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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
八章 アルティナ王国Ⅴ
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169,行方知れずの昼下がり


 前屈みに丸まった背中。時折思い出したかのように伸びて、右手を一心に動かしている。かと思えばまた止まり、左手で突いた頬杖が支え、初めに逆戻りする。

 彼の一連の動作が落ち込んでいるように見えてしまうのは、事前に与えられた情報のせいもある。情報がなければ、いつもとなんら変わりなく見えていたかもしれない。手でかすを払いのけ、上下左右を回して眺める。

 欲を言うならば、加工と研磨をもう少し加えたかったが──妥協できる範囲ではある。

 重さ。感触。見た目。あとは、本人がどう判断するかだ。

 手巾で隅から隅まで拭き上げ、手で触れて再確認する。残りかすはない。両手でそっと持ち、彼の傍まで歩み寄った。


「……ユノ」


 片手に持ち直し、肩を叩いて注意を向ける。伸びた首が振り返るも、カルムだとわかると身体ごと振り返ってきた。さらには立とうとする素振りを見せたので、そちらは手で制する。


「気づかずにすいません、カルム殿。何かご用でしたか?」

「……これを」


 持参してきたものをずいと差し出す。ユノの目は、カルムが振り向かせたとき以上に驚愕に染まり、みるみるうちに見開かれていった。


「これって──」


 答えを求めてきたユノへ、カルムは頷いてみせる。その想像で、間違いはないと。ユノの口が何かを形作りかける。


「あー! できたんすか!?」


 続きの言葉を封じ込めるように、うしろから声が上がった。

 両手でえっちらおっちらと抱えてきた書物をぞんざいに置き、アルセは走り寄ってきた。

 一人で二人以上の盛り上がりをしてくれる。水を得た魚のような速度でやってきては、カルムの肩越しに覗き込み、ユノに渡したばかりの杖を興味津々に眺めている。

 その目が涙目になっているのは、何も感動してのことではないだろう。走り寄る際に机の角に右足を引っかけるのを、カルムは目撃してしまった。音の大きさの割にはお構いなしにやってくるものだから、大したことはないと思ったのだが──大した痛みだったようだ。


「……大丈夫か? 足」

「痛いっすよ」


 涙目で朗らかに言う台詞ではない。


「それよりもこれっすよ!」


 カルムが持つ杖を人差し指でびしっと示す。


「時間ないって言いながら細かく仕上げてるじゃないっすか! 持ち手の滑らかさとか、杖先の立体感とか、さっすがカルムっすね! 前の杖と遜色そんしょくない──っていうか、前の杖より良い仕上がりじゃないっすか? ……腕上げたっすね? カルム」


 最後にはしみじみと言われた。

 決して意図してはいないだろう。それなのに、カルムがこだわっていた部分を次々と的確に列挙され、言われる側としてはどうにもむずがゆい。


「……最初の杖を作ったときより数はこなしているんだ。同じことに向き合っていれば少しは上達するだろう。それと、これでも妥協した方だ」


 個人的にやりたかったことは、もうふたつある。ユノが持つ星命石と同じ石を埋め込んだり、もっと研磨剤を使って仕上げたかった。けれど、そんなカルムの要望よりも、優先順位は早さが高いだろう。持っているのといないのとでは、その人の生活に支障を来す。

 妥協は、妥協だ。


「ほら、やっぱり頼んで正解だったすよ。良かったっすね、ユノ!」


 けれど、手放しで称賛されると悪い気はしない。とにもかくにも杖があるという安心にはなるだろうし、不便な思いもなくなるだろう。


「……急場ですまないが、ないよりはましだろう。使ってくれ。使い心地が悪ければ、後日改めて作らせてもらう」

「──いえ、オレにはもったいないくらいのできです」


 カルムの手から受け取った杖を両手の平に乗せ、感慨無量の面持ちでじっと見下ろしている。やがて杖を握りしめたユノは、深く頭を下げてきた。


「ありがとうございます、カルム殿」

「……どういたしまして」


 一度製作者の手から離れてしまえば、あとは使用者の手に委ねられる。また壊れてしまったり、不具合が生じたりしなければ、返ってくることはないだろう。

 決着がついたなら、次だ。

 カルムが戻った席には、置きっ放しにしていた書類がある。杖が完成するまで進行を止めていた。改めて期限を確認すると、今日中に送らなければ先方の元まで着かない。夜に郵便屋に届けることを考慮するならば、夕方までには完成させなければならない。それと──

 取りかかろうとしたカルムだったが、物言わぬ気配を感じて振り返った。そこには案の定、カルムの手元を覗き込んでいるアルセがいた。

 いたのだが、あまりに近すぎたので椅子ごと離れる。アルセが気分を害した様子はなかった。この距離感で来るのはやめて欲しい。心臓に悪い。


「カルムが担当してるのって、今度の報告書だけっすか?」

「……あと、珠玉の国への贈答品だ。飾り杖の試作品ができたら、鉱石学者の元へ持っていかなければならない。そこで意匠が決定される」


 書類の束から該当の一枚を抜き出し、アルセに見せる。意匠案の図である。

 アルセは何も言わず、目を左右に走らせて眺めている。


「……何か?」


 ただ見るにしてはあまりにも長い。


「ちょっと確認っす」


 不自然な理由を話しはせず、アルセはついと顔を上げた。


「ユノ、飾り杖作れるっすか?」


 話しかけられたユノは、律儀に作業の手を休めて全身で振り返ってくる。


「意匠が決まっているなら、なんとかできると思いますけど……献上品ですか?」

「……いや、試作品だから献上品じゃない」


 試作品が通れば、献上品の意匠も自ずと決まってくる。異なるところは一点。奉るか否である。

 献上品に関していうなら、ユノの杖を作ったような妥協はできない。完成した試作品を元にして、街にいる杖の職人とともに協力して作っていく。アルティナの技術を、職人の腕を、他国に知らしめるための一品に仕上げなければならない。


「報告書はうちがやるっすから、ユノは飾り杖任せたっす」

「はい」

「……アルセ」


 当事者を無視して勝手に決めていくアルセに、カルムは難色を示す。唐突にもほどがある。何を言い出してくれるのか。


「急場で仕上げてもらったんすから、その分協力するっすよ。どうせ集中しててろくに寝てないんすよね? カルムは昼寝でもしててくださいっす。それでいいっすか? ユノ?」

「はい!」

「……助かるは助かるが」


 元気のいい返事を聞いてしまうと、どうにも断りづらい。水を差すような気分に陥った。


「押しつけたのはうちっすからね。代われるところは任せるっすよ。でも、作る方はからっきしっすから、そこはユノに頼んだっすけど」


 アルセは眉尻を下げる。申し訳なく思われる必要はない。人には得手不得手があるのだ。万能な人はいやしない。


「……わかった、頼む。これが、細かい部分の説明だ。報告書は今日中に郵便屋に渡せればいい。必要があれば遠慮なく起こしてくれ」

「はいっす」


 カルムは請け負ってもらった分の資料を手渡す。二人に任せたカルムは長椅子に寝そべり、目を閉じる。

 報告書は片がつく。試作品は一日では難しいだろうから、数日かけて作っていくのが無難だろう。あとは、ユノが杖を使った感想と、修正箇所を聞いて、リディオルが頼んでいた件、と──

 カルムが夢の世界に足を踏み入れるまで、そう時間はかからなかった。



  **



「星を見に行きたい? どうしてまた?」


 困惑した奥に見え隠れする懐疑。不信感と言い換えてもおかしくはない。突然ラスターが言い出したのだから、レーシェが怪しむのも無理はないだろう。

 一番高い位置にいた太陽が、徐々に傾き始める時刻。まだ明るい時間帯だが、夜に向けてだんだんと暗くなっていくだろう。

 一日の終わりを迎えるために。少しずつ、少しずつ、準備が進められていく。

 区切りの良いところで作業を止めて。夕飯を食べるために作り始めて。風呂を沸かして。寝具を敷いて。それは明日を迎えるために。今日という日を終わらせるために。

 ラスターの一日はまだ終わらない。シェリックと話をするために、今日一日があったようなものだ。

 本日、最難関が目の前に立ちはだかっている。レーシェに納得のいく理由を提示しなければ、夜にここから出て行けない。ここを突破しなければ、今日を終わることはできない。


「約束したんだ。セーミャと、星を見ようって。アルティナの星はきれいに見えるからって」

「ラディラの星もきれいに見えるわよ。別に今でなくたっていいじゃない」

「セーミャと一緒に見られるのは今日だけかもしれない。今夜で最後にするから、お願い」


 たった一度。最初で、最後。

 アルティナの夜空も、あの塔で見る星も、もしかしたら今夜で見納めになるかもしれない。この地でいつまで見られるかわからない。あとどれだけ夜を迎えられるかわからない。だから、いつでも最後の心持ちでいなければ。

 あのときもっとああしていればと、できずにいた後悔はしたくない。


「……わかったわ。夜は冷えるから、上着は羽織っていくこと」

「うん。ありがとう。待ち合わせてるから、もう行くね」

「はいはい、行ってらっしゃいな」


 半ば諦めたように思えるのは、間違っていないだろう。きっと諦められているし、同時に呆れられている。それと、ラスターの思うままにさせてくれているのだとも。

 外套がいとうを手に持ち、ラスターは部屋から出る。賢人の黒い外套ではない。ルパで買った、青褐あおかちいろ──夜色の外套を。

 ラスターは廊下を右方向に歩いて行く。遠回りになるけれど、ここで見た色々な光景を焼きつけておきたかった。

 最初はシェリックとフィノと、三人で歩いた廊下。セーミャと二人で歩いたときは、扉に施されている意味について教えてもらった。

 初めに見えてきたのは天秤の印。ここは誰だったか。隣の部屋は本の印。ここは宰相の持ち場と書庫を兼ねているのだと聞いた。そしてその隣は聴診器。ラスターも何度も訪れた、治療室だ。

 不意に、レーシェとのやり取りを思い出してしまう。どうしてこんなところで。歩いてきて頭が整理されたのか、レーシェから遠ざかったことで落ち着いて思い返せるようになったのか。

 レーシェに嘘はついていない。だから、嘘にはならない。ただ、レーシェには言わなかったことがあるだけだ。


「……ごめんなさい」


 本当のことを言わずにいて。言ってしまったら、きっと止められてしまうから。ラスターには、どうしても言えなかった。

 ──約束したんだ。

 シェリックと。

 ──星を見ようって。

 あの塔の屋上で。

 約束ではない、伝言。ラスターが行っても行かずとも、シェリックは必ず来るだろう。伝言を果たしに。だから、あとはラスターの気持ち次第だ。

 あれで信じてもらえただろうか。いや、信じてもらえたからこそ、ラスターはこうして出てこれたのだ。そうに違いない。

 緊張感を和らげようと、何か楽しいことはないかと頭を巡らせる。そうして浮かんできた人物に、ラスターは頬を緩ませた。

 でまかせを言うときは、勢いと最もらしいことを言うのが良いと。嘘をつくときは本当のことを織り交ぜながら言うのが良いと。

 教えてくれた当の本人を窓の外に見つけ、ラスターは近くへと寄った。


「グレイ!」


 窓越しに手を振ると、グレイも気づいてくれる。寄ってから、ラスターは首を傾げた。


「あれ、あっちにいるんじゃなかったっけ?」


 夕方まではシェリックの元にいるのだと、そう話していた覚えがある。昼すぎの今、どうしてここにいるのだろうか。


「ああ、ちょっとな」

「──どうしたの?」


 グレイの顔を見て、問いかけずにはいられなかった。

 ラスターに教えてくれたのはグレイだ。それなのに、彼の口八丁手八丁がえていない。押し黙るなんて到底、グレイらしくないではないか。


「──おまえは今夜のことを考えておけ。人の心配している場合か」


 そう言われてしまっては、引き下がざるを得ない。触れて欲しくないような、あからさまな拒絶だ。

 踏み込んではいけない。簡単に踏み込んでしまわれたくない思いを、ラスターも知っている。だからラスターも、近づかない。動かしかけた足を、うしろに下げる。

 代わりに。


「グレイ、ありがとう。シェリックと話す場を作ってくれて」

「別に、俺だけの提案じゃない。言うならナキやファイクにも言ってくれ」


 グレイらしくなくても、ラスターはラスターでいるだけだ。


「うん。ナキにもファイクにも言いに行くよ。でも、今ここにいるのはグレイだけだ」


 三人にはちゃんと伝えたい。機会を設けてくれたことに。危険だとわかっていながら動いてくれたことに。


「会いに行ってくるよ」

「ああ、行ってこい」


 ありがとうじゃ足りないくらい、感謝していることを。




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