11.
あれから一週間が経過した。
『平民のリオ・マーベリックが、第三王子妃となった』という噂が、社交界に流れていた。
だがその素顔を知る者は、王族と近しい重臣たちだけだった。
朝の武錬場に、怒りを抑えたミルスの声が響く。
「なぁリオ、もう一度だけ確認していいか?」
あくまでも冷静なリオの声が、ミルスに応える。
「あら、なにかしら?
あなたと私の仲ですもの。
遠慮はいらないわよ?」
「この結果は、『お前の実力を全て出し切った結果』。
そう胸を張って言える――それで間違いないな?」
「ええ勿論よ? 創竜神様に誓って言えるわ」
今、ミルスの眼前に広がる光景は、彼にとって信じられないものだった。
第二王子妃ファラに組み敷かれた、第三王子妃リオの姿だ。
既に三度の勝負を行い、全てが同じ結果になっていた。
ミルスの隣で観戦していたエルミナが、静かに意見を述べる。
「ファラはこれでも、組打術はかなりの腕前です。
さすがに男の兵士たちには腕力や体格で負けますが、同性に負けることはありません。
この結果は、妥当と言えるでしょう」
ミルスが目をつぶって、片手で頭を抑えた。
つまり、エルミナの目から見ても『リオが手を抜いたわけではない』と判断したのだ。
エルミナが感心したようにうなずきながら、言葉を続ける。
「この身体能力と技術で、私とファラを相手にあそこまで渡り合った。
その事実には、舌を巻くばかりですね」
成竜の儀に敗北したエルミナには、竜将の資格がない。
今のエルミナとファラを相手にいくら拳を交えようと、それは成竜の儀にならないのだ。
それを利用してミルスとリオは、二人を相手に『対ヤンク王子用の調整』を行っていた。
一週間を静養に充てたリオは、体調が充分に万全と言えた。
同じくエルミナとファラも、体調は万全だ。
スパーリングなので、お互いが創竜神の加護を受けない状態――そんな条件下ではある。
だがリオは、一度はエルミナとファラを同時に相手にして、一人で互角の勝負を見せた。
それがまさかファラ一人に全く歯が立たない。
この結果は、ミルスには予想外だった。
「だから言ったじゃない!
私は普通の十五歳の女の子なのよ?!
訓練を受けた十七歳のファラを相手に、勝てる訳がないの!」
不満を口にしながら立ち上がるリオが、武錬用の訓練着の裾を叩いている。
エルミナも困ったように笑いながら、リオの言葉を肯定する。
「今日の動きを見る限り、どこをどう見ても素人のそれです。
喧嘩慣れはしているみたいですが、あくまでも子供同士の喧嘩水準。
訓練を積んだ者に通用する動きではありません」
リオが小さく息をついて応える。
「それはそうよ。
私が十二歳の頃までに培った、喧嘩殺法ですもの。
子供同士の喧嘩水準の動きしかできないのは当たり前ね」
リオは初等教育の頃から負けん気が強く、男子相手でも喧嘩を辞さない女子だった。
まだ女子の体力が、男子を上回ることができる時期だ。
その地域で『リオ・マーヴェリック』といえば、一番強い子供として知られていた。
「――だけど、その程度の実力しかないわ。
中等教育になってからは喧嘩も控えていたし、腕が鈍っていても不思議ではないの」
ミルスは頭を抱えながらエルミナに尋ねる。
「じゃあ、そんなリオがどうやったらエルミナ兄上とあそこまで渡り合えたっていうんだ?
兄上だって苦手とはいえ、組打術の訓練自体は積んでいるだろ?」
エルミナが困ったように微笑んで応える。
「それだけ創竜神の加護が強かった、としか考えられませんね。
加護の強さだけで言えば、国内でも指折りでしょう。
ヤンク兄上の番、アレミアも屈指の加護を持ちますが、それすら上回るかもしれません」
「エルミナ兄上がそう言うなら、おそらくそうなんだろうなぁ……」
ミルスが大きなため息をついた。
エルミナはリオたちに打ち負かされて以来、すっかり毒気が抜けていた。
今ではかつての心優しい穏やかなエルミナに戻っていた。
この一週間の間に二人と仲直りを果たしている。
昔の様にエルミナを敬愛できるようになった事を、ミルスは喜んでいた。
リオが、そんな自然体のエルミナを眺めてつぶく。
「エルミナ王子って、本来はこんな人だったのね。
第一印象は最悪だったけど、今じゃ好感度がかなり高いわ。
憑き物が落ちるってこういう事を言うのね」
ファラが優しく微笑みながらリオに応える。
「エルミナ様は元々、心穏やかな方なんです。
側室の息子という重圧を受けながら、成竜の儀に勝とうと必死になられていた。
その重圧の中で、ご自分を見失っておられたんです。
そんなエルミナ様を救って頂いたご恩は、決して忘れません」
「ああ、それでヤンク王子とエルミナ王子が同い年なのね」
納得したようにリオが手を叩いた。
正室と側室の子供であれば、同い年というのは不思議ではない。
側室であるエルミナの母親は身体が余り丈夫ではない。
一週間前の夜会では、姿を見せることはなかった。
リオは未だ、その姿を見たことはない。
エルミナは自嘲の笑みを静かに浮かべていた。
「己を見失ったなど、言い訳にはなりませんよ。
この二年間、ヤンク兄上やミルス、なによりファラには償いきれないほどの事をしてきました。
そんな私に出来る事なら、いくらでも手を貸します。
――ですが、今のリオさんとミルスでは、ヤンク兄上とアレミア相手に勝ち筋が見えません。
どうしましょうかね……」
エルミナの分析では、創竜神の加護の強さは五分か、ややリオが有利。
それ以外は全て、ヤンクとアレミアが有利だと出ていた。
このまま勝負を仕掛けても、ヤンク一人すら抑え込むことはできないだろうという見立てだ。
「ヤンク兄上とアレミアは三年間で絆も強く結ばれています。
出会って一週間のミルスとリオさんでは、絆の強さでも勝てません。
勝負をする以上は、きちんと勝ちの目を見い出してから仕掛けるべきでしょう。
勝ち筋すら見えない状態で勝負に挑むのは、ただの蛮勇。
褒められた行為ではありません」
そんなエルミナの言葉に、ミルスは不満気だ。
「そうは言うが、積み上げた時間の長さを覆す事などできない。
この差は気合で埋めるさ」
リオも意気込んで続く。
「そうよ! このリオ・マーベリックが付いてるのよ?
真剣勝負で、そう簡単に負ける訳がないわ!」
頼もしい言葉を吐いた弟夫婦に、エルミナが白い眼を注いだ。
「一週間経過しても、未だにウェラウルム王家を名乗らない妻。
夜は恥ずかしがって別室で寝る夫。
こんな状態で、三年以上仲睦まじく絆を育んだヤンク兄上夫婦に勝てると、本気で思ってるんですか?
兄上たちの絆は篤く結ばれていますよ?」
ぐうの音も出ない正論に、ミルスとリオが黙り込んだ。
リオも本心では、雄々しい姿を取り戻したミルスを夫と認めるのはやぶさかではない。
だが今更、どの面を下げて『リオ・ウェラウルムよ!』と名乗っていいのか、わからないのだ。
タイミングを逃したといえばそれまでだ。
だが、夜になると別室に逃げ込むように去っていくミルスを見ると、自分が妻として認められていない気がして、気後れしてしまっていた。
初日に『手を出す相手くらいは選ぶ』と、面と向かって言われてしまってもいる。
それが心理的障害として大きいと言えた。
リオから『私はミルスの妻だ』と宣言しても、ミルスから拒絶されてしまったら女の面子は形無しだ。
ミルスはミルスで、リオから夫として認められるまでは今の距離を縮める気にもなれないようで、膠着状態が続いていた。
二人の心理を的確に把握したエルミナが、腕を組んで思案を続けていた。
実力で負けている以上、気持ちでも負けていたら勝ちの目はない。
ここを二人には乗り越えてもらわなければならないのだ。
リオの土壇場での爆発力は、目を見張るものがある。
気持ち次第では、良い勝負にもつれ込む可能性が充分にあると見ていた。
そんなエルミナに、ファラがそばに寄って耳打ちをした。
耳を傾けたエルミナが、両腕を組んだまま天を仰いで唸った。
「うーん……荒療治、という奴でしょうかね。
ファラの言う事も一理あります。
手を打ってみますか」
エルミナの言葉に、ミルスとリオは首をかしげつつ、その日の訓練は終了となった。




