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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
八章 アルティナ王国Ⅴ
184/207

184,とこしえの星、地に降りて


「君の方が良かったんじゃないの?」


 その声は、後方からやってきた。

 待ち人来たりて、彼が言うことには。


「次期賢人だと大々的に広めて、他の見習いから注目を集める役目」

「それはまた……答えにくい提案をされますね、エリウス殿」


 つい先ほど終わったばかりの一件を持ち出される。済んだことを蒸し返されても、決定が下された件に否とは言えないだろう。


「深く考えなくてもそうじゃない。いくら能力があっても、ユノはまだ若い。リディオルの考えは面白いけど、咄嗟とっさの状況判断ができるか否かを考慮に入れると君の方が適任でしょ。そうじゃない? ティカ」


 つぐんだ口で──噤まざるを得なかった口で、フィノはエリウスを見やる。


「……あなたにその名で呼ばれるときは、大概何か良からぬことの前触れであると記憶しています」

「酷いな」


 薄片ほども堪えてはいなそうな応答。この人の表情と言動が一致する日はやってくるのか。前代未聞の天変地異でも起きない限り、その機会はなさそうである。

 冷静沈着を通してくれるのは大変有り難いが、一度くらいは慌てふためいた姿を見てみたくもある。怖いもの見たさかもしれないが。


「あの子は気づくよ、いずれ」


 温度の低い眼差しがフィノを射る。何を隠していなくとも、心のうち、腹の底まで見透かされそうだ。

 エリウスが誰を指したのか。目で問いかけたフィノに、エリウスは「まあ、でもあれからだいぶ時間が経ってるから難しいかな」とつけ加える。


「シェリック殿、ですか?」

「他に誰がいるの?」


 呆れたように細められた目。そうでもなければ、わざわざティカという名で呼んだりしない。

 フィノの脳裏によぎったのは、彼がまだディアと呼ばれていた頃の顔立ち。

 互いに重ねられた年齢はあっても、フィノはひと目でわかった。ルパで待ち合わせていたのが彼だとわかった瞬間、あまりの衝撃に言葉も出てこなかったのを覚えている。彼は、未だ気づいてすらいないだろうが。


「いずれは気づくでしょうね。元より、それは承知しております」


 言いながら矛盾していることにも気づいている。本当に、気づくのだろうか。あのときとは違う名で呼ばれているフィノに。あの頃、周囲に関心の薄かった彼が。本当に。


「じゃあ、君がそこまで目をかけるのはどうして? 君は知ってたんじゃないの? 君の故郷が失われたのは、シェリック=エトワールのせいだってことに」


 立て続けに問われ、返答できない。そうだ。フィノは知っている。まさに今、エリウスが指摘したことを。


「君がしたいのは、彼に対する復讐?」

「……ご冗談を」


 かすれた声にしかならなかった。復讐などではない。断じて。


「それじゃあ前に話してた、たった一人の家族を守るため?」


 そうだと、声高に言えたならどれだけ良かっただろう。なんの不自由なく、憂いも与えず、自らの手で守って行けたなら。理想と現実の隔たりを埋められなかったからこそ、今がある。


「そういう献身的なところ、変わらないよね。君は」


 出会った頃から、エリウスには言われてきた。何もかもを捧げなくてもいいのだと。もうちょっと楽に生きたら、と。


「生憎と、こういう生き方しか知らないんですよ、私は」

「泣けるね」


 淡々とした口調でありながら本音がこもっている気配も感じて、フィノは唇を噛みしめた。


 ──エリウスが亡くなる、前日のことだった。



  **



 フィノに牽制されていたギアと、棒立ちになっているナクルが全く同じ顔をしている。珍しいという意味では見物である。

 視界の端で沈みかけたフィノを見て、反射的に手を伸ばしていた。


「すいません……ありがとう、ございます」

「悪い。無茶をさせた」

「お構いなく」


 フィノはその場で膝を突き、シェリックの手を遠慮する旨を告げる。額に浮き出た脂汗が、雫となって落ちていった。フィノから離れ、彼の真正面に立つ。


「応じてくれてありがとうございます。前治療師殿」

「うん、悪くない。セーミャに請われて、ってわけじゃなさそうだね。っていうか、どういう状況? この顔ぶれ」

「話せば長くなります」

「だろうね」


 シェリックの発言をあっさりと流し、彼は聞かない姿勢を取る。シェリックから、視線をわずかに下に向けた。


「献身的なのはいいけど、君はもう少し配分と力量を考慮に入れるべきだよ」

「……おっしゃるとおりです」

「返事は良くても実行に移す気ないでしょ、君。またずいぶんと、歓迎してくれたものだよね」


 無言で笑うフィノへ、前治療師は肩をすくめる。


「ああ、そうそう。シェリックは気づいているみたいだけど、僕の名前を呼ばないでね。治療師はもういるんでしょ? あれはもう、彼の名前だ」

「よく、ご存じですね」


 禁術を使った際、呼び出した者を生前の名で呼んではならない。占星術師でない彼が知っていたとは意外だった。


「死者が生者の名を借りるわけにはいかないでしょ? 君たち占星術師の決まりは知らないけど、それは名を奪って生者に成り代わる行為だ。僕の故郷では多かったからね。死者が甦るおとぎ話って」


 彼は目を細める。懐かしいというよりは、思い出したことについてできうる限り感情を出さないようにしているようだ。

 シェリックへと目を移した彼が、今度は意外そうな声を上げた。


「あれ、君、ギア? あの人は?」

「……いません」

「なんだ。盛大に文句言ってやろうと思ったのに」


 生前と変わらぬのんびりとした口調で、なんとも物騒な雰囲気を醸し出してくれる。


「あんた、本当に前治療師なのか?」

「僕以外の誰かに見えたって言うなら、誰に見えたのか教えてもらいたいな」


 無礼とも取れるギアの発言を問題にもせず、彼はそう切り返した。


「というか、弔火で僕の身体焼いたんでしょ? 人を星の巡りから外そうだなんて、酷使してくれるよね」

「いいえ、外れません」

「……それこそ夢物語だ」

「そうかもしれないな」


 毒づいたギアへ苦笑する。先ほどのような盛大な反論をしてこないのは、シェリックが禁術を使ってしまった後だからだろう。

 言ったところで無駄だと。それでも何か言わずにはいられなかったと。ギアの態度から察せられた。

 シェリックは掲げていた左手を前治療師へと差し出す。


「星命石? 僕のにしては色が違うね」

「これは想命石です。人の思いが宿る石だと聞きました」


 ちらとフィノに視線を落とせば、肯定するように頷かれた。


「よくそんな都合のいい石見つけたね」

「これは、人工の石です。あなたを焼いた灰を元に精製して、作りました」

「灰から? 石を? ──へえ、そんな技術があるんだ」


 物体が燃えた後の残りかすと、シェリックが持つ石。こうして実物を手にした今でも、ふたつを結びつけづらい。フィノから提案されたときも、実のところ半信半疑だった。灰とこの石が同じだなんて、誰が思うだろう。


「ええ。元をたどれば物質を構成する元素自体は同じですから。原石を加工する以上に時間はかかりますが」


 ──フィノ、頼みがある。


 牢屋に入れられていたとき、シェリックがフィノに頼んだのは想命石の製作だった。

 以前から知識としては知っていた。

 産まれてくる命は空から授けられる。死した魂は空へと還る。地上と空とを行き来する循環が、星の巡りと呼ばれる道理だ。

 そこにあって当然のこと。永久に失われることのない、不変の真理。だからこそそこに手を出し、変えるのは禁忌とされてきた。

 時期がやって来れば授けられる命が、無理矢理に呼び寄せられる。肉体という器があってこそ存在できるが、器がなければ容易く消滅してしまう。

 ならば、器の代わりがあればいいのではないかと。肉体ではなく、一時的に魂を留めておける入れ物──依り代があったなら。たとえ死者を呼び寄せる禁術に変わりはなくとも、呼び寄せた魂が失われてしまうのは防げるのではないか。

 全ては、憶測に過ぎなかったが。


 使わないなら、それで良かった。使わなければ、それが一番だった。

 無理に道理をねじ曲げる必要なんてない。規則も摂理も、この世界を成り立たせている大事な要素だ。理屈に合わないことを押し通せば、おかしな事態が起こる。一度だけであれば小さな綻びを直すだけで済むかもしれないが、修正し続けていけばつぎはぎだらけのもろい世界ができあがる。それまで、盤石だった世界の土台が、崩壊してしまう。

 禁域に足を踏み入れてはならない。世界そのものを揺るがせたくなければ。

 だからフィノに頼みはしていたが、それはあくまでも保証だった。使わなければ、亡くなった前治療師の親族や、それに連なる者に託すつもりでいた。万が一のための保証に過ぎなかった。


「それで? シェリック。僕を起こした用件は?」


 首を回し、前治療師が改めて尋ねてくる。状況把握が早い。

 口調と仕草に騙されそうになるが、彼の武器は医療に関する知識だけでなく、その視野と、そこから導き出される最短経路の答えにたどり着く早さだ。

 亡くなってからも衰えてはいないようで──と考えてしまうのは不謹慎か。故人の時間は亡くなった時点で止まっている。それ以上進みようがないというのに。シェリックと彼の、大きな違いだ。


「輝石の島を解放したのは、前占星術師であるエクラ=ノチェですね?」

「そうだよ。彼がシェリック=エトワールだったときにしたことだ。そもそもこの質問、君だったら答えられたんじゃないの? ギア」

「──そうですね」

「だったら駆り出さないでよ。君がわざわざ禁術を使うまでもないじゃない」


 つまらない質問はするなということか。

 禁術を使うほどの理由がなければ、彼を納得させなければ、恐らく許してくれないだろう。呼び出されたことではなく、シェリックが禁術を使ったことを。ここにいない、ノチェの代わりに。


「ノチェが亡くなった今、当時を知るのはあなたしかいないからです、前治療師殿。輝石の島について、ギアは関わっていない──だよな?」


 話す先をギアに向けると、とても面倒くさそうに「ああ」と応じられる。


「ふうん……そういうこと。で? 僕に何を聞きたいって?」

「あのとき輝石の島で起きた、一連のできごとについてです」


 前治療師は、口元に手を当てて考え込む。それも、ほんの少しの間だけだった。


「それ、僕より君たちの方が詳しいでしょ? アルティナ側の僕にわざわざ説明させる?」

「はい」


 シェリックは間髪入れずに答える。


「──まあ、当事者だった君たちよりは、第三者だった僕の方がわかりやすいのかもね。特に、君にとっては」


 ちらと視線を向けたユノは、前治療師とシェリックをまとめてにらんでくる。そこに、ギアと言い合っていたときの勢いはない。

 ラスターを捕まえているのに、ラスターを支えにしなければ立てないような、そんな危うさを感じてしまった。

 ユノから視線を剥がす。


「お聞きしたいことはもうひとつ」


 再度開こうとした口は、下から伸びてきた手に封じられた。見上げてきたフィノが無言で訴えてくる。こればかりは譲れないというのだろう。

 立ち上がるフィノを待ち、シェリックは要望どおりに質問を譲る。


「前治療師殿。あなたを殺したのは、ユノで間違いありませんか?」


 訊くのはシェリックであってはいけない。けじめと責任だと、フィノは言うだろう。


「ああ、そっちも本題か」


 ユノがこちらを見ている。怯えた表情で、彼の言葉を待つ。

 誰もが息を呑む空気の中、前治療師は微笑する。頷いてひと言。


「そうだね。僕を殺したのは彼だ」


 彼は断言した。




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