鉄筆
中島梅葊(庵)は1801-1869年の生涯の中。1829年(文政12年)より没年(明治2年)まで黒瀬町にて広く学問を教えた。私塾『養成館』は1842年には開かれていた。そこでは若者を維新に送り込むような教育ではない。しかし全国でも珍しいだろう、没後塾生たち(農民、男女問わず)がわずかな金を出し合い、数年後に立派な漢文で刻まれた碑を建立している。そして今もなお残るその碑は、美しい里を眺めている。
中津藩士の父をもつ新蔵は幼少に出家させられた。中島貞二、号して「梅葊(庵)」その生涯を追う。
これは自叙伝にも掲載しています。続編もよろしく
中津藩士の父をもつ新蔵は幼少に出家させられた。中島貞二、号して「梅葊(庵)」その生涯を追う。
これは自叙伝にも掲載しています。続編もよろしく
序の段
2016/02/26 14:21
二の段 かまどうま
2016/02/29 09:51
素山道立和尚
2016/03/02 08:00
うどん
2016/03/04 20:48
(改)
野党の娘
2016/03/13 01:24
(改)
一足一禅
2016/03/27 13:28
(改)
藩士崩れ
2016/04/10 08:59
(改)
速かった帰宅
2016/04/17 01:00
(改)
閉門
2016/04/21 08:35
(改)
樽風呂
2016/04/26 23:16
還俗(げんぞく)
2016/05/02 11:18
夜盗蛾
2016/05/05 22:34
かどわかし
2016/05/17 10:18
すれちがい
2016/06/11 08:43
(改)