12、洗濯ばさみ
私はちらりと窓の外、上空を確認する。
「いま、ちょうどあちらに見えますが。あれは棒を削って溝をつくっただけの構造で、従って挟める厚さに限界があり、干し方も限定され、そして存外、簡単に外れてしまうのです」
私は人差し指と中指の先を下に向けて、間にハンカチを挟んで見せた。
「ですが…こちらをご覧ください」
ナップサックから試作品を取り出す。
手ずから木片を削り、針金を巻いて叩いて成形し、それはそれは苦労して形にしたもので、いまこの時、メモ帳代わりの紙切れをそれで挟んでいたのは僥倖と言える。
百聞は一見に如かず。
まだまだ欠陥だらけの問題児ではある。
なにしろ一個、作製するのに金と手間がかかりすぎる。やたらの商家や職人では割に合わないから、手を出したがらないだろう。
そこは私も、タニタ司祭様と同意見。
最新おまるは、それなりに金回りの良い人たちに、順当に買われて行っているのにね。
ナップサックはなかなかの売行き。
「洗濯ばさみ…ではなかったか?」
「はい。ですがこれはあくまで試しです。それなりに形になっているように見えても、挟む力が弱く、耐久性にも問題があり、本来の用途に耐えません。ですが、その、便利ですので」
表情は変わらないながら、愕然とした様子。
こちらまで驚いてしまって、爪の先までよく手入れされた大きな手に、思わず知らず紙の束ごと乗せていた。
貴族の男が慎重にかつ熱心に洗濯ばさみを扱うのを見て、私は口を噤む。
執事の表情も硬い。
いや、でも。この馬車の構造の一部を私が理解していることを証明するために始めた話なのだから、続けない方が問題なのでは?
「丈夫で、元の形状に戻ろうとする力が強いのであれば、巻かない形でも…」
さっと変わる二人の顔色。黙る私。
「いや。こちらが話を望み、そなたは答えただけだ。気にせずともよい。しかし、我々も修行が足らぬな」
「貴族らしからぬうろたえぶりでしたよ、閣下」
「お前もな。有能執事の顔をどこに落としてきた?」
笑い合う彼らを見て、ほっと肩の力が抜ける。
やらかしても頭を下げればすむ前世とは違うのだ。
「…そのようなわけで、同じような仕組みがこの馬車にも使われているのではないかと。それはもっと大掛かりなものでしょうが、ふと思った次第です」
「うむ、よき話であった。もののついでに、それをどうやって思いついたのかも聞きたい」
試作品を返してもらいながら、うなずいて時間稼ぎ。大丈夫。
これはすでに用意して、タニタ司祭様にも話したもの。
我ながらよくもぺらぺら嘘をつくものだ。
「はい。子供の頃、たまたま拾った針金の切れ端を手慰みに、これまた拾った木の枝に巻き付けて遊んでいたのです」
「まだ子供だと思うがな」
あら、うっかり。どうしよう?
「いや、続けてくれ」
「はい」
少女の背伸びだとでも思ってもらえたならなにより。
しかし、答えはすでに言ったのに続けろと言う。
ああ、そうだった。議員サンとかベンチャー企業の社長サンとか、できる系の男は若い女の子にちょっとした意地悪をして楽しむ傾向にある。
でもいま私、七、八歳に見えると思うのだけど。
「そのぐるぐるが…ええ、環境的に一人で遊ぶしかなかったので、勝手にそう呼んでおりました。それが私の指を押し返すのが、ただ面白くて。
でも、それはすぐに錆びて欠けてしまいました。
ですから、簡単に錆びず、頑丈にするにはきっと鉄だけでは駄目で、しかし、何を足せばよいのか、そのちょうどよい塩梅を何度も試して探したり、鍛冶師に一つ一つ手作業で作らせたら、量もそう多く用意できないでしょうし、そうなるとあまりにもお高いものになってしまうでしょうから、そのような洗濯ばさみが欲しいと思いはしたものの、ひとまず諦めしまい込んでいた、そういう話なのです」
「その完成品に近いものが目の前にあったというわけだな」
閣下がしたり顔でおっしゃられるので、私は何も言わずに微笑む。
「これは参った。その話、誰ぞにしたか?」
口元は笑っていても目は鋭い。嘘は許されない雰囲気だ。
「孤児院でお世話になっております、タニタ司祭様にご相談申し上げました。司祭様も商品化は無理だろうということで、もちろん、そのような話を断りもなくよそでされる方ではありません。…私の利になると判断されれば別ですが」
赤茶の瞳が私のすべてを焼き付けるように動き、次いで顔全体が笑み崩れる。
「これは、よほど寄付をしなければならないようだな」
「洗濯ばさみの完成品もお贈りしなければならないでしょうね」と執事が続ける。
「受け取ってくれるだろうか、お嬢さん?」
「ありがたき幸せに存じます、閣下。ただ、閣下がお忙しいのはもちろん、贔屓の職人たちも仕事の予定がつまっているでしょうし、また、高いものについてしまうのではと思うと心苦しく…」
「気持ちはうれしいが、そなたが心配することでない。仕事は忙しい者にさせた方が早く仕上がると相場が決まっている。損をしたなら、それ以上に儲ければよい」
上級貴族があっさりと儲けるなどと口にする。
勝負師のような考え方には、心から賛同するけれど。
その位が高くなるほど貴族は商売を下に見るものとばかり思っていた。
「どうした?」
「驚いております。閣下はお強い方なのですね」
ずいぶん年上の男が一瞬、少年に戻ったように目を瞬かせる。
「ふむ。そなたの考える強さとはどんなものだろうか?」
「それは…強さにはさまざまあるとしかお答えできません。
閣下には今日初めてお目もじして、よく存じ上げないということもあります。
それなのに、こんなことを申し上げてお気を悪くされないとよいのですが。
ただいま私が申し上げた閣下の強さとは、状況に応じて変化できる、つまり、臨機応変ということですわね」
しばし目を閉じて黙考する大人の男。しかも上級貴族。
吊り橋効果で恋をしそうだ。
「いや、気を悪くなどしていない。そう見えはしないだろうが、これでも上機嫌なのだよ、お嬢さん」
「はい。閣下は浮かれておられます」
「ほらな? 長らく私を支えているこれもそう言っている」
上質な衣服にすっきりおさまってはいるが、それなりの厚みがあるだろう胸が大きく息を吐きだす。
「いや、ありがたい言葉を送ってもらった。まるで神託が下されたかのようだ。…そなたと話せて、ずいぶんと若返った気分だよ」
なにを大げさなと思うけれど、その目も声も真剣だ。
そもそもこの方は、年寄りぶったところで全然似合わない。
こんなことは言われ慣れているのだろうけど。
「閣下はいままさに男盛りであられます」
「ありがとう、お嬢さん」
こんどは甘さを含んだ微笑。
世の中には、こんな上等な男もいるのだなぁ。
心底疲れた。でも、ドンペリが入った時のようなとてもよい気分。
まだ、気は抜けないのだけど。




