表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
八章 アルティナ王国Ⅴ
183/207

183,たとえ命が尽きようと


 薄暗い景色に慣れてしまったから、人工灯の明るさが少々目に痛い。それでも間を置けば、ナキの目に映るのは見慣れた王宮の夜だった。ひとたびあの場から離れてしまえば、なんのことはない。お互いを労い合う二人組が通りすがる。騎士の見習いとおぼしき彼らの任務は、滞りなく終えたらしい。

 遠くから楽器を奏でる音が聞こえてくる。軽やかに響くこの曲は、楽士見習いたちがここ最近練習している曲だ。近々隣国で披露されるらしい。練習にも熱が入っている。

 いつもの王宮だ。馴染み深い日常が、そこかしこで繰り広げられている。非日常が入る隙間など、どこにも見当たらない。

 甘い香りが鼻をくすぐる。今はヒザクラの開花時期だ。毎年この時期になると、ヒザクラの甘い香りが強烈に漂ってくる。ナキの好きな季節だ。

 ヒザクラと言えば先日、ヒザクラの花を使って茶や焼き菓子を考案していた人物がいた。失敗とも成功とも聞いた記憶はないのだが、あれからどうなったのだろうか。

 ちらりと隣を見れば、途端にばっちりと目が合わさった。


「そういえばファイクは一緒じゃなかったのか?」


 尋ねようとした直後、グレイから先制されてしまった。ナキの疑問はあと回しにしよう。優先順位はそこまで高くない。それに今なにやらおかしな質問をされた。


「ファイク?」


 質問の意図がまるで読めない。なぜ、ナキとファイクが一緒にいると思われているのか。


「あたしよりあんたの方が知ってるんじゃないの? あの人と一緒だったでしょ?」


 人がいるところでは、誰が聞き耳を立てているかわからない。ナキは彼の名は出さずに尋ね返した。

 ナキがグレイと一緒に彼の元にいたのは昼過ぎだ。そのあとナキはファイクと交代し、赴いた書庫で本の貸借をして、その帰りにリディオルを見つけた。未だに名乗りもしない男性と、ギアと呼ばれていた派手な男性と出くわし、治療師のエリウスと遭遇し──なんやかんやあって今に至る。どう思い返してもファイクと別れたのは、ナキよりグレイの方があとだ。


「ファイクはリディオル殿を探しに行きながら、おまえのところに向かっていた」

「……会ってないわよ?」


 初耳だ。

 交替するとき顔を合わせたきり、ナキはファイクを見ていない。ファイクは、リディオルを探してナキの元まで来ようとしていた? グレイとナキが再会したときには、あの場にリディオルもナキもいた。なのに二人を探していたファイクだけいないとは、またずいぶんと不思議な話だ。


「じゃあ、どこかで行き違いになったかも。少なくともあたしは見てない」


 もっとも、すれ違っていてもナキが気づかなかった場合もある。怪しい男性二人の動向に目を光らせていたので、他のことまで気にしている余裕はなかったのだ。


「薬室にいるといいんだが」

「もしファイクが今もあたしを探してるんだったら、他の場所を回ってるのかもしれないわよ。会えたら偶然と巡り合いに感謝すればいいじゃない」

「それもそうか、──」

「どうかした?」


 グレイが扉の取っ手から手を離す。開けるのではなかったのか。


「鍵がかかってるな」


 ナキたちを阻むように取っ手は声を上げ、開けられるのを拒んだ。


「開ければいいだけでしょ。あんた、鍵は?」


 グレイは上着の隠しへと手を入れる。あちこちに手を伸ばして、服を叩き始める。何をしているのだ。

 叩いていた手を休め、グレイはナキを見た。


「……落としたようだ」


 もう少し焦った反応を見せても、罰は当たらないと思うのだが。ため息がこぼれる。ナキは取り出した鍵を鍵穴へと差し込んだ。


「あたしが開けるわよ。大事なものなんだから、管理はちゃんとしておきなさ、い──」


 ひねった鍵が解錠してくれる。

 銀の鍵。任された棚。なくなった紙。減っていたユメミダケ。それから。


「ナキ?」

「──グレイ、ちょっといい?」


 ナキはグレイの腕をつかむ。開けられたのは、扉だけではない。

 思いついてしまった。ナキの胸のうちだけに収めるには、あまりにも大きすぎて。



  **



 ──おまえは、違う。


 遠ざかりかけていた輪郭がそこにある。光が見える。まだ間に合う。届けられる。消えたわけではない。ここに存在している。

 雑音が邪魔をする。くぐもった音がわずらわしい。水底へと落とされたように不明瞭だ。暗闇をかきわければ。この障害を振り切ったなら。この声は、きっと。

 途切れがちに聞こえる声へと手を伸ばす。これは自らの手なのか。何か別の生き物でも操っているようだ。触れた何かを、しかとつかむ。


「──俺、は……」


 伝えきれたのか。余すことなく、ひとつ残らず。

 緩慢すぎてもどかしい。出てこない言葉の代わりに、つかんでいる手に力を込める。逃がさぬように。逃げられてしまう前に。ありったけの力を加えて。ほんの少しの時間だけでも、残されているなら──


「……痛いです」


 降ってきた返答は、語りかけたはずの彼とは違う声だった。

 夢の中にも似ていた視界。微睡まどろみから現実へ。狭間の世界を抜けて。感覚が急激に戻ってくる。甘ったるい匂いと、覆い被さった影。高い。

 異様に重苦しいまぶたをこじ開けると、ようやく声の主が見えてきた。


「まさか、本当に……」


 そこには呆然と瞬くエリウスと、腕を捕まれて困惑気味なカルム、二人の反対から覗き込むアルセがいた。

 ──彼は、いない。

 落胆した指から力が抜ける。重力が加われば落ちるのは一瞬。下に落ちきるより早く、誰かに受け止められる。地面へと下ろされる動作は、ひどくゆっくりだった。


「ご気分は、いかがっすか? リディオル殿」


 眉を寄せ、歪んだ顔が泣き笑いに見えたのは見間違いではない。置かれた手とは逆の手を、誰かが握っている感覚があった。

 今にも落としそうな涙を必死に堪え、アルセが尋ねてきた。握っているのはアルセだろう。反対側にいるカルムとエリウスには遠い。


「最悪、だな……」

「軽口を叩けるなら大丈夫ですよ」


 気を取り直したエリウスがくしゃりと笑う。首を回すことも億劫で、顔を逸らせず眺めてしまった。

 見せたのは三人三様の反応。しかし、揃いも揃ってなんと情けない顔を並べているのか。笑い飛ばそうとした口も顔も、冗談のように重い。自分ではない誰かの身体へ入り込んだなら、馴染むまでこんなにも時間がかかるのかもしれない。試したことはないが。

 徐々に働き始めた頭が、詳細の把握を欲した。


「どこだ……ここ」


 最後の記憶では、王宮内の自室にいたはずだ。空を覆う木の影。その向こうには彩度が弱まった空がある。落ちてくる灯り。

 匂いでわかる。自室ではなく、外のどこかだと。詳しい位置まではわからない。辺りを見回せたなら多少は判別がついたかもしれないが、呼吸ひとつ、指一本。動かすだけで体力がごっそりと削られていく。

 顔に触れている草がうっとうしい。顔を動かさないよう努めると軽減はされるが、気まぐれに吹く風は残念ながら止められない。

 口を動かすのもなかなか辛いが、知るためには訊かなければ。


「塔の外っすよ。やっと見つかったと思ったら、なんでこんなぼろぼろなんすかあ……」


 泣く寸前だったアルセの目から、とうとう大粒の涙がこぼれた。ああ、あの表情はリディオルのせいだったのかと、遅ればせながら理解した。同時に、己にかけられていた心配の大きさを察するに至った。


「……悪ぃ」

「今度という今度は、絶対に許さないっすよ! リ、リディオル殿……っく、と、十日間は食事当番の刑っす! うちたちに、美味しい……っく、ひっく、ご飯、作ってもらうんすからね……!」

「……アルセ、療養してもらうのが先だ」

「元気になってからっすよぉ……!」


 冷静に指摘するカルムへ叫び、アルセは袖で懸命に涙を拭き始める。いくら長袖であったとしても、服では足りないだろう。

 エリウスが差し出した手巾を受け取ると、アルセはよりどころであるかのようにしがみついていた。涙は抑えられても、嗚咽は隠しきれない。カルムがおろおろと慰めようとしている。

 話さなかったことは悪いと思っている。同時に、リディオルの判断で正しかったのだとも。

 リディオルが無防備な姿を晒さなければ、ユノは決して話をしにやってきたりはしなかっただろう。それに、隠し事はめっぽう苦手なアルセと、口数は少なくともわかりやすい反応を示すカルムの二人に、ユノを騙せと言っても無理な話だ。

 仲間を敵とみなせなど、言えやしない。抗議の矢面に立つのは、リディオル一人で十分だ。


「でもまさか、こんなに早く意識が戻るとは思っていませんでした」


 自らの手をじっと見つめ、エリウスは押し黙った。リディオルの物言わぬ目に気づいて、ぎこちなく笑う。今のは決して、治療師としての腕を疑った文言ではないだろう。


「……リディオル殿、雑巾より酷かったですから」

「……そのたとえ、いらねぇわ」


 わあわあと泣きわめいているアルセの隣で背中をさすり、カルムがぼそりと教えてくれる。いつの間に移動したのだか。

 ということは、やはり完膚なきまでにやられたのか。殺されるところまで覚悟はしていたから、生かされていたのは意外のひと言に尽きる。


「俺は……どのくらい、落ちてた……?」

「正確にはわかりませんが、傷を負ってから恐らくは二、三日ほどだと思います。リディオル殿を見つけたのは数刻前です。ナキさんが見つけていなければ、意識が戻っていたかも危ういです」


 固い声音を滲ませ、エリウスはこと細かに教えてくれる。軽口を交わすような気配はなく、普段の様子も息を潜め、腕の立つ治療師としての顔で。

 前治療師の見立ては間違いなかった。怪我をして聞く側としては耳に痛いが、これほど頼もしい治療師はいない。頭の下がる思いだ。

 前治療師が彼を推したのに納得できる。安心して任せられると、判断されていたからだ。


「気がつかれて良かったです。もしあと数刻遅ければ……」


 その先は口を噤まれる。言わずとも、エリウスが何を言いかけたのかは容易に想像がついた。神妙な表情を疑う気はない。専門家が言うなら間違いないだろう。

 そこへ。


「そうそう。無茶し過ぎでしょう。命を落とす覚悟までするんじゃないよ、まったく。どれだけ肝を冷やしたと思ってるんだ」


 聞くはずのない、声が。

 リディオルは半身を跳ね起こし──直後、全身に走った痛みに息を詰めた。


「リディオル殿!? 傷に障りますよ!?」

「だ、だ、駄目っすよ! 全身の傷、酷いんすから! 雑巾なんすから! 絞られきって余力ないんすから!」


 好きで起きたわけがない。人を雑巾呼ばわりするなとも言いたいが、それどころではない。少し黙っていてくれと、二人に向けて念じる。

 三人しか目視できていなかった。仰向けで、首を動かすのも煩わしくて、固定された視界しか見えていなかった。

 言い訳だ、そんなものは。アルセより、カルムより、エリウスより早く、リディオルはこの人を見つけなければならなかった。


 出てこない声と、もはやどこから来ているのか判別できない痛みを、呼吸と気力でねじ伏せる。妙に寒気のする汗が吹き出てくるが知ったことか。混乱している場合ではない。一刻も早く問い質さなければ。

 リディオルは、真正面に立っていた男性をにらみつけた。決してここにはいないはずの、いてはいけないはずの男性を。


「──あん、た……なんで、ここに……いるんですか?」


 傾きかけた身体がうしろから支えられる。構うなと突っぱねたいが、多少は楽になったのも事実だ。彼に無様な姿を晒してしまったのが、腹立たしいことこの上ないが。


「連絡がなかったから心配してやってきたんだよ。予想に違わず窮地だったじゃないか。俺だけならまだしも、見習いたちにまで心配をかけるなよ」


 正論だ。この人が来ると、予測できていたはずだった。来させたくないがために、ここまで企ててきたというのに──


「……呼びたく、なかったんですよ……あなただけは……」

「俺だけ蚊帳の外か? つれないね。兄弟揃って似たような反応されると、悲しくなるな」

「……あいつもいるのかよ……」


 脱力すると、多少は治まっていた痛みが戻ってくる。この際、全て忘れて寝てしまっても良いだろうか。今なら簡単に意識を手放せそうだ。自分は何も知らない。何も見ていない。何も訊いていない。あとは任せたと、押しつけたい。気を失っている間に、全て決着をつけておいてほしい。眠るだけで解決されるというならば、それで──


「それで?」


 思考する中に、彼の問いかけがするりと入ってきた。まるで、リディオルがそう考えるのを待ち望んでいたみたいに。


「おまえはどうするんだ?」


 リディオルの考えを見透かすように。答えなどとうに知っているだろう。彼は意地悪く質問をしてくる。わざわざ。確かめるように。

 アルセは鼻をすすりながら。カルムは息を殺して。エリウスは口を挟まずに。二人の会話を邪魔しないよう、眺めている。


「……決まってる、でしょうが」


 気配を察したエリウスが横に回り、リディオルに肩を貸す。多少よろけはしたものの、おかげで立ち上がることができた。


「踊って、やりますよ……あんたの……手のひらだろうが、なんだろうが」

「そうこなくちゃな?」


 彼は愉悦した顔をする。底知れない笑みで。リディオルをあおってくる。このままで終われない。終わって堪るか。彼にけしかけられたからではない。売られた言葉を買ったつもりもない。リディオルの意志なのだと、彼に突きつける。余計な気遣いなど、一切必要ない。

 しかし、そこまでだった。崩れ落ちた膝が地面に沈む。突きかけた手よりも、エリウスが支える方が早かった。

 立ち上がって、話す。たかがこれだけの動作に、めまいがする。気力だけでは目的が果たせない。動けなければ、意味がない。


「リディオル殿」


 これ以上の無茶はするなと。言外で責めてくるエリウスが正しい。リディオルだからではない。誰が同じ事態に置かれたとしても、最適解はひとつだけだ。


「──エリウス」

「はい」


 だから、助力を請う。


「俺を……つれていけ」


 役者が揃う舞台へ上がるために。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ