五回表
タイガースのダッグアウト前に和哉がモリモットを伴ってやって来た。
「喜久姉、負けを認めてくれないか？」
九点差を跳ね返す（注１）展開が考えられない以上、彼の提案は妥当と言える。しかし喜久代は被りを振った。
「野球は九回裏、スリーアウトを取るまで分からないわ。だから、どんなピンチの時も絶対に諦めない」
「今は眠る未知のパワーが目覚める感じでござるお」
モリモットも喜久代の意固地な態度にやや呆れている。
「とにかく、早く守備につきなさい」
追い返されて、和哉は溜息を漏らした。
「喜久姉も野球が好きなんだな」
「そうでござるな。それに、諦めない姿勢は可憐な乙女のポリシー（注２）でござるお」
鼻息荒く断言するモリモットだが、和哉には意味が分からなかった。
二人はそれぞれの守備位置に戻って、タイガースのバッターを待つ。
さあそれでは、五回表、タイガースの攻撃です。
九点を追い掛ける絶望的な展開ではありますが、先発の疲労や継投のタイミング次第では追い着く可能性もあるのが野球の醍醐味です。
「この回は九番バッターからですが、佐藤選手も疲れて来ているはずです」
はい、右のバッターボックスには鉄器川香崙選手が入っています。
ドラゴンズのマウンドは先発の佐藤選手、振り被って初球、投げた。
ストライク、内角低め一杯に入りました。
「疲労を感じさせない球威ですね」
ピッチャー振り被って、第二球、投げた。
ボール。今度は外角低め、やや外れたようです。
カウントは、ワンボール、ワンストライク。
「次は難しいですね。外にもう一球続けたいでしょうけど」
ヘファイストスさんも注目する第三球、投げた。
打った、一塁真っ正面のゴロです。山岡選手、軽く捌いて、……ああっと後逸（注３）した！
「紙にーさまダサダサですぅ」
打ったバッターは一塁を蹴って、止まりました。
ライトの小見選手から二塁に返球されています。香崙選手、俊足ですが、小見選手の守備に阻まれました。
そして、ドラゴンズにエラーが記録されます。
続くバッターは鉄器川華蘭選手、ただ今出塁した香崙選手の双子の姉になります。
「双子はテレパシーで繋がっているので要注意です」
え～、解説に私情を挟むのはいい加減にして下さい。
さあ、右のバッターボックス、華蘭選手が入りました。
マウンド上、佐藤選手はセットアップポジションから初球、投げた。
ストライク。
バッター、打ちに行きましたが、バットは空を切りました。
「積極的姿勢はいいのですが、折角の俊足のランナーを活かせていませんね」
ピッチャーの佐藤選手、第二球を投げた。
セーフティバントだ！
守備側、意表を衝かれたか、山岡選手が出遅れた。
ピッチャーの佐藤選手が打球を拾う。
既に香崙選手は二塁に到達。華蘭選手も一塁セーフ。
内野安打が記録されました。
「完全に不意打ちでしたね」
「紙にーさまダサダサですぅ」
タイガース、ノーアウトで一塁、二塁とチャンスを広げました。ここで、佐藤由貴選手の登場です。
その豪快なスイングから第一打席は見事なヒットを放っています。
親子対決の第三回目はチャンスで回って来ました。注目の打席です。
右のバッターボックス、娘の由貴選手に、マウンド上の佐藤選手は、どのような投球を見せてくれるでしょうか？
「バッターは追い込まれる前に勝負でしょうね」
マウンド上、佐藤選手はセットアップポジションから投げました。
初球、ボール。
外角低め、僅かに外れました。
さあ第二球、ピッチャー投げた。
フルスイング！
しかし、バットは空を切りました。
「本当に、惚れ惚れするようなスイングですが」
「当たらなければ、どうということもありません」
マウンド上、佐藤選手は二塁ランナーを見ました。塁上は俊足の鉄器川姉妹です。
ピッチャーの佐藤選手、第三球を投げました。
これまたフルスイング！
しかし打球はセカンド真っ正面。
４ー６ー３のダブルプレー！
「打球が速かった分、ランナーが間に合いませんでしたね」
親子対決の第三打席はまたもや父親に軍配が上がりました。
タイガース、ノーアウト一塁、二塁から、ツーアウト三塁に変わっています。
次は三番バッターの井ノ元選手。キャプテンとしては意地でもランナーを帰したいところです。
「二回表と同じ展開ですね」
言われて見ればノーアウト一塁、二塁から、ツーアウト三塁になった展開が全く同じです。違うのは打順だけ。
これは単なる偶然か、それともドラゴンズのマウンド、佐藤選手の投球術によるものでしょうか？
左のバッターボックスに井ノ元選手が入りました。
「力んでいるように見えますね」
ピッチャー初球を投げた。
外角低め、変化球。
井ノ元選手は打ちに行って空振り、ストライク。
「打ち気に逸る井ノ元選手の心理状態を読んだ、バッテリーの作戦でしょう」
続く第二球、今度は内角、胸元への直球。
見逃して、判定はストライク。
あっと言う間にツーストライクと追い込まれました。
第三球は、どこに投げるか、マウンド上の佐藤選手。
「私ならど真ん中ですね」（注４）
ピッチャー、セットアップポジションから投げました。
高めの甘い球、打った！
しかし打球は真上に高～く揚がった。ランナーは本塁に帰って来ましたが、打球はキャッチャーの森本選手のミットに収まり、スリーアウト。
タイガース、この回も無得点に終わりました。
声の想定
・桐下 和哉 鈴木達央さん
・小見 敏夫 前野智昭さん
・尾藤 大輔 稲田徹さん
・佐藤 竜也 櫻井孝宏さん
・武藤 龍 玄田哲章さん
・今井 雄三 蒼井翔太さん
・紀井 多聞 森久保祥太郎さん
・モリモット 関智一さん
・山岡 次郎 下野紘さん
・聖女クリス 小林ゆうさん
・ジョアンヌ 河瀬茉希さん
・藤井 照美 伊藤かな恵さん
・藤井 羅二夫 うえだゆうじさん
・ヘファイストス 中尾隆聖さん
・鉄器川 華蘭 竹達彩奈さん
・佐藤 由貴 芹澤優さん
・井ノ元 喜久代 丹下桜さん
・ペンテシレイア 日笠陽子さん
・長野 恵梨香 原由実さん
・倉田 祐子 阿澄佳奈さん
・樋口 鞆絵 喜多村英梨さん
・尾藤 弥生 沼倉愛美さん
・鉄器川 香崙 悠木碧さん
注１ 九点差を跳ね返す展開
高校野球でもプロ野球でも起きている大逆転だが、プロ野球では最大で十点差を逆転している試合がある。
平成二十九年にヤクルトスワローズが中日ドラゴンズ相手に十点差を逆転勝利している。この時は数回に亘って得点を重ねた末の逆転勝利である。
平成二十六年の高校野球では石川県の地方大会決勝で、星稜高校が九回裏の土壇場で八点差をひっくり返して甲子園行きを決めた。
最後まで諦めてはならない競技が野球である。
注２ 可憐な乙女のポリシー
石田耀子さんが歌う『乙女のポリシー』はアニメ『美少女戦士セーラームーンＲ』のエンディング曲である。
注３ 後逸
守備側が打球の捕球に失敗したエラーのこと。
この場合、トンネルと呼ばれる。
トンネルシーンで有名な選手は読売ジャイアンツの長嶋茂雄選手だが、これはエラーの少ない長嶋選手の珍しい場面として繰り返し放送されただけである。
エラーで有名な選手は中日ドラゴンズの遊撃手、宇野勝選手である。リーグ最多失策を七回記録し、四十代以上ならば知らない人がいないほどの「ヘディング事件」を筆頭に珍プレー特集を組まれた上、『プロ野球珍プレー好プレー集』の開始の発端となった。
宇野選手の名誉の為に補足するが、遊撃手としての通算最多本塁打記録、シーズン本塁打数、遊撃手として唯一の本塁打王獲得など長距離打者として活躍したベストナインでもある。
注４ 私ならど真ん中
野球解説者がこう答えたことがある。
なお、気の乗らない投球に対してど真ん中にも関わらずボールを宣告した審判も実在する。
