セリアの考え
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エウーロ大州で起こったユーゴー一世との戦いは、いずれも熾烈なものだった。砲火は間断なく飛び交い、血は雨のように降り注ぐ。人の命などは、その場では何よりも軽いものだった。
そんな中で、私が自分の二本の足でしっかりと立っていられたのは、間違いなくホレイショー・ニーソン提督のおかげだった。死が鎌首をもたげてやってくる中でも、泰然とそれを見据えて、迅速に、的確に対処する。嵐が来ても揺れることのない巌のように提督が佇んでいたからこそ、私はそこで安心して前を見ていられたのだ。
私は思う。彼のような偉大な人間こそが、アウェリアを導く存在なのだ、と。だからこそ、私は確信する。その篝火によって、私たちの目は暗闇で閉ざされることはない、と。そして、私は誇る。その炎は今も尚、アウェリアで燃え続けていることを。
「ホレイショー・ニーソン提督の航跡」 ショーン・キーツ著
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私にダン海尉の言葉を受け入れるのを反対させたのは、何よりも彼の醜い姿でした。軍人として戦場に立ちながら、国よりも自らの命を大切にする様。そこに人に誇れるような栄誉など、微塵もありません。
もしエリーゼに戦える力もなく、またエリーゼに乗る軍人たちも戦える身体でなかったなら、そういった行動はやむなしかもしれません。ですが、エリーゼはそういった状態にはありませんでした。
勿論、それでも勝つことは難しく、生き延びることすら到底叶わないような危機的状況にエリーゼはありました。砲門は半分以上使えず、浸水も始まり船足は低下。負けはこれ以上ないくらい確かな形で目に見えていましたし、死すらも肌で直接感じられるような距離にまで迫ってきていました。
しかし、それでも多くのアウェリア軍人は、その瞳にいまだ消えることのない戦意を滾らせていたのは確かなのです。それなのにアウェリアの国旗を降ろすことが、正しいのでしょうか。
アウェリアにおいて、その歴史を形作ってきたのは、英雄と呼ばれる存在でした。初代アーサー王にはじまり、ホレイショー提督に至るまで、その多くの方々が輝かしい功績を残し、アウェリア国民に勇気と誇りを与えてきたのです。
そんな彼らが一度として、敵に降伏したことなどあったでしょうか。自ら自分の旗を降ろすことで、人々に勇気が与えられるのでしょうか。国家を捨て、自分の命を掴むことで、人々に誇りなど与えられるでしょうか。そんなことは決してありません。
彼らは勝利を得たことにではなく、その道のりを諦めなかったからこそ、英雄たりえたのです。そしてそういった彼らがいたからこそ、今のアウェリアが存在するのであるし、またそうあっただけに多くのアウェリア国民から敬愛を受けてきました。そしてそれはアウェリアという国家が続く限り、永遠と続くことでしょう。
私はエリアス様に英雄になってほしかったのです。ホレイショー様のように勇敢に戦い、勝利への道を諦めず、人々の記憶に残る存在に。そしてホレイショー様のご子息であらせられるエリアス様は、そうあるべきなのです。
エリアス様こそは、アウェリアに行く先に光を照らす灯台。エリアス様は人々に道を照らし出す太陽のように煌々と輝くべき存在なのです。
自らの命を守るべく敵の軍門に大人しく下るのは、それこそ文字どおりエリアス様の人生に幕を落とし、光を誰の目に届けない人生となってしまうことなのです。
エリアス様は戦場で誰の目も憚らずに無様に命の火を守るのではなく、一層激しくその火を燃やして、命を散らすべきなのです。それはどれほどの英雄譚にも勝る物語。そしてそれでこそエリアス様はアウェリアにおいて、その名を輝かし、皆を導くことができるようになるでしょう。
勿論、死んでいいはずもありませんが、戦場で仲間の勇戦に貢献することなく敵の軍門に降るなどという汚名を被るよりも遥かに良いことです。
それに降伏して捕虜になってしまった場合にしても、エリアス様の行く先に不安は尽きません。捕虜交換条約により命の危険はないまでも、虜囚としての屈辱に満ちた生活は何年と続きますし、その間に戦争が終わってしまっては、それこそマヌケも良い所です。
ホレイショー様がお残しになった血が、何の価値も残さず人々の記憶から消えていく。そのようなことで、このセリア・ロングフェローが頂いた大恩が少しでもホレイショー様に返せるでしょうか。答えは当然、否です。
大切なのは名誉なのです。なればこそ、エリアス様はここで戦って死ぬべきなのです。そういったことが、どれだけホレイショー様のためになるかは分かりませんが、少なくともホレイショー様の名前を地に落とすことにはなりません。
無論、ここで死んでしまうのは心苦しいことですが、せめてエリアス様の旅立ちが寂しくならないように私が連れ添うのがメイドとしての最後の務め。そうと決まったら、私のすべきことなど決まっていました。
「ダン次席海尉、エリーゼの行動を決めるのはエリアス・ニーソン主席海尉です」私は自らの正当性を証明するように堂々と前を見据えて、大きな声で、一音一音はっきりと発音しながら宣言しました。
「何を言っている! 冗談も大概にしろ!」
「冗談ではありません」
「誰がそんなことを認めるか!」
「あなたが認めなくても、イェイツ艦長が既にお認めになったことです」
「何だと!」
「イェイツ艦長が意識をなくす前に、そう仰ったのです。私は確かにそれを聞き届けました」
勿論、嘘でした。イェイツ艦長は最後までご自分で指揮を執り続けることに、ご執心なされたまま意識を失ったのです。誰かに後を任せる言葉を吐く暇など、どこにもありませんでした。
ですが、そう言わなければエリーゼはダン海尉のもと、降伏していたことでしょう。それを防ぐと同時にエリアス様に華々しい活躍の場と死に場所を与えるには、こうするしかありませんでした。
「こんな時にふざけるな! あいつは降格したんだ! 俺が一番だ! 誰かさっさとこいつをつまみ出せ!」
「誰かエリアス様を呼んできていただけないでしょうか。エリアス様は砲甲板にいます」私はダン海尉を無視して言いました。
「呼びに行かなくていい! 俺が主席海尉だ! 俺が艦長代理、副艦長だ!」
ダン海尉の言葉に頷く周りの水兵たちを見て、私は呆れと憤りを感じ取りました。今はエリアス様をここに呼び寄せるのが必須事項。
故に手をこまねいている暇などないのです。私がエリアス様のもとにいければいいのですが、私にはダン海尉の専横を止める義務がありました。
しかし、私はしがないメイドの身。正式な軍人であるダン海尉と比べたら、影響など露ほどもありません。この場でダン海尉の降伏命令が履行されていないのは、私の口から出た突拍子もない言葉に水兵たちが驚いて、一時的に判断能力を喪失したため。
優秀なアウェリア海軍の軍人であるならば、それほどの時を待たずして、私の嘘に気がつき、速やかに旗を降ろす準備に取り掛かっていたでしょう。事実、ダン海尉の命令を実行しようと、少なくない兵が旗に目を向け、動き始めていました。
「誰かお願いします! このまま降伏などしても、よろしいのですか!?」
私は彼らの下劣な行為を是正するべく自分の言葉に焼けるほどの熱意を込めて放ちました。水兵たちは私を一瞥するだけで、自らを改めようとしません。
私は打ちのめされたようなやるせなさを感じました。しかし、事態はそこで終局を迎えたわけではありません。果たして私に声を返してくれる人がいたのです。
「エリアスを呼んでくればいいんだな?」
ローリー海尉でした。彼は全てのものがダン海尉の言う通りに動く中たった一人、私の意見に耳を傾けてくれたのです。




