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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
八章 アルティナ王国Ⅴ
191/207

191,宵闇に射す陽光は


 りりり、と。

 近くで虫の鳴く声が聞こえてくる。

 意識を傾けるまでもないのは、他に聞こえてくる音が少ないからだ。街に敷かれている石畳ならともかく、踏み固められただけの土では、足音すらも吸収される。

 結論。石がない限り、自ら発する音もあまりない。

 控えめに鳴き続ける虫を置いてけぼりにする。闇夜にぼう、と浮かび上がる塔へ向かうために。

 点在した灯りに導かれる様は、奈落へ誘われているようにも思える。完全な闇ではなく、見失わないよう計算しつくされた外灯をたどって。


 下げた鞄から瓶が触れ合う音がする。グレイは右手に力を込め、鞄がなるべく水平になるよう持ち直した。


「レーシェ様じゃないかって、思う」


 声を聞いたのはどのくらいぶりか。左隣で袋を抱える姿を、じっと見下ろす。

 言葉を探しあぐねていたナキが言いづらそうに教えてくれたのは、魔術塔の外観が目視できる位置まで戻ってきたときだった。

 前置きも説明もない。どこからそんな言葉が出てきたのか疑いたくなるのが通常だろう。しかし、それが突拍子もない考えなどではないことを、グレイは知っている。むしろナキから発されるのを、待ってすらいた。


 グレイにちょっといいかと断ったわりになかなか話そうとせず、一旦戻ることを提案した際には心ここにあらずといった顔で、それでも同意はされた。何か思うことがあるのだろうと話しかけずにいたのだが、ようやく口を開いたナキが告げてきたのが、先のひと言だ。

 圧迫感に負けたか、戻りきる前に話そうという心づもりだったのか、それとも話す決心がついたのか。理由がなんであれ、ナキが機をうかがっていたことに変わりはないだろう。

 合わずにいた視線がようやく交錯し、ナキの熟考期間は終わったのだと知る。


 邪魔にならないなら、話につき合うのもやぶさかではない。グレイとしても、一度、話を整理しておきたかったところだ。

 棚に保管されていたユメミダケ。見上げるナキの顔が蒼白であり、千思万考の末に出た台詞であったなら──何と何を結びつけたのか、想像は容易にできる。

 何が、と聞くのは愚考だ。


「根拠は?」


 端的に。

 怯んでいたのだろう。グレイの言に、ナキの顔から迷いが消えた。


「ユメミダケの在庫が減ってる。あの人の症状がユメミダケとそっくりだった。マホロバソウと組み合わせたなら、ほぼ合致する。それと」


 指折り羅列していた言葉が止まる。


「毒が保管されてる棚の合い鍵を持つのは、レーシェ様しかいない」


 そこまで言うと、ナキの口は真一文字に引き結ばれた。その推測を話すためだけに定めた決意だったかもしれない。どんな顔をしていいのかわからないと。眉根を寄せたナキの表情が、無言で訴えてくる。


「俺やファイクだったなら? 俺たちも毒に触れたぞ」


 ナキが騒動を起こしたとき、出し放しにされていた瓶を戻したのはグレイとファイクだ。ある程度の場所は把握していたから、ナキがいつも片づけているときと近い状態にできたのではないかと自負している。自己評価の域ではあるが。

 グレイたちにも、ユメミダケやマホロバソウに手を出せる機会はあった。何もレーシェに限った話ではない。

 ナキはそれすらわかっているだろう。その上で、レーシェだと断言した。


「……それも考えた。ごめん、疑ったわよ。でも、あんたたちがそんなことをする理由がわからない」

「俺はレマイルの仇討ちかもしれんな」

「あんたは衝動的に誰彼構わず傷つける人じゃないでしょ」


 ナキの表情は変わらない。目を見張ったグレイにも気づいていない。いつの間にか妙な信頼を得ていたものである。

 無論グレイではないし、ファイクがやったとも思えない。──と考えてしまうのは、同じ薬師見習いのひいき目かもしれない。根拠に該当する部分を説明できなければ、疑いが完全に晴れたとは言えないが。


「レーシェ殿にはあるということか?」


 疑うに値する根拠が。グレイやファイクへ抱いた以上に。


「……うまく、言えないけど」

「失望したか?」

「そうじゃない。ただ……」

「失望した自分が許せないか?」


 歯切れの悪かったナキが、とうとう黙ってしまった。

 運が良いのか悪いのか。グレイが言ったことは、ものの見事に的を射たのだろう。


「勝手に憧れて、勝手に失望して、何やってるんだかって話よね。馬鹿みたい──」

「確かめれば良いだろう」


 呻くように語るナキを遮る。遮ったグレイへ、文句のひとつでも来るだろう。そう思っていた当て推量は、叶わずに終わった。心を定めても迷いは生じる。どちらか一方を選択しなければならないときだってやってくる。人の心は複雑怪奇で、一筋縄ではいかない。悩むからこそ、人は決断するのに時間がかかる生き物なのだ。


 ナキは何を堪えてるのだか。近頃いやに素直な一面が見えてきたのは、連日ファイクに絞られていたせいか、それともラスターの影響を受けたか。

 どちらもだと、勝手に結論づけておく。人が変わっていく様を見るのは眩しい。

 憶測だけでは話が飛躍しすぎてしまう。突拍子もない想像が、ときには解決する策のひとつにもなるが、根本的な解決には少し足りない。解消する方法は、その目で見て、耳で聞けばいいだけだ。

 実際目の当たりにして、そのとき感じた己の感覚に従えばいい。何を思うか、何を感じるか、同じ者は一人としていないだろう。


「おまえが知れば済む。失望するのも、そんな自分を許すも許さないも、知ってからで遅くない。知らなければ判断さえもできないだろう」

「……そうね。ありがと」

「どういたしまして」


 曇りがちだったナキに、少しだけ晴れ間が覗く。きざはしが射したように。

 ナキが納得したのならそれでいい。前に進むためのあと押しとなったなら、それで。人にならばなんでも言える。どんな助言でもできる。──我が身に置き換えさえしなければ。


 足元に広がる泥濘ぬかるみ。ここには来るなと、入ってはならないと、追い払うことならいくらでも。追い払ったそのあとで、いつ自分がその足を取られてもおかしくないのに。

 グレイとて、どうなるかわからない。誰が最愛の人を殺したのか。判明したそのとき、グレイがどんな行動に出るのか。その人に何を問いかけるのか。つかみかかり、暴言を吐き、言葉の限りを尽くして責め、振り上げた拳を下ろし、罵倒するかもしれない。

 もし、ナキの言うとおりだったなら。その人物が、レーシェだったなら──

 グレイは包帯の巻かれた右肘に爪を立て、呼び起こされた痛みで思考にふたをした。



  **



「リディオル殿……」


 セーミャが呆然と彼を呼ぶ。


「……生きてはいたんだな」

「残念そうに言うんじゃねぇよ」

「ほっとしたんだ」


 シェリックが吐露した心からの台詞に、リディオルは一瞬だけ黙り込む。


「……そうかよ」


 眩しそうに呟いた。

 生きていた。レーシェの口から、亡くなったと聞かされたのに。リディオルは生きていた。

 ただで死ぬような奴じゃない。

 シェリックの言ったとおりだった。シェリックは知っていたのだろうか。リディオルは生きていて、ここにやってくると。知りながら言っていたならとんだペテン師だが、そんな人があんな言葉を言いはしない。心底安堵したような、そんな様子とともに。


 ほっとしたような、戸惑うような。

 ラスターは、シェリックほどの安堵は抱けなかった。安心したいのにしきれない。リディオルが生きていたとわかって、嬉しいはずなのに。

 セーミャはラスターと同じように、複雑な思いを抱いたのだろう。リディオルへ向ける両目が揺れている。

 疲労困憊を隠しもせず。精も根も尽き果てた様子で。リディオルは大きく息をし、肩を借りているエリウスに寄りかかる。今のリディオルは、満身創痍といった表現がよく似合う。捕らえどころのなかった風使いが、風とともに地に落とされたようだ。


 リディオルには常に余裕があった。忙しいと口にしつつも、周囲に目を向けるだけの視野を兼ね備えていた。ラスターも何度助けられたかわからない。シェリックと並び立つ遠い姿であると同時に、羨ましくも誇らしくもあった。

 だから、意外だったのだ。弱っている姿は人には見せないようにしているのだろうと、ラスターは思っていたから。


「な、なんですか、この惨状……」


 リディオルを支えていたエリウスが、及び腰になりながらそうこぼした。


「……おまえは、おまえの仕事をしろよ」

「そりゃあしますけど……」


 物言いたげに、エリウスはリディオルを凝視する。


「いいから、行け」


 決めきれずにいる原因の人物に言われてしまうと、動かざるを得なかったのだろう。


「わかりましたよ……強情だなあもう」


 エリウスはリディオルから離れる。後ろ髪を引かれるように一度リディオルを振り返り、諦めたのか、ユノの元へ向かう。エリウスはギアに何かを伝え、今までギアがいた場所へと収まる。

 たったそれだけで、及び腰だった気配はどこかへ消えた。


「あなた、まだ生きてたの?」


 同じく空間を飛び回る、不快な虫を払うように。


「わりぃな、しぶとくて」


 レーシェの様子に怯みもせず、リディオルは笑いながら答える。声に力がないことは誰が聞いてもわかる。さすがだと感心する思いすら、上書きされてしまう。

 止めるべきなのだろう。リディオルを下がらせて、安静にさせなければ。そう思うのに、リディオルが何を話すのか、期待をも抱いてしまう。

 リディオルはきっと、この場にいる誰も知らない情報を持ち得ているのではないかと。


「腕輪もお似合いだったのに。奔放なあなたに、せっかくかせをつけてあげられたと思っていたのだけれど……外しちゃったのね?」

「──装飾品で着飾るのは、俺の趣味じゃないんでね」

「そう……残念だわ」


 本音にも建て前にも聞こえる。そんなレーシェの言葉に、リディオルは軽口で応じていく。彼が張った虚勢の意図に予測がつかず、ラスターはリディオルとレーシェを交互に見た。ラスターを留める腕はまだ、離れない。


「成功しないって、どういう意味かしら? もしかして、六年前のことを言っているの? 六年前も駄目だったから、今回も成功はしないって言いたいの? 同じように失敗するとは限らないじゃない。現に、前治療師殿は呼べたわ。死者を呼び出す術は成功する。間違いなく。あの人だけ呼べないなんて、あるはずないでしょう?」

「いや、あいつは呼べない。失敗する。六年前と……同じよう、に──」


 傾いだリディオルの身体を、足早に寄っていたギアとシェリックが、寸でのところで支える。


「せめて座ったらどうだ?」

「格好つかねぇから、やめとくわ」


 こんなときでも笑みを浮かべて。


「へばってんじゃねぇよ。おまえの役目だろ」


 立つことすらも辛そうだ。なぜこんなにも疲弊しているのか、何があったかなんて、今聞ける雰囲気ではない。

 ひと呼吸。ふた呼吸。小休止を挟んで、リディオルは続ける。


「レーシェ……あんたは知らなかったんだ。あの禁術が成功する確率は、初めからゼロだった。シェリック。おまえが予め知った結果は、間違いじゃない。昔も、今も……その確率は変わらねぇよ」

「──どういうこと?」


 リディオルの言い分に、レーシェは眉をひそめる。

 シェリックが結果を知っていたということは、レーシェには初耳だろう。禁術は決して成功しないとは初めて聞いたが。

 前治療師は呼べたのに、ノチェは呼べない? そんなことがあるのか。禁術が人をり好みしているとでもいうのか。彼の者を、呼ぶまでに値しないと。それとも、何か条件や資格が──


「あんたから説明しろよ──アルエリア王、代理さんよ」


 リディオルが顧みた背後。つられたシェリックもそちらを向く。塔の中から現れた男性の姿に、レーシェの顔色が変わった。


「──エクラ……?」

「ノチェ?」


 同じ反応をシェリックも見せた。

 腕が緩んだ隙に、ラスターはレーシェから逃れる。万力のように動かなかった拘束から、するりと抜け出せた。


「セーミャ」

「ラスター。怪我はないですか?」

「うん、大丈夫」


 こつ、と。しゃがんだラスターの頭に、セーミャの頭が預けられる。


「──良かった」


 くぐもったセーミャの声は、泣き笑いにも似ていた。

 ラスターはレーシェを振り返る。その直線上には、割って入ったナクルがいた。向けられた背から、二度と後れを取らないという意志を感じとってしまう。

 恐らく、そう警戒するまでもない。レーシェの意識は、男性に釘づけされている。驚いていないのは、ギアとリディオルの二人だけだ。


 やって来た男性を見る。

 ぼんやりと思ったのは、ラスターと髪の色が似ているということだ。レーシェよりも濃い暗茶色は、ラスターとそっくりだ。


 彼の髪は耳元で刈り揃えられていて、癖が少ない。リディオルより少し低い背丈。華美な装飾のない服装は、王宮ではどこでも見かけるような長衣だ。紛れてしまえばきっと見わけがつかない。遠くから見ても彼だと判別できないだろう。それなのに、その服は彼のためにあつらえたのではないかと思うほど、彼の動きによく馴染んでいた。

 ただ立っているだけで存在感がある。彼自身は決して、そこまで大きくはないのに。もし笑ったなら、おおらかに笑うであろう。今は眉尻を下げていて見られない。


「表に出てくるつもりはなかったんだが、熱望する声が多くてね」

「抜かせ」

「どの口が」


 反発してきたギアとリディオルに、心底困ったと言わんばかりに。

 ノチェは、小さく肩をすくめた。




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