ただのフィーと、ただのウォル
父親からの言葉を受け、全てを話すことを決めたフェデルシカはウォーレルに椅子に座るよう促すと、幼い頃からの出来事を順序立てて話していった。予知夢について聞いた瞬間のウォーレルは驚きを隠せない様子で、代償について知ると僅かに顔を歪める。それでもウォーレルは口を挟むことなくフェデルシカの話を聞き続けた。
どれくらいの時間が経っただろうか。全てを話し終えた頃には、心が軽くなったようにフェデルシカは思えた。他者に話しながら、自分の人生を振り返ったような気分だ。
それに、ありのままの自分をウォーレルに知ってもらえた。誰かから聞かせられれば、必ず憐れみや悲しみ、同情などが付いて回るだろう人生を、フェデルシカ自身の言葉で伝えられたのはとても大きな事で、フェデルシカにとっては重要な事だった。
私は決してこの人生を後悔していない。
そんなことを家族や身の回りの世話をしてくれる人に伝えたって理解はしても、納得してはもらえないだろう。何故なら彼らは、フェデルシカの予知夢に救われてきているのだから。
しかし、フェデルシカは声を大にして言えるのだ。本当に後悔していないと。死ぬのは怖いが、それはフェデルシカが選んだ道だ。だから、そのフェデルシカの選んだ道を素直に受け入れてくれる人が欲しかった。
「……貴女は凄い人だな。そんなにも真っ直ぐ自分の選んだ道を進める人はそういないだろう」
ウォーレルは真っ直ぐフェデルシカを見つめ、僅かに口元を緩めた。それだけでフェデルシカの心に喜びが満ちてくる。否定も哀れみもないその言葉は、何よりもフェデルシカを満たしてくれた。自然とフェデルシカの表情も柔らかくなる。
「最初の貴女の印象は、世間知らずで能天気なやつ、だった」
「まあ!」
ウォーレルの突然の言葉が思ってもいないことでフェデルシカは驚いた表情を見せる。そんな反応にウォーレルは苦笑いを浮かべた。
「花が綺麗やら、好きなものやら、何を言ってるんだと思ったよ」
「ふふふふ」
その頃の自分を思い出してフェデルシカが笑い出す。あの時は本当に何を書けば良いのかわからなかったのだ。確かに戦乱期にそんな事を書いていれば世間知らずで能天気という言葉がぴったりだろう。
「でも、貴女は世間の流れに疎いだけで知識は豊富にあったし、一つ世間について話せば、十の質問が来るほど世間を知りたがっていた。俺なんか知っているだけで頭の中は自分の事ばかりだ。さすがに反省したよ」
「そんな事はありません。ウォーレル様はーー」
「ウォル……そう、呼んでくれないか?」
ドクンっ!
フェデルシカの心臓が大きく跳ねる。懇願するようなウォーレルの青い瞳から目が離せない。
「フィー……と俺は呼び続けたいから」
低くて甘い声が耳に飛び込んでくる。
全身に電気が走るような痺れがフェデルシカを襲う。この感覚はなに? と戸惑ったのは一瞬で、自分は喜んでいるのだとすぐに理解した。会っても事情を知っても尚、ウォーレルが求めるのは、フェデルシカ王女でもなく、予知夢を見られる人でもなく、ただのフィーだったのだから。
「私が貴方に予知夢の事も何も教えなかったのは……ただの女の子でいたかったから」
ウォーレルが発した最初の質問への答えを、今ならはっきり伝えられる。
フェデルシカの言葉を受けたウォーレルは驚きを見せるも、すぐに嬉しそうに微笑んでベッドへ近づきフェデルシカの細く小さな手をその大きな手でそっと包んだ。
「俺はもう女の子、いや、女性にしか見えないよ」
どちらからともなく笑い声が起きる。気持ちを伝えられたことが嬉しくて我慢ができない、そんな笑い声だった。
扉の外で控えていたエリーとアレンも二人の笑い声を聞きながら、優しげな笑みを浮かべる。主のあんなに嬉しそうな笑い声を聞いたのはいつ振りか。
文通が終わってから気落ちしていたフェデルシカの今浮かべているだろう表情を思うだけでエリーは心が温かくなるのを感じる。そしてアレンも、きっと娘が心配で執務室をウロウロしているだろうドレットの元に早く報告してあげなくては、と心が軽くなったのであった。
あの後、遅い夕食を二人でとったフェデルシカとアレックスは、お互いの文通で思っていた事をぶつけたりと楽しい時間を過ごした。
フェデルシカに文通にやる気が感じられなくて気楽にできた、と言われたウォーレルが猛烈に過去の自分を殴り飛ばしたくなったり、暗いなぁと思った、と言われフェデルシカからの第一印象が最悪だったのだと思い知ったウォーレルが若干落ち込んだのは秘密である。
その日から、フェデルシカの元にウォーレルが通うというのが日常となった。誰も何も言わないのは、ウォーレルが仕事をきっちりとこなしているからであり、フェデルシカに残されている時間が少ないからであろう。
仕事の合間を見つけてはやって来るウォーレルに、しっかり休めとフェデルシカが言えば「ここが一番休まる」とはぐらかされ、周りにバレては困ると言えば「俺はヘルス王国一の魔術師だぞ。バレずに抜け出すなんて朝飯前だ」と自慢してくる。ドレットも何故か容認しているしで、フェデルシカは言うのを諦めて、素直にウォーレルが来るのを待つようになった。
時の進み方は同じだというのに、待っている時間はとても長く、会っている時間はとても短く感じる。ベッドの横にある窓から外を度々覗いては、探している人影が見つからず小さなため息を漏らす。大好きな本を読んでいても何処かそわそわしているフェデルシカにエリーがそっと紅茶を入れることもしばしばだ。
そんなフェデルシカの変化を誰もが微笑ましげに眺めていた。決して体調が良くなった訳ではないが、表情に明るさが戻ってきている。
最近のフェデルシカの口癖は『エリー、私、変なところないかしら?』で、ベッドの横にはいつの間にか小さな鏡が置かれ、朝にはエリーに軽く化粧まで施してもらっているのだ。誰かに見せるという機会がほとんどなかったフェデルシカにとって、どう見られるかを気にするのは大きな変化である。
それでも、毎日二人が会える訳ではなかった。総指揮官であるウォーレルの仕事はとても忙しく、さすがのウォーレルでも毎日抜け出せるほど暇ではなかったからだ。フェデルシカはウォーレルの立場を十分理解していたので、何も言わず、落胆する姿も見せず、ただただ笑ってウォーレルを迎え入れる。ウォーレルも時間がとれない日は、夜に部屋へ寄ってフェデルシカの眠る姿を見ては、安堵の息を吐いていた。
そんな日々がどれぐらい過ぎた頃だったか。その日、フェデルシカは予知夢のせいで朝から体調が悪かった。食事をとる気力もなく、一日中横になっているフェデルシカの様子をアレンからこっそり伝えられていたウォーレルは、仕事を終えてすぐにフェデルシカの元に訪れた。
「こんな夜に悪い。フィーの顔を見たくてな。体調はどうだ?」
「心配かけてごめんなさい、ウォル。そうね、朝よりは大分良くなったわ」
寝る支度を済ませ、横になっていたフェデルシカは心配そうなウォーレルに笑いかける。一瞬ウォーレルは眉間に皺が寄せたが、すぐに優しい笑みを浮かべた。
「それならよかった。今日はフィーの側にいてもいいか?」
「ウォルも休まなきゃ、身体がもたないわよ?」
「フィーが眠るまでだ。だから、ゆっくりおやすみ」
そっとフェデルシカの頭を撫でるウォーレルの手は温かく優しい。幼い頃、眠れずに母親のベッドに潜り込んだ時の事を思い出し、こんなに落ち着いた気持ちで夜を迎えたのはいつ振りだろうかと考えながら、フェデルシカはゆっくりと夢の世界へ誘われた。
「……今夜はずっと側にいるよ、フィー」
小さなウォーレルの呟きが眠りに落ちたフェデルシカに届く事はない。その日、ウォーレルはフェデルシカの手を握り、ベッド横の椅子に座ったまま朝を迎えた。
そしてその出来事が、二人の関係を大きく変えるキッカケとなる。