22、ハノース大公領
ハノース大公領に入ると格段に道がよくなった。
石畳とまではいかないけれどよく均されている。
でも、本来であればまっすぐ領主館へ向かうところ、私のわがままで直接聖女の泉を目指すと、様相が変わってくる。
遠くの山並みは美しいが、手前に見える森は荒れ、道も畑も以下同文。
仕事の手を止め、頭を下げに寄ってくる領民ののろのろとした足取り。
それなりにしっかりした造りの屋敷の類はまだしも、掘っ立て小屋に気をもったくらいの家々には傾いているものもある。
「どういうことだ…」
さすがの大公閣下も色を失う。
「申し上げにくいことですが。ふつう、偉い方がみえる時は先に情報がまわってきますので、良いように整え、そうやって綺麗に取り繕ったところしかご案内しないものなのですわ」
あえて軽い調子で言うと、鋭い視線に射抜かれる。
いやいや。私のせいではないですから。
王都でだってあの下町の状態を見ているはずなのに、自分の領域となるとそんなものはないと考えてしまうのね。
優秀で厳しい方。頑なでないことを願う。
にっこり笑って見せると、大きな手が渋くゆがんだ自らの顔を半ば覆う。
「これでは息子や甥たちを嗤えないではないか」
旦那様は自分自身に対して憤っておられるようだけど。
私としては、民は貧しくて当たり前という考えの持ち主ではないとわかって、ひとまず胸を撫で下ろす。
自分の持ち物がきちんと管理されていないのが腹立たしいだけなのかもしれないけれど。
格差社会。自分が上でいる限りはその恵みを甘受させてもらおう。
別段、無理に人を虐げたいわけではないのだから。
「…いや、すまぬ。ただ、私もまた愚か者たちの仲間であったというだけのことだな」
「致し方ないのです。それだけの高みにおられるのですから」
トップにはトップの仕事があり、それ以外の業務にまで一々口を出していたらきりがない。下もやる気をなくす。
任せるところは任せ、あとはいつどこで膿を出すかという話になるのだろう。
「どれほど清い泉でも、必ず澱みはありますから」
前世では「あいつはできる。いいやつだ」とべた褒めにした相手を次の週にはめちゃくちゃに貶す、父親の姿を何度も見た。
人を使うむずかしさ。いまなら少しわかるけれど、子供の私はひどい人間不信になった。
「来い」
向かいの席で主人が軽く両手を開いて示す。
言いにくいことを言った後だけにためらう気持ちがある。
怒られる?
そうでなくても揺れる馬車の中だ。
よろけてその腕の中におさまる私。
「ありがとう、マリー。驕り高ぶった私の目を開かせてくれて」
私はほっとして、着やせする頼もしい肩に手を添える。
「ダンのお役に立てたなら、とてもうれしいです」
叱ったり、なだめたり、励ましたり。
そうやって男たちを働かせてきた、世の奥様方はすごいなぁ。
「…君は不思議な人だ」
素直に紡がれる言葉。
彼もまた、いつも強固な仮面をかぶっているのだろう。
そんな人になら正直に打ち明けてもいい。
私は前世の記憶を持っています。ここは乙女ゲームの世界かもしれません。
でも、いままさに衝撃を受けたばかりの人に追討ちをかけるのはかわいそうな気がする。
もう少し落ち着いてからでも私は一向にかまわない。
「女には秘密があるものなのですわ」
気取って返せば、苦笑する気配。
「思えば、出会った時から少女らしくなかったな。でも、どこか危なっかしくて目が離せない」
「そこは人間ですもの。完璧ではありませんわ」
「そうだな」
手をのばして、ゆったりとした癖のある髪を撫でる。
旦那様は怒らなかった。
しばらくお膝に抱っこされていて。
傍から見れば完全に子どもあつかいだけれど、この甘さは本人たちだけが味わえばよいものだ。




