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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
八章 アルティナ王国Ⅴ
189/207

189,閃く剣に宿す意思


 良質な石を求めてやってきたというその人は、海を挟んだ隣国の職人だった。その職人は鉱石を丹念に磨き上げ、装飾品として販売しているのだそうだ。


 職人が持参していた商品を見せてもらったときには、言葉を失った。磨かれる前の石と並べても、別の代物ではないかと疑ったほどだ。いくら目を凝らしても、道ばたに落ちた石とどこかの貴族が身につけていそうな宝石にしか見えない。このふたつが全く同じ鉱石だなんて。

 素直に感想を伝えると、職人は笑って礼を言った。

 同時に興味が湧いた。自らの手で石を磨き、元の石とは思えない鉱石へと変えるその手腕に。そんな技術があるのだという世界に。


 初めに思ったのは、星命石についてだ。産まれた子どもに、一人ひとつ贈られる願いお守り。

 この技術を星命石に生かせたなら。ただの石よりも、もっとずっと自慢したくなるに違いない。星命石を磨き上げてみたい。教えを請うと、職人は快く応じてくれた。

 望まれた品を望まれた形に加工する。品物に願いを込め、心を宿すように作り上げていく。


 職人の教えは、どことなく星命石に似ている。石に思いを託し、こんな成長をして欲しいと願うのだ。そのことを話すと、職人は興味深そうに耳を傾けてくれた。どうやら職人は、星命石について知らなかったらしい。いい逸話を聞いたと、職人は朗らかに笑った。

 見よう見まねで磨いた初めての石は、形の悪い、不格好な仕上がりとなった。それでも職人は、初めてにしてはうまくできていると言ってくれた。


 いくらお世辞を言われても、これでは誰かに渡す品にはならない。星命石と呼ぶにはほど遠いできだ。そのうちに職人は隣国へと戻っていき、あとには出来損ないの石と、半人前にも満たない自分が残された。

 理想の形と作り上げた現実とは、雲泥の差がある。思うようにいかない葛藤も、不細工な石も、自分を落胆させるには十分だった。

 けれど、せっかく教えてくれたのだ。何度も繰り返し諭されたことは、忘れずにいたかった。初めて磨いた石は理想とは違っていても、職人から教わった思いと心構えは忘れずにいよう。そう決めて、石を棚の奥へとしまいかけたときだった。


「これ、欲しい」


 ひょんなことから見せて欲しいとせがんできた弟に、石を渡した直後、そう言われたのは。

 ただの石より見目はいいのかもしれない。けれど、星命石と比べたならば明らかに見劣りする。これは未完成であり、失敗作だ。星命石ほどの価値はない。職人が販売していた作品とは大きな差異があり、誰かにあげられるようなものではない。


 諭そうとした自分へ、しかし弟は頑として頷かなかった。

 そんなことはないと。これはとても綺麗だと。一人で黙々と磨いていた兄の努力が宿っていると。しまうつもりならば譲って欲しい。頑張る兄の姿を見ると、頑張れるのだと。兄がいないときでもこの石を見て、どんな困難でも乗りこえていきたいと。


 弟が杖の媒体となる素材を探しているのは知っていた。他の者が持つ木製ではなく、星命石と同じような石材を探しているのを。幸い、この地に石は豊富にある。なぜわざわざ自分の失敗作など選んだのか──理由を聞いてもまだ釈然としない。

 弟が述べた理由は間違いではないだろう。その理由全ての大元に、弟が言わなかった思いがひとつあることにも気づいていた。

 恐らく、自分の真似をしたかったのだと。

 木製だと折れてしまう。長いものは持ち運ぶのに不便だ。だからどちらも解決できる石材を用いよう──そう決めた、自分の真似を。


「……わかった」

「ありがとう!」


 折れた自分へ、弟は満面の笑みで応えた。

 大切にする。絶対なくさない。星命石にするのだとも言った弟にはさすがに慌てたが。


 言うことは聞いてくれない。こうと決めたら意見を変えない。怖くて迂闊うかつに目を離せない。ときには突拍子もない行動をしでかす。手がかかるし、困らせてきてばかりだし、彼を怒らなかった日は一日たりともなかった。

 それでも憎めないのは、一番近くで彼を見ていたからだろう。

 早くにして両親を失ったフィノにとって、ユノは唯一無二の家族だった。振り回されてばかりだったけれど、同じくらい助けられもした。ユノは、自分が守っていかなければならないと決めていた。両親の代わりに。それが、兄である自分の役目なのだと。

 星命石ではなくても。出来損ないの石でも。

 フィノは密かに願った。守っていくと。ともに生きていくのだと。一人で旅立つそのときまで。


 代わりなどいない。誰にもなれやしない。

 たった一人の、弟だった。



  **



 信じがたい顔をして、フィノが放心状態で立ち尽くす。そのフィノからレーシェを守るように、ナクルが立ちふさがっている。主を守る騎士のように──そうか、ナクルは騎士だ。ラスターは今更のように思い出す。

 フィノを責め立てたのはレーシェだ。それなのに、ナクルはレーシェを守っている。

 なぜ。そこに佇む状況は、ラスターに混乱をもたらした。

 反応できなかった。フィノよりレーシェの近くにいたラスターですら。完全に意表を突かれた行動だった。阻まれたフィノの驚きは、恐らくラスターより上だろう。


「──なぜですか、ナクル殿」


 短いというそれだけの理由で、短剣が長剣よりも劣っているという根拠はない。武器の良し悪しを決めるのに大きさは関係ない。ひとつひとつの花は小さくとも、効果を数多く備えているヒザクラのように。それでもレーシェまで届かなかった事実が腑に落ちなかったようで、フィノはナクルへと尋ねた。


かばう必要があるというなら、納得できるよう私にお聞かせ願いたい!」

「レーシェ殿を庇ったつもりはありません」


 フィノが帯びた熱を冷ますように。標的から外れたナクルの剣先は、床を向いたままだ。剥いた牙を逸らすように。


「同じ輝石の島出身のよしみとして、邪魔をさせていただいたまでです」

「……あなたはとうにアルティナに染まったと、そうおっしゃりたいのですか?」

「いいえ、違います。私は無用の血が流れることを望んでいません。そして、私たちと同じ思いをさせたくないとも思っています」


 一歩近くへと踏み込んだフィノへ、ナクルは切っ先を上げた。ただそれだけで、弛緩しかけていた空気が再び張りつめる。フィノを止める行為は、無用な血が流れることと同義ではないのか。

 フィノはそれ以上進まない。もう一歩進むかどうかを逡巡している。

 ナクルもきっと同じだ。フィノの動きを、出方を見て、応じようとしている。決してナクルからは動こうとせずに。

 動じない様子のナクル。そんなナクルと、その先にいるレーシェを睨みつけるフィノ。火と水のような二人だ。相反した彼らが相容れることは決してない──そう思わせるほどに。

 うっかり触れたら火傷してしまいそうな苛烈な感情を両目に宿らせて、フィノが口を開く。


「──通してください、ナクル殿」


 ナクルは応える。


「通しません」

「あなたは許すのですか。レーシェ殿がした行為を。同じことをされたなら許せますか?」

「許せないでしょうね」

「でしたら、そこをどいてください」

「どきません」

「このままでは、私の気が済みません」

「それでもお断りします」

「黙って引き下がれとおっしゃるのですか!」


 焦れたフィノが声を張り上げる。今のフィノは、膨張しすぎた風船だ。いつ破裂してもおかしくない間際。

 フィノの荒げた声から感情が溢れ出す。何度も、何度も。痛いほどにほとばしる、怒りの感情が。

 想像もつかなかった。こうして声を荒げるまでは。気持ちを落ち着かせたいときに飲む薬草茶のように。フィノといると、フィノと話すと、穏やかな気持ちになれた。


 ──誰でもひとつは譲れない思いがあると思います。

 あのとき、フィノはそう教えてくれた。自分の感情をがえんじられずにいたラスターへ。その感情は、決して悪いものではないと。

 今が、フィノにとって引けない場面だ。譲れない思いなのだ。

 フィノには両親がいないと聞いた。それは、フィノの弟であるユノも同じだ。フィノは兄で、ユノはたった一人の弟で、家族なのだから。


「許しがたいとお察しします。レーシェ殿のしたことを考えれば、裁かれて当然です。ですが、ラスター殿にとってもレーシェ殿は家族です。今ここであなたがレーシェ殿を傷つけたなら、あなたのしたこともレーシェ殿と同じになってしまいます。同じ思いを、ラスター殿にさせるおつもりですか?」


 端々からにじみ出る苦渋。ナクルは、レーシェのしたことを認めたわけではない。断罪されるべきだと言及している。

 目をきつく閉じたフィノが、喘ぐように呟いた。


「……私の、大切な弟です」


 これまでの勢いを停止させて。


「はい」

「私が守りたかった、たった一人の家族です」

「──はい」

「身勝手な言い分で傷つけられて、それでも引けとおっしゃるか!」


 断腸の思いに、ラスターの身がすくみ上がる。血を吐くような──号哭ごうこくだ。涙はなくとも。

 フィノの心にあてられる。ラスターの目頭が熱くなる。

 ──ごめんなさい。

 引きつれた喉では、初めの一文字ですら発せられない。ラスターが言っても詮ないことを、フィノに伝えたくて仕方ない。ユノを、あなたの大切な弟を傷つけてしまってごめんなさいと。


「はい、何度でも」


 フィノと向かい合うナクルは、一切揺るがない。構えた剣と同じように。ぶれない切っ先こそが、ナクルの意志を表している。


「どうか引いてください、フィノ殿」


 片手で顔を覆い、フィノは項垂れる。


「わかり、ました……」


 その言葉を聞き、シェリックが肩を叩いてフィノを下がらせる。二人のやり取りを見ていたナクルは、構えていた剣をさやへと収めた。

 かちり、と合わさった音を最後に。




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