまり得意でない。水乃の一番の弱点だと言っていい。本人は、頑張って練習しているようなので、文句は言わずに食べる事にしているけど、流石に弱っている時にソレを食べられるとは思えなかった。
水乃は「了解」と言って部屋を出て、部屋のドアを開けたまま、台所でリンゴを剥き始めた。
「サク、また無理したんでしょう?倒れるくらいなら学校休むとか、少しは自分の体、労わってよ」
台所から、そんな声が掛けられる。
都合が悪いので、聞こえなかったフリをしていると、皿に剥いたリンゴを載せて水乃が部屋に戻ってきた。
あーあ、ヘタなのに無理にウサギなんて作ろうとするから。
ウサギは片耳をもがれた感じで、しかも残りの耳もギザギザで、かなり無残な感じになっている。これなら俺のほうが上手い。
「体温計が出しっぱなしになってたわよ。37度以上あったら一応休むこと」
水乃は言いながら、爪楊枝の刺さった出来損ないのウサギを差し出す。
俺は上半身を起こして、それを受け取って食べ始めた。俺が食べている間に、水乃は薬と水を用意する。
「サクはすぐ無理するわね。……もうちょっと、甘えて良いのよ?」
薬を飲み終えて、ベッドに横になった俺に水乃は言う。
甘える?
不名誉な事を言ってくれる。
俺は、甘える存在じゃなくて、いつかは水乃に甘えられるような存在になりたいと思ってるのに。
水乃にとって俺はまだまだ弟みたいな存在なんだろうな。
そんなことを考えたら、なんだか急に腹が立った。
「本当に?」
出てきたのは、そんな言葉。
水乃が意外そうな感じで俺を見た。そして、嬉しそうに頷く。
「本当よ」
そんな余裕な顔してられるのも今のうちだ。
俺は水乃が頷くと共に、側にあった水乃の手を思い切り引っ張った。
水乃は驚いたような小さな叫び声をあげてバランスを崩し、俺のベッドに上半身を倒れこませた。……風邪のせいで力がでないな。
「何するのよっ! サク。……はー、コップ置いた後でよかった」
水乃が体を起こして、憤慨した様子でそう言う。
あーあ、やっぱり全然そういうムードにはならないか。
俺は不貞腐れてそっぽをむいた。
おかしいな、自分で言うのもなんだけど、普段はこんなに子供っぽい拗ね方しないのに。
久々に出した熱のせいかもしれない。こんな時は、変な事を口走りそうでちょっと恐い。
「どうしたのよ? サク」
まったく理解できない、といった水乃の声。そんな言葉に、口が自然に言葉を紡ぐ。
「だって水乃、俺の事全然男として意識してないだろ」
水乃の顔が驚きに染まるのを感じながら、俺は目を閉じた。
本当におかしい。こんな事を口走ってしまうなんて。
今日の俺は熱でどうにかしてるんだ。
それでも、明日からの水乃の反応が少し楽しみな気がする辺り、俺もまだまだガキなんだろうな……。