第25話 異変
頭目の魔法使いが手を伸ばすと、カノポス匣は安定した手つきで彼の手のひらに収まった。だが、頭目の魔法使いは田中を離さなかった。
僕は頭目の魔法使いを見据えて言った。
「田中を離せ。」
「慌てるな。品物を確認すれば、こいつは自然と離してやるさ。」
頭目の魔法使いが田中の髪をつかんでいた手を離すと、ローブ姿の魔法使いたちがルシウスのそばへ歩み寄った。そして二人がかりでルシウスを担ぎ上げ、僕たちから遠ざかるように後退していく。
僕たち三人はその場に立ち尽くしていた。田中は拘束が解けたことで、僕たちの方へ何度か体をよじってみせた。
頭目の魔法使いは箱を手に持つと蓋を開け、うなずいてから箱を懐にしまい、一歩ずつ後退し始めた。
奴はまだ宝石を手に握りしめ、近づくなと警告していた。田中はまだ奴の攻撃範囲から抜け出していなかった。
田中は体をよじらせながら僕たちの方へ近づいてくる。
魔法使いたちは徐々に遠ざかり、田中は徐々に僕たちへ近づいてくる。
全員が行動の臨界点を待っていた。
田中は体をよじり、口にくわえていた宝石を吐き出すと、叫びながら横に転がった。
「蘭さん!」
「わかった!」
僕は田中へ向かって走り出し、桜切をアナスタシアに放り投げた。
アナスタシアは桜切を受け取ると、勢いよく魔法使いたちの方へ投げつけた。
紗夜は臨界点に達するや否や、先ほど自分が殴り倒した男たちのいた場所へ走り込んでいた。
僕は田中のところまで走り、彼を引きずって端へ寄せ、素早く縄を解いた。
桜切を見ると、もう魔法使いたちのいる辺りに落ちていた。アナスタシア、なかなか力があるな。
僕は即座に手のひらを差し出し、体をわずかに浮かせると桜切の位置へ飛んでいった。
魔法使いは僕が急速に近づくのを見て、すぐさま宝石を投げつけてきた。
宝石が僕に届くまでまだ少し距離があるというとき、銃声が響いた。弾丸は正確に宝石を撃ち抜き、それを弾き飛ばすと、そのままその魔法使いの胸に命中した。
紗夜は拳銃を手にしていた。おそらく地面から拾ったのだろう。狙いを定めて次々に発砲し、弾が尽きるとすぐさま別の銃を取って撃ち続けた。
「逃げられると思うな。」
その援護に乗じて、僕は空中で桜切をつかみ、再び力を込めて投げた。
桜切は回転しながら近づいていく。紗夜の放つ弾丸が宝石を弾き飛ばし、そのたびに小さくない爆発が起こった。
刃は宙を回り、冷たい光を放ちながら、すでに魔法使いたちの眼前へ達していた。
「捕まえたぞ。」
一閃が落ち、一人の指を斬り裂いて、奴に宝石魔法を使えなくさせた。
頭目の魔法使いが手を掲げて僕たち三人を見た。その手の宝石が光を放ち、今にも僕へ投げつけようとしていた。
しかし次の瞬間、紗夜が再び発砲し、弾丸が空間を裂いて飛び、頭目の魔法使いが宝石を投げるより先に、弾丸が彼の手のひらを貫いた。
血が噴き出し、木の幹や草むらに飛び散った。
「ああああっ!」
頭目の魔法使いは手のひらを押さえて悲鳴を上げ、後退した。
桜切の斬撃が届く寸前、一人の魔法使いが頭目の魔法使いを突き飛ばし、自らの体で桜切の一太刀を受けた。桜切はやすやすと魔法使いの体を切り裂いた。
血が僕の顔に降りかかる。温かくて、ねばつく。すごく不快で、匂いもひどい。
嫌だ、こういう感覚は好きじゃない。
魔法使いが僕の前で地面に倒れ、体を痙攣させ、血が傷口から噴き出している。まだ生きているのか?僕は人を殺したのか?わからない、でも生きていてくれ。人の命を奪うって、こんな感覚なのか。生きていてくれ、僕は誰かの命を奪いたくない。
血はまだ外へ噴き出している。やけに遅くて、血の一粒一粒が見えそうなくらいだ。
すごく嫌だ、気持ち悪い。
「蘭!」
誰かが呼んでいる。この声はたぶん紗夜だ。でも、どうしてか少し焦っているように聞こえる。
僕が我に返ったその瞬間、一発の弾丸が僕の横を飛び抜け、もうすぐ目の前に落ちようとしていた宝石を弾き飛ばした。
紗夜が拳銃を握りしめ、僕の方へ駆け寄ってくる。
今のはぼんやりしていたのか?戦闘中に他のことを考えるべきじゃない。戦いに集中しなきゃいけない。
僕は頭を振って桜切を握り直し、頭目の魔法使いに向かって突っ込んだ。
頭目の魔法使いがカノポス匣を開けた。ほんの一瞬でも見えた。カノポス匣の中には赤い宝石が一つ、全体が赤い光を放っている。
頭目の魔法使いは手のひらの宝石を一つ、僕に向かって投げつけた。
僕は横に避けたが、予想していた爆発はなく、代わりに黒い煙が周囲に立ちこめた。
ただ幸いここは開けた場所で、黒い煙はかなり薄まり、かすかながら頭目の魔法使いが動いているのが見えた。
距離はそう遠くない。彼は遠くまで逃げ切れていない。
僕は力いっぱい桜切を頭目の魔法使いに向かって投げ、体も桜切が飛ぶのに合わせて宙に浮き、桜切の方向へ飛んでいった。
頭目の魔法使いまでは元々遠くない。もう彼の目の前まで来ている。僕は宙で桜切をつかみ、彼の手首へ斬りかかった。
桜切が頭目の魔法使いに触れる寸前、彼は勢いよく手に持った赤い宝石を半分に割り、片方を投げ捨て、残りの半分を口に入れて飲み込んだ。
こいつ、カノポス匣の宝石を飲み込みやがった?
なぜそんなことを、でもそれ以上考える余裕はない。
僕は両足で地面を滑るように踏みしめ、桜切で頭目の魔法使いの手首を斬りつける。一瞬、手首には骨が見えるほどの深い傷ができ、もう宝石を投げられなくした。
頭目の魔法使いが連れていた手下たちは、このとき四方八方へ逃げ出した。あいつらを追っている時間はない。
僕は桜切を頭目の魔法使いのうなじに当てて言った。
「お前、今なにを飲み込んだ?カノポス匣の中身か?あれはなんだ?」
「ゲホッゲホッ——お前ら凡人に教えるわけがないだろう。」
頭目の魔法使いは咳き込みながら体を丸め、腕で腹を押さえた。
「蘭、あんたこいつと何をぐだぐだ喋ってるの?!」
そのときアナスタシアが僕の隣に駆け寄り、頭目の魔法使いを思い切り蹴りつけると、その襟首を掴み上げた。
「凡人だあ?いいわ、今すぐあんたに、あたしたち凡人がどこまでやれるか見せてやる。」
アナスタシアは手に白い風をまとわせ、左手で頭目の魔法使いの襟首をがっちり掴み、右手を高く振り上げて今にも拳を叩き込もうとした。
そのとき一つの手がアナスタシアの手首を掴んだ。紗夜だ。紗夜はアナスタシアを見て言った。
「もうやめなさい。今ここでこいつを殺しても仕方ない。手下どもはルシウスを引きずって全員逃げたわ。」
アナスタシアは紗夜を見ると、その手を勢いよく振り払い、頭目の魔法使いを地面に放り投げ、木に寄りかかって目を閉じて休んだ。
紗夜がこちらを見た。その鋭い視線に、僕は思わず二歩後ずさった。
紗夜は一歩で僕の前に来たが、問い詰めることはせず、ポケットからティッシュを取り出して僕の手に握らせた。
「拭きなさい。顔、血だらけよ。」
「あ、うん。ありがとう。」
僕が手のひらのティッシュを見つめると、紗夜はもう背を向けて田中のところへ向かっていた。
僕はティッシュを取り出して顔の血を拭う。血の匂いがして、すごく気持ち悪い。嫌だ、とても嫌だ。今となっては自分が本当に人を殺したのかも確信が持てず、その人が本当に死んでしまったのかも確認に行けない。もし本当に死んでいたら、自分がどう向き合えばいいのか全くわからない。
頭目の魔法使いは地面に横たわり、口元で何かを呻いている。聞き取れない。まさか魔法か?魔法ならこんなに時間がかかるものか?
僕はしゃがみ込んで頭目の魔法使いを見た。近づいてようやく、何を言っているのかかろうじて聞き取れた。
「ヘルメスの名において、『翠玉録』に封じられし真理を開きたまえ。七重の天球は黒化、白化を経て、赤化に至る。天上の星辰と地底の秘火が再び降りそそぎ、すべてを一なるものへ、原初へと回帰させたまわんことを。」
ヘルメス?翠玉録?神話か?
僕は頭目の魔法使いを見た。彼はまだ何かを唱え続けていて、胸に嫌な予感が広がった。慌てて口を塞ごうとした。
だが次の瞬間、異変が起きた。頭目の魔法使いの腹部が赤く発光し、赤い光が周囲を覆い尽くした。
紗夜とアナスタシアは即座に僕を見て、二人ともすぐに駆け寄ってきた。
迷っている暇はない。僕はすぐに桜切を握り、頭目の魔法使いの腹部へ斬りかかった。
刃が肉を裂く滑らかな感触はなく、逆にひどく鈍い。桜切は頭目の魔法使いの腹部に一センチほど刺さったきり、それ以上は一ミリも進まなかった。
今や頭目の魔法使いは、もはや「人」とは呼べない姿になっていた。赤い光の筋が血管に沿って全身を走り、貫かれた手のひらも斬られた手首ももう血を流してはいない。ローブは「赤い光の筋」をまとった血に巻き込まれ、燃え上がってさえいた。
頭目の魔法使いは僕を見ると、手を伸ばして桜切を掴み、自分の腹から引き抜いた。
すごい力だ。とても止められない。この力は、あのセラフィナよりも強い気がする。
頭目の魔法使いは僕を見ながら、左手で桜切を掴み、右手で殴りかかってきた。
僕はすぐに桜切から手を離して後ろへ跳んだ。こんな力の拳を食らえば、骨が折れる。
頭目の魔法使いは僕の想像よりずっと素早く、僕が後退した瞬間に追ってきた。僕はひたすら避け続け、磁力で桜切を呼び戻そうとしたが、桜切は奴の手の中で微動だにしない。力が強すぎる。
僕が避けている最中、銃声が響いた。紗夜が頭目の魔法使いの背後から一発撃ち込み、弾丸が体内で空洞を作り、奴を数歩後退させた。効果があると見た紗夜はもう一発撃ち、それから弾が残っていないのを確認して、拳銃を地面に捨てた。
「あいつ、こんな化け物になっちまったのか?」
アナスタシアが僕のそばに駆け寄り、僕を引っ張って後退した。
僕はアナスタシアに引かれながら後退しつつ言った。
「ああ。さっき奴が何か唱えてるのが聞こえたから、カノポス匣の中身を飲み込んだあとで、何を唱えてるのか聞こうとした。そしたら、聞き取った途端にあの姿になっちまったんだ。」
「は?つまり、カノポス匣の中身が奴をああしたってこと?」
「わからない。でも、その可能性は高い。」
僕は軽くうなずいた。アナスタシアの推測に、僕も確信は持てなかった。
だが、僕たちが頭目の魔法使いを見ると、さっきの紗夜の銃撃でできた傷が、あの赤い光の筋によってみるみる修復されていった。




