3話、歌い手に殺してもらう会
夏海さん、こんにちは。その後、いかがですか。ああ、そうですよね。白色症例の被害者として事情聴取や検査で大変ですよね。鳥居のことや僕のことは……はは、別に言ってもいいんですよ。どうせ妄言としか思われません。
おばあちゃんが誕生日? おめでとうございます。どうしたんですか、その名刺? 金髪ロング美女の刑事が家に? そんな刑事います?
内閣府、特殊神災対策本部、八百万秩序維持機関、対終末特務班。
長いな。聞いたことがない。これは詐欺かもしれませんね。あやしいもん。金髪ロング美女刑事。写真とか見たいな。美女かあ……。
ああ、そちらのスケッチブックは? ああ、絵を練習なさってるんですね。素晴らしい。SNSでいいねしてくれるフォロワーがいる? いいですね。
ところで、この『七氏』ってご存じですか? 知らない? あ、そう……。
なんでも、路上でストリートパフォーマンスしてるらしいですよ。三回クレジットカード情報を渡すと殺してくれるんだとか。意味不明ですよねえ。ええ、ええ。僕のターゲットです。
三、歌い手に殺してもらう会
日本には「歌い手」と呼ばれる存在が何万人もいる。動画サイトに歌ってみたを投稿するだけで名乗れる肩書きだから、その数は正確には誰にも数えきれない。『七氏』とは、そんな歌い手のひとりだ。
ネットと路上で歌を披露し、パトロンやファンからのチップと動画再生数による収益で活動している。年齢は公開されていないが、路上で歌う彼は職務中の『調査官』稲荷三朗には中高生ぐらいの年齢に見えた。
少年は、安物のマイクを両手で包み込むように持っていた。
声は細く、少し掠れている。高い音に届きそうで届かず、ところどころで音程がわずかに揺れた。
まだ変声期を抜けきっていないような、危うい高さの声だ。
その服装は路上の歌い手にしては妙に整っていた。
黒いパーカーに細身のパンツ。靴は汚れているが、元は高価そうなスニーカーだ。サイズの合った服を着ているのに、どこか借り物のようにも見える。背筋を伸ばして歌う癖が、どこか育ちの良さを感じさせた。
まるで、きちんと育てられる途中で、急に放り出された子供のようだ。実際、そうなのかもしれない。
歌はそれほど上手いと思わない。自作らしき曲も、天に唾を吐いて冷笑するようで、イキイキしていて格好いいのかダサいのか判断に迷ってしまう。
歌唱力が飛び抜けていれば「クールだな」と思うに違いない。
だが、いまいちだから困る。微妙な居心地の悪さでむずむずする。音を外されると恥ずかしくなる。
なぜ見ず知らずの歌い手の歌唱で羞恥心を感じてしまうのか。共感性羞恥だろうか。ここで羞恥を感じないでノレるのが瑞々しい感性の証明なのだろうか。そう思うと後ろめたい気分さえ湧いてくる。いや、女子高校生の夏海も知らないような歌い手だ。きっとこれは拙いと評価してよい歌なのだろう。
「常盤先輩、この歌どう思います? 僕は絶妙に下手だと思うんですが……」
「稲荷、素晴らしい歌い手への侮辱はやめろ」
「は」
こんなのが素晴らしい? ――稲荷はそう思うのだが、他の人間にとっては違うらしい。
青々とした歌詞を吐き出す少年に感銘を受けた顔で、メンター兼先輩の常盤神護が手拍子している。鼻の頭を赤くして洟をすするような音をたてたが……目が潤んでいるように見えるが……まさか、泣いている?
「ええ……? せ、先輩……」
稲荷はドン引きした。
常盤神護は待ち合わせの定番である忠犬像の傍らで腕を持ち上げ、黒い袖で目元を拭った。垂れた前髪が目の上でくしゃくしゃにされている。
ほ、本気で感動している。
「きもい……」
「稲荷、せめて歌が終わるまで黙れ」
「は」
意味がわからない。これのどこがいいんだ――理解に苦しむ視界で、ファンと思しき女性がチップを差し入れしている。
捧げる先は、路上に置かれたつば付き帽子だ。メッセージカードには、数字が書かれているのがチラ見えした。恐ろしいことに、事前に仕入れた情報によるとクレジットカード番号と名前と生年月日、そしてセキュリティコードが書かれているという。
入れていった女性は、真っ白な髪をしていた。
チップをいただく『歌い手』の髪も雪のように白いから、真似をしているのだろう――怪異による事件を知らなければ、そう思って終わる話だ。だが、このクラスターには白色症例の疑いがかけられている。
白色症例だとすれば、彼らは怪異を生み、犠牲となる運命だ。
歌が終わるとほっとした。拍手に頭を下げる少年は、すっきりとした顔立ちだ。稲荷の脳裏に「美少年」という三文字が浮かぶ。
そうすると、その姿を目に焼き付けるように熱視線を送り、ついでにスマートフォンを向けている常盤が何とも気持ち悪く思えてきた。チップまで入れている。しかも、万札だ。
「うわあ……常盤先輩、クラスター入りして白色症例コースですね。さようなら」
「稲荷、変態を見るような目で俺を見るな。カード情報は渡していない」
「だって気色悪いですよ先輩。あれ、そんなに熱狂するような歌でした? いつもはもっと仕事に淡泊っていうか」
「お前は本当に失礼だな。パフォーマーへのリスペクトを抱け」
うわあ。怒ってる。
稲荷は距離を三歩分取り、常盤を追い払うように手を振った。視線を七氏に戻すと、少年は荷物をまとめてどこかへと歩いていく。
いつもならここで「じゃあ帰るか」と言って稲荷をフリーにしてくれるのが常盤だが、今夜は「尾行しよう」と据わった目をしているのが心底気味悪くて迷惑だ。泣いているのが怖い。
「本気できもいです。僕、先輩のこと通報していいですか?」
「罪状はなんだよ」
「未成年へのストーカーとか」
「何を言ってるんだお前は? 俺を何だと思っているんだ?」
「美少年に執心して泣きながら尾行しようとするやばい刑事さん」
稲荷は特殊事案調査チームのリーダー鈴木へと『通報』しつつ、常盤の背を追った。
――歌い手にカード情報を渡すと死ぬ。
そんな噂が流れた時点で、歌わせるのをやめればいいのに。
それができないから犠牲者は増え続ける。
世の中は面倒で、都市は雑音と虚しさが溢れている。発信源の定かでないCMのアナウンスと電子音楽が空間に滲み、群衆のざわめきや笑い声がそれを覆って、街は音の濁りに満ちている。
「まじだって。陰謀論とか言うなよ。政治から目を逸らさせるために炎上させてんだって」
「ぎゃははは。AIでお前も剥いてやろうか」
ぽっかりと穿たれた黒い空は、大型ビジョンの光を際立たせるための背景のように澄み渡っている。その下に設置された光の群れにゴテゴテと照らされた通行人は、この世の余剰を寄せ集めた塊のように見えた。
「七氏、ネットカフェに入りましたね」
「普段通りならこの後は動画を投稿してSNSで報告して寝るはずだ」
「普段の行動を把握してるのやばくないですか? 悪は警察組織に潜んでいるんだなあ、堂々と」
稲荷はその日の業務を終了させた。翌日、常盤は相棒からの通報内容について事実確認のために呼びだされた。
思い返せば、警察官採用試験の適性検査には、協調性を測る質問が山ほどあった。
「仲間と協力して仕事をするのが好きだ」
「チームの成功を自分の成功より優先する」
稲荷はすべて「非常に当てはまる」を選んだ。
あれは試験で、本音を聞く場ではないからだ。
本心は、できれば一秒でも長く単独行動したい。先輩というのは、邪魔なお荷物でしかない存在なのだ。




