乗り込む
サクソの降伏に浮かれている暇はありませんでした。何せ、敵艦はもう一隻残っているのです。
そして焦眉の急を告げるように、クサラの逃げ道を塞いだブレークには、その艦を支配しようとクサラの海兵隊が乗り込んだのです。ローリー海尉率いる僅かな手勢では、抗しきれるはずもありません。
「ローリー海尉のいる敵艦に突撃! 総員、衝突に注意! 海兵隊は斬り込みの準備を!」
エリアス様の息もつかせぬ号令。味方がいる艦に砲撃はできません。よって、ここは白兵戦しかありません。エリーゼは残った帆を全部張ると、減速することなくブレークに突っ込んでいきました。
エリーゼとブレークの斜檣がぶつかり合い、けたたましい音を立てて、海へと落ちていきます。それでも止まることはなかったエリーゼは更に艦首を船殻の弱いブーレクの艦尾にめり込ませました。接舷という言葉を使うには、誰もが躊躇うすさまじい衝撃と衝突です。
「総員、突撃!」
そんな海兵隊長の命令を待たずして、舷縁でカットラスを抜き放っていた海兵隊たちが、衝突の勢いのままブレークに乗り込みました。
仲間を助けるのに、アウェリア海軍が何の厭いを見せましょうか。その決意は津波のような力となって、ブレークにいたクサラのガウル兵たちを瞬く間になぎ払っていきました。
勝ち鬨にも似た歓声が響きますが、それはクサラのガウル兵の苛立ちに火をつけたようです。またブレークをどうにかしない限り、クサラはその場を動くに動けません。
クサラの艦長は、ブーレクこそ、この戦いの決戦場と腹を決めたようでした。次の瞬間、クサラからガウルの国歌「ラ・ガローズ」の演奏と合唱が聞こえてきたのです。
そしてその意気軒昂な音楽に押されて登場したのが、二門の大砲でした。彼らはそれを上甲板に運び、弾丸のような勢いでブレークに持ち運んできたのです。
勿論、エリーゼの海兵隊はピストルを撃ち、あるいはカットラスを持って突撃し、それを阻もうとしますが、ガウルの海兵らは自らを盾として、砲兵を庇いました。そしてドスン、と超重量を感じさせる音と共に大砲はブレークに乗艦。
そうなってはブレークに乗り込んでいたエリーゼの海兵など、砲撃の的でしかありません。そしてクサラの砲兵たちは、何の遠慮もなく大砲を発射しました。
そこから発せらたのは、ぶどう弾でした。一つの袋に幾つもの小さな弾を込めて発射されるそれは、大砲から飛び出ると同時に広範囲に散らばる散弾です。
威力においては、通常弾に比べて遥かに劣り、船殻に穴を開けることは叶いません。従って、艦隊戦では何の役にも立たない無用の代物です。しかし、こと対人兵器としては、この上ない役割を果たしてくれます。
即ち、虐殺です。ぶどう弾の群れは、一瞬にして海兵隊の第一陣のほとんどを亡き者と変えました。
「怯むなあッ!! 行けえーッ!!」
海兵隊長の号令がもう一度響き、第二陣の突入です。その間にも狂ったように砲声が響き渡り、甲板のみならず眼下にある海をも血に染めていきます。
そういった地獄とも言える光景を目の当たりにして、エリアス様はお顔を真っ白に染めていました。戦闘において、死は身近にあるもの。
実際、エリアス様は人の死を見たのは、これが初めてではありませんでした。しかし自分の作戦や命令により、たくさんの人が死んでいくのを見るのは、ただ遠くから死体を見るだけのとは違い、やはりお辛いようでした。
とはいえ、いつまでも心にのしかかる死者たちの存在にかまけている暇などはございません。ここで負けてしまったら、それこそ今までの戦いで死んでいって方々に向ける顔を失ってしまうのです。
「……突撃だ、行くぞ」
エリアス様は海兵隊全員がブレークに乗り移ったのを確認すると、自らに言い聞かせるように呟き、ご自分も敵地へ飛び移りました。
普通なら、指揮官は白兵戦のど真ん中に突っ込みません。ですが、今も聞こえる「ラ・ガローズ」と大砲の登場により、エリーゼの海兵は死体となって、どんどん積み重なっていく一方。これでは、否応にも戦意も挫けてしまいます。
ですから、それを再び高揚させるために、指揮官が戦場に立つということは、非常に大事なことでした。また私もエリアス様に仕えるメイドとして、主の後を追います。
ブレークの甲板は文字通り戦場でした。ぶどう弾が跳ね回る中を、幾人もの屈強な男たちが所狭しとカットラスをぶつけ合い、ピストルを撃ち合い、その度に血を流し、倒れていったのです。
目を覆うような凄惨な場所ではありましたが、エリアス様は大砲の射角に入らないように機敏に動き回り、果敢にカットラスを手に取り、敵と相対していました。それはホレイショー様のご子息らしく、実に勇猛な振る舞いでした。
陸にいた頃の情けない姿とは大違いです。しかし、エリアス様が体験なさっているのは、白刃を交えた初めての殺し合い。
おそらくは戦場の空気に当てられて、精神が高ぶっていたのでしょう。エリアス様の太刀筋は、どうにも力任せの部分が多く見受けられました。また踏み込みも出鱈目で、手の振り上げも一々仰々しく、攻撃の軌道を相手に教えています。
幸いなのは、相手もエリアス様と同じ状態にあった事でしょうか。ぶつけ合った刀をそのままに鍔競り合いを続けていました。
しかし、このままではいずれ名も知れぬ雑兵に隙を突かれ、討ち取られかねません。勿論、そんなことを心配する資格は私にはないでしょう。
惨めな降伏よりは、勇敢なる戦死の方が名誉となると考えて、私はエリアス様をこの死地へと呼び込んだのですから。ですが今、目の前にあるのは、勝利へとひたすら走るエリアス様です。
あの敗北と惨めという言葉を如実に体現していたエリアス様が、栄光を掴まんとしている。戦死より、赫々たる武勲がエリアス様の手の届こうとしているのでは、私の選択肢など決まっています。
私は感動でこぼれ落ちる涙を拭いたハンカチを懐にしまいますと、右手にサーベル、左手にレフトハンド・ダガーを持ち、ブレークの甲板に立ちました。
エリーゼの乗組員は、もう私の姿に慣れたのか、何も言いません。しかし、敵であるクサラの兵は、サーベルを持った私に驚き、ガウルの言葉でエリーゼの海兵たちに怒ったように文句を言っていました。
確かに女性なら戦場に立つことなど許されません。男性は弱者である女性を守るべきものなのです。それを戦場に出したとあっては、男として卑怯者の謗りを免れられません。
しかし、私は女性である前にエリアス様に仕える一人のメイドなのです。それならば、男が矜持を賭ける戦いに参加しても何も文句はないはずです。
私は一度深呼吸して、肩の力を抜き、戦場を見渡し、それから一気に甲板を駆け抜けました。まず手始めにエリアス様のカットラスを受け止める敵の首筋を、サーベルで深々と斬りつけました。
そしてその勢いのままにエリアス様の周りを踊るように足を滑らせ、背後からエリアス様を亡き者にしようとしていた輩の心臓に、相の手のダガーを針のように突き刺します。
「セ……セリア、一体何を?」エリアス様は目の前に立った私を呆然と見つめながら、そんな言葉を口からこぼしました。
「知れたこと」私はエリアス様を安心させるように笑みを強くし、敵の胸に刺さったダガーを引き抜きました。「私はエリアス様に仕えるメイド。今は亡きホレイショー様のため、エリアス様の前に立ちはだかる敵をことごとく斬り伏せ、殺し尽くし、その亡骸で以って地獄の蓋を閉めるのが私の務めです」
その瞬間、血の雨が私に降り注ぎ、私のメイド服を赤く染めました。私はエリアス様の敵を倒したことに安堵を覚え、やっと柔らかな笑みを浮かべることができました。




