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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
八章 アルティナ王国Ⅴ
188/207

188,消せぬ残滓に憎悪して


 あの人。

 愛おしげに、切なさを交えて、届かない宝物を欲するように。


 名を出されずとも、誰を指しているかわかる。エクラ=ノチェ。レーシェが六年前シェリックに頼み、呼び出そうとしていたその人だ。

 変わらずに願っていたというのか。失敗に終わってからも、願い続けていたというのか。だから、シェリックが邪魔だったと?

 シェリックがいなくなることを、誰よりも望んでいたのがレーシェだった。シェリックに敵意を向ける態度が表面化したのは、ラスターが殺されかけたからではない。長い間、レーシェは剥き出しにしたかったのだろう。ラスターの一件は、きっかけのひとつだったに違いない。

 便利な道具としてしか見ていなかったのか。レーシェがシェリックと親しくなったのは、エクラ=ノチェを呼び出せるただ一人だったから。

 占星術師の地位も、名前も、エクラ=ノチェという人物が元々持っていたものだ。エクラ=ノチェから受継され、今はシェリックが占星術師となった。

 呼び出せたならそこでおしまい。シェリックはお払い箱にされてしまう。

 レーシェは右手を差し出す。


「星命石を返してちょうだい。あれは、エクラのものよ。あなたの星命石じゃないわ。賢人を剥奪されたあなたには、もう必要ないものでしょう?」


 星命石でさえも。伸ばされた細腕は優雅であると同時に、引くつもりのない意志を感じられた。

 必要なくなんて、ない。星命石には、たくさんの思いが込められている。それがたとえ他の人のものであっても、借りただけに過ぎなくても。

 渡したとき、きっとノチェは願ったに違いない。シェリックが王宮で生きていけるようにと。たくさんの人と出会い、成長の糧にしていけるようにと。


 星命石には意味も必要もある。路傍に打ち捨てられた石などではない。

 しかし、シェリックは何も言わずに服の隠しから星命石を取り出す。一度じっと見下ろして、レーシェへと放り投げた。弧を描いたそれを、レーシェは難なくつかむ。

 どうして従うのだ。渡す必要こそがないのに。


 レーシェの手から、収まりきれずにいた革紐が伸びている。

 知っている。星命石についているあの紐は、なくしてしまったラスターの髪紐の代わりにシェリックがちぎってくれたものだ。短くなってしまって、首にかけたら外せなくなってしまうと。だから隠しに入れているのだと、シェリックが弱った顔で教えてくれた。

 レーシェの手の内に隠された石は見えない。そこに隠れる石も知っている。昼間の太陽にも、夜間の月にも似ている黄石だ。

 またひとつ失われていく。大切なものが。彼を彼たらしめている要素が。あとどれだけ残されているのだろう。あと何を手放してしまったなら、シェリックではなくなってしまうのだろう。シェリックでなくなった彼が、ここからいなくなってしまうのは──

 ここからもう、誰も、何も、彼から奪わないでほしいのに。


「お母さん……!」

「ラスター」


 縋りついたラスターは、その呼びかけに口を噤む。レーシェではない。諭すような、全てを受け入れているような、シェリックの声。首を回したラスターへ、物言わぬ眼差しが訴えてくる。何も言ってくれるなと。

 こんな理不尽がまかり通っていいわけない。星命石だって、元はエクラ=ノチェの所有物だったかもしれないが、今はシェリックのものだ。彼がシェリックでいられるための身分証だ。

 シェリックに抗議しても、仕方ないと言われるだけだろう。仕方ないとはなんだ。想像したシェリックに不満をぶつける。どうして認められることから遠ざかるのだ。

 ラスターは、レーシェから手を離す。シェリックで駄目ならば、矛先を変えればいいだけだ。

 けんか腰になってはいけない。話をしたいなら、まずは冷静にならなければ。距離を取らなければ。


「星命石を、どうするの?」


 ラスターはぎゅっと拳を握り、腹に力を込めてレーシェに訊いた。


「決まっているわ。返すのよ、本来の持ち主に」

「どうやって?」

「エクラに直接渡せばいいだけよ」


 難しく考えなくてもいいとレーシェは笑う。その姿に、ラスターは顔が強張るのを感じた。

 どうしてこんな会話が成り立つのだろう。どう考えてもおかしいと、レーシェは考えつかないのか。


「亡くなった人に、どう返すの? どうやって手渡すの? だって、お父さんはもういないんだよ?」


 会えない人に、どう会うというのか。亡くなった人が、どう賢人につけるというのか。

 だから六年前、シェリックに頼んだのではないか。会えないとわかっていたから、死者を呼び出す禁術を求めたのではないか。

 前治療師は消えてしまった。呼び出せた彼ですら、あんな短期間でいなくなあっってしまったのだ。返した星命石は消えてしまうのか、留まるのか。それすらもわからないのに。


「レーシェ。おまえの狙いが俺だったなら、どうしてユノを傷つけた。おまえに協力していたんじゃないのか?」

「心外ね。私はユノの要望を叶えてあげただけだわ。あなたを殺せるなら死んだって構わない。ユノがそう言ったのだから。ユノはいい働きをしてくれたわよ。あの人が戻ってくることを裏で反対していたニーザ、フィノが動きやすいよう席を空ける必要があったシーズ、ご丁寧に私に説教をしてきたレマイル、輝石の島に関わっていたエリウスとリディオルを殺してくれたのだから」

「え……」


 連ねられた名に絶句する。──リディオル?

 聞き間違えたのだろうか。どうしてその名前がここで出てくる。

 いくら探しても見つからなかった魔術師は、アルセが待ちわびていた彼は、もう既にいなくなっていた?


「レーシェ、殿……それは、本当ですか?」

「報告に虚偽がなければ、ね。ユノはよく動いてくれた。褒めてあげるわ」


 尋ねたセーミャを一瞥もせず、レーシェは言い放つ。


「あいつは殺してもただで死ぬような奴じゃない」


 揺らぎもせず。内心でどんな嵐が吹き荒れているのかは想像するしかない。完璧に抑えこまれた表面には、一片の風ですら見えなかった。


「強がっちゃって。本当は詳しく聞きたいくせに」

「教える気もない事柄をわざわざ問い質すのは時間の無駄だろう」


 シェリックを一笑に付し、レーシェは微笑んだ。


「咲くだけ咲いて、実を結ばずに散る。まるで徒花あだばなね。お疲れさま、ユノ。これまで働いてくれた分、ゆっくりお休みなさい。あなたはもう、必要ないわ」

「おまえ……」

「──私の弟を、あまり見くびらないでいただきたい」


 緊迫感を漂わせたシェリックのうしろで、ゆらりと立ち上がる気配があった。


「シェリック殿を殺すことがユノの望みだったわけがありません。他の賢人たちの殺害に関しても同じです。そうなるようにそそのしたのはあなたでしょう。違いますか?」


 身体の横で下げられた両腕を、生々しい血が染めている。したたり落ちるまではいかない。けれど、それだけでもユノが負った傷の深さを想像できる。


「そうね。誘導したのは確かかもしれない。けれど、選び取ったのはユノだわ。賢人たちやシェリックを殺すことで、何もかも好転すると信じて疑わなかったんだもの。ユノが選んだ未来だわ」

「──選んだ? 選ばせたの間違いでしょう」


 噛みしめる音すら聞こえそうだ。震える語尾に、抑圧しきれなかったフィノの思いが滲む。


「責任も憎むべき対象も転嫁させて、思い通りに誘導させたのはあなただ!」

「心外ね。責任転嫁しているのはあなたも同じよ、フィノ」


 顔色ひとつ変えずにレーシェは言った。


「でしたら、その理由をお伺いしましょうか」

「ええ、構わないわ」


 ひと言を発する度に険しさを増していくフィノの言動に、レーシェは笑みすら浮かべながら応対していく。割って入る勇気はない。触れたら切られてしまいそうな、そんな剣呑な空気すら漂い始める。忘れられずにいた緊張が呼び起こされる。


「教えてあげましょう。あなたが知らなかったことを」

「や、め……」


 触れようと手が伸ばされる。血まみれの右手を、無駄な抵抗と知りながらも、ユノは伸ばしてくる。


「ユノはあなたと過ごす時間も故郷も奪われ、自暴自棄になっていた。だから、私は教えてあげたのよ。誰のせいでこんな事態になってしまったのか。死にたがっていたユノに恨みの対象を与えて、生きていけるようにね。シェリックを恨ませたのはそのためよ」


 息を呑んだのは誰だったか。

 レーシェが語るユノは、ラスターが見てきた人物像とかけ離れている。自暴自棄? ユノが? 今日だけで知り得たユノはあまりに多い。


「お門違いもいいところだわ。まずはあなたの自身の行いを、胸に手を当てて考えてみたらどうかしら。ねえ、ユノのお兄さん?」

「……そうして、食い違った認識をさせて、ユノにシェリック殿を憎ませたということですか」


 抑えつければつけるほど、反動は大きくなる。我慢しきれず、食い破られた衝動はどうなるか。


「何も違ってはいないでしょう。輝石の島をアルティナの属領にしたのはシェリックだわ。前代の、とつくけれど」

「っ、あなたは、どこまで人を愚弄するつもりか……っ!」


 ──憎む対象へと向けられ、爆ぜるだけ。

 立ち上がったフィノが。取り出された銀が。鈍く光る刃が。動こうとしないレーシェ目がけて。制止する声が出ない。シェリックの手が空を切る。間に入ろうとしたラスターは拒まれる。床に倒れ込む。手が擦れる。


「おか、──」


 手も声も間に合わない。刹那すら逃すまいと、その光景を刻みつける。限界まで見開いた目が映し出す。フィノの構えていた、小さくも殺傷力を備える凶刃が、レーシェに届くそのときを。息つく間もない永遠の一瞬が訪れる。


 空気を裂くような高らかな音が響いたのは、そのときだった。

 全ての音を呑み込んで。彼らのいる場所だけ時がゆっくり刻まれているかのように。はじかれた刃は、フィノから遠く離れた位置へ落下した。カラン、と。いやに軽快な音を立てて。

 呼吸が苦しい。止めていた息が空気を欲する。周りの音が遠い。誰の声より心臓がうるさい。一挙一動を見ていたはずなのに、目で追いきれなかった。


 今、何が起きたのだ。フィノが手のひらふたつで収まりそうな刃を持ってレーシェに向かっていき、一歩出遅れたシェリックが反応するも間に合わず、ラスターはかばおうとしたレーシェに突き飛ばされた。

 座り込んだ姿勢のまま、ラスターは見上げる。滑り込んだ瞬間が、ラスターには見えなかった。レーシェとフィノの間に立つ彼が。フィノが持っていた刃を、携えていた長剣ではじき飛ばした彼を。

 ゆっくりと長剣を下ろした彼に、レーシェは意外そうな声を上げる。


「……驚いた。まさか、あなたに助けられるなんてね。あなた、私のこと嫌いじゃなかった?」

「──嫌いですよ」


 答える彼は息ひとつ、切らしていない。


「勘違いしないでください。あなたは、裁かれるべき罪人です。私の私情を挟んだところで、変わる事実ではありません」

「あらそう。ありがとうと言っておくべきかしらね、ナクル殿?」

「いいえ、結構です」


 最高に仏頂面を晒した彼──ナクルは、レーシェを振り返って言ったのである。




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