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東京禁胞区  作者: 朱音ゆうひ@『桜の嫁入り』発売中です!


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監獄の天使(2)

 古来、人は闇に怪異を見て、光に神を見た。科学が発達した現代でも、その習性は消えていない。

 

 ゲームからログアウトして退勤すると、外はどんよりとした曇天の夜だった。

 夜風は湿っていて、生暖かい。

 

 勤務を終えた稲荷は、帰寮の道すがら、スマートフォンに送信された動画を順にチェックした。例の転落死事件の動画だ。

 複数あるが、どれも夜の時間帯で一、二分ほど。高層ビルの上から人が落ちるのを遠くから偶然捉えた動画だ。あっさりしすぎていて、人が死んでいる実感が湧かない。

 撮影者から距離があるため、解像度が低く、表情がわからない。目を凝らしても、誰かに落とされているのか、自ら落ちているのかが不明瞭だ。一部の動画では、小さく声も入っていた。


【やめて! もう昔のことは思い出したくない……】 


 直後に落下している。

 何らかの理由で幻覚症状などに見舞われてパニックに陥った末に自分で落ちたのだろうか。

 

 運営会社は不正アクセスやGM権限の不正行使、システム改ざんの事実を否定しているが、死亡事例が同一ギルドに偏在している事実は看過できない。

 遺族側は刑事訴訟法一九七条二項に基づく照会を強く求めているものの、オンラインゲームと現実の転落死との因果は依然立証に至らず、捜査は決め手を欠いたまま犠牲者だけが増えていた。

 そんな折、犠牲者に白色症例と思われる特徴が診られたことで、捜査の方向性は変わった、というわけだ。

 

 しかし、怪異による死亡だと言われて、遺族は納得できるものだろうか――現実が馬鹿げている。

 

 視野を照らす光が揺らいだ気がして、稲荷は足を止めた。夜の住宅街は静かで、コンビニの看板も、遠くのマンションの窓も、いつも通りの灯りを保っている。気のせいだ。

 歩きながら見るものではないな、と判断し、稲荷は動画の再生を止めた。スマートフォンを仕舞い、再び歩き出す。

 その瞬間、首筋に冷たく細い何かが触れた。眉を上げて手を当て、周囲を確認する。

 ――なんだ?

 異変はない。誰もいない。


 雨上がりの舗装路が街灯を鈍く反射しているだけだ。強いて言えば、自分の影が長く濃く伸びて不気味な程度。――気にしすぎだ。

 結論づけて歩き出す歩幅が自然と早まる。

 途中でふわりとした何かが顔にかかって、手で払う。蜘蛛の巣か何かの一部が風に飛ばされてきたのか。稲荷は顔をしかめた。

 虫は苦手だ。じっとりと汗もかいている。部屋に戻ったら、シャワーを浴びたい。

 

 寮はすぐそこだ。

 自動ドアのエントランスを過ぎて白いランプを灯すエレベーターに乗り、目的の階を指定する。扉が閉まると、黒い革靴のつま先に何かが触れた。かさり、という軽い音に、紙だと思った。

 視線を落として、すぐに視線を正面に戻す。

 黒い折り鶴が落ちていた――気がする。そっと再確認すると、何もなかった。稲荷は目を擦った。


 疲れている。そう思った。


 エレベーターの階数表示の数字は、ひとつずつ増えていく。普段通りだ。それを見て、ふと動画を思い出す。犠牲者は皆、高所から落ちていた。指先が停止ボタンに向かいかけた刹那、エレベーターが停まる。

 目的の階に付いたのだ。

 ドアが開く。一歩踏み出し、背後でドアが閉まって一瞬前までいた空間が過去になると、不思議なほどの解放感が湧いた。

 自分はどうも繊細だ。怪異を知っているくせに、こんな瞬間に怯える。心が弱い。こうではいけない。もっとしっかりしなくては。

 

 フロアは人の気配に乏しく、空気が乾燥して生暖かい。

 かつ、かつと響く自分の靴音と呼吸音が、いつもより気になる。稲荷の部屋は、通路の一番奥にある。そこまで歩く道のりが、妙に長く感じられた。

 

 浴室・トイレ別八畳の自室に靴を脱いで入ると、安全地帯に逃げこめたような気分になった。棚に並べてある塩の瓶を取って、薄く撒いたのは、念のためだ。シャワーを浴びて、軽く食事をして寝てしまおう。そんな気分になった。

 稲荷はシャワールームのドアを開けたまま、服を脱ぎ捨てた。


 シャワーヘッドから針のような水が出る。冷たい水が徐々に温かくなり、ボディソープで顔も体も清潔にすると、だいぶ気分がよくなった。

 湯を止めてバスタオルで体を拭う。

 そのタイミングで、いつの間にか閉まったドアに気づく。稲荷は眉を寄せ、ルームウェアを抱えたままドアを開けた。


「うっ……」

 

 思わず声が出る。

 目の前には、異空間が広がっていた。


 暗い。光の届かない密閉された地下のような空間だ。

 饐えた匂いが鼻をつく。いつの間にか戻るためのドアは消滅していた。鉄格子がある。内側に囚われている。

 ここは――監獄だ。


 かさ、かさ。


 紙が擦れる音がする。小さな音が、いくつも重なって耳障りな環境音になっている。

 暗闇には、何かが蠢いていた。一体、二体――数えきれないほどいる。 

 白いとりもちのような質感の、異質なものだ。人間に似た形状をしていて、背に鳥のような翼が生えている。顔はない。代わりに、裸体の肌一面に紙が貼られていた。紙には文字が書いてある。


『わたしは嘘をつきました』

『暴言を吐きました』


【悪い子……】


 かさ、かさ、かさ。

 

 幼い子供のようなあどけない声が、脳を揺らす。


【おのれの過去を振り返り、罪深さを自覚せよ】 


 とたんに、悪夢が展開される。稲荷は理解した。

 ――ああ。そういう罰なのか。 

 誰にでもある、思い出すのもつらい過去。それを見せて、責め苦の末に殺すのだ。


 かさ、かさ、かさ。かさ、かさ、かさ。かさ、かさ、かさ。かさ、かさ、かさ。かさ、かさ、かさ。かさ、かさ、かさ。かさ、かさ、かさ。かさ、かさ、かさ。かさ、かさ、かさ。かさ、かさ、かさ。かさ、かさ、かさ。かさ、かさ、かさ。


 紙が擦れる音で聴覚が塗りつぶされていく。

 目は、白い胞子が降り注ぐ世界を見ていた。



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