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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
終章 未来行路
198/207

198,星影眺む指切りは


 軽い音を発した幕が、越えられない境界線を作り上げる。薄いも厚いも関係ない。引いてしまえばそこでおしまい。

 ラスターにもっと知識があったなら。気の利いた台詞も出せて、思いやる行動が取れたなら。今のラスターはこの薄い紗幕すらはね除ける術を持たない。


「ラスターさん」


 首を伸ばしたエリウスが、ラスターを手招きした。セーミャはいない。代わりに新しく増えていた二人の来訪者が、観音開きのように振り返る。


「やあ」


 向かって右側にいた男性から気さくに呼びかけられる。ラスターは曖昧に頭を下げた。

 呼び寄せたのはエリウスだが、ラスターを呼びたかったのはこの二人だろう。ノチェとギア。彼らに呼ばれるような覚えはないし、心の準備もできていなかった。


「少し話せるかな?」

「うん、大丈夫」


 ノチェは国王代理だ。恐らくリディオルを通じてことのあらましは知り得ていただろうが、当事者にも話を聞きたいといったところか。とはいえ、ノチェがどこまで知っているのか。わからなければ、訊けばいい。話すのはそれからだ。


「どこから話せばいい?」

「何をだ?」


 ノチェの返答に目をぱちくりとさせる。何かが噛み合っていない。


「ボクに、事件の話を聞きに来たんじゃないの?」


 違うのなら、何を話しに来たのだろう。もしくは何を聞きに来たのだろう。怪我をした様子のない彼らが、治療しにやって来たとは考えづらい。リディオルの見舞いだろうか。それともユノの?


「なるほど、そうきたか」


 滲ませた笑みから、ラスターの想像が外れたことを知る。てっきり、報告するための事情聴取でもされるのではないかと思っていたのに。


「あんたがいなかった方が立派に育ってるんじゃないか?」

「寂しいことを言ってくれるな。義母には感謝しきりだし、足を向けて寝られない。ラスターが戸惑うのも無理はない。俺の身から出たさびでしかないのに、無理をさせた」

「……うん」


 なんと答えたらいいか逡巡した末、ラスターは素直な気持ちに従った。ここでごまかしてもノチェを困らせるだけだ。

 さりげなく離れていったエリウスは、卓に山積みされていた書類を棚にしまい始める。表紙に目を落とし、中身を見て棚の一番上へ。今度は背表紙をちらと見て下から二番目の棚へ。決められた場所へと少しずつ返されていく。元の位置へ。あるべきところへ。


「聞きに来たのは事件のことだけじゃない。一度、話したいと思ってね。疲れているところ悪いな。元気にしていたか? ラスター」


 あっという間に歩を詰めてくるも、一歩の幅を残す。そこがきっと、ノチェとラスターの埋められない距離だ。それ以上近づいては来ず、ノチェは気まずそうに頬をかいた。


「お父、さん……」


 知ったばかりの繋がりが、ラスターに彼の呼び方を教えてくれる。だと言うのに、口にしてもどうもしっくりこない。呼び慣れていないからか、父という存在を知らずにいたせいか、顔を見ても今ひとつぴんとこないためか。妙にそわそわした気持ちが、ラスターの中であっちこっちに行き来する。なんだろう、この落ち着きのなさは。


「今まで傍にいてやれなくてすまない。寂しい思いをさせた」

「それは、別に……」


 いなくて当然だとすら思っていた。物心つく前からラスターの父親はいなかった。母親もあとを追うような形で出て行ってしまい、祖母がラスターの親代わりだった。


「いないのが当たり前だったし。お祖母ちゃんがいたから、寂しくはなかったよ」


 寂しいと感じる暇もなかったからかもしれない。目の前に広げられた薬を覚えるのに無我夢中だった。調合がうまくいったり、配合量を間違えたり──成功と失敗を繰り返しては一喜一憂して、そうこうしている間に一日が終わってしまうような日々だった。もしかしたら大泣きして困らせたことがあったかもしれないが、ラスターが覚えている限りでは思い当たらない。寂しさが入る隙間もないくらい没頭していたのは確かだ。

 いなくても当たり前の環境であっても、寂しさがまるきりなかったわけではない。


 母親に会えたときは嬉しかった。思いもしなかった再会に、積もっていた思いが決壊してしまったことは記憶に新しい。

 あのときは感極まってしまったけれど、ラスターが母親を探していたのは寂しかったからではない。彼女が、村に毒をまき散らしていった理由を知りたかったからだ。ラスターが聞けたのは母親が起こしたという事実と、彼女がノチェに会いたいがために起こしたという理由だけ。彼女が心の奥底に秘めていた本心は、結局聞けずじまいだった。


「それに、亡くなったって聞いてたし」


 いなくて当然が、既に亡くなっていたに変わったのは、つい最近だ。それまで不明瞭だった父親の存在を突然突きつけられるも、どこか別の国にいる人の話を聞いているようだった。思いを込めて語られても、知らない誰かの話でしかなかった。


「幼い頃に離れたきりなら、死んだと思われてもおかしくはねぇな」


 ラスターが実感しないのは、そういった背景もあるのだろう。ノチェはラスターの父親だった。亡くなったはずのノチェが実は生きていた。明かされた真実や覆された事実に遅れないようついていくばかりで、認められるに至っていない。今もまだ、あやふやなままだ。


「ええと、まだ混乱してて、ちょっと困ってるかな……」


 耳を傾けていたノチェが徐々に下を向き、とうとう項垂れてしまった。なんだか、とても悪いことをした気分に陥る。


「つけが回ってきたからって陰鬱な顔してんじゃねぇよ。鬱陶しい」

「因果応報をひしひしと感じるよ」

「嘆かわしい。わかってんなら、わかりやすくへこむな」

「無茶言うな。おまえも子どもができたら言われてみろ。傷は大きいぞ」

「当分ねぇし。しち面倒くさい奴だな。つばつけときゃ治る」

「暴論だな。それで治ったら治療師はいらないだろう」


 打てば響くような二人のやり取りを、ラスターは目で追いかける。

 シェリックとリディオルが交わす会話ともまた違う。息は合っていそうだけれど。

 ノチェの横に立つギアをじっと見つめる。まともに見たのはこれが初めてだ。眉間に刻まれたしわは、彼の不機嫌さを隠しもしない。ノチェとの受け答えを聞いていても、ギアには愛想の欠片も見当たらない。身体中につけている装飾品のせいでよけいに近寄りがたくもある。そんなに不満に思うことがあるのだろうか。

 ともすれば臆してしまいそうだが、ファイクの慌てようを思い出すとなぜだか落ち着いた。人は程度の大きなものを引き合いに出し、我が身を比較して、そこまでではないと安堵するそうだ。自分以外の誰かが過剰な反応をしたときも同様だと言える。

 ラスターは心の中で謝罪した。ごめん、ファイク。


 そして、ノチェ。ラスターの父親であり、レーシェが罪を重ねることになった元凶の人でもある。

 レーシェは大罪人だ。ユノをけしかけ、賢人を三人殺させて、シェリックをも利用して。そうした理由はただひとつ。ノチェに会いたいという、ただそれだけのため。

 なのに、ノチェを見ていると、とてもそんな原因を作りそうな人には見えない。これといった特徴もなく、人畜無害で、どこにでもいそうな人だ。大勢の中なら、いることすらわからなくなりそうである。

 ああ、けれど頷ける部分もある。

 ノチェが口を開くと、どうしてだか惹きつけられる。聞かなければならない強制力というよりも、ずっと聞いていたくなるような安心感がある。


 何を話したらいいだろう。レーシェもシェリックも放っておいて、どこに行っていたのか。いっそつかみかかって、怒りにまかせて問い詰められたなら良かった。きっと謝罪しながら懇切丁寧に教えてくれただろう。

 そうしたいかと問われても、どうも違う。問い詰めるどころか、怒る気持ちが湧いてこない。あらん限りの声で訴える誰かの幻は見えても、その姿はラスターとは重ならない。


「シェリック、賢人の地位を返すんだって話してた」


 感情を先行させたら、いつまで経っても話せない。ラスターは憤慨する代わりに聞いてみたくなった。意気消沈していたノチェが姿勢を正す。腕組みしていたギアは目だけを向けてくる。

 地位を返すだけなら、再会したリディオルに伝えておけばこと足りたかもしれない。返すだけで済まなかったのは、ラスターが人質とされていたからだ。それがなくとも、シェリックはアルティナに戻るつもりだと言っていた。いずれはと、シェリックが教えてくれた。人に頼らず、自らの手で直接返したかったのだろう。


「あなたが戻ってきたときに返すつもりだったケド、それが叶わないからアルティナに返すんだって」


 賢人という地位を繋いでいく受継は、ただ次の人へ受け継がれるだけではない。代々担ってきた人たちの志を託し、これまで賢人だった人とこれから賢人になる人、双方の節目ともなる大事な儀式だ。

 ノチェから任された占星術師を、次の人へ繋ぐために。シェリックが負い、成し遂げると決めていた責任なのだろう。


「でも、シェリックがそれをしてたら、占星術師を返した途端にいなくなってたと思う。責任を果たしたら、いつでもいなくなれるようにって。シェリックはずっと、そう決めてたんじゃないかな」

「そうか。そういうところは変わらないな」


 筋は通して、通し終えたらあとは自由だ。何にも縛られず、どこへでも行ってしまえる。


「黙って見送るのがいいんだよね」


 放された手も、告げられた別れも、彼がラスターとは別の道へ行ってしまうという意思表示だ。


「そうしたくないと顔に書いてあるぞ?」

「ばれちゃった?」


 触れられたのに、放されてしまった。自由になろうとしている彼にとって、引き留めたいラスターの思いは邪魔でしかない。積まれた年月の上に責務も倫理も重ねられて。背負いきれないなら捨てていけばいい。取捨選択をして、積み荷を整理しなければならない。持てる限度は誰にでもある。必要ないなら排除されて当然だ。他人の都合で押しつけた荷をどうするか、最終的に決めるのはその荷を持つ人だ。

 背負う余力を空けて、別のひとつを背負い込んで。取り残され、捨て置かれる荷の中にラスターがいても、もう一度拾われることだってあるかもしれない。

 拾ってもらうためにはどうしたらいいか。


「どうしたい?」


 心を読まれたみたいだ。


「シェリックともう一回、話すよ」


 会わなければ始まらない。誰かを通して思いを伝えてもらうより、自分で伝えにいきたい。もう一度。あと一度。これで最後。


「おまえが思うようにやったらいい」

「うん、そうする」


 ノチェには反対されるかと思っていた。ラスターがそこまで懸ける価値はあるのかなんて言われて。

 ノチェは寛容だ。なんでも許してくれて、どんなことでも甘やかしてくれそうな、そんな危険な予感がする。

 お父さん。

 ノチェ。

 胸のうちで何度も呼び、ようやくしっくりと収まった。


「ノチェって呼んでもいい? お父さんって呼ぶのはちょっと不思議な感じがして──あ、えっと、呼びたくないわけじゃないんだケド」


 しょんぼりとしたノチェに、ラスターは慌ててそう言い添えた。


「子どもに気を遣わせてんじゃねぇよ」

「……悲しくて涙が出そうだ」

「嘘をつけ」


 ノチェの立場としては複雑な胸中になるだろう。せっかく再会したラスターに、父と呼んでもらえないのだから。

 長年、会いにも来てくれなかったお返しだと割りきった。

 ラスターにとって彼は父親というよりも、シェリックを助けてくれた恩人としての意味合いが強い。お父さんと呼びかけるより、ノチェと呼んだ方が違和感がないのだ。

 そのとき、ノチェの腰に下げられた装飾品に吸い寄せられた。決して目立たない大きさなのに、ラスターに見つけて欲しかったと言いたそうに目についた。


「それ、星命石? 見てもいい?」

「ああ」


 傷つかないよう金属の枠に収められ、中央にいる黄石が誇らしげに輝いている。台座が立派になっても、所有者が変わっていても、ラスターにはわかった。

 ルパの港で見せてもらったのは一度きり。請われてレーシェへと投げられ、綺麗な放物線を描いていた。


「シェリックの……」

「ああ、そうだ。受継したときこの石もあいつに渡したからな。賢人は、名前と地位と星命石の三つを受け継ぐ。これは、返されたものだ」


 誰に。

 そう尋ねようとするも、答えの半分は知っている。これがシェリックの手によって返されたものでないことくらい、ラスターにもわかるのだ。ノチェの元に戻されたのなら、この石はもう、ノチェの所有物だ。

 じゃら、と音が鳴る。それは、身じろぎをしたギアから発された。


「──なんだよ?」


 目ざとく気づいたギアが睨んでくる。どうしてこう喧嘩腰なのだろう。ギアは態度だけでだいぶ損をしている気がする。もったいない。


「重そうだね」


 綺麗だとか、繊細な作りだとか、褒めるべき点はもっとあった。それなのに、ラスターの口から出てきたのは別の随感だった。


「また、独特な感想をくれるな。言われたのは初めてだ」

「動きにくそうだなって思って」

「慣れてる」


 答えてはくれる。嫌がられてはいないようだ。装飾品をつけている人はよく見かけるも、ここまで多くの数を身につけている人には滅多にお目にかかれない。というより、初めてである。


「この中に星命石もあるの?」


 いくつか小ぶりな石がついている装飾品があった。


「一応な」


 おもむろに左腕が差し出され、三つつけているうちの一番太い銀の腕輪が示される。ギアの人差し指が教えてくれたのは、真ん中にはめ込まれていた石だ。


「灰色……」


 彩り豊かな星命石がかり見てきたせいか、色のあまりついていない石を見るのはほとんどない。


「派手な色は苦手なんでね」

「そうなの?」


 ラスターはギアをじっと見上げる。


「……なんだよ」

「だって、その耳飾り」


 ギアがはっとした顔になるのと、堪えきれなかったノチェが吹き出すのは同時だった。


「シェリックみたいだなって、思ってて」


 星を模した形、黄色の石。彼が持っていた星命石を彷彿ほうふつとさせる。今はノチェが持っているので、ノチェの星命石になるのか。

 ギアが身につけている装飾品はどれも簡素で、無骨なものが多い。それなのに、いやに可愛らしいこの耳飾りだけ異彩を放っている。


「これは俺の趣味と違う!」


 肩を震わせていたノチェが、笑う合間に同意を促してきた。


「良かったな、気づいてもらえて。本人でなかったのが悔やまれるが」

「……だから嫌だっつったんだよ。いい加減外させろ」

「断る」


 冗談とからかいの度合いが大きいだろうに、文句を言ってもギアは決して外そうとしなかった。何か、外せない理由でもあるのかもしれない。


「気に入ってつけてるんじゃないの?」

「…………もらったんだよ」


 うんざりと投げられた回答が、ギアの本意からはかけ離れた仕打ちだとわかる。それを強要したのがノチェだとも。そこまで嫌なら、ノチェの許可を得たりせず外してしまえば良いのに。


「ねえ、ギア。聞きたいコトがあるんだ」

「くだらない内容ならごめんだ」

「違うよ」


 ラスターから真剣さを感じ取ったのか、ギアは腕を組みながらも聞く体勢を取ってくれる。ノチェも、興味深そうに待っている。


「あのね──」



  **



 都会と言われて、真っ先に浮かぶのがアルティナの街並みだ。

 厳密に整頓された区画。空までもが領土であるといわんばかりに、高くそびえる建物の多いこと。石畳の上は人や馬車がひっきりなしに行き交い、街は止まることを知らずに走り続ける。

 流れに乗り遅れてしまわぬように。常に細心を求めて。一瞬たりとも留まることをよしとしないこの街は、遅れた者を省みたりしない。煌びやかで華やかでもある反面、人に淡泊で不親切な街でもあった。


 戻ってきたときは懐かしさを覚えたが、同時にこの優雅な世界にい続ける自分を想像し難かった。

 これまでついていけたのは、這ってでも食らいついていたからではない。なくさぬよう守り続けていた矜持が、たまたまアルティナの速度に追いついていただけだ。むしろ今の今までいられたことが奇跡だと言ってもいい。

 場違いだと気づきながらも、身を置き続けた愚か者。こんな愚鈍な人間が、いていい場所ではなかった。


 一夜の夢にも似た世界。アルティナは、かけがえのない幻を見せてくれた。夢に人が関われば、儚く散って消え去る。自分にとって、アルティナはまさにそんな場所だった。

 アルティナは別世界だ。今も、昔も、これからも。


「──それでは、よろしいですね?」


 賛成の声どころか、反対意見のひとつですらも上がらない。シャレルに全て委ねたといわんばかりに。


「牢屋からの脱走、及び禁じられた術を繰り返したこと。一度だけであったなら保留にできましたが、二度目とあれば見過ごすことはできません」

「心得ています」


 賢人たちから七対の厳しい目が向けられようとも、動じることなく答えた。何を言われたとしても、受け入れる以外の選択肢は端から持っていなかった。


「わかりました。それでは──」


 そうして彼に告げられる。


「賢人剥奪に加え、国外追放を言い渡します」


 彼が犯した罪と、同等の罰が。




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