解決編その2(下)
【ノックスの十戒】(再々掲)
1 犯人は、物語の当初に登場していなければならない
2 探偵方法に、超自然能力を用いてはならない
3 犯行現場に、秘密の抜け穴・通路が2つ以上あってはならない
4 未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない
5 中国人を登場させてはならない
6 探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない
7 変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない
8 探偵は、読者に提示していない手がかりによって解決してはならない
9 ワトスン役は、自分の判断を全て読者に知らせねばらない
10 双子・一人二役は、予め読者に知らされなければならない
僕は、北川の方に目を遣る。
脂汗をかき、目を泳がせている姿は、もはや自白をしているも同然だった。
しかし、北川は、探偵に食らいついていく。
「動機は? 私に哀辻を殺す動機があるんですか?」
「随分な悪あがき、というか、白々しい。僕にそんなとぼけが通じると思う? 玄也、もう諦めろよ」
急に菱川がタメ口になった。
それだけでなく「玄也」と北川を下の名前で呼んでいる。
「……とぼけてなんていません」
「玄也、見苦しいよ。僕はこんなダサい弟を持った覚えはないね」
弟??
「……やっぱり兄貴には勝てないか」
兄貴??
「ごめん。ごめん。つい内輪の話になってしまいましたね。実は、僕と玄也は、同じ腹から同時に生まれた兄弟なんです」
同じ腹から同時ということは——
「……双子ですか?」
菱川が首を振る。
「いいえ。双子ではありません。三つ子です」
三つ子!??
「先ほど、僕の演技は全て嘘と言いましたが、部分的に真実も含まれていまして、僕と哀辻……いや、悔人との血縁関係に関しては、ほぼ真実でした。運転免許証も偽造したものではありません。もっとも、僕と悔人は双子ではなく、僕と悔人と玄也とで三つ子なんです。母親がすぐ死んだのも事実なので、3人ともそれぞれ別々の養親に引き取られました。あと、一卵性じゃないので、3人ともあまり似てないです」
——そんな濃蜜なミッシングリンクがあっただなんて!!
というか、これはアリなのか!?
たしかにノックスの十戒の10項目は、「双子・一人二役は、予め読者に知らされなければならない」となっていて、三つ子の存在を予め知らせろとは書かれていないが。
「動機を推理するというのは、探偵にとってももっとも神経を使う作業です。推測で補わなければならない幅が広いので。とはいえ、今回の事件については、僕には動機が分かります。父母が一緒ですからね。悔人は遊び人で、常に僕や玄也に金の無心をしてきました。それを断ると、今度は悔人は、探偵である僕や、医者である玄也について、捏造された悪評をSNSで書いて嫌がらせをし、削除して欲しければ金を寄越せ、と脅してきていたんです。ゆえに、玄也は悔人を殺したんだ」
「……さすが兄貴、すべて兄貴の言うとおりだよ」
ついに北川は罪を認めた。
名探偵の勝利である。
「玄也、気持ちは分かるよ。正直、僕だって何度悔人のことを殺したいと思ったか分からないよ。ただ、僕にはどうしても殺人はできないんだ」
「なんで?」
「『変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない』というノックスの十戒の第7項目があるからさ」
「……兄貴、ノックスの十戒っていうのはそんなに偉いのかい?」
「ああ、絶対的なものだ。探偵である以上は絶対に守らないといけない。僕は犯人を当てるためなら手段を選ばない。今日みたいに狂人を演じることだってする。ルールなんて糞食らえだ。だけど、ノックスの十戒だけは別だ。絶対に破ることはできない。内心ではノックスの十戒は嫌っている——つまり、アンチノックスなんだけどね」
アンチノックスで、ルールを破ることを厭わない探偵であっても絶対に破れないほどにノックスの十戒は偉大なものだということらしい。
でも、と兄弟同士の会話に水を差したのは、南山だった。
「たしかノックスの十戒には、中国人を出しちゃいけない、っていうルールもありましたよね?」
「よく知ってますね」
「他は覚えてなかったんですけど、それだけは印象的だったので」
「南山さんの指摘のとおり、第5項目に『中国人を登場させてはならない』があります」
宿泊者たちの目線が、一斉に「謎の中国人」こと王李に向く。
「菱川さん、王さんの存在は容認してもいいのですか?」
菱川がどう答えるのか見ものだな、と思っていたが、菱川はあっけなく、
「OKです」
と答えた。
「どうしてですか?」
「簡単です。彼は実は中国人じゃないからです」
王が中国人でない!?
あんなにあるある言っていたのに!?
菱川はさらに驚くべきことを言う。
「実は彼は、『真のワトスン役』である渡戸俊史君なのです」
王——否、渡戸が深々と頭を下げる。
「皆さん、今まで騙していてごめんなさい。僕は中国人ではなく、純粋な日本人です。そして、今菱川さんが紹介したとおり、僕が菱川さんの本当の『ワトスン君』なんです」
「ここから先は僕が説明します。ワトスン君に『謎の中国人』を演じるように命じたのは僕なので。今回の悔人殺人事件について依頼が来たとき、身内の事件ということもあり、すぐさまにでも駆けつけたいと思いました。しかし、皆さんもご存知のとおり、僕には別の館の事件を解決しなければならないという先約があったのです。そこで、悩んだ末、ワトスン君である渡戸君のみを先にこのペンションに送りました。そして、皆さんの監視と、事件の捜査を依頼したのです」
たしかに渡戸が屋敷に来たのは、西田が菱川に依頼をした翌朝であったし、渡戸は勝手に犯行現場に立ち入り、隠し通路を発見している。
もっと言うと、最終的に北川が犯人であることを炙り出す質問をしたのも渡戸だった。あの質問は菱川が張った「罠」だったのだが、菱川ないしワトスン役があの質問をしたのならば、犯人は警戒した可能性がある。しかし、質問したのが「部外者」である謎の中国人であったため、犯人は「罠」に気付かず、菱川の狙いどおり、菱川を陥れる嘘を吐いてしまったのだ。
菱川の説明は筋が通っている。
「そして、純粋な日本人であるワトスン君に中国人を演じるように言ったのは、潜入捜査の便宜上、彼がワトスン君であることはバレない方が良いと思ったので、宿泊者とあまり密なコミュニケーションを取って欲しくなかったからです。日本語が覚束ない中国人を演じれば、皆さんから徹底的に身元を追及されることもないですし、もし追及されても日本語が分からないフリをして適当に誤魔化せるじゃないですか」
よく練られた作戦である。
それに、日本人と中国人は同じ東アジアの人種であり、顔もよく似ている。渡戸の顔も、日本人だと言われれば日本人に見えるし、中国人だと言われれば中国人に見える。
「なるほど……」
思わず声が出た僕であったが、感心している場合ではないことに気付く。
なぜなら、今度は宿泊者たちの視線が一斉に僕に向けられていたからである。
「じゃあ、お前は何者なんだ?」
西田が僕のことを睨みつける。
それはそうである。渡戸が菱川の「ワトスン役」であるのだとすれば、僕の存在が宙に浮く。
僕は頭を掻きながら答える。
「実は単なるバイトでして……」
「バイト!?」
「これも僕が説明しましょう。先ほどまでワトスン役を演じてもらっていた彼は、今日のこの事件のために僕が臨時で雇ったバイトなんです。本物のワトスン役である渡戸君が中国人を演じているため、僕には代わりのワトスン役が必要でした。ワトスン役のいない名探偵なんて不自然ですからね。もしも僕が単独でこのペンションに乗り込んできたら、皆さんは僕が本当に名探偵かどうか疑うでしょう? ゆえに、まあまあよい時給を出して彼を雇ったんです」
「そういうことです」
僕は舌を出す。
僕は実はワトスン役ではなかった。
ゆえに、「実は、僕は、菱川はいつか人を殺すんじゃないかと胸の内で思っていた。菱川の目は、人殺しのそれだな、とはじめて会ったときからずっと思っていた」という僕の判断を後出しで読者に示したことは、ノックスの十戒の第9項の「ワトスン役は、自分の判断を全て読者に知らせねばらない」に反しない。
こうして、結果としてノックスの十戒に1つも反することなく、今回の事件は無事幕を閉じたのである。
(了)
本作を最後までお読みいただきありがとうございます。
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言うまでもないですが,本作はノックスの十戒をぼんやり眺めていたら閃きました。
閃き→構想→執筆完了まで,ちょうど24時間くらいでした(要するに仕事を相当サボった)。
この作品ができあがった背景には,間違いなく,菱川が今熱心に連載している「このなろうミステリーがすごい!と僕が思う作品」(通称「こなミス」)というタイトルのエッセイがあります。
このエッセイは,なろうに掲載されている隠れたミステリーの名作を紹介していくものなのですが,このエッセイを書くにあたり,ここ1週間くらい,なろうのミステリー小説を常に読んでいる状態でした。30作以上は読んだと思います。
その中から学んだことが本作にはかなり生かされていると思います。
つまり,何が言いたいかというと,本作はさておき,なろうには良質なミステリーがたくさんあり,僕のエッセイ(「こなミス」)で紹介されていますので,この作品を通じて少しでもなろうミステリーに興味を持った方は,ぜひ僕のエッセイを読んでいただきたい,ということです。
いや,これ書いたの絶対にプロでしょ,という作品ばかり厳選して紹介しています。
「こなミス」をよろしくお願いします!
あ,あと電子書籍も販売しているので,そちらもよろしくお願いいたします!