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反乱

 エリアス様と他の水兵との間に何があるのかを理解した私でしたが、その解決策はとんと私には思い浮かびませんでした。


 水兵たちは船酔いするエリアス様の今の役職はホレイショー様のおかげと考えており、そのエリアス様はホレイショー様と比べて自らの無能さを蔑んでおられ、他の皆の中傷を否定せずに黙って受け止めていらっしゃる。


 要はエリアス様ご自身が悪し様な言葉を肯定しなくていいような自信をつけてくださればいいのですが、何事も言うは易く行うは難し。私がどんな言葉をエリアス様にかけても解決に役立ちませんでした。


 それというのも、水兵ではない私が幾ら水兵の心がけを語ったところで説得力に欠けるのは当然のことです。だとしたら、ちゃんとした水兵にエリアス様の能力を認められれば、エリアス様が抱いているであろう劣等感は払拭されるはずです。


 だけど、現実はそう甘くはありませんでした。幼少の頃からの教育により、幾ら三角関数に詳しく、航海における知識が豊富だからといって、船酔いする海尉を認めるような人間はどこにもいなかったのです。水兵たちはエリアス様のせいで自分たちが冷や飯を食っていると思っているのでした。


 そしてそれは次第に目に見えるような形で溝ができ、艦の空気をより険悪なものとしていきました。このままではやがて水兵の不満がエリアス様のもとへ向かってしまうかもしれない。キーツ艦隊エリーゼで反乱が起きたのは、ちょうど私がそんなことを危惧していた時です。


 それはキーツ艦隊が港を出て二ヶ月後のことでした。ダン次席海尉を中心とする反乱が、私とエリアス様の乗るエリーゼで起きたのです。彼らの目的は待遇改善、反乱の処罰である鞭打ちの免除、そしてエリアス様の降任でした。


 甲板にて無数に並び立つ水兵たちを見て、足を竦ませるイェイツ艦長でしたが、それは予想されてしかるべきことでした。水兵にとってどの艦に乗るかというのは、重要なことです。その艦の主である艦長によって、艦上での生活がまるで違ってくるからです。


 規則に対して厳しい艦長がいれば、その逆に寛容である艦長もいます。また規則を破ったものに与えられる罰則の内容も、艦長の匙加減で決まるものでした。簡単に言えば、艦上での生活は千差万別だったのです。そしてイェイツ艦長は規則に対して、大変厳しいお方でいらっしゃいました。


 イェイツ艦長は伸ばした黒い髪を後ろで三つ編みにした二五歳になる偉丈夫でした。海軍本部参事官である父親の伝手を頼り入隊。その後は目立った活躍はないものの、順調に昇進を続け、エリーゼの指揮を任せられるに至りました。


 エリーゼはイェイツ艦長が初めて指揮することになった戦列艦です。そのためか、手綱を緩める機会が分からなかったように思えます。また強制徴募隊によって集められた水兵の中には犯罪者たちもいました。彼らから嘗められないようにという思惑が、イェイツ艦長の中にあったのかもしれません。


 イェイツ艦長はその彫りの深い、男らしい顔とは裏腹にとてもナイーブなお方でした。私は艦長付きのお針子として艦に乗りましたから、部下のいないところで彼を見る機会がありました。そんな時、イェイツ艦長は顔に皺を寄せて、懊悩していました。イェイツ艦長は一人悩み苦しんでおられたのです。


 しかし艦長の考えなど、一介の水兵には知る由もありません。皆はただ必要以上に強いられる鞭打ちやエリアス様の例を見るような上の贔屓があるのではないかと疑心を抱き、鬱屈した心情で艦上生活を送っていたのです。


 それで何も問題が起きないはずがありません。イェイツ艦長にとって、更に不幸だったことは、食料の悪化も目立ってきていたことでした。


 樽に保管していた真水は腐り始め、保存食の乾パンにはゾウムシが湧き、到底満足できるような食事は水兵の前には出てきませんでした。そうした中で彼らの不満はついに反乱という形で噴き出すのでした。


「イェイツ艦長、俺たちが求めるのは、さっき言ったとおりだ。そのどれもが譲れない。もし艦長が俺たちの正当なる要求を受け入れられないというのなら、俺たちは艦長に断固たる抗議を企てる。即ち、ストライキだ。俺たちはこの艦の運用に手を貸さない。もしそうなったら、イェイツ艦長、あんただって困るだろう。これから起こるかもしれない戦いは俺たちの働きによって決まるものだ。それがいなくなっちゃ、艦長は戦えない。戦いが始まっても、エリーゼが動かないでいたら、それは立派な敵前逃亡だ。そうなれば艦長は死刑。例えそれを免れたとしても、アウェリアで艦長が生きる場所はなくなるだろう。なに、俺たちの要求はそれほど難しいものじゃないはずだ。イェイツ艦長、あんただってこんなことぐらい、考えなくても分かることだ。艦長が何をすべきかってことはな」


 水兵を従えたダン海尉は、自信満々に告げました。その様子はどこか今の立場に酔っているような朗々とした調子でした。


 前に突き出た顎を何度も手でさすり、黄色い歯を見せびらかしながら笑う。そして暗い眼窩に無理矢理はめ込んだような落ち窪んだ目は、ギョロリと不気味に動いて、相手を見下してくる。不愉快極まりない仕草です。


 それに対するイェイツ艦長の返答は沈黙でした。イェイツ艦長は目を逸らさず泰然とダン海尉を見据えていましたが、その心中は決して春の海のように凪いではいなかったでしょう。


 ダン海尉らの要求が例え理路整然としていても、艦長の意向を無視したそれを簡単に受け入れてしまっては、艦長として権威が失墜してしまいます。つまり、艦長の指揮の強制力が失われてしまうのです。しかし、ダン海尉らを突き放す言葉も、イェイツ艦長は持てませんでした。


 イェイツ艦長とダン海尉の睨み合いが続く中、エリアス様は何を喋るでもなく、ただ茫漠とした表情で状況の推移を見守っていました。イェイツ提督の頑なな態度に業を煮やしていたダン海尉は、当然エリアス様の無関心を装う姿勢には我慢がなりません。


 反乱を決起した理由の一つにはエリアス様の存在があるのです。それなのに問題の当人が、その事態を重く受け止めていないのでは、ダン海尉でもなくとも、不愉快に思うのは当然のことでした。


「エリアス、嘗めた態度をとるな! 出来損ない風情が調子に乗るから、こうなるんだ! 船酔いする海尉なんて聞いたことないぞ、このクズが! お前は本当にニーソン提督の息子なのか? とても『常勝』の血を引いているとは思えん。所詮は庶子か!」


 ダン海尉は悪意に満ちた言葉でエリアス様をこき下ろしました。私にもダン海尉が怒る理由は分かりましたが、その言葉の内容は到底私にとって許せるものではありませんでした。


 ホレイショー様がエマ様に捧げた愛情を、そしてホレイショー様の大切な忘れ形見をけなしたのです。私はすぐさまサーベルとレフトハンド・ダガーに手をかけ、ダン海尉に歩み寄りました。


 しかし、私の足は一歩進んだところで止まりました。エリアス様が今まで保っていた沈黙を破って、声を出したのです。


「私はニーソン提督の息子です」


「とてもそうには見えないな」ダン海尉は今にも吹き出しそうになるのをこらえながら答えました。


「ですが、私はホレイショー・ニーソン本人ではありません。私はエリアス・ニーソンなのです。どうあっても父のようにはなれません」


「何が言いたいんだ、エリアス?」


「私はダン海尉らの提案に従って、主席海尉の任を降ります」


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