アスティの恋~前編~
本編に続く物語です。先に読んでもいいし、後で読んでも楽しいかと思います。
内容は悲しいものですけれど…。
「ち…きしょう…、あんの、豚親父!」
朝まだ早い時刻、人々がやっと起き出すかというくらいに、その女は悪態をつきながら、体を引き摺るように歩いていた。
「ちょーしに乗りやがって…」
とブツブツ悪言雑言をまき散らす。
その後ろからスタスタと近寄る人影。
「おい、おめぇ」
と女に声を掛けた。
「ああ?! んだよ?!」
不機嫌マックスの表情で、声を掛けてきた人物の睨み付けた。
ところが、その男は平然と、
「大丈夫か?」
と問う。
「ああ?!」
いかにも柄が悪いですとでも主張するような声を張り上げ、女が男をさらに睨み付ける。
「歩くの辛そうだな」
確かに、何だか足を引きずっているようだし、体がだるそうな重そうな感じで女が少し前屈みでいる。
「てめーには関係ねーだろ!」
そう言葉を吐くと、女は男を置いてスタスタと歩き始める。
「いや、まあ、そうだけども…」
やはり女がだるそうに歩いて行く。
「フン! 男なんか!」
そう呟き、無意識のうちに片腕で体を庇っていた。
男はだるそうに歩いて行く女を少し見ていた。
そして、スタスタスタと足早に女に近づくと、
「おい」
声を掛ける。
「ああ?!」
女は再び睨み返す。
「い?」
女が自分の体が宙に浮いたように感じた。
男がひょいっと、軽々しく女をお姫様抱っこしていた。
「送ってってやるよ」
「ハア?!」
知らない男にいきなり抱っこされ、しかも家まで送るなど、危ない奴にしか思えない。
「ふざけんな! 下ろせ!」
女が手足をばたつかせる。
「うおっとっと。今手を放すと石畳の上に落ちるぜ?」
女がピタリと動くのをやめた。
さすがに石畳の上に落とされたら痛いだろう。
「そうそう、大人しくしとけ」
そう言うと、男はスタスタと、女の体重を感じさせない程身軽に歩き出した。
「なんなんだてめぇ…。何が目的なんだ…?」
女が不審の目を向ける。
「目的? 歩き辛そうにしてるから、送ってやろうとしてるだけだぞ?」
男がさも当たり前のように言う。
「それよか、このまま行くと川に突っ込む事になるが、川が家?」
などとアホな事を言ってくる。
「んなわけあるか! そこを左だ!」
女がつられて道案内し始めた。
結局女の住処まで、男が運んで行ってしまった。
扉を開けると、必要最低限の物しか置かれていない室内が見えた。
「簡素だな」
「ほっとけ」
男が遠慮なしにスタスタと部屋に入り、ベッドの側に来ると、
「ほらよ」
ぱっと両手を放した。
「ぎゃ!」
女がベッドに落ちた。
「落とすな!」
ベッドといっても、そんなふかふかの布団があるわけでもない。
ちょっと痛かった。
「早く下ろせってうるさかったからな~」
と男がぺろりと舌を出す。
「ん?」
男の目が、落ちた拍子にスカートがめくれて露わになった女の足を捉えた。
そこには、縄で縛られたような痣、打たれたような痣、痣、痣、痣…。
「お前…」
男が声を失った。
女はその視線に気付き、慌ててスカートで隠す。
「それ…」
「客の趣味だよ」
女がすっぱり言い切った。
「珍しくもねぇだろ。こんなもん」
女は娼婦なのだ。
そういう趣味のお客に、毎日いたぶられているようだった。
女がはっと気付く。
「ああ、そうか。てめーもそれが目当てなんだろ?」
そういうと、おもむろに服を脱ぎ出す。
「やりたきゃやれよ」
そう言って上に着ていた物を脱いだ。
露わになった上半身には、やはり無数の痣と傷。
男が息を飲む。
「早くしろよ。俺は疲れてるんだから」
女が虚ろな目をして、少し俯いた。
肩口で切り揃えられた濃紺の髪が、はらりと首を少し隠した。
男がなんとも言えない渋い顔をする。
そして、
バサッ!
「ぶ?!」
女の足元にあった掛け布団を、女の頭からすっぽりと掛けてしまう。
女は突然頭を覆った布団をかいくぐり、頭をぶはっと出してくる。
「な、何すんだよ!」
「いいから服着ろって。そーゆーつもりで助けたんじゃねーよ」
男は背中を向けた。
女がしばし黙考する。
「か、金は持ってねーぞ…」
「見りゃ分かるわ!」
男がずっこける。
「別に見返りが欲しくてやったわけじゃねーって。困った時はお互い様って言うだろ」
男がそう言い終えた途端。
ぐううううううぅぅぅぅ…
女のお腹が盛大な音を響かせた。
女が顔を真っ赤にする。
「え…と…」
男もさすがに、どうフォローすればいいのか、分からないようだ。
「な、なんか作るか? 何があんだか知らねーが…」
と一応取り繕うとするが、
「出てけ――――!!」
と女が枕を投げつけた。
「うへい!」
男が慌てて部屋を出て行った。
部屋の扉がバタンと閉まるのを確認し、女は布団を頭まで被って丸くなる。
「くそっ! なんなんだあの男は! なんなんだ!」
女はしばらく悪態をついていたが、そのうちに眠ったのか、声が聞こえなくなった。
女に部屋から追い出され、男がしばらく女の部屋を見つめていた。
西の山に太陽が沈んでいく。
「ん…」
女がいつものように目を覚ます。
女にとっては、これからが活動時間だ。
「もう…、夜…?」
寝ぼけ眼をこすり、体を起こすと、誰もいないはずの部屋に人影。
そしていい匂い。
「お、起きたか?」
追い出したはずの男が当たり前のようにそこにいた。
ベッドから落ちかける。
「な、なんで…?!」
二の句の継げない女に、
「丁度良かった。今温まったところだ」
と男がなにやら器を持って来て、女の口にスプーンでそれを突っ込む。
「ホレ」
驚きのあまり対応の遅れた女。
スプーンを口の中に突っ込まれ、素直にそれを味わってしまう。
美味い。
なんとも言えない、素材のうま味が活かされたそのスープ。
質素というか、貧相な食事ばかりの女の舌には、極上の快楽をもたらした。
そのままゴックンと飲み込む。
「どうだ? 美味かろ?」
男はさも当たり前のように言いのける。
そのまま二口目までも突っ込まれそうになった女は、
「自分で食う!」
と器とスプーンを奪う。
そのままベッドの上で、器の中身をがつがつと頬張った。
その姿を見ながら、男は嬉しそうに頷いた。
「美味いだろ~? 俺の妹とお袋が作ったんだぜ」
と何気ない家族自慢。
女がはたと気付く。
「じゃなくて! なんでいるんだてめぇ!」
「え?」
男はさも不思議そうな顔をする。
「いや、腹減ってるみたいだから、なんか美味いもん食わせたろーかと」
と頭を掻きながら答える。
「何が、狙いなんだ?」
女が男を睨み付けた。
まあ当たり前だ。
なんの目的もなく、女の部屋に忍び込んで、ご飯を施すなどあり得ない。
ところが、
「狙い? 何も狙うようなもんねーと思うが…」
と当の男も何故か不思議そうに言う。
「あ、そだ。んじゃ、名前教えてくれよ。お前の」
「名…前?」
何言うとんじゃこいつという顔をする女。
「嫌なら無理に言わなくてもいいけどな。あ、ほんで、俺はアスティ。よろしく」
明るい茶色の髪、緑の瞳のアスティが自己紹介した。
その無邪気な笑顔に毒気を抜かれる女。
「リザ…。リザだよ」
濃紺の髪、同じ色の瞳の女が、男につられて自己紹介する。
「リザ? リザイラでなく? ただのリザ?」
「なんだよ! リザイラって!」
「そーゆー花があんだよ。リザイラっちゅー。お前のその綺麗な青い瞳と同じ色の、可憐な可愛い花がな」
アスティの言葉に思わず赤面するリザ。
「ば、バッケーロ! な、なにが、なにが…!」
手に持っていた器とスプーンを思わず投げる。
「おっとっと」
アスティナイスキャッチ。
器から中身が溢れなかったので、きちんと完食したらしい。
「俺はこれから仕事なんだよ! とっとと出てけ!」
リザがアスティに詰め寄る。
「んなこと言われても、まだ半分以上残ってんぜ? 食わん?」
見ればテーブルの上に大きな鍋。
そこからまだ温かそうな湯気が立ち上っている。
「てめーで食え!」
リザが叫んだ。
そのままさっさと身支度を整え、扉を開けると、
「いいか! とっとと出てけよ!」
とそのまま出て行ってしまった。
部屋に残されたアスティは、残った鍋の中身を見て、
「美味いのに…」
と寂しそうに呟いた。
夜が更け、また東の空が白々と明るくなってくる。
仕事を終えたリザが、昨日と同じように歩いていた。
「くっそ~。昨日変な男に会ったせいか、なんか調子が変だ…」
と言いながらも、昨日よりはしっかりした足取りでスタスタと歩いている。
その時、お腹がクウと鳴った。
思わず目覚めた時の匂いとアスティの姿が浮かんでくる。
あのスープは美味しかった。
(…。何考えてんだ!)
アホな考えを打ち消し、家に向かって歩いた。
そして、家に辿り着き、扉を開けると、
「お、お帰り」
さも当たり前のようにアスティが出迎えた。
こけるリザ。
「どうした? 大丈夫か?!」
慌ててアスティが駆け寄ってくる。
「な…、な…、なんでいるー! 出てけと言ったろー!」
とリザがアスティに掴みかかるが、
「ああ、確かに一回この部屋からは出たぞ」
と平気の平左。
「でもまた腹減らしてるんじゃないかと思って」
と両手でテーブルを指し示すと、そこにはおいしそうなご馳走が並んでいた。
「余計なお世話だ! 出てけー!」
とリザが必死にアスティを追い出そうとするが、
「あ、そーそー。あとこれこれ」
聞いちゃいない。
そしてひょいっとリザを抱え上げると、
「ほ~れ、ベッドに…」
「な、何をする!」
慌てるリザ。
「投げてやる」
言葉通りにベッドに投げやがった。
「ぎゃ!」
昨日に引き続き、ベッドに不時着するリザ。
「つう…」
「ほれ、体見せな」
アスティがベッドの横に立った。
リザが一瞬目を伏せる。
「ほらよ! 好きにすればいいだろ!」
とバサッと着ている物を脱いでしまう。
だが、言葉とは裏腹に、体は少し硬直していた。
この後に起こるであろう事を予測して。
アスティの手が伸びてくる。
リザが固く目を瞑った。
ところが。
ぬりぬりぬり。
肩口の傷に何かを塗り込み始める。
リザが目を開ける。
「まったく、変な趣味の奴はいるもんだな」
と、手に持った軟膏を体に塗りつける。
「な、何を…、してる?」
あまりにも予測外の事に、目が点になる。
「え? 傷の手当て」
まあ、見りゃ分かるのだけど…。
「これは効くぞ~。うちに代々伝わる傷薬なんだ」
とにこやかに手に持った軟膏を自慢する。
「や、そ…じゃなくて…」
傷だらけとはいえ、上半身裸の女が目の前にいるのだが…。
「ん? ああ! もしかして!」
やっと気付いたか。
「恥ずかしかった? 悪ぃ悪ぃ、妹で見慣れてるもんだから」
と頭をかく。
またしてもベッドから落ちそうになるリザ。
「まあ、近頃じゃ、恥ずかしがって、一緒に風呂に入ってくれなくなっちまったけど…」
と寂しそうに言う。
「当たり前だろ…」
見慣れてるってことだから、妹もそれなりのお年頃のハズ。
そんなお年頃の女の子が、兄と一緒に入りたがるわけがない。
「んじゃ、ほれ。自分でできる所は自分で塗ってみ。できない所は俺がやったるから」
と軟膏をリザに手渡す。
「ああ…」
やはり毒気を抜かれ、素直に軟膏を受け取るリザ。
(なんか…。違うよな…?)
と思いながらも軟膏を体に塗っていった。
できない所は、宣言通り、アスティが手伝った。
そして何故か流れで、一緒にテーブルで並べられたご馳走を食べた。
食べ終わる頃にはっと気付く。
「い、いや、ちょっとまて。な、なんでこんなことすんだよ!」
当然の疑問だ。
「え? 口に合わなかった?」
とズレた回答を口にするアスティ。
「そーじゃなくて!」
リザがテーブルを叩く。
「何が目的なんだってんだよ!」
と声を上げる。
当然の疑問だ。
「目的って言ったってなぁ」
ともぐもぐと考えるアスティ。
そして思いついたように、
「あ、んじゃ、リザの笑顔が見たいってのにしよう!」
いや、今決めたように言われても…。
てかこいつ、本当に何も考えてないんじゃ…?
「ふざけんなてめえ!」
リザが憤る。
「まあ、そんだけ元気があんなら…」
と、ガタリとアスティが立ち上がった。
「ほれ」
気合い一発。
リザは再びベッドに投げられた。
「ぎゃ!」
三度目の悲鳴を上げる。
「あちち…」
とベッドで唸っていると、ずしりと背中が重くなった。
「大人しくしてろよ」
振り返ると、アスティがリザの上に跨いで乗っていた。
俯せのまま押さえつけられてしまう。
(男なんて…、男なんてみんな同じだ!)
リザが固く目を瞑った。
「あらよっと」
アスティがリザの両腕を持ち、そのまま持ち上げる。
リザが海老反りのようになり、
「うぎゃああああ!」
痛さに悲鳴を上げた。
体中がバキバキ言っている。
「痛い! 痛い! 痛い!」
「少し我慢してろよ~」
「痛いっつーに!」
逃げる事もできず、リザが痛みに耐える。
そしてゆっくりと体を下ろされた。
ぐったりとなるリザ。
「やっぱ凝ってるな~」
と嬉しそうなアスティ。
「腕が鳴るぜ」
「な、何…を?」
それからしばらくの間、リザの悲鳴が谺していた。
ぐったりとベッドに横になったリザに、アスティが優しく布団をかける。
「目が覚めたらだいぶ体がすっきりしてるはずだぜ! ゆっくり休めよ!」
そして、リザの意識がなくなった。
また夜が近づいて来る。
リザがふと目を覚ました。
体を起こしてみると、アスティの言った通り、体中軽い。
日頃の疲れが吹っ飛んでしまったかのようだった。
部屋を見回す。
そこに人影はなかった。
いつもの寒々とした自分の部屋。
(何を期待してんだ。俺は…)
部屋がいつもより広く、静かに感じられた。
(これが俺の、普通。これが俺の、日常…)
身支度を整える。
扉に近づく。
と、足音が近づいてきた。
扉に手を掛けようとしたその時、
バタン!
その扉が荒々しく開け放たれた。
目の前にアスティの顔。
「…!」
「ほ、良かった~。間に合った~」
走ってきたのか、息が上がっている。
「なんだよ?」
ぶっきらぼうにリザが尋ねる。
「ほれ」
リザの目の前に、青い花が差し出された。
蕾が2、3個あり、いくつかは花開いていた。
リザが見たことの無い花だった。
「リザイラに似た花はないかな~って探しに行ったんだが…、迷子になりかけた…」
それで遅くなったらしい。
「お、俺はこれから仕事だぞ…。そんな物もらってらんねーよ」
顔がほんのり赤くなっているリザ。
そんな顔を見られないように目を伏せる。
「あ、そーか。何か挿しとくもんある?」
それに気付かないのか、アスティ平然としている。
「あるわけねーだろ」
売れっ子の娼婦でもあるまいに、花を挿す器など持っているハズがない。
「どけよ、仕事に行くんだから」
とアスティを押しのけてリザが出て行く。
「ああ。気をつけてな」
アスティ手を振って見送った。
「う、うるさい!」
足早にリザはその場を去った。
(なんなんだよ! あいつは…!)
顔が熱い。
鼓動が早い。
(なんなんだよ…、この感じは…)
リザは足を動かした。
この気持ちから逃れる為に。
あの男から離れる為に。
そんな後ろ姿を見送るアスティは、何事か考えるような顔をしていた。
書いてて、「アスティって、ストーカーでは?」などと思ってしまった。




