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いい日旅立ち

 悲しいことに、私の期待と気遣いも虚しく、私は再びエリアス様と出会うことになりました。それというのもエリアス様は僅か一週間ほどで、三年間の労働の報酬としてもらった賃金を、ギャンブルによって使い果たしてしまっていたからです。


 なんと嘆かわしいことでしょうか。エリアス様の船は、一人ではまともな航海もできない泥舟だったのです。私はその知らせを聞いた時、怒りよりも悲しみが心を支配しました。私はエリアス様を信頼したばかりに、ホレイショー様のご恩を仇で返してしまったのです。私は急いでエリアス様のあばら家に駆けつけました。


「セリアか」私が鍵のかかった部屋の扉を問答無用でこじ開けると、かつてないほど身持ちを崩したエリアス様が、今にも消え入りそうなか細い声で小さく呟きました。


「エリアス様は何をしておいでで?」私は心に滾る怒りの眼差しでもって、エリアス様を射抜きながら訊ねました。


 それに怯えたかどうかは知りません。ですが、おそらくはご自分にも忸怩たる思いがあったのでしょう。エリアス様は私のいきなりの訪問に舌鋒を向けることなく、ただ黙って情けない目を私に向けるだけでした。


「エリアス様は何をしておいでで?」私は繰り返し、訊ねました。


「まあ、色々だ」やがてエリアス様は口を開いて、答えてくれました。「そんな漠然とした問いには、他に答えようがないだろう」


 その覇気も才気も微塵も感じさせないエリアス様の答えを聞くと、私はすぐさま踵を返して、コリングウッド卿のお屋敷に戻りました。そして誠に僭越ながら、私はコリングウッド卿に手ずからお願いしました。エリアス様を再び船に乗せてもらうように、そしてそこに私も乗せて欲しい、と。


 海軍軍務卿を勤めていらっしゃるコリングウッド卿は、私の嘆願を自らの寛大さでもって聞き届けてくれますと、ただちにその通りに手配をしてくれました。幸いなことにアリュートスに向ける艦隊が寄港していました。


 アリュートスとは、アリーファ・マフフーズが太守を勤めるオールトン帝国の任国です。かの国はユーゴー一世の侵攻により帝国が弱体化したのを機に、アリーファのもとに国力を強大化。その名はつとに海を越えたアウェリアにまで届くようになりました。そしてそのアリュートスが帝国からの独立を声高に叫んでいるのです。


 アリュートスがあるメネス地域は、エウーロ大州の国々にとって、東方への貿易の重要な中継点です。そこでアリュートスが帝国から独立しては、ユーゴー一世の侵略から助けたという恩を着せて結んだオールトン帝国との通商条約における優位性が失われる可能性があります。


 また大きな力をつけたアリュートスが、かつてのオールトン帝国のようにエウーロ大州に侵攻してくるということも考えられました。そのためにもアリュートスには脆弱な帝国に首輪をつけられた状態が、アウェリアを含むエウーロ大州にとって都合が良かったのです。


 通常ならここでエウーロ大州の連合艦隊が、アリュートスに制裁を加えて終わりです。帝国にもまた新たな借りができて、それは大きな利益となったことでしょう。しかし予想外の出来事により、それは全く違う結果を迎えることになってしまいました。


 何とエウーロ大州から、アリュートスの独立を支援する国が現れたのです。その国は皇帝ユーゴーを生み出し、エウーロ大戦を引き起こし、そこで敗戦を迎えて、あえなく他国と不平等な条約を結ばされ、不利な立場にたたされることになったガウル共和国でした。


 ガウルは自国の悲惨な立ち居地を覆すための強烈な一手を、ここで打ち出してきたのです。とはいえ、エウーロ大州はこれを一笑に付しました。先の大戦でエウーロ大州を席巻するほどの力を見せ付けたガウルですが、敗戦により大きく国力を削がれたのです。


 そしてそれから僅か十余年。ガウルはとても脅威になるとは思えませんでした。連合軍は降伏勧告に応じぬガウルに、ただちに攻め入りました。誰しもが連合軍の勝利を疑ってかかりませんでした。しかし世界が見せ付けられたのは、ガウルの復活した大陸軍グランアルメの勝利でした。


 確かに連合軍は足並みが揃わず、正規の軍としては精彩を欠くものでした。事実、沿岸からのアウェリアの進攻を待たずして、功を焦った連合軍の諸将が、手足のもがれた獅子に嬉々として食いついたのです。しかし不幸なことにその獅子には手足があり、牙と爪が研がれた猛獣だったのです。


 大敗を喫した連合軍は、その責を戦場に遅れたアウェリアになすりつけました。無論、問題があったのは勝手に先行した連合軍の方でした。ですが、既に血を流した諸国は、いまだ無傷でいるアウェリアを許せず、アウェリアにも出血を望むようになったのです。憤懣ふんまんやるかたないアウェリアでしたが、このままガウルを放っておくわけにもいきません。


 対ガウルにおけるアウェリアの選択肢は三つありました。まず一つ目が直接ガウル共和国を狙うことです。しかし、これに当たっては、アウェリアは消極的にならざるを得ませんでした。


 精強で謳われるアウェリアの軍ではありますが、それは海軍に限ってのこと。陸軍においては、島国ということもあってか、戦いの機会や経験も少なく、従って宛がわれる人員と予算も少なく、どうしても他国と比べて見劣りしてしまうものでした。


 反対にガウルは大陸に組み込まれ、他国とは陸続きとなっています。そのためアウェリアとは比べようもないくらいに陸軍は練度が高いものでした。事実、過去の戦いにおいて、アウェリアはガウルの陸軍に何度も煮え湯を飲まされてきました。ユーゴー一世との戦いも、例に漏れることはありません。それほどガウルの大陸軍は精鋭揃いなのです。それ故、アウェリア単独でこの策を行うには無理がありました。


 二つ目がエウーロ大州の対ガウル同盟国の支援をすることでした。アウェリア海軍によって豊富な物資を海上から届け、同盟国の兵站を整える。しかしこれは既に瓦解しているも同然でした。連合軍は先の戦いで敗北し、軍が立ち行かないとまではいきませんが、決して無視できない被害を受けました。


 それに反してアウェリアは何ら攻撃を受けてはいません。こういった状況はアウェリアではなく、同盟国が作り出したものですが、彼らはそれに納得しませんでした。自分たちが矢面に立ったのだから、今度はアウェリアが前線に立つべきだ。そういった同盟国の思惑が流れる中では、アウェリアが支援国としてあるのは、無理なことでした。


 三つ目の策は、海外での貿易港や植民地を攻撃し、ガウルの国力を削ぐことでした。そうやって戦いの基盤たる経済を干上がらせれば、戦わずしては勝敗を明確に出来る。


 勿論、エウーロ大戦の敗北により、ガウルは全ての植民地を失いました。しかし、ガウルは今、アリュートスの独立を支援することによって、重要な貿易相手を得ることになったのです。


 これによりガウルは他の国々より有利な条件で通商を行うことが出来ます。それはガウルの経済を潤わせ、継戦能力を高めるものでした。


 これはアウェリアにとって許せるはずもなく、また三つの策の中から取りうることのできる唯一の選択肢でした。何故なら、これによって起こるであろう戦いはアウェリアが得意とする海で行われるものだからです。


 そしてアウェリアはアリュートス制裁を含めた対ガウル戦略の一つとして、アリュートスへの艦隊派遣の準備を進めていたのです。エリアス様がその艦隊の一員として働けるのは、誠に僥倖でした。


 何でも水兵の何人かが脱走したことにより、欠員が出ていたとのこと。そこに航海経験もあり、船に詳しくもある海尉がいるとなれば、艦隊指揮官でなくとも、喉から手が出るほど欲しいものです。私の願いは無事に叶えられることになりました。


 そして私は然る後に、屈強な海兵を四人ほど連れて、エリアス様の家へ赴きました。丸太のような腕をした海兵二人が、扉を文字通り叩き壊します。すると中にいたエリアス様は、驚いた表情でこちらを見つめてきました。


 しかし、そこはさすがにホレイショー様のご子息、エリアス・ニーソン様です。私たちの姿を目にして、すぐに自分の身に何が起こるかを理解したのでしょう。エリアス様はおっとり刀で窓から逃げ出そうとしました。


 とはいえ、こちらは歴戦の海兵が四人。武器も持たずに逃げる敵を捕まえることなど造作もありません。私の掛け声一つで、海兵四人はエリアス様を瞬く間に押さえ込みました。


「くそ! またか! またなのか、セリア!?」エリアス様が腕を精一杯振り回しながら大声で叫びました。


「ええ、私はそのために存在しているのです」


「誰がそんなことを頼んだ!? 俺はお前のことなんか必要としていないぞ!」


「誰かに頼まれなくても、これが私の務めだと理解しております」


「そんな理解など、誰も望んじゃいない!」


「ですが、このままだとエリアス様の進むべき道はなくなってしまいます」


「その進むべき道を決めるのは俺であって、お前ではない!」


「それでは、どこにエリアス様が進もうとしている道があるのですか? 目の前には崖があるだけではないですか」


「それはお前の勝手な認識にすぎない! それに例え目の前に崖があったとしても、そこに橋を作ってでも、前に進むのが男ってもんだ!」


「失礼ですが、エリアス様にそれだけの気概があるようには見受けられません。意志あるところに道がひらけると聞きますが、エリアス様に道なき道を突き進む覚悟はあるのですか?」


「当たり前だ! 成せば成る! どんな所だろうと、俺は道を作り、先へ進むさ!」


「そうですか。でしたら、何の問題もありません。それだけの覚悟がおありでしたら、私が用意した道も簡単に踏破できることでしょう。それでは海兵の皆さん、よろしくお願いします」


 こうしてエリアス様は再び船に乗るようになりました。そしてこれがエリアス様の人生の分岐点だったと思います。もしここで私がエリアス様を船に乗せなかったら、一体どうなっていたでしょうか。それは少し遊びが過ぎる想像かもしれません。


 ですが、この時の言葉通りの覚悟をもって道を歩いたエリアス様だったら、どんなことであれ、今のように雄渾ゆうこんなる結果を残したことでしょう。何故ならエリアス様はどんな道であろうと、前へ突き進む意志をもっていたのですから。


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