21、聖女の泉
フライング気味に結婚してしまったけれど。
そもそも私はまだ社交デビューをしていない。
目下、貴重で楽しいモラトリアム期間だ。
家令のクリスチャンから、ハノース大公領には聖女の泉なるものがあると聞いた。
ぜひ、行ってみたい。
別に護衛さえつけてくれれば、一人で行ってQ…コホン。
「ダン! 連れて行ってください。お願い、お願い~!」
鼻にかかった声でおねだりしながら、頼もしい腕を取って体をくねらせる。
大公閣下は大笑い。
「似合うが、似合わん」
予定についてはどうせいつも詰まっている人なので、強引に誘わないと何もできない。
私も相当気を遣っているのよ、これでも。
こちらでは身分の格差はえげつないものがあるから、おなかの底ではいまだびくびくしている。
でも、従順にしているだけでは絶対に飽きられる。
誰にも命令されることのない大公閣下。
突拍子もないことに付き合わされることを楽しんでいるご様子。
駄目なら駄目と言うに決まっているから。
つまりは、ひらきなおりなのだけど。
「よし、行くか」
向こう十日のスケジュールを白紙にされた執事が恨めしそうに私を見る。
閣下のご意向ですから。
世界一乗り心地のよい馬車だからこそ、こんなこともしようと思える。
車窓から移り行く景色を眺めながら、BGM兼一人カラオケ中。
「うるさければ黙りますわよ?」
「ぜひ、続けてくれ」
大公閣下は中島み○きがお気に入りだ。
一緒に歌いましょうと誘うと機嫌が悪くなるので二度と言わない。
じつは音痴なのを気にされて、一人こっそり練習していることをみんなが知っている。
なかなか可愛らしい方なのだ。
馬を休ませる時、我々も休憩。
町や村の間が離れている時は、無理をせずに早めに宿を取る。
それでも通常よりずっと早く進んでいるそうだ。
地元の貴族に気付かれるとあいさつをしたり、屋敷に泊めてもらったり、パーティーを開かれたり長くなるので、一応お忍びですよというスタイル。
一度、野宿もした。
豪奢な天幕は、どこぞのリゾートを連想させる。
天候にも恵まれ、順調な旅路。
物見遊山ではあるけれど。
道中、遊んでばかりいたわけではなく魔法陣の検証なども行っている。
結界系の魔法陣には、獣除け、魔物除け、風除け、雨除けをはじめ物理攻撃を防ぐものや、それにカウンターを仕込んだものまで多数ある。
魔法陣が複雑になればなるほど使用する魔力量は増えていく。
私は、ほかの系統の魔法陣も問題なく起動させられる。ふつうに。
汚れ除けの魔法陣だけに、なぜか生まれる相乗効果。
後世、私といえば汚れ除け、汚れ除けといえば私と言われるのではというくらいに相性が良い。
いまさらだけれど、こちらで使われている魔法陣は、魔法を行使するための命令文をローマ字方式で描いたもの。
例えば光魔法の主文は、
HIKARIARE
となるのだけど、使用されているのはフェニキア文字。
ここが乙女ゲーム世界の舞台なのではという疑念がいや増す。
それはともかく、ここで問題なのは、Iを表す文字がJをも兼任しており、CとGもそれは同様で、FとVとYとWそしてUにいたっては、同じ一つの文字を使いまわしていること。
その上、Tを表す文字は二つ、Sを表す文字は三つあり、XとZに相当する文字はない。
そのせいで歴代の研究者たちはこれを文章だとは考えず、文字一つ一つの意味を全力で探ってきた。
確かに意味というか、起源はあるのだけど。
Aを左に倒したような文字は牛の頭、Kを反転させたような文字は手の平。それって意味ある?
でも、文字同士にも相性があって、安易に書き換えると魔法陣が発動しないどころか暴走することもあると真剣に論じられると、そんなこともあるかもしれないと思えてくる。
無駄にドキドキさせられた。
私が得意な汚れ除けの魔法陣の中の一文、
KOUKAHATAIHYOUKARASANSENCHIMEETORU
SOTOGAWANOICHIDE
から、センチを抜いて三を十に変えてみると、無事に効果範囲は広がった。
比例して使用魔力量も上がった。
「見事だ」
「恐れ入ります」
歴史と文学の勉強と称して、梵字やヒエログリフなどと合わせて学んでいただけなのだけど。
おかげで当分の間、私の地位は安泰だ。
今回の旅行に付き合ってくれたのはそのご褒美もあったのかも。
大公閣下にだけは、魔法陣を読み解いたことを明かしてある。
こちらの世界基準では突拍子もないことなのだけど、目の前で起こった事象を事実として受け止められる方だから、すぐに認めてくださった。
でも世の中…特に魔法学会では、異端あつかいされるのは目に見えている。
どのようにして解読に至ったかしっかりと理論武装した上で、そうとう入念に根回しをしないと、最初の手がかりすら発表できそうにない。
魔法陣にはまだ謎も多く、いまだ勉強中だから焦ってはいない。
秘匿した場合のメリットも合わせて考えたいところ。
とりあえずいまは、降って湧いたハネムーンを楽しみたい。
そこはかとなく行軍じみている気がしないでもないけれど、ようは気の持ちようだ。
魔物も盗賊も物理で弾き飛ばすので、護衛たちが暇だとぼやいている。
だけど、それらを狩ったり討伐するのは、その土地を治める代官の仕事。
通りがかりに襲われれば火の粉は払うけど。
それもまた財産だと主張する者も多く、礼をするどころか賠償を口にする輩までいるらしい。
まったくの戦い損になるのだから、最速で駆けぬけるのが正解だ。
ちなみに冒険者ギルドはあるし、傭兵団も存在する。
正規に国や領地に所属する家臣たちに言わせればはぐれ者らしいけど。
即席めんの実食に付き合わせれば、機嫌を直す男たち。
でも、そればかり食べるのはどうだろう。
「そのまま食べてもうまい!」
ああ、ベビ○ター状態。
「これならば戦場にも…」
大公閣下はやはりそちらへ頭が行きますか。
「…汝、平和を欲さば戦への備えをせよといったところでしょうか」
「うむ。よくわかっているではないか」
旦那様もまたご機嫌。
今度は野菜スナックでも作ろう。




