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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
八章 アルティナ王国Ⅴ
179/207

179,六つ年を経たふたつ星


 言葉にならない。どんな感情を表に出せばいいのかわからない。

 なぜ、彼がここに。


 まるで、六年前のようだ。階段からやってきたギアと対峙し、彼が隠していた思いを聞いた。突きつけられた憎悪と刃はシェリックを庇ったレーシェが負い、シェリックとギアはそれぞれ異なる理由で別々の牢屋へと入れられた。

 最後に彼を見たのもここだった。これは、あの日の続きだ。

 ギアの身につけている装飾品の多さは相変わらずだが、どれもシェリックが見たことない意匠ばかりだ。長くはなかった髪がより短くなり、友好的とはいえない険のある目をしている。

 流れた六年の歳月が隔てたのは、互いの関係性と距離だけではない。それまでも生き方も、これまで出会った者たちも、あの六年前の日がなければ、ともに過ごしていたであろう日々も。


 シェリックは拳に力を入れる。

 うしろめたさと、レーシェを傷つけられた恨みと。忘れかけていた感情が複雑に絡み合い、ギアへと伸びていく。ギアの足をつかむ幻すら見えるほどに。

 シェリックにとっては絶好の機会ではないか。苦い思いの甦る場所だろうと、思いも寄らなかった人物との再会だろうと、今この場に憧憬は必要ない。ナクルがともにいるのなら、下手な真似はできないだろう。お互いに。


 ──そう、ナクルがそこにいる。

 頭上に瞬く星空も、シェリックとギアが向かい合っているのもあの日と同じだ。しかし、ナクルがいる。レーシェはいない。ギアが抱えていた書物もない。ひとつひとつを確かめていくと、その事実はすとんと落ちてきた。

 これは、六年前の続きではない。

 たったそれだけの認識が、シェリックを「今」へと引き戻す。あれほど黒く塗り潰しかけていた憎しみはどこへ逃げてしまったのか。


「ギア、どうしておまえがここに?」


 湧き上がった純粋な疑問が、すんなりと出てきた。六年前だの、気まずさだの、難しく考える必要はないではないか。


「呼ばれたから来ただけだ。別に、おまえの顔を見に来たわけじゃあない」

「そう、か……」


 誰に、なぜ。呼ばれた理由までは訊かない方がいいかもしれない。ギアとしても、そこまで語りたくはないだろう。


「意外だな」

「何がだ」


 顔を上げると、こちらを凝視していたギアに気づいた。


「出会い頭に二、三発殴られるかと思ってた」


 それだけのことをしたという自覚が、ギアにはあるのか。

 あのときからねたみやそねみがこそげ落とされたようだ。笑ってしまう。シェリックは、まだ六年前に縛られているのかと。続きではないと、わかったばかりなのに。


「おまえのしたことは許せることじゃない。だが」


 シェリックは己の中から、あの日の感情を探す。ずっと奥、隅の隅にしまわれていた思いを。

 次に会ったなら。顔を見て、この手が届いたなら。

 探り当てても同調はしない。いいや、できないと言った方が正しい。かつてシェリックが持っていた感情なのに、どうしてだか自分の思いとして感じるのが難しいのだ。

 あのときはそう思っていた。強い衝撃を受けて、ギアを説得するのに必死だった。

 今は、そうではない。遠くから、六年前のシェリックを眺めていられる。俯瞰ふかんしたシェリックが、別の考えを引っ張り出す。


「俺が禁術に手を出さなければ、おまえは俺に本心を話すことはなかっただろう。引き金となったのは俺のせいだ。だから、俺にも非はある。それに、レーシェは生きていた。なら、それでいいだろう?」


 怒りで我を忘れるのではないかと思っていた。レーシェが殺されてしまった憎しみを、ギアに吐き出すことでようやく消し去れるのではないかと。

 最奥とも思えるほどの片隅に隠れていた感情は、シェリックが思っていたほど苛烈ではなかった。触れても火傷しない。開けても爆発しない。取り出しても直視できないほどではない。時間が少しずつ思いを削り取り、きっと誰にでも見せられるほどの記憶に変わったのだろう。


「良くは、ねぇけど……おまえ、本当にシェリックか?」


 険のあった目元が、徐々に戸惑いへと形を変えていく。


「俺でなければ誰に見えるんだ」


 よもや、ギアの弟か。名前を呼んだなら飛んできそうで、あえて明言するのは避けておく。


「変わったな、おまえ」

「六年も経って変わらないままでいる方が難しくないか? おまえの言葉を借りるなら、『俺の顔、忘れたか?』だ」


 取り繕われていたギアの表情が剥がれ落ちる。


「訂正。その物言い、やっぱりおまえだわ」


 くしゃりと顔を歪め、ギアは不格好に笑った。

 変わったというのなら、ギアも同じだ。こんなに不器用な笑い方をする人ではなかった。

 二人を隔てた時間が、確かにここにある。シェリックとギアの距離を、明確に分断している。けれど、隔てるだけではない。


「レーシェには盛大に怒られて来いよ」

「それこそ刺されそうだな」

「同じ目に遭えばわかるんじゃないか?」

「そうかもな」


 ひとつ近づいてしまえば、考えるまでもなく言葉が出てくる。わだかまっていたのが嘘のように。起きたことが帳消しにはならないが、上塗りすることができる。


「──ギア殿」

「ああ、時間を取らせたな」


 緊張感の含まれた呼びかけに、ギアも瞬時に顔を引き締める。

 意識の外へと出していたが、考えてみれば妙な話である。牢から脱走したシェリックを捕まえることなく、ナクルはギアとシェリックとの会話を静観していたのだから。

 それに、ナクルだけでなくギアもだ。姿を見て動揺してしまったが、そもそも彼がここにいること自体、謎である。呼ばれた、とは言っていたが。


「行くぞ、シェリック」


 シェリックの疑問など歯牙にもかけずに、先導して塔を下りようとする。ナクルも、ギアに従って。


「ちょっと待て、ギア。行くって、どこにだ。俺はここに用事が──」

「いいから、四の五の言わずにおまえも来い。下りながら説明してやる」


 ぴしゃりと先回りされてしまう。余計な口は挟ませないと、言外に語られた。

 塔の屋上に置いていた手燭てしょくを灯し、ゆらゆらと揺れる仄な光を頼りに下りていく。数段に一度、靴が破片を踏む。その度シェリックの胸に、大変遅めの後悔が浮かんできている。


「──定期連絡? じゃあ、ずっとリディと連絡を取り合っていたのか?」

「ああ」


 慎重さを保って一段ずつ下りていく最中、ギアからここにやってきた経緯を説明された。


「三日に一度、あいつから手紙が飛ばされてくるんだが、それが途絶えた。だから王宮まで来たんだよ」

「リディに?」


 ギアが言ったことをそのまま信じるとすれば、リディオルに何かが起こったというのは間違いなさそうだ。定期的に取り合っていた連絡ができなくなるような、予想外の事態が。

 シェリックにもひとつ不穏な予想ができる。

 外灯が壊れた原因は、リディオルの身に何か起きたからではないかと。


「心配するなよ。あいつは見つけた」

「そう、だったか……」

「ただ、予断は許さない状況だ」


 安心しかけた心が再び緊張する。


「今は治療師と薬師の見習いがついてる。どうなるかは、専門外の俺にはわからねぇな」


 重い扉の足元に、真っ二つになったかんぬきが落ちている。力任せに破られたような跡と、綺麗な切断面の両方が残り、閂に何があったのか尋ねたくなった。彼は生憎と、答える口を持っていない。

 塔の内部より幾分か明るい地上が、シェリックたちを出迎えた。


「なんか一人増えてねぇか?」


 直立している女性騎士と、その足元に座っていたグレイが、シェリックたちを向いた。二人から離れた位置で、ジルクが佇んでいる。


「急を要したため、こちらに参りました。導師である私は、導くことが責務ですから」


 歩み寄ってきたジルクはシェリックの前までやって来ると、物言わず見上げてくる。


「俺を、捕まえにですか?」


 避けたい一番の懸念がシェリックの口をつく。

 注がれる眼差しは是とも非とも答えない。居心地の悪さに身じろぎすると、彼女はとんだ告白をしてきた。


「私は、あなたが嫌いです」


 ふざけている様子はなく、込められた感情も読めず、反応に困ったシェリックを置いてきぼりにして。


「いともたやすく未来を読んでしまう、あなた方占星術師が。不変の未来を知り得てしまうなら、導師たる私の出る幕はそこにありません。私がどう導いたとしても、読み取られた未来は必ずやってくるのですから」


 未来へ。良き方向へ。人を導いていくのが彼女の役割だ。その役割を奪ってしまうと。

 シェリックは頷きかけて、思い留まる。


「いいえ、ジルク殿」


 意味がないことはない。


「たとえ待つのが変えられない未来であったとしても、そこに行き着くまでの道筋は俺には見えません。絶望に打ちひしがれて迎えるか、希望に縋って迎えるか、道のりを選ぶことはできます。それができるのは、導師であるあなた以外にはいません。結果が決まりきっていようと、人の心まで縛りつけることはできない」

「悪あがきなど無駄な抵抗に過ぎません。何をどう変えようとしても、結果が変わりはしないのですから」

「悪あがきだろうと、経験は残ります。得た経験さえも無駄になるとは、俺は思いません」


 心の持ちようひとつ変わるだけで、違う見方ができる。未来だって同じだ。いつか必ず死がやって来る人間だって、笑って生きるか泣いて生きるか、選ぶことができる。それは、占星術師でなくてもわかることだ。


「……やはり、私はあなたが嫌いです」


 今度は、見限られた気配すら感じられた。


「私の思考を、簡単に凌駕りょうがしていくのですから」


 ジルクを見やる。

 暗闇の中、元より目元だけしか見えていない彼女の表情を推し測るのは、なかなかに困難を窮める。しかし、今の言葉には、嫌悪感だけではない意味合いを感じ取れた。


「ありがとうございます」

「お礼を言われる筋合いはありません」


 ついと顔を逸らされ、話が終わる。ジルクの態度から拗ねたラスターを思い出してしまうのは、どこか似ているからだろうか。

「さあ、向かいましょう」

 迷いない足取りで、先頭へと進み出る。


「導いて差し上げます。あなた方が向かう目的地と、行き先は変わらないでしょうから」


 導師の名を体現するように、ジルクはそう宣言した。




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