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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
八章 アルティナ王国Ⅴ
168/207

168,内に燻る火種がひとつ


 薬師見習いである三人は、それぞれ違う。

 一人として同じ人はいないため、人が違えばその分個性も異なるのは当然である。けれど、三人交互に接しているとそれが顕著だ。


 ナキは無駄なことを嫌う主義だ。シェリックへの体調確認や、彼女自身がした推測、意見を語るときも、必要な事項だけをお互いに交わすだけだ。不要なことは限りなく省きたいと、雰囲気から察せられる。

 ファイクはナキと真逆。一見無駄と思えることほど大事なのだと、ファイク自身が公言していた。そして、どこにそれほど口があるのかと思うくらいずっと喋っている。会話していないときでも一人でぶつぶつ言いながら手を動かしているので、眺めていて退屈はしない。

 そしてグレイ。ナキと似た雰囲気ではあるが、ナキと違うのは基本的に口数も言葉も少ないところだ。無口かといえばそうでもなく、こちらが話しかけると口を開いてくれる。だから別に、彼とともに過ごす無言の空間が苦痛だったわけではない。ただ、時折深く考え込むような様子が見られるのは、彼の性格なのではないかと思っていた。


「あたしたちがあなたを助ける理由、ですか?」

「ああ」


 約束どおり、ナキがやってきた昼すぎ。シェリックはもう一度同じ疑問を投げかける。今度はグレイだけでなく、ナキとグレイの二人に。

 一瞬だけ訝しむ様子を見せるも、考え込むナキの表情は真剣そのものだ。熟考を重ねていたナキがうまいこと答えを見つけたのか、ほどなくして顔を上げた。


「初めに言っておきますが、あなたのためではありません」

「それはそうだろう。ここで俺のためと言われたら、俺は君たちを疑う。理由はラスターか?」

「はい」


 顎を引いて、ナキは答えた。

 シェリックと薬師見習いたちを結びつける、唯一の点。それがラスターだ。同じ王宮内にいて、賢人と賢人見習いという近しい立場。それでも、ラスターという接点がなければ、シェリックは彼らと言葉を交わしていたかどうかも危うい。

 薬師にはレーシェがいるが、顔を合わせるだけの関係だった可能性は決して低くない。最も近くて遠い他人。シェリックと彼らとの関係を表すならば、そんな名称がしっくりくる気がした。


「あたしは、少し前に騒ぎを起こしました。そのとき、ラスターやグレイ、ファイクに助けてもらいました。だから、その恩を返したいだけです。ラスターが共和国に帰るなら、今しかできない。あなたを助けることが、いてはラスターに恩を返すことになると思ったので」

「そうか……ありがとう」


 ナキはかぶりを振る。表情が陰り、不機嫌にも見える彼女の様子は、シェリックの言葉を拒絶していた。


「いえ、お礼を言われるほどではありません。聞かれたことに答えただけですから」

「ああ。答えてくれただろう?」


 そう言うと、ナキから妙な顔をされる。目の前に珍獣でもいるかのように、目を凝らして見続けてくるのだ。物言わず一方的に観察されるのは、こうまでも戸惑うのか。ラスターならば、沈黙に耐えきれず「なに?」と訊いているだろう。理由がわからないのは、居心地が悪い。

 ナキは何か言おうとしているらしいが、結局話しあぐねて押し黙る。外れた視線が逡巡しゅんじゅんするのは気まずさからか、それとも別の理由か。その回答は彼女しかわからない。

 全ての物事に理由を求めるのは、必ずしもうまい方法であると限らない。気づかなかったふりをして目をつむるのもひとつの方法だ。知らない方が結果として保たれる平穏もあるのだと、シェリックは学んできた。

 ──同時に、理解したいと思うならば、ときには踏み込む必要もあるのだと。

 シェリックは、彼女から隣の人物へと目を移す。


「それで、君は? グレイ」


 先延ばしにしていた問いかけの答えを、今度こそ教えてもらうために。

 彼がどうしてシェリックを助けてくれるのか。なぜあのときは答えなかったのか。


「その前にひとつ、質問をさせてください」

「構わない」


 それが必要な情報だと言うならば、答えるにやぶさかではない。もちろん、答えられる事柄であるならば、だ。

 グレイの目が、わずかに細くなった。

 怪訝な目を注いできたナキよりも、ありありと向けられる感情がある。鋭くとがった切っ先。突きつけられたのは、紛れもない敵意だ。


「レマイルを殺したのはあなたですか?」

「レマイル? ──レマイル殿か?」


 シェリックに思い当たるのは一人。両者ともに知っている。親しいというにはおこがましく、他人にも近い距離。

 しかし、グレイの感情とレマイルとの接点が結びつかない。


「どうなんですか」


 追及するよりも先に、グレイの質問が立ちはだかる。答えを聞くまで、ここから先へは一歩も進ませないと。

 この様子では、口を挟むのは野暮だろう。詮索するのはあとだ。疑問を解消するより、グレイに答える方が先決だ。


「疑うのはもっともだが、俺じゃない」


 レマイル──レマイル=トロヴァドロス。彼女は十二賢人の一人で、竪琴を携えた楽士。そして、最初に殺された賢人だ。物静かに竪琴をかき鳴らしていた姿が思い出される。彼女の周りには、いつも穏やかな時間が流れていた。


「では、あなたがラスターを殺そうとした理由は?」


 関連づけるのなら、殺意があるのか否か、その部分か。


「信じてもらえないかもしれないが……あのとき、俺にはラスターが別の人間に見えていた。この手にかけて殺したいほど、憎んでいる相手に。ラスターだと気づけたのは、フィノに止められてからだ。だから、それまでラスターを殺しかけていたなんて疑いもしなかった。止めれていなかったら……ラスターをラスターとも思わず殺していただろうな」


 今だからこそわかる。

 ようやく手にかけられる。

 自らの手で殺すことができる。

 幻が作り上げた状況に自分が歓喜していたことも、また事実なのだと。


 もし目の前に本物が現れたなら、まず間違いなく、彼を殺そうとするだろう。彼への殺意はまだ、シェリックの中にある。

 しかし、傍から聞くとなんて都合のいい逃げ道だ。証拠もない、証人もいない。ここにあるのは、シェリックが述べた、作り話のような証言だけ。

 これで信じてくれだなんて、虫がいい話だ。疑わずにいろという方が難しい。


「……本当に、レマイルを殺したのでも、ラスターを殺しかけたわけでもないんですね?」

「ああ。星に誓って」


 グレイの視線が下方へと落とされる。深く吐かれた息は、彼の敵意か緊張か。床に落ちた思いはばらばらで、拾い集めたなら全貌が見えるかもしれない。

 シェリックはグレイの様子を目にして思い至る。彼が、シェリックを助けた理由に。


「俺が、他の賢人たちを殺したかもしれないと思っていたのか」

「ええ、そうです。当ては外れましたが」


 彼の口数が少なかったのは、性格だけではない。喋りすぎないよう、感情を出さないよう、あえて無関心を装っていたのだ。敵意を向ける矛先が狂わないように。移した情に惑わされないように。

 もしシェリックが犯人であったなら。実行した張本人であったなら。グレイはさらに問い詰めただろう。なぜ、と。

 そこまで想像はつくも、根本的な部分がまだわからない。グレイが、どうしてレマイルを殺した人物を突き止めたいのか。


「君と、レマイル殿の関係を訊いても?」


 グレイは首のうしろへと両手を回す。初めからそうするつもりだったと、ためらいは毛ほどもなく。

 外された細い銀の鎖。グレイの手のひらが差し出してきたのは、鎖につけられた銀の指輪がふたつ。


「恋人同士でした。将来を誓い合った」


 細めの指輪に添えられた薄紫の石が、寂しそうに光っていた。主を失った嘆きを、訴えるように。


「俺の星命石です。ひとつを、彼女に渡すつもりでした。渡す前に、彼女は亡くなりました」


 グレイは鎖を元のように首につけ、服の中へとしまう。表からは見えない位置に。つけていることすら隠して。


「どうして彼女が殺されなければならなかったのか、俺はそれが知りたいだけです。あなたが殺したなら、なんとしてでも理由を聞き出そうと思っていました。──これが、俺があなたを助けた理由です」


 通常、見習いは三、四年ほど経過したら王宮の外に出される。それがアルティナ王国内なのか、国外なのかは場合によりけりだ。長く留まるのは実力があり、次期賢人だと言われているからか、もしくはやむを得ない理由がある者に限る。

 六年前、リディオルに行われた受継を知り、今なおここにいる。グレイは後者だ。

 シェリックが違うとわかったとき、彼の心境はいかほどだったろう。無念と消沈。グレイの気持ちを推し量ったとしても、想像だけでは足りない。


「教えてくれてありがとう。君の事情に踏み込んですまない」

「いえ。理由を話すと承諾したのは俺なので、構わないでください。──少し、外します」


 落胆を隠せていない。無理もない。つかみかけた手がかりが空振りに終わったのだ。ましてやその手がかりが、長年追っていた恋人の仇となれば──なおさら。


「すいません、あたしも外します」

「ああ」


 シェリックの立場で頼む、というのもおかしいだろう。

 急いでそこから出て行くナキは、すぐにグレイへと追いついたに違いない。グレイのことは、シェリックよりも彼を知る者に任せるのが確実だ。

 シェリックが何を言ったとしても、慰めひとつ届かないだろうから。



  **



 疑念と驚愕と動揺と。

 次々と揺さぶりをかけてくる感情の奔流に、ナキは押し流されないようにするだけで精一杯だった。

 しかし、そこから飛び出せたのは、ひとえに僥倖ぎょうこうだったと言えよう。圧倒させられただけで終わるなんて、認めない。

 短時間で歩ける距離なんてたかが知れている。

 出た途端に髪をさらった風を追い払い、ナキは彼へと声を張り上げた。


「グレイ!」


 遠ざかりかけていた背中はそこで止まった。その隙にナキは足を速め、振り向かないグレイに追いつく。


「どうしておまえまで出てきた」

「あんたに訊きたいことがあったからよ」

「答える気はないと言ったら?」

「あたしがあんたに言いたいだけ。答えたくなければ答えなくてもいい。いいから黙って聞いてなさいよ。あんた、わざとあたしに同席させたでしょ」


 宣言どおり、グレイからの答えはなかった。

 顔を見せずともいい。黙ったままでもいい。グレイに言わなければ、ナキの気が収まらない。

 おかしいと思ったのだ。

 シェリックを助ける理由を話すならば、個別に聞けばいい。グレイはナキが来る前からシェリックと一緒にいたのだ。会話する時間なんて、いくらでも取れただろうに。わざわざナキが同伴する必要はない。人に聞かれたくない事情があるなら、余計にそうだろう。


「勝手に巻き込んでくれたことに関してはこの際いいわ。けど、あたしがあの場にいて良かったの? さっきあの人に話してた理由、あんたの個人的な事情でしょ? あたしにまで明かす必要、なかったでしょ?」


 おかげでナキまでグレイの理由を知る羽目になってしまった。関係ないナキにまで知られたい事情ではなかったろうに。


「逆だ。俺一人じゃ、冷静に聞けそうになかった。だから、おまえがいるときを選んだんだ」

「そっか……なら、いいわ」


 グレイの質問に、彼は否定した。でも、あのときもし、彼が肯定していたなら──グレイは彼につかみかかっていたかもしれない。つかみかかるだけならまだ可愛い方だ。怒りに任せて怪我をさせてしまったなら? 殺してしまったなら? 浮かんできた可能性に、ナキは遅まきながらぞっとした。

 ラスターに恩を返すどころではない。今度はラスターに恨まれたとしてもおかしくはなかったのだ。

 ナキは薬師見習いのグレイしか見たことがないから、内側にどれほどの激情を抱えていたのか知るよしもなかった。今目の前にいてもなお、グレイがどれほど消沈しているか。落胆はいかほどか、想像するしかない。

 人には、誰しも見せられない顔がある。秘めている思いがある。知ることで変わる何かがあるとするならば、それはナキが抱く印象だけだ。グレイは何も、変わらない。


「あたし、戻るわ。あんたは? 無理そうならファイクを呼んできてくれると助かるんだけど」

「──悪かったな、勝手に利用して」


 首を回し、ようやく目を合わせてくる。


「ひっどい顔」

「……今日だけだ」


 ここまであからさまに沈んでいるグレイは珍しい。秘めていた事情を話してくれるのも、あとにも先にも一度だけだろう。


「もういいって。あたしは気にしてない。それに、あんたが暴走しなくて良かったわ」

「──ああ」


 だから、ナキも今日だけだ。お節介を焼いて、励ましておきたくなったのは。




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