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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
八章 アルティナ王国Ⅴ
182/207

182,星の巡りに背いても


 会いたかった。

 悪夢にさいなまれようと、レーシェに禁じられようと。

 会いたくなかった。

 彼がずっと願っていたなら、もう一度殺されかけてしまうのではないかと。


 確かめるのが怖くて。踏み出す勇気がなくて。会わせまいとされている状況を、ラスター自身が受け入れてしまっていたのかもしれない。会いたいのに、会えない状況が作り上げられている。だから、仕方ないと。どれだけ会いたいと切望しても、許可が下りることはないのだと。

 諦めていた。

 きっとどこかで、このまま彼と別々の道を行くのだと。顔を合わせる間もなく、別れてしまうと。

 だけど。

 諦めたくなかった。

 誰かのせいにして。現状を理由にして。言い訳も躊躇ためらいも、全部地面に放り投げて。

 予測していた怖さを取り払ってしまえば、会いたい気持ちが残された。

 会いたくて、聞きたくて、知りたくて、話してほしい。彼の口から、彼の本心を。いつか彼が教えてくれたみたいに。


「シェリック殿……」


 止まっていた針が動き出す。フィノの隣に立つ彼が、青褐あおかち色の外套がいとうをなびかせている。たったそれだけの事実が、ラスターの胸を詰まらせた。


「奪ったんじゃない。俺でもない」


 返事をしなかったユノへ、もう一度シェリックが繰り返す。

 音もなく燃え上がる、火の壁の向こうで。


「……騙されませんよ。あなたがどう否定しようと、オレは知っています。シェリック=エトワールが締結したと。島の人間の意見を聞きもせず、強引に推し進めたと! そうやって勝手な制約を作り上げたせいで、オレたちは……!」

「そいつは違うな」


 ラスターはそのとき初めて、シェリックのうしろにもう二人いたことに気づいた。

 一人はナクル。もう一人は、名も知らない男性だった。

 くすんだ薄茶色の髪。赤々とした火が照らす目は、夜明け前のすみれ色。暗い紫を基調とした服こそ地味だが、その手に、首に、大量の装飾品を見つけて目を見張る。

 地味だなんてとんでもない。存在感があるのに、どうして気づかなかったのかと思ったほどだ。


「制約を作ったのはあんたら島民のためだ。計画性もなしにばかすか取ってばかりじゃあ、輝源石は簡単になくなる。最初こそはそれで潤沢になるかもしれねぇがな。資源は無限にあるわけじゃねぇんだ。調整しなけりゃ、あっという間に枯渇するだろうよ」


 それに、誰かと雰囲気がどことなく似ている気がする。


「アルティナの人間が来なければ、そもそも輝源石の独占だなんて事態は起こりませんでした」

「どうかな。未来の予測はできなくても、可能性の推測なら誰でもできる。昔を懐かしむのは勝手だが、現状維持が島のためになったかどうかは別論だ」

「オレたちは慎ましい生活ができれば、それで良かったんです。アルティナの人間がそれを壊すまでは、幸せでいられたんです」

「視野狭窄(きょうさく)だな。てめぇのものの見方しかできねぇ奴が、大多数の意見を語った気になるんじゃねぇよ」

「ギア」


 シェリックがたしなめ、彼らの会話に待ったをかける。

 ──ギア?

 不機嫌そうに寄せられた眉。しかしそれ以上口を出すことはせず、ユノをにらむだけにしている。

 シェリックは確かに今、彼のことをそう呼んだ。


「確かに、アルティナと比べれば数の多さでは敵いません。ですが、決してオレ一人だけの意見ではありません」


 舌打ちし、不穏な空気を醸し出したギアの前へと、割って入る者がいた。


「ユノ。島の組織だけを見たなら、あなたの考えに賛同できる。しかし、先を見据えた判断をするなら、その考えは間違っているんですよ」

「っ!」


 ラスターは見逃さなかった。ギアに意見を言われたとき以上に、ユノが傷ついた表情をしたのを。


「アルティナに……復讐するんじゃなかったんですか……!!」


 ユノが裏切られたと感じた、その一瞬を。


「以前の私なら、あなたと同じ思いだったでしょう。──シェリック殿」


 フィノが何かを取り出し、シェリックへと託す。手渡した何かは、透明な箱のように見えた。左の手の平に乗せられた小箱は、親指一本にも満たない大きさだ。左手に供物を携え、右手一本だけで祈りを捧げるみたいに、シェリックは俯いた。


「天にまします、数多あまたの煌めきよ」


 揺らめく炎がシェリックひと言にも宿し、静かに燃え始める。消えることなく、赤く、激しさを帯びて。歌のように、詩のように。何かの物語をそらんじているように。

 天上を星空で覆われた舞台で、ひっそりとうたい上げる。まるで、夜闇の語り部だ。


「おい……まさか、また──」


 何が始まるのかと静観していた中、ギアが狼狽ろうばいの声を上げた。さっと変わった顔色。何かよくないことが起きるのかと、ラスターも身構える。


「遥か古代より継がれし、永久とこしえの巡り」


 シェリックへと伸ばしかけたギアの手は、その寸前でフィノにはばまれる。払われた手に一瞬だけ呆然とするが、ギアはフィノを睥睨へいげいした。


「どけ」

「申し訳ありませんが、邪魔はさせません。ユノ、あなたにも」


 ユノのすぐ傍の地面から、土塊がぼこりと盛り上がる。

 ラスターも見たことがある。輝石の島でフィノが操っていた、土の人形を。即興だと、歪な形にしかならないと教えてくれた。

 恐らくユノにもわかったのだろう。シェリックが紡ぐ言葉を、最後まで言わせてはならないと。


「っ、詠唱は中断すれば発動できない。邪魔させてもらいます!」

「ご随意に。──全力を以て阻止します」


 ユノの宣言を聞いて困ったように笑うと、フィノはギアへと向き直った。


「あんたはあいつが何をやるか、わかって言っているのか!? おい護衛騎士、おまえもあいつを止めろ!」

「──は、しかし……」


 ナクルから返ってきた歯切れの悪い答えに舌打ちし、ギアはフィノに──その先にいるシェリックにかみつく。


「シェリックやめろ! 無駄だ! 何度試みようが、あいつは呼び出せやしない! 呼び出せなかったことは、おまえが誰より知ってるだろう!?」


 シェリックが何をしようとしているのか。ギアが言う「あいつ」とは誰なのか。なぜだか、ラスターにはわかってしまった。

 止めなければならない。シェリックを。これ以上、あの詠唱を続けさせてはならない。六年前に起きた禁忌を、繰り返させてはいけない。


「シェリック!」


 ラスターたちの焦りを意にも介さず、シェリックは朗々と謡い続けている。

 どうして今更。どうして自ら。セーミャが求めた禁術は行われなかった。シェリックが禁術を使う必要など、どこにもないではないか!


「っわ!」


 ラスターはユノめがけて体当たりをする。さすがに予想外だったらしい。意表を突かれたユノと一緒に倒れ込み、膝をしたたかに打った。

 ラスターは涙目になりながらも確認する。思ったとおり、火の壁は消えていた。

 一度で駄目ならもう一度。できるまで何度でも。シェリックを止めるために。ラスターの声が届く位置まで、向かうために。

 縛られた手は使えない。身体と足で立ちあがり、走り出そうとした途端、うしろに引っ張られる。


「やって、くれましたね」

「離してユノ! シェリックを止めなきゃ!」


 振り返りながら負けじと声を張り上げると、ユノから複雑な表情を返された。


「その意見には賛成します。──内なる火よ、弾けろ!」


 ラスターの腕は捕らえたまま、ユノは片手で火を飛ばす。その先にいた土塊が粉砕された。


「シェリックとフィノに当てないで!」

「そんな悠長なこと言ってる場合じゃありません!」


 ひとつを壊しても、壊した傍から新しい土塊が増えていく。シェリックを止めるどころか、阻まれて近づけもしない。


「伏して願わくば──」

「連なる火柱よ、燃やし尽くせ!」


 立て続けに生まれた火の柱が、うごめく土塊を壊していく。それでもフィノが作り出す速さに追いつけていない。上がる息遣いが、ユノの焦燥を伝えてくれる。


「何度も言っただろう! 他人の星の巡りを、てめぇの都合で壊すんじゃねぇ!」


 土塊が壊れる音の合間に、ギアとフィノの会話が聞こえてくる。


「壊れません。私たちは、呼び出した死者を必ず星の巡りに戻します。その可能性に至ったからこそ、実行すると決めました」

「そんな夢のような話があるわけがねぇ。死者を呼び出す行為は、星の巡りのことわりをねじ曲げる。人がたどる輪廻を流れから無理矢理外す。だから禁術って呼ばれてんだ。占星術師でないおまえに、何がわかる!」

「そのために、私は想命石をお渡ししたんです」

「石だけでどうにかなるわけねぇだろ! それこそおとぎ話の類だ!」


 ラスターにも、その単語は聞こえてきた。


「そうめいせき……? 星命石とか、天命石じゃなくて?」


 では、先ほどフィノが渡していたのはその石だというのか。聞いたことがない。


「死者を呼び起こす術が禁忌とされているのは、魂を呼び寄せても地上に留まれる身体がないからです。身体に代わる媒体があれば、問題はありません」

「定着が失敗すれば、身体があろうがなかろうが関係ねぇ。馴染みのない無機物を代わりにしたところで、結果なんざ知れてる!」

「では、馴染みがあるならどうでしょう」

「──何?」

「我が声が聞こし召したならば、この御印みしるしに降り立たれることをぎかかん──クラーレ=ピグロ!」


 それは禁術の名称か、それとも呼びかけか。

 シェリックの張り上げた声が、戸惑ったギアの姿が、動けずにいたナクルが、ラスターの隣にいたユノが、光に呑まれる。眩しくて、眩しくて、見続けていられなかった光景に顔を背けて、それでも足りずに目をきつくつむって。

 きっと一瞬にしか満たなかっただろう。恐ろしく長かった空白の刻。音が消えた、白い闇の中。

 もう、いいだろうか。

 ラスターはそっと目を開ける。あの強烈な閃光は消えてしまったようだ。

 目の前がほわ、と光る。

 首を回してみれば、辺りに淡い光がほわほわと浮いている。星とは違った光だ。止めどなく空から降り注いで、地面に落ちては消えていく。その光景が、何かを連想させた。


「雪……?」


 頬や腕に触れても冷たさは感じない。それなのに、足元に落ちてきたひとつはゆっくりと光を失い消えてしまう。確かにあったはずなのに、何も残らない。


「星を、落とす術……」


 夢うつつのような声を拾う。振り向けば、いつの間にか目を覚ましていたセーミャが、上半身を起こして空を仰いでいた。赤く腫れた左頬が痛々しいが、それすらも忘れてしまったように。

 はらはらと降ってくる光に目を奪われる。これが星だというのか。あとからあとから落ちてくるから、本来の星が見えない。シェリックは、本当に星を落としたのか。綺麗なのに悲しくなる。この光が、亡くなった人たちの魂だというのか。


「──酷いな、全く」


 新しいその声に引きつけられる。


「せっかく気持ちよく寝てたのに、君ときたら人遣い荒いんだから。というかよく知ってたね、僕の名前」

「俺も知られていたので。お互い様ですよ」

「言うようになった」


 間延びした口調。ぼんやりと発光して、シェリックの眼前に佇んでいる。夜空から呼び寄せられたその人は。


「お師匠様……」


 ラスターが名前を浮かべるより早く、セーミャが彼を呼ぶ。


「うん。久しぶり、セーミャ。死んでおいて久しぶりも何もないんだけどね」


 彼はとても悠長に、そう応じた。




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