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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
八章 アルティナ王国Ⅴ
173/207

173,望んだものは君の手に


 意思の伝達をするのに必要なのは、身振り手振りを交えてわかりやすく伝えること。どんな気持ちでいるのかを、笑ったり、困ったり、怒ったりして、表現すること。言葉に思いを込めて届けること──


 必要以上に動かない振る舞い。感情の読めない表情。抑揚がぬぐい取られた喋り方。シェリックが来ると知られてしまったときの敵意とは異なる。一見すると静かなのに、目の奥がひっそりと光っているようだ。

 理解してもらうつもりはないのだと、ラスターはわかってしまう。わざと冷静さを見せつけて、感情を知られないようにしているのだと。

 これはユノなのか。外見だけを似せた偽物ではないか。起き上がらないセーミャは。本当にユノがやったのか。


 地面に捕まれた足が持ち上がってくれない。一歩動いたきり、そこが限界だと。下がれる空間はある。うしろを向いて、階段まで走って、助けを呼べたなら。

 描いた行動を、身体は愛想もなく拒否する。ここから逃げられはしないと、ラスターが考えている以上に身体は知っている。

 ──どうして。

 何かのひとつ覚えみたいに、疑問だけが繰り返される。

 ──なんで、ユノが。

 口を開いても、どうしての「ど」の字すら出てこない。どこかに言葉を置いてきてしまったみたいに。


「抵抗はしないでくださいね。ラスターを傷つけることが、オレの本意ではないので」


 竦んだ心が、混乱する頭が、それでもユノから目を離してはならないと警鐘を鳴らしている。目を逸らしたら、ラスターが逃げてしまっては、ユノは別のところへ目を向ける。奥で倒れているセーミャへ向いてしまう。セーミャの無事も、まだわからないのに。


「オレに背中を向けて、両手を後ろに回してくれます? ──ああ、妙な真似をしたら即座に焼くので、やめておいた方が良いですよ」


 杖の先が赤く灯り、顔が火照るくらいの熱気が宿る。ユノは冗談を言っているのではないと教えてくれる。

 ラスターは頷くこともできず、言われた動作をぎこちなく実行した。動くことが、こんなにも難解になるとは。

 ラスターの両手が背中で縛られていく。ざらざらとした触感が手首に擦れ、きつめに巻かれて肌に食い込んだ。


「──っ」


 上がりかけた声を必死で飲み込む。

 抵抗してはいけない。ラスターが一度でも抗う素振りを見せたなら、ユノは言葉どおりにラスターを焼くだろう。手でも足でも、ユノが定めた箇所を。躊躇ちゅうちょなく。

 あの熱気は手品ではなかった。き火のように、焜炉コンロのように、触れたら焼かれてしまう温度だった。ラスターが間近で浴びた熱気は、嘘ではない。幻とも違う。幻惑があんな熱気をはらんでいやしない。

 もしもラスターが今ここで暴れたなら、ユノは瞬時に魔術を使うだろう。魔術師見習いを名乗るに相応しい、先の火を使った魔術で。


 ──火?

 リディオルは風を扱っていた。フィノは土を操ってみせた。ユノは火を生み出した。人によって、得意とする術があるということか。ナキが毒の扱いに長け、ファイクが分析をするのに長けているように。

 ざわりと鳥肌が立つ。ラスターはきっと、考えてはいけないところへ着いてしまった。


「はい、おしまいです」


 焦げた匂いを残し、ユノが離れる。締め上げられた手首の痛みと得体の知れない恐怖に、膝が折れかける。至ってしまった想像がさらに拍車をかける。

 しかし、ユノがセーミャへと近づいたのを見て、別の恐怖が勝った。

 足をつかんでいる地面を踏みつぶす。弾かれたように走り出す。捕まれていては追いつけない。ここにいては届かない。

 もつれる足で、ラスターは二人に駆け寄った。

 希望をもらったと言ってくれた。何も返せていないラスターへ。ラスターがした約束から、セーミャは希望をもらったのだと。友達を助けるのに、理由なんていらないと。

 間一髪のところでユノとセーミャの間に割り込み、ラスターはユノの進路を遮った。


「殺さないで、ユノ!」


 歩いていたユノと走ったラスター。どちらが早いかは自明の理だ。

 行かせない。傷つけさせない。殺させるものか。

 ユノは足を止め、手にしていた縄を示した。


「両手を使えなくするだけですよ。目を覚ましたとき、抵抗されるのは面倒ですから」

「シェリックへの人質なら、ボク一人でも十分価値があるよ。セーミャは関係ない」


 守りたい。ラスターを励ましてくれたセーミャを、守りたい。それだけで打ち勝てる。ラスターが走れたように。思いは力に変わる。


「では、巻き添えになっただけだと思っていてください。彼女は殺しはしませんよ──今はまだ」


 物騒な言動に、ラスターは閉口する。いつでも殺すことができると匂わせている。セーミャを守るためにも、今は従うより他にない。主導権はユノが持っている。

 ラスターは一歩、横に避けた。

 しゃがんだユノは、セーミャの両手を背中に回して縛っていく。ラスターのときと同じように。慣れた手つきに見えるのは、ラスターの思い込みに過ぎないのか。それとも、何度も同じことをやってきたからか。

 出会い頭に誰何され、治療室で話をし、氷菓を一緒に食べた。ユノとは、それだけの間柄。

 鼻がかぎ取った匂いにはっとする。


「──心配しないでください。縄を焼き切っただけですよ」


 ユノが面白くなさそうに見せてくれた縄。断面からは、ちりちりと音がする。焦げ臭い匂いは、どうやらそこから出ているようだ。

 ラスターはそっと胸をなで下ろす。なで下ろしても、強張った顔から緊張が抜けない。まだ、安心しきれる頃合いではない。

 何を考えているのかわからない横顔も、ユノがなぜシェリックに敵意を向けているのかも、ラスターには想像できない。そこにはきっと、ラスターの知らない事情がある。

 意思の疎通ができて、初めてお互いを知ることができる。相手に理解してもらおうとする意志がなく、遮断されてしまっては、寄り添うことも難しい。言葉はお互いが感情を用いて使うことで、ようやく会話という形になる。一方的な伝達だけでは、わからないことだらけだ。


 縛り終えたユノが、セーミャを引きずっていく。セーミャの靴が、細かい石に引っかかり、一緒になって移動させられる。ラスターは靴が作った跡をついていく。岩石みたいな足を、一回一回持ち上げて。橙から赤に染まりつつある太陽が、セーミャたちを寂しく照らしていた。

 セーミャの身体が長椅子の下に横たえられる。きっちり閉じた目が、開く気配はない。苦悶くもんの表情ではない。呼吸はしている。目立った外傷はない。気絶しているだけだと思いたい。

 ユノが長椅子から離れ、入り口を向く。こちらの準備は整ったとばかりに。これからやってくるであろう、シェリックを待つべく。離れたユノとセーミャとの間へと入り、ラスターは尋ねた。


「ユノは……シェリックに何をしたいの?」

「さあ。どうしましょうか」


 まるで他人事のように返される。


「憎いの? 許せないの? 恨んでるの? ──殺したいくらいに?」


 ユノはラスターを人質にすると言った。間違っても、前向きな感情が理由ではないだろう。ユノがシェリックへと危害を加える可能性は、限りなく大きい。


「そうでもなければ、オレの行動に説明がつかないですか?」


 ユノからの質問に、ラスターは頷いた。


「うん。どれだけ突発的に思えたって、その行動を起こすだけの理由がある。一見そんなコトしないって周りから思われていても、その人が心の奥で何を考えているのかまでは見えない」


 今の、ユノみたいに。

 見えなくても。わからなくても。届いてほしい。


「真理ですね。オレもラスターも、シェリック殿に話がある。理由なんてそれで十分じゃないですか」


 十分ではない。ラスターは首を横に振る。


「ユノがシェリックを傷つけないとは言ってない。ボクを人質にしたのは、そうする考えがあったからじゃないの?」

「オレがシェリック殿を傷つけないためにあなたがいるんですよ、ラスター」


 押してもやんわりと押し返される。まるで手応えを感じられない。どこまでも受け流されるだけ。

 ここにシェリックを来させてはならない。輝石の島でフィノに従ったように、またいいように使われてしまう。そうなる前に伝えられたら。来てはならないと、教えられたらいいのに。

 けれども、セーミャを置いてもいけない。ここからラスターが伝えに走ってしまったら、今度こそセーミャは殺されてしまうだろう。セーミャは巻き添えになっただけ。ユノがそう言った。ならば、セーミャはシェリックとの交渉材料にはなり得ない。ユノにとってセーミャは、いてもいなくても構わない存在だ。

 客観的に見たラスターの想像は、どこまでも真実に近い気がした。それと同時に、堪えがたい悔しさが湧き上がってきた。


 ラスターはユノの肩をにらむ。じわりと溢れてきた感情を、こぼさないように。

 ラスターにとっては大事な人でも、ユノにとっては大事ではない。家族。血縁。友人。誰を大切だと思うかは、人によってさまざまだ。

 人であるからこそ生まれる当然の差異が、思いの違いが、もの凄く悔しい。同じ人でも、同じ関係ではない。人であり、そこにひとつの命がある事実に変わりはないのに、軽んじられている気がする。

 ラスターはセーミャの傍らに、すとんとしゃがんだ。

 一人ではない安堵あんどと話せない心細さ、巻き込んでしまった申し訳なさとが、胸の中でせめぎ合う。落ちている硝子の破片が、涙のように煌めく。


 ああ、太陽が落ちきってしまう。シェリックが来てしまう。何も知らない彼が、ラスターに会うべくたどり着いてしまう。必要がなくなれば、ラスターもセーミャも殺されてしまうかもしれない。セーミャを守れず、シェリックとも話せず、ラスターは──


「──嫌だ」


 ユノには聞こえないよう、小さく小さく声に出す。

 今ここにいるのはラスターとユノしかいない。何か変えられるとしたら、それはラスターだけだ。

 立ち上がろうとするも、両手が使えない状態では、よろけてしまって立ちづらい。膝に力を入れ、ラスターはなんとか転ばずに立ち上がる。普段どれだけ両手を頼りにしているのか、今更ながらに思い知った。大事なものは、いつだって失ったときに初めて気づく。

 まだ立てる。手が使えずとも、己の無力に苛まれても。ラスターはまだ、立つことができる。


「ユノがボクに近づいたのは、利用するため?」


 セーミャを背にして、前置きなしに投げかける。ユノは半身だけ振り返った。


「オレが頷いたらどうするんです? 一人で絶望に浸りますか?」

「しない。シェリックに格好悪いとこ見せられないし、落ち込んで待つのは、もう飽きたんだ」


 間髪入れずに言い返す。半身だけだったユノが、全身でこちらを向いた。努めてそうしているのか、相変わらず感情は読めない。けれどなんとなく、苛立ち始めていそうな気がした。

 わからないのではなかった。ラスターがユノを見ようとしていなかった。ユノがこんな行動に出るはずがないと。思い込みを外してしまえば、少しでも見えるではないか。

 また祖母に怒られてしまう。先入観を持っていると。自分の理想を相手に押しつけていると。


 相手の意見を受け入れずともいい。ただ、そういった意見があるのだと認めてあげればいい。

 誰かに理由を作られて、諦めたくないと言ったのはラスターだ。わからないと拒絶する前に、見たまま聞いたまま、ありのままを捉えていけばいい。

 これは挑発ではない。怒らせるのでもない。ラスターは息を吸い込んだ。


「話せばいいじゃん。シェリックと。ユノが自分を傷つけたり、ボクを人質にするなんて回りくどいコトする前に」


 それは、無表情を貫いていたユノが、初めてはっきりと見せた反応だった。

 息を呑み、計算されていない間が空く。ラスターが合わせ続けていた目を、ぱっと逸らされる。それ以上を読み取られたくないと言いたそうに。


「──オレがシェリック殿に何をするかわからずに、そんなことを言うんですか?」

「話さないと、その人の本心は見えないよ。自分ではこうかもしれないって考えて予想しても、本当にそれを体験したり、見聞きしたりしないとわからないコトばっかだ。だから、ユノが考えているコトだって、もしかしたら違うかもしれない。想像したコトと現実に起こるコトは別物だ。思ってるコトは、話さないと伝わらないよ」

「……だから、話せと」

「うん」


 打ちひしがれて、そこから動けなくなって、全ての物事を後ろ向きに考え、現実にもそのとおりのことしか起きないのだと思い込んでしまう。想像や空想の中でなら、なんだってできる。良いことも、悪いことも、到底叶うはずのない未来を描くことだって簡単だ。

 絶望とは、希望が見えないこと。前に進むための力を根こそぎ奪われてしまうこと。目の前に掲げられた「死」という選択肢以外の未来が目に入らないこと。

 ラスターは立てる。シェリックに会いたい。セーミャを守りたい。ユノだって、助けたい。

 だからまだ絶望に陥っていない。片足を突っ込みかけていても、まだここには希望が残っている。できることがある。こんな生ぬるい感情が、絶望であって堪るものか。


「──やっと、ここまでたどり着いたんです。思い込みだけで持てる恨みなんてありませんよ。好き勝手に踏み荒らされて、めちゃくちゃにされたオレの気持ちがわかりますか? これが思い込みだというのなら、オレが奪われた故郷は、いったい誰に取り返しに行けばいいんですか!」


 ラスターとは別の方向へ、ここにはいない誰かへ。吐かれた怒りの余韻が、空気を震撼させる。悔しさと無念に染まった思いが、夕陽を浴びずにこぼれ落ちていく。

 奪われた。故郷。

 シェリックとはかけ離れた単語だ。


「シェリックが、ユノの故郷を奪ったってコト……?」


 それもまた、彼が犯した罪だというのか。禁じられた術を使ってしまった他に。ラスターが知らずにいた、彼の姿だというのか。


「……オレは、取り戻したいだけなんです」


 表に出されていた感情がしまわれる。ラスターから隠れるように向けられた背中が、それ以上は何も聞いてくるなと言っていた。



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