192,全てを語る星詠み師
エクラ=ノチェ。
現人神のように現れたその男性を、レーシェが、シェリックが、確かにそう呼んだ。それではこの人が、かつてシェリックが呼び出そうとしていた人物であり、レーシェが会いたかった人なのか。
彼の容姿や纏う雰囲気に、ラスターとの共通点はないか探そうとする。髪の色以外に、何かないかと。しかし、こんな短い間だけでは見つかるはずもなかった。突然やってきたこの男性が父親なのだと言われても、ラスターにはぴんとこない。ほとほと困ってしまった。
「亡くなったんじゃ、なかったの……?」
正体を確かめるのではなく、彼に誰なのかを訊くのでもなく。ラスターの口からこぼれたのはそんな確認だった。
訊きたいことはたくさんある。何を訊いたとしてもきっと答えてくれるだろう。そんな確信がある一方で、こんがらがったラスターの頭の中では、訊くべき質問にまでたどりつけずにいる。何から尋ねればいいのか、わからないのだ。
禁術は死者を呼び出す術だ。前提条件として、呼び出されるはずだったノチェは亡くなっていなければならない。そうでなければ、禁術を使う意味そのものが見いだせない。
ノチェは生きていた。禁術は失敗すると、予め確認したシェリックは間違ってなんかいなかった。前治療師が呼び出せたのなら、禁術もやり方も合っていた。違っていたのは、ラスターたちの認識だ。ノチェが亡くなったという、事実そのもの。
なぜそんなことが起きたのか。
シェリックもレーシェも信じきっていた。恐らくは、ギアも。だから六年前の悲劇が起きてしまった。同じようにノチェを呼び出そうとして、やはり失敗してしまった。真実を知っていたならば、禁術が使われはしなかっただろう。レーシェが刺され、シェリックが最果ての牢屋に投獄されることもなかった。シェリックがラスターと出会うことも、ラスターが母親と再会することさえも。
悪い結果ばかりではなかった。それでも、全ての事柄一本の線として繋がって見えてしまう。
大本は六年前──いや、それ以前から始まっていたのか。そう思わせてくれるほどに、辻褄とやらはがっちりと当てはまる。誰かが嘘をついたり、意図的に情報を止めていたりでもしなければ、一連のできごとが起こることもなかったのではないか。
ラスターは視線を横にずらす。ノチェとともにやってきたのは二人。浮かんだ可能性は一人きり。六年前の禁術に関わっていたのは、彼しかいない。
その彼──リディオルはため息にしては大きすぎる息を吐き、ギアの肩へともたれかかった。ギアは文句すら言わず、されるがままだ。足元に落とされていた目線が再び持ち上がる。
「そもそもの前提がちげぇ。ノチェは、死んでなんかいない」
体裁を整え、リディオルは答えを明かしてくれた。
本人を目の前に出されたなら認めざるを得ない。ノチェ自身が、他のどんな所以にも勝る証拠となるのだから。けれども、理由にも原因にもほど遠い。いくら答えが明確にされようと、納得できなければ穴だらけの証明に過ぎない。
「──シェリックにそれを指摘されたときは、さすがに焦ったけどな」
本人を見もせず、そんなことをさらっと口にして。これまで、リディオルへと心配顔をしていたシェリックが、みるみるうちに渋面へと変わっていく。
「……おまえ、わざと嘘ついたな」
「ついてねぇよ。ノチェの生死は知らない。俺が知ってるのは、アルエリア王代理がいることだけだ」
くつくつと忍び笑いを漏らすリディオルとは反対に、シェリックの眉根はますます寄っていく。対照的な二人の横で、ギアが関わりたくなさそうにあさっての方向を向いていた。
一聞しただけではもっともらしい根拠に思えるが、よくよく考えずとも屁理屈にしか聞こえない。どれほど言葉巧みに、もっともらしい推論を述べようともだ。リディオルだから許されるという便利な免罪符は、どこにもない。
傍で聞いている者に、できることがあるとするならただひとつ。乗せられた口三味線から下りることだけ。
いかに不協和音を鳴らそうとも、聴く者がいなければただの音だ。指摘する者がいて、初めて不協和音だと気づくことができる。
「欺瞞した発言には違いないだろう……」
気持ちを代弁してくれたシェリックに、ラスターはこっそり首を縦に振る。よくぞ言ってくれたと。
どれほど詭弁を弄されようと、リディオルを支えている手は緩めない。だから、シェリックは優しいのだ。
「しょうがねぇだろ。公にできねぇ事態なんだから。俺が一番、貧乏くじ引いてるっつーの」
「その割に楽しんでたのは誰だ?」
シェリックとは反対側。リディオルを支えながら、見かねたギアが口を挟んだ。
「どこをどう見たら、楽しむ解釈になったよ」
「少しは可愛げを見せろ」
「ねぇわ」
ひと言、ふた言。短いやり取りだけで親しそうな雰囲気が伝わってくる。リディオルとギアが既知の間柄であったことにも驚いたが、二人の仲も良さそうだ。本人たちに告げたなら否定されることは必至だろうが、傍から聞いていると場違いながらも和んでしまう。
シェリックと、リディオルと、ギア。
二人ずつでは仲が良さそうなのに、三人揃うとどうして仲が悪そうに見えるのか。不思議だ。空気を読まず、セーミャと一緒に笑いたくなってしまう。
「──今まで、どうしてたのよ」
己の身を守るように両腕を抱え、レーシェはぽつりと呟く。
「どうして王宮から姿を消したの。なんの断りもなく、私の前からいなくなったのよ」
織り込まれた切なる響きが発される。
レーシェが訴えた左記に立つのは、先刻から黙ったままのノチェだ。
シェリックたちもノチェを待つ。彼の番だとでも言うように。
「それについては面目次第もないと思っている」
「嘘おっしゃい。本当にそう思っているなら、せめてひと言くらい言ってくれたらいいじゃない」
「話せる事態でもなかったからな。アルティナが転覆するかもしれないとなれば、情報操作は内密にしなければならない。下手に不安を煽りたくないと、シャレル様からの命を受けていた」
「だからって……黙っていなくなること、ないじゃない……」
弱々しく、レーシェはノチェから目を逸らす。そこには、先ほどまでの気勢や鋭気はどこにもない。ノチェが現れたことで削がれてしまったのか、思わぬ再会に動揺したのか。運ばれてきた奇縁は、ラスターにも予測できなかった。
「アルエリア王代理、とおっしゃいましたね?」
二人の会話が途切れたところへ、ナクルの疑問が差し込まれる。
「では、アルエリア王は、今どちらにいらっしゃるのですか?」
ノチェが代理を担っているというのならば。代理ではない、本物は。
「今は郊外で静養している。──ああ、心配せずともぴんぴんしてるよ。峠は越えた。気になるなら、会いに行くといい。王女様の護衛騎士殿」
「……ありがとうございます」
感慨無量の思いが伝わってくる。ナクルの声と背だけでも、十二分に。
アルエリア王を探していたのだろう。ナクルは、キーシャのために。ナクルの様子だけで、ラスターがそう憶説してしまえるくらいに。
「さて、どこから話したもんかな」
大きな声ではない。それなのに良く通り、離れたラスターの元まで一字一句聞こえてきた。
懐かしむようなノチェの脳裏には何がよぎっているのか。ノチェが歩んできた道筋を知るのは、ノチェ自身だけ。彼を知るリディオルでさえも、ノチェが何を見て、何を考えていたか、その全てを知ってはいないだろう。
どれだけ傍にいても、人の考えの全てを読めやしない。近くにいるからこそ、明かせない気持ちだってあるだろう。
「ことの起こりは──そうだな、おまえに出会ったときになるか」
ノチェが話しかけた先。そこには、居住まいを正すシェリックがいた。
「その頃の輝石の島は、輝源石の産地として潤っていた。今とは違ってラディラ共和国に属していて、穏やかで平和な場所だった。見渡す景色全てに息を呑むくらい、それはもう美しい島だった。太陽光を受けて、負けないほどの強烈な光を発するほど輝源石は豊富で、そこらじゅうに転がっていた。道ばたの石全てが輝源石だったと言っても過言ではない。住人たちが自慢したくなるのもよくわかる。あの光景があったからこそ、輝石の島と呼ばれるに至ったのだろうことも」
ラスターも一度だけ見た覚えがある。偽物の景色でも、記憶の中から作られた光景であったとしても、感嘆の息しか漏れなかった。
ノチェはとうとうと語ってくれる。
資源が潤沢であったゆえに、争いの火種になってしまった。島の住人たちが望まなくても、どこからか噂を嗅ぎつけた悪漢たちが、島にやってくるようになった。ラディラに潜むならず者ばかりではない。海を越え、国を越え、ごろつきや無法者、ついには略奪者までも呼び寄せてしまった──と。
「ラディラは軍備が整っている国じゃない。だから、略奪者から資源を守る術は皆無だったと言っていい。荒れやすい海域の島とあって、本土からの応援は届かない。考えられたのが、島の私兵だ。男性は一人残らず駆り出され、次第に女性も徴集され、島中の大人たちが一時期姿を消すほどになった」
戦えるような大人たち。男性に限らず、女性も、動ける者はみんなか。
「このままでは立ちゆかないと、早々に中止されたが──問題はそのあとだ。大人を全員徴用するわけにはいかない。しかし戦力は欲しい。そこでひとつの意見が上がった。年端のいかない少年少女たちを育て上げ、大人たちの代わりに兵として扱う。腕力がなくてもいい。従順な駒となってくれるなら、大人でなくてもいい。いや、手足とするなら、大人よりむしろ子どもの方が都合が良かった。扱いやすいという点でな」
ノチェは一旦、息をついた。
「島の役に立てると言いくるめられ、素直な子どもたちは疑いもせずそれに従った。何を教え込まれるかも知らずに。──だろう?」
「──ああ」
「ええ……」
首肯したのはシェリックとフィノだ。
なぜ二人に向けられたのか。簡単だ。シェリックも、フィノも、その子どもたちの一人だったからだ。お互いに知っていたからこそ、フィノはシェリックが『シェリック』になる前の名を知っていた。
「あの閉鎖された島の中でどうやって育て上げたのか詳細は省くが、その私兵のおかげで島の防衛力が上がったのは確かだ。皮肉なものだな。大人が守りたかった子どもたちが、初めから奪われる羽目になるとは」
どちらを取っても、親と子どもはともにいられなかった。輝石の島に、戦うための──守るための力がなかったからだと、そう言いたいのか。
「その実情を知った当時の治療師殿と俺が、輝石の島をアルティナ王国の領土とすることで治めようとした──それが、七年前のことだ。覚えているよな、ナクル」
「──はい。忘れもしません」
唐突に呼ばれたにも関わらず、ナクルは神妙な顔をして頷いた。
同じ輝石の島出身。ナクルは、フィノにそう話していた。ノチェが語った話は、ナクルにとっても他人事ではなかったのだろう。
「アルティナの者が島を守る代わりに、輝石の島をアルティナの属領とする。これ以上子どもたちが不当に奪われることがないように。締結しようとした直前だよ、アルエリア王が倒れたのは。そのときはさすがに焦ったさ。治るかどうかもわからない病だと言われたら、おいそれと公表するわけにはいかない。最悪の可能性だって考える。国家が転覆するかもしれないと、当時は覚悟もした。幸いとでも言おうか、知っていたのはシャレル様、ピグロ、俺だけだった。シャレル様に頼まれて、俺はアルエリア王の代理になった。だから占星術師を託したんだよ。一人でのたれ死にそうだったおまえに」
彼からの視線を受け、シェリックは射すくめられたかのように動きを止める。
「責任を負えば、おまえは嫌でもその役目を全うしようとするだろう? こうも見事に思惑にはまってくれるとは思わなかったが」
「じゃあ、あんたが占星術師から下りたのは──」
「ああ、勘違いするな。別に譲ったわけでも押しつけたわけでもない。俺にとっては都合が良かった。ギアには、占星術師を託せなかったからな」
「どういうことだ……?」
「俺の話なんざいいんだよ。先に進めろ」
片手を振られ、シェリックはそれ以上何か言うのを止める。
「アルエリア王が姿を消したのは、もしや……」
「考えているとおりだ。病気の治療のためだよ。ピグロ──前治療師の伝手で他国で治療法が見つかり、ようやく落ち着いたかと思えば、その矢先に騒ぎが起こる。あと少しで、何事もなく秘密裏に終わらせられた予定だったんだがな……収拾がつかなくなりそうだったんで俺が出てきた。でも、これは出てきて正解だったな」
不意に、ノチェがラスターを向く。合わさった視線にどぎまぎしていると、ノチェは優しく笑んだ。想像していたとおりの、柔らかい笑みで。
「まさか、成長した娘に会えるとは思ってもみなかった。嬉しい誤算だな」
唇に、腹に、ラスターはぎゅっと力を入れる。
顔も覚えていなかった。声なんてもっと知らなかった。この人が父親だと紹介されても、受け入れられなかったに違いない。
なのに。どうして、そんな顔で笑うのだ。大事な人を見るみたいに。
気を緩めてはいけない。まだ、何も終わっていないのだから。
「レーシェ──いや、リリャ。ここまでしたからには相応の覚悟はできてるな?」
ノチェから痛ましげな視線を受け、レーシェはきつく組んでいた腕を解く。
「……ええ、もちろんよ。あなたに会えたのだから、十分だわ」
憑きものが落ちたかのように、諦めた顔で笑った。